
今回も「長編ディズニーアニメーション」を公開順に鑑賞し、評論していく「ディズニー総チェック」
今日は、通算52作品目『シュガー・ラッシュ』を深堀りしていきたいと思います。
この作品のポイント
- どのような題材も「ディズニファイ」可能。
- 「なりたい自分」と「現実の自分」の悩み。
目次
『シュガー・ラッシュ』について
基本データ
基本データ
- 公開 2012年
- 監督 リッチ・ムーア
- 脚本 フィル・ジョンストン/ジェニファー・リー
- 声の出演 ジョン・C・ライリー/サラ・シルバーマン ほか
あらすじ
長年ゲームセンターのゲームの中で悪役を演じ続けてきたラルフ。
本当の自分は悪者ではなく、心優しきヒーローなのだとみんなに認めてもらうため、アクション満載の冒険へと飛び出す。
他のゲームの世界でラルフは、ちょっと生意気なひとりぼっちの少女ヴァネロペ・フォン・シュウィーツをはじめ、今まで知ることのなかったキャラクターたちと出会う。
ある日、本物の悪者が現れ、世界に崩壊寸前の危機が迫る。
ゲームセンターの運命はラルフの大きな手にゆだねられた。
ディズニープラスより引用
もはや何でも「ディズニファイ」出来る!

題材の自由度が広げる
今作はゲームの世界がテーマとなっているのが特徴だ。
我々の知らぬ間に「ゲームセンター」のゲーム内のキャラクターたちは自我を持っており、自由に行動をしている。
この設定自体は非常に『トイ・ストーリー』的だ。
つまり、身も蓋もない言い方をすると、今作は非常に「PIXAR」的な作品だといえるのだ。
この構図をどう捉えるかだが、実は「ディズニー」「PIXAR」の合併後、面白い事が起きている。
それは、「ディズニー」が「PIXAR」的な作品を作り、「PIXAR」は割と「独自路線」で作品作りをしているということだ。
もちろん「新生ディズニー」は「プリンセスもの」や「動物もの」「世界の童話」など、これまでの路線に沿った作品も多く制作している。
だが、『ボルト』や『シュガー・ラッシュ』のように、「PIXAR」が制作しそうな作品も公開している。
方や「PIXAR」はというと、たしかに人気タイトルの続編(『トイ・ストーリー4』『ファインディング・ドリー』など)を制作・公開しているが、最近は非常に「チャレンジング」な作品が多い。
例えば『ソウルフル・ワールド』や、今夏公開の『あの夏のルカ』
一見すると、「それは面白いのか?」と疑問を抱く、設定や世界観の作品を多く制作・公開しているのだ。
つまり現状はこのような構図になっている。
- ディズニー・・・伝統的作風の作品/従来「PIXAR」が制作していた系統の作品
- PIXAR・・・チャレンジングな設定・世界観の作品
なので、現状の体制としては「ディズニー」では「外さない」作品。
「PIXAR」は「挑戦」という意味合いの作品。
このような棲み分けになっているといえる。
恐らくこれは「PIXAR」で「成功」した要素は「ディズニー」に還元。
「PIXAR」はどんどん挑戦する土壌になっているのではないだろうか?
つまり、ディズニーで今、語れる作品の系統が増えてきているとも言えるのだ。
ちなみに、少し先の話だが『ベイマックス』など「マーベル」系統も原作に作品制作するなど、その幅はどんどん拡充していっている。
そして重要なのは、そのディズニーで語られなかったタイプの作品も、つまり今作も大変おもしろいということだ。
それが何を意味するかと言うと、これまでの「ディズニー」が制作しなかったタイプの作品。
これらもキチンと「ディズニー」は「ディズニーらしく」見せることが出来る、つまり幅の広さを手に入れたということだ。
つまり、「ディズニー」は現状どのような題材の作品だったとしても、それを「ディズニーらしく」それすなわち「ディズニファイ」して見せること出来るようになったということだ。
「なりたい自分」「現実の自分」

認められない2人の邂逅
今作で強烈に描かれるのは「なりたい自分」と「現実の自分」のギャップについてだ。
「フィックス・イット・フェリックス」というレトロゲーム内の登場人物であるラルフは、そのゲーム内では「悪役」と設定されている。
そんな彼の望みは、自分も「ヒーロー」になりたい、というものだ。
それは、他人から認めてもらいたいという欲の現れだとも言える。
しかし、彼は「悪役」だ、同ゲーム内のヒーロー、「フィックス・イット・フェリックスJr」とは違い、彼は「破壊」という役目を担わされている。
深堀りポイント
おもしろのは、冒頭、同じ悩みを抱えていたであろう、様々なゲーム世界の「悪役」が一同に介する「セラピー」が行われているシーンだ。
そこではラルフ以外の「悪役」は、なんとか立ち直り、「今の自分=悪役」を肯定して生きている。
そして、もうひとりの主人公「シュガー・ラッシュ」というゲーム内キャラクターの「ヴァネロペ・フォン・シュウィーツ」もまた、「レーサー」になりたいという願いを持っている。
しかし、彼女は「不具合」を抱えており、そのため、その望みを叶えることが出来ないのだ。
今作は、この2人に対する周囲の登場人物の風当たりが、メチャクチャリアル。
これは上手いということだが、正直見ていて「胸糞悪い」レベルで、描かれるのだ。
そんな、自分たちの住む「ゲーム」でのけ者にされた2人が出会うのが、今作のメインストーリーだ。
ポイント
作中で基本、ヴァネロペは「生意気口調」でラルフと会話する。
これでも相当な生意気娘っぷりだが、日本語版では非常にマイルドになっている。
この2人は多くの共通点がある。
一つに「ゲーム内」で、他者から爪弾きにされていること、そして「今の自分に納得していない」点だ。
この2人の悩み、特に後者はある意味で現実に「我々」も感じる「悩み」と近い。
ようは「自分が思い描いている理想」と、目の前にある「現実」が異なり過ぎているのだ。

自分の「理想」とすることと「現実」が違うこと、そんなことに悩んだりしないだろうか?
これは「PIXAR」と合併後の「新生ディズニー」の特徴なのだが、今までならば「描かれなかった」ことを描いている。
つまり「現実」にも起こりうる悩みを、ディズニーは作品に落としこんでいるのだ。
それはある意味で「ディズニー」の描いていることが「現実に即さなくなった」
意地悪な言い方をすると「夢見心地」な作品(=安易なプリンセスもの等)が、受け入れられなくなってきたことによる反動とも言えるのだ。
これまでの総チェックでも評論してきたが、ジョン・ラセターがディズニーのCCOに就任してからの作品は、このように過去の「ディズニー的」な要素を批評する側面。
今ままで取り入れなかった価値観を取り入れている。
それこそが、「新生ディズニー」
つまり、新時代にディズニーが生き残る唯一の方法だったのだ。
ささやかな自己実現
今作は、「ヒーロー」になりたいと願うラルフの、ある意味で身勝手な願いが暴走することで展開される。
「ヒーロー」に認められるには「メダル」が必要。
その「メダル」を手に入れるため「ヒーローズ・デューティ」という別ゲーム世界に行き、そこで非合法的な方法で彼は「メダル」を手に入れる。
そこで、このゲーム内の敵キャラである「サイ・バグ」と共に運悪くゲーム内から飛び出して、「シュガー・ラッシュ」に墜落する。
この作品の全ての元凶はラルフなのだ。
正直、この「身勝手さ」にノレないという人には、今作はきついかも知れない。
だけど、これも前述した、「なりたい自分」と「現実」の自分のギャップに悩まされた、結果だと考えれば、、まぁ溜飲も下がるのではないでしょうか?
しかし、ここでラルフが出会うヴァネロペは、ある意味でもっと不遇だ。
彼女はバグ持ちで、そのため彼女はゲーム内世界で光を浴びることのない、日陰者だと言える。
だからこそ、周囲のキャラから、イジメを受けてしまっている。
このシーンもリアルで、残酷なイジメシーンだからこそ、ここも相当見ていて辛い場面となっている。
ある意味で彼女は「シュガー・ラッシュ」では役目もない存在だ。
ラルフのように「悪役」であることに「悩む」ことも出来ない、「存在しない者」として扱われている。
これはラルフの立場よりもキツイと言えるのだ。
だからこそ、ラルフは「シュガー・ラッシュ」世界で孤独に過ごす彼女の痛みに寄り添うことになる。
今作はそんな「はぐれ者同士」が、親友となっていく過程を描く作品なのだ。
そして、今作では最後に、これまで「ヒーロー」になるという「形」として「メダル」に固執していたラルフが、ささやかながら自己実現をする。
つまり、「メダル」が重要なのではない、「誰かのために」という思いが、ラルフをヴァネロペのヒーローにするのだ。
この「ささやかな自己実現」は、『ボルト』や『トイ・ストーリー』のラストとも非常に近いものになっている。
そして最後には、割と全てが綺麗に完結するが、そこは「ディズニー」らしいというか、ご愛嬌というか・・・。
(このあたりも賛否別れるとこではあるとは思いますが)
まぁ、ディズニーらしいバランスに帰結しているとは言える。
そして、周囲に認められたことで、ラルフも「自分の現実」の姿を、自分自身で肯定する。
「悪役」に誇りを持って取り組めるようになるのだ。
でも、これは現実でも、非常に大切なことだとも言える。
この構図は実は『プリンセスと魔法のキス』で「夢」に固執するな。というメッセージ。
『塔の上のラプンツェル』での、「夢」は「幸せへの道」で、「夢」の先に「夢がある」
そして、今作で「夢」は叶わなくとも、今の自分を「肯定」しよう。
このように通ずる要素だとも言えるのだ。

だからこそ、今作は、大人にも刺さる。
むしろ「勤め人」にこそ刺さる作品だと言えるのだ。
そして、この「層」に刺さる作品をディズニーがつくっていること、これこそ、まさに「新生ディズニー」最大の特徴だといえるのだ。
バグは直さない
今作の最後にヴァネロペは、本当の自分。
つまり、「シュガー・ラッシュ」世界での「プリンセス」の地位を取り戻すのだが、彼女の「バグ」「ノイズ」は決して直ってはいない。
これは『アナと雪の女王』でのエルサにも通ずるが、決して「他人との違い」は「直す・治す」べきものではない、つまり「個性」として自己肯定しようというメッセージでもあるのだ。
そう考えると、次作の『アナと雪の女王』は、この点をさらにフォーカスしていると言える。
これこそまさに現代の様々な「価値観」をも受け入れていこうという「ディズニー」からのメッセージだとも言えるのだ。

このように作品を「点」で見るのではなく「線」で見る。
だからこそ「ディズニー総チェック」はおもしろい!!
AKB48が、過去になりつつあるので、
これが「シュガー・ラッシュ」がゲームとして、
若干古くなっている、という演出にもなっているのが良い
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
普通におもしろい優秀作品!!
ただ、続編にはかなり言いたいことがあるので、覚悟しとけよ!!笑
まとめ
ということで『シュガー・ラッシュ』は、「ゲーム」というこれまでのディズニーでは、テーマにしなかった要素で攻めている。
そしてその作中で描かれる「理想」と「現実」の間でもがく構図も、また「新時代」に即した内容となっているのだ。
そして、ささやかな「自己実現」でヴァネロペにとってのヒーローになれたラルフ。
彼は、こうして自分を自分で肯定して、「悪役」という役目に誇りを持てるようになったのだ。
これは、ある種「理想」の自分になれずとも、今の自分を肯定してもいいのだ、というメッセージだといえる。
そして、これもまた「夢は叶う」という単調になりがちだった「ディズニー作品」のこれまでの系譜に終わりを告げる、つまり「新時代」に即したものだと言えるのだ。
「夢」「理想」は「呪い」にすらなる。
これらが叶わぬから不幸なのか?
そうではない。
ディズニーはこれまで積み上げた「夢叶う」=「成功」という構図を刷新していく。
今作もまた、こうした要素を持っているのだ。
まとめ
- これまで、語らなかった題材・テーマで勝負した作品。
- 「夢叶う」こと、それだけではないというメッセージが「新生ディズニー」らしいと言える!