
今日は「ディズニー長編アニメーション」を公開順に鑑賞し、評論していく「ディズニー総チェック」
今回は通算51作品目の『くまのプーさん』(2011年版)です。
いよいよ長い「ディズニー史」最後の2D手描きアニメになる今作。
ここで「アニメ」という文脈そのものが変化する、重要な局面を迎えるわけですが、果たして今作を見て僕がどう思ったのか?
深堀りしていきたいと思います!!
この作品のポイント
- 今作で「手描き2Dアニメ」から撤退。
- 「ナンセンスギャグ」の釣瓶撃ち。
- やはり「プーさん」の本質は「子供の遊び」であるという基本は踏襲。
目次
『くまのプーさん』(2011年版)について
基本データ
基本データ
- 公開 2011年
- 監督 スティーブン・アンダーソン/ドン・ホール
- 脚本 バーニー・マティンソン
- 原作 A・A・ミルン
- 声の出演 ジョン・クリーズ/ジム・カミングス ほか
あらすじ
100エーカーの森を舞台に、みんなに愛されるくまのプーさんと、
かわいらしい仲間たちが再び繰り広げる心温まる物語を見て、素敵な家族団らんの時間を過ごそう!ある日、なんでも悪い方へと考えてしまうイーヨーのシッポが取れてしまった。
オウルのアイデアでプー、ティガー、ラビット、ピグレット、カンガとルーは旅に出ることに。
みんなでイーヨーのシッポを探し、さらにクリストファー・ロビンを謎の“スグモドル”から救おうと奮闘するが、気づけばプーはハチミツ探しに夢中。A・A・ミルンの5つの物語に基づき、名作アニメーションがディズニー伝統の手描きスタイルでよみがえる。
くまのプーさんを知らなかった子供たちにとっては、
この世界中で愛されてきたキャラクターたちを知るきっかけになるだろう。この映画のために新しく作られた歌とともに、
ディズニープラスより引用
素敵で気まぐれなプーさんがみんなのもとへやってくる。
最後の「ディズニー手描きアニメーション」

長い歴史の転換点
ディズニーはその歴史で二度の「手描きアニメ」から撤退を表明している。
一度目は2004年の『ホーム・オン・ザ・レンジ』後の撤退宣言。
そして、二度目は2013年、ちょうど今作の公開の後に宣言をしている。
一度目の宣言時、時代は「PIXAR」「ドリーム・ワークス」が一気にアニメ業界を席巻した時期だ。
当時のディズニーはこの2社に押され、アニメ業界では劣勢に立たされていた。
恐らく、当時の最高責任者だった「マイケル・アイズナー」の中には、こうした「3Dアニメ時代」の到来。
つまり「自社のアニメは手描きの2Dだから負けた」という認識があったのかも知れないが、とにかく、時代の流れに乗るべく撤退を表明することになったのだ。
しかし、話はまた大きく変化する。
それが2006年の「ディズニー」による「PIXAR」買収だ。
これによって「ディズニー」のアニメ部門のCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に「ジョン・ラセター」が就任した。
彼は元々はこの業界に「3Dアニメ時代」の風を吹き込ませる権化でもあるわけだが、そんな彼が、まず「手描きアニメ」撤退を辞め、再度「手描きアニメ」を作る方向に舵を切り直したのだ。

自然の流れといえば自然とも言える!
そして再度ディズニーは2本の「手描き2Dアニメ」を公開することになる。
それが『プリンセスと魔法のキス』と『くまのプーさん(2011年版)』である。
しかし結果だけを言うと、この2作品の間に公開された「3DCGアニメ」である『塔の上のラプンツェル』が大ヒット。
(勿論『塔の上のラプンツェル』の大ヒットした前提に、『プリンセスと魔法のキス』が存在したことが大きいが、やはり興行としては結果も重要だ。)
そして2011年に公開された『くまのプーさん(2011年版)』もまた『塔の上のラプンツェル』ほどのヒットをせず。
そのため、やはり二度目の「手描きアニメ」からの撤退宣言も時代の流れから見れば仕方のないことかも知れない。
勿論最高経営責任者の「ボブ・アイガー」は現在でも「完全撤退」とは言わず含みをもたせているのだが、現状を見る限り、やはり「ディズニー」の手描きアニメはもう見れそうにもない。
そういう意味で今作品は、1937年『白雪姫』から続いた「手描きアニメ」の系譜の最後に位置する作品で、ディズニーの歴史を見ていくと、ここもまた大きなターニングポイントだと言えるのだ。
前回の「プーさん」以上の破壊力!!

ナンセンスギャグの破壊力
実は当ブログは「プーさん」について語っている事が多い。
前回の『くまのプーさん(完全保存版)』評。
そして『くまのプーさん』の原作者「A・A・ミルン」にフォーカスした『グッバイ・クリストファー・ロビン』評。
これらで割と語り尽くしているので、今回はこれらの評論で指摘したことと重なる点も非常に多くなるが、そこはご容赦いただきたい。
ということで今回の2011年版の『くまのプーさん』だが、基本的な「プーさん」らしい流れは踏襲している。

と近い構成ともいえる
- プーさんのお腹が減る件
- 100エーカーの森の仲間たちに起こるトラブル
- 「スペル」の読み間違いで起きるドタバタ
- 思わず頭を抱える、とんでもない展開
- そもそもは、子供の「ぬいぐるみ遊び」であるというメタ視点
などなど、これらのお約束が十分に詰まっているのが今作だ。
ただ1977年版と異なるのは、今作は「オムニバス形式」ではなく、一本の筋が通っている点だ。
それが「プーさん」の「お腹が減っている件」と、「イーヨ」の「しっぽが無くなった件」だ。
今作はこの根本の筋が通っているから、めちゃくちゃな展開が続く中でも、キチンと一応の物語として、作品が成立しているのだ。
しかし、今作はホントに「ギャグ」の破壊力が凄まじいのだ。
繰り返しになるが前作は「オムニバス」形式を採用。
そして最後に「何もしない」という名シーンがある分、「いい映画風」な感じで締めくくられている。
だが、今作はある意味で「いい映画風」な部分を切り取って「理不尽」「ナンセンスギャグ」の方向に強化された作品に仕上がっている。
個人的に好きなのは、ピグレットを蜂の巣に突き刺す。
そこからのプーの行動だ。
まさに「鬼畜」の所業というか何というか・・・。
あまりにもとんでもない展開に呆気にとられてしまう。
さらに「すぐ戻る」という置き手紙を読んで「スグモドル」という怪物がいる、そんな勘違い。
前作の「ズオウとヒイタチ」を踏襲しているとは言え、こちらも中々とんでもない展開をしていく。
極めつけは「お腹が得減りすぎた」プーが、周囲の登場人物の声がすべて「はちみつ」に聞こえるという、まさに「薬物が切れた」かのようなドラッギーな演出。
『くまのプーさん』という作品は、往々にして、「はちみつ」をまるで「薬物」のように見える演出をしているのだが、まさにその極みのようなギャグ演出をしている。
正直いうと、こうした呆気に取られる展開の連続で、見ていて「クラクラ」させられてしまうのも、「プーさんシリーズ」の特徴だと言えるのだ。

そういう意味で「プーさん」は割と鑑賞するハードルが高い作品とも言える。
でも、本質は「子供のぬいぐるみ遊び」である
さて、そんな「ナンセンスギャグ」全振りした今作だが、やはり「プーさん」という物語の本質はなにか?
それは「子供のぬいぐるみ遊び」であるという点からは逃れられないのだ。
今作は冒頭現実の「クリストファー・ロビン」の部屋の実写風景から始まり、そしてプーを始めとする「ぬいぐるみ」が写され、そこから「くまのプーさん」の絵本が大写しになる。
これは元々この作品の原作は、A・A・ミルンの息子であるクリストファー・ロビンの「ぬいぐるみ遊び」にインスパイアを受け、書かれたものということの現れだ。
つまるところ、今作の作中の物語の理不尽性、そして急展開。
それらは、子供の遊びだからこそ出てしまう、”こと”だと言えるのだ。
特に笑ってしまうのが、ピグレットを除く皆が穴に転落後の彼の行動だ。

そもそも「スグモドル」にロビンがさらわれたという勘違いから起きた事件なのに、「ロビンに助けを求めに行け」など展開は無茶苦茶。
これも、ある意味で子供の遊びだからこそ起きる「無茶苦茶」だ。
ということは、今作の展開が無茶苦茶であればあるほど、この作品は「子供の遊び」ということの本質がよく描けているということだとも言える。
つまるところ「展開が無茶苦茶」であることは、本質を突いていて、素晴らしいということなのだ。
だからこそ、今作は「これでいい」のである。
今作の教訓
だが、そんな今作にも教訓が描かれている。
ちなみに前作はそれが顕著で、よくその部分だけを取り上げられたりもしている。
それは、ラストに訪れる「子供時代との別れ」のシーンだ。
それも「自発的なもの」が描かれており、それが教訓となっている。
詳しくは前作の評論に譲るが、端的にいうと「別れこそ”大人”への道」ということだ。
つまり「プー」たち「子供時代の象徴」と”自発的”に別れることで、ロビンの決定的な成長を描いており、それを見て、我々も「子供の頃に別れたもの」を思い出して涙するのだ。
関連知識
だけど「別れたもの」を忘れる必要はない。
それを時折「思い出す」ことをウォルト・ディズニーは素晴らしいと訴えている。
そのことは、『ピーター・パン』で描かれているので、併せてチェックすべし!!
だが、今作はそうした意味で「泣ける」教訓ではない。
だけど大事なことが描かれている。
それは「自分よりも他者のために行動することだ」
というのも今作は「プーのお腹へった件」「イーヨのしっぽの件」が軸となり、それにまつわる形で様々なトラブルが起こる。
ある種プーは「食欲の権化」とも言うべき存在だ。
「はちみつ」を求めてさまよい続け、最後には幻聴まで聞こえるほどに追い詰められたプー。
ようやく「はちみつ」にありつけるチャンスが来るが、イーヨのしっぽを見つける。
あのプーが食欲よりも、困っているイーヨのために、しっぽを届けるのを優先するのだ。
これは「自分よりも他人のため」に行動することの大切さを説いているとも言える。
そして、プーは結果「はちみつ」にありつく事ができるのだ。
ここまで60分見せ続けられた、「ナンセンス」「理不尽」な展開が、ようやく報われる瞬間だとも言える。
正直、これ以上ランニングタイムが長いと、本気で「疲れてしまう」その寸前で全て解決。
まさに神タイミングで今作は締めくくられるといえるのだ。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
「プーさん」の本質を描くという意味で、素晴らしい一本!!
前作以上のギャグのキレ!!
まとめ
とにかく今作は頭を空っぽにして見るに相応しい映画だ。
前作以上のキレをましたギャグ。
支離滅裂な展開。
これら全てが合わさって「プーさんを見ている」という気持ちにさせられてしまう。
そして何度も繰り返しになるが、この「ナンセンス」「支離滅裂さ」
これらが「子供のぬいぐるみ遊び」が原点であるという、「プーさん」らしさともいえるので、この感覚が強まっているのは、やはり「正しい」進化だと言える。
もちろん前作のラストも素晴らしいことは前提だが、今作ではラストに「自分より他人のため」という教訓が描かれる。
この教訓もストレートで前作以上にわかりやすいのもだが、今作のバランスでは正解だと言える。
つまり今作は「プーさん」らしさを強化して、わかりやすく締めくくった作品だと言えるのだ。
そして忘れてはならないのが、現状これが最後の「2D手描きアニメ」であるということだ。
『白雪姫』から始まったアニメ制作の流れが、これを期に大きく変わる。
そういう意味では「アニメ表現」の手法が変わる大きなターニングポイントだと言えるのだ。
でも個人的にはディズニーの「手描き」の質感がすごく好きだし、いつか復活してほしいと願っている。
とにかく現状最後の「手描き」のディズニーアニメだし、作品の質も素晴らしい。
あれこれ考えず、楽しめる作品になっているので、ぜひ鑑賞をしてくださいね!!
まとめ
- 「支離滅裂」だからこそ「プーさん」らしい!
- 最後の「手描きアニメ」だと思うと、感慨もひとしお!