
さて今日は劇場公開中の新作映画のご紹介。
ということで「スパイの妻」について語っていきたいと思います!!

この作品のポイント
- 二転三転する予想外のストーリー。
- 普通この設定で、このストーリーにはならない。
- 戦争の犠牲者とは何か?
それを直接描かずに見せきる作品。
目次
「スパイの妻」について
基本データ
基本データ
- 公開 2020年
- 監督 黒沢清
- 脚本 濱口竜介/野原位/黒沢清
- 出演者 蒼井優/高橋一生/東出昌大 ほか
この作品は、2020年にNHKで放映された、
同名のテレビドラマを、
映画用に再調整しなおした作品である。
あらすじ
1940年、神戸で貿易会社を経営する福原優作(高橋一生)は満州に渡り、偶然恐ろしい国家機密を知る。
正義のために一連の出来事を明るみに出そうとした彼は、反逆者とみなされてしまう。
優作の妻の聡子(蒼井優)は反逆者と疑いの目で見られる夫を信じ、スパイの妻とそしりを受けても、愛する夫と手に手を取って生きていこうと決意する。
「シネマトゥデイ」より引用
ここからはネタバレも含みます!
聡子の立場が、戦争の本質を描く


物語の推進力は、サイコホラー的要素
この作品は非常に特殊な作品だ。
「あらすじ」を読んで、我々が安易に予想するストーリー。
それらが全くこの作品では展開されない。
「国家機密を握った夫」とその「妻」
そんな風な設定からは、はっきり言って想像も出来ない物語がこの作品最大の特徴だと言える。
そして、それこそが「面白さ」であるし、そう断言しても間違いない。
ただ、個人的にはこの「サイコホラー」的な人間心理の怖さ描写。
先の見えないストーリー展開など、確かにそれらは楽しめたのか、その向こうに「戦争の本質」が描かれると感じた。
この作品の主人公「聡子」は元々、優作の仕事や、彼の志す大局の正義。
それはつまり、「アメリカを対日参戦させて、日本を敗北させる」というもの。
それに対して最初は「反発」をするのだ。
それで「傷つくのは同胞」であると。
強く夫を非難する。
ここから聡子の取る行動、一見すると優作に対する裏切りにも見え、そこに臭う不穏さにカモフラージュされているが、聡子が「日本の悪行の証拠フィルム」を目にした時、彼女は「大局の正義」に目覚めるのだ。
表面上は夫を裏切るったように見せながら、しかし本当は夫の計画を円滑に進めようと協力をする聡子
ここで彼女の立場が一つ変わる。
今までは「大局」を見ようともしない、いわば「一般市民」
いや、それよりも遥かに安全な場所から世界を見る「傍観者」だった聡子。
それが一転、自分自身も「大局」の行方を握る、まさしく「スパイの妻」であるという自負を抱くようになるのだ。
そして自分たちの行いが「正義」
それも大きな「視点」から見た「間違いのない正義」であることを確信していくのだ。
一見すると不穏なサスペンス要素を孕みながら動く物語。
しかし、その裏では確実に聡子の立場が変化するのをきちんと描いているのだ。
全ては「正義」のための行動
そして中盤からようやく、我々が安易に想像する「スパイの妻」的な物語が展開される。
大きな志を持つ優作、それを支える聡子。
二人は「秘密」を共有しながら、そして「正義」を信じて「アメリカ亡命」を計画することになる。
ここで意地悪な言い方をすれば聡子は、「正義のために行動する夫婦」という立場に酔っているとも言える。
先ほど夫を裏切るように見せて、憲兵に「文雄」を売り渡し、全ての罪を彼に被せた聡子。
これは、彼女が「大局の正義」のためには「小さな犠牲」は必要だ。と言っていることと他ならない。
彼女は「世界目線の正義」のために「日本人が死ぬ」ことを「必要悪」だと確信しているのだ。
先ほども言ったが、ここで彼女は大きな思考の変化をしていることが見て取れる。
これこそが、この作品の描こうとしている「戦争の本質」ではなかろうか?
結局のところ誰もが「正義を振りかざして」戦争をする。
「自分の正しさ」を押し通すために戦おうとする。
そしてそれを決めるのは「大局を見ている」と思い込んでいる少数の人間だ。
「世界のため」などのたもうて行動をする。
そういう点で聡子も優作の行動は、それらと本質的には変わらない。
優作のいう「今の日本は間違っている」「世界的に見れば悪だ」という視点。
これを現代から当時を振り返る視点で、僕は否定はしない。
そういう見方があるのも理解できる。
そして日本が行った戦争犯罪を告発したいという、彼なりの正義も理解できる。
ただし世界の人々を苦しめる「日本人」だから「日本を敗北させなければならない」
優作の抱く、その願いを叶えるためには、「日本人の大多数が苦しまなければならない」
本質的には「苦しむ人々を救いたい」という願いからの行動であるはずの行為も、蓋を開ければ「苦しむ人々」を作っている行為だとも言える。
この矛盾というか、アンビバレント感もこの作品ではきちんと描かれるのだ。
「スパイの妻」としてのプライド
この作品は中盤では、「スパイの妻」と言って容易に想像できる展開が繰り広げられるのだが、終盤で大どんでん返しがある。
優作は聡子すらも囮にして、自らの本懐を遂げようとするのだ。
日本軍に連行される聡子。
このシーンで聡子が持つ「日本軍の悪行が記録されたフィルム」
それを聡子は白日の元に晒して、憲兵長の泰治の正義の心を目覚めさせようとする。
憲兵たちは、一体このフィルムがどれほどの「重要な機密」なのか?
彼女が犯したのは、どれほどの重罪なのか?
それを見極めようとゾロゾロ集まってくる。
ただ我々はここで、「絶対にフィルムがすり替えられている」と、ここまでの展開からは容易に想像してしまう。
そしてこの「超シリアスな場面」で気の抜けた聡子たち夫婦が、余興で作った自主映画が映されたら、どれほど恥ずかしいのか・・・。
それを想像せずにはいられないのだ。

そして案の定、全員の「ポカン感」
泰治演じる東出の「なんでこんな物を国外に?」
という最大級の疑念、そして聡子のことを狂っているのでは?
と恐怖すら感じるシーンは見事。
そして聡子は夫が全て仕組んだことだと知り「見事だ」と笑い転げるのだ。
ここのカオス感はぜひ劇場で見て「ポカン」としてくださいよ!!
そして時が経ち、この事件ですっかり「気が狂っている」と診断された聡子は「精神病院」に隔離されている。
しかし野崎医師との面会で聡子は「気は狂っていない」「あんな仕打ちを受けて、気が狂わないことがおかしい」と告白をする。
これは、信じられないような裏切りに合いながらも、聡子はそれでも優作の本懐である「大局の正義」実現のために、自分は犠牲になった。
大いなる計画の前に自分は「スパイの妻」としてその役割を演じ切ったという「プライド」あるからだ。
その「プライド」が聡子を正気たらしめていた。
事実、優作の亡命後「アメリカ」の対日参戦が決まった。
そのこともあり聡子は、自分の行動を正当化して「自我を保った」のではないだろうか?

聡子の視点が変化し幕を下ろす
だが、この作品は聡子にもう一つの試練を与える。
それは終戦間近の「神戸の空襲」だ。
たちまち火の海になる町。
直接は描かれないが、子供の泣き声、助けを求める声。
そして聡子には見えている、戦争の悲惨さ。
それを目の当たりにした時、聡子の全てが崩れたのだ。
つまり、「大局の正義」など振りかざしたところで、結局苦しむのは「無関係の大勢」
その現実を目の当たりにした時、聡子の「スパイの妻」というプライドは一気に剥がれ落ちるのだ。
そして慟哭をする。
これこそまさに「戦争の本質」だ。
先ほどの繰り返しになるが、結局どれほどの「綺麗な名目」を重ねても、「戦争は人を不幸にする」
「日本軍の悪行を世界に知らしめ、日本を敗戦に追い込む」という「綺麗事の正義感」を掲げた行動も、結局は別の不幸な人間を作るのだ。
その行為が果たして「正義」であるのか?
くれぐれも言っておくが、僕は「日本軍の行動を断じて肯定しているのではない」
ただ、その告発が、不幸な人間を作るきっかけになれば、それは「正義の行動」といえるのか?
という点に言及しているだけだ。
この点に踏み込んで終わる本作は、戦争を直接は描かずに、サスペンスを通じて、聡子の立場を変化させる。
そしてそれを崩すことで「戦争の本質」を描いている。
考えれば、考えるほど、高度なことをやっているのだ。
本作を振り返って
ざっくり一言解説!!
見た人の8割はポカン、その先には「戦争の本質」も描かれている!!
非常に奥深い作品でした!!
まとめ
この作品は見ていて、人間の関係性が恐ろしい。
優作の最後の「手を振るシーン」は演じる高橋一生の「白状さ感」相まって、とんでもない後味の悪さを残す(褒めてます)。
しかし、優作はおそらく「死んだ」ことが示唆される。
彼の行動があってもなくても、アメリカは参戦したのだ。
そう考えると、彼の「思いは遂げられたのか? 遂げられなかったのか?」
非常に複雑だ。
そして、そんな彼に付き従った妻の聡子。
彼女は「スパイの妻」という立場になり、一瞬は「大局を見極める人」という立場になった。
錯覚したと言ってもいいだろう。
だが、結局「戦争」とは「多くの人を不幸にする」ことを目の当たりにしてしまうのだ。
「戦争」と「正義」は決して相いることができない。
「戦争」に「正義」など存在しないこと、つまり「戦争の本質」を描いて、この作品は幕を下ろすのだ。
まとめ
- 戦争の本質とは「戦争に正義」はないこと。
- 聡子の立場の変化で「戦争」にせまる作劇が面白いし、うまい!!
と、いうことで読了、ありがとうございました。
また次の作品評でお会いしましょう!!