映画評 評論

【映画記事】「聲の形」が描きたかったこととは?

2020年7月19日

 

今日は「京都アニメーション」制作の作品「聲の形」を紹介。

昨年の痛ましい「京都アニメーション放火事件」から一年。

 


改めてご冥福をお祈りするとともに、このタイミングで作品について語ることに何かしらの意味があるのかな?
と思い再鑑賞しました。

 

というわけで早速、語っていきたいと思います。

 

 

作品のポイント

  • 「聴覚障害」を持つ人物との「意思疎通」というのは実は本質ではない。
  • 「意思疎通」に必要な「手段」よりも、不器用にも「向き合う」気持ちこそ「本質」だと描かれている。
  • 過去の過ち、それすらも乗り越えて生きること、それこそ「尊い」ものだという「優しい」視点。

 

ちなみに原作は全て読破済み、作品も公開当時映画館でチェックしました!!

「聲の形」について

基本データ

  • 公開 2016年
  • 監督 山田尚子
  • 脚本 吉田玲子
  • 原作 大今良時(『聲の形』)
  • 声の出演 入野自由 /早見沙織/悠木碧/小野賢章 ほか

 

ちなみに主人公の石田将也の小学生時代は、「松岡茉優」
このことを、初めて知りました

あらすじ

”退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也

ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。

彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。

しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。

やがて五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。

“ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。

これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語――。

公式ページより引用

今作に付き纏う、”問題”

「自己満足」という批判、これについては否定できない

今作を語る前にまず、どうしても出る意見、感想について。
これに関して僕なりの考えを最初に述べておく。

 

どう擁護しても、今作品で描かれる事、その本質。

つまり「石田将也」という人間が”過去”にやってしまった「イジメ」
これに関して、彼は「罪の意識」を背負い生きている。

ある意味でその”過去”に折り合いをつける、これが物語のある意味でのメインテーマなのだが。

これに対して、やはり「そもそも”イジメ”をしたことが悪い」

将也の行動全てが、「自己満足」に見える。

等の意見、感想があること。
これについては、否定できないし。
どう考えても「正しい」感覚だと思います。

 

だからこそ、この点で、そもそも今作を受け付けられない。という方がいるのも理解できる。

 

ただ今作はその「過去の過ち」について、不器用ながら向き合う。

 

そのことに”意味”を見出す作品で、この点に僕は心揺さぶられたりもしましたが・・・。

 

ただしこの感覚が「正しい」というつもりは全くない。
むしろ「自己満」という意見を持つ方が「普通」で「正しい」感覚だとも思っています。

 

”怪獣のバラード”の伝えたいこと

コミュニケーションとは”難しい”こと

 

今作品は「聴覚障害」を持つ「西宮硝子」
彼女を過去に”イジメ”、そして後悔に苛まれる「石田将也」

 

この2人を通じて今作は「コミュニケーション」「意思疎通」というものが、本質的には「難しい」ものだとして描いている。

 

それをある意味で象徴するのが、小学生時代に歌うことになる「怪獣のバラード」だ。

 

海がみたい
人を愛したい

怪獣にも”心”があるのさ

『怪獣のバラード』より一部歌詞抜粋

 

この歌詞は、怪獣という、人間から見れば「コミュニケーション不能」な存在。
その怪獣が、本当は心の中で何を思っているのか?、が描かれている。

 

この歌詞に込められた思いは、怪獣という存在だから、人とわかりあえない、その悲しみの叫びなのだ。

 

おそらく人々は怪獣を恐れたに違いない、でも怪獣は人々と仲良くしたかったのだ。

だけど、それは叶わない。

おそらく、人々と怪獣がともに「コミュニケーション」する共通の「もの」を持っていないからだ。

そう思うと、この歌に対する「”元気”な合唱曲」というイメージも変わってくる。

 

この時点では、人間と人間という関係だが「石田将也」と「西宮硝子」は「共通のもの」を持っていない。

将也は「言葉」を持つ。
でも硝子は聴覚障害で「言葉を持たない」

 

もちろんそれを乗り越えるために「筆談」「手話」という手段は描かれるが、小学生の将也たちには、「言葉」以上の手段はない。
手話を覚えるということに価値を見出さないのだ。

原作では、実は将也が「手話に興味を持つ」1コマが描かれているのだが、そこを映画ではオミットしている。

 

つまりこの時点で2人には、「共通」の「手段」がない。
そのことが「意思疎通」を妨げているのだ。

だが後述するが、実は「手段」を手に入れたとしたとて、今作は「意思疎通」はそれでも難しいことだと描いている。

そして今作は、そこをどう「分かり合うのか」という点に一つの答えを出している。
この点にについても後ほど語りますので・・・。

 

 

ポイント

✅ ”怪獣のバラード”の歌詞に込められた思いに注目。

「将也」「硝子」の物語にフォーカスした今作

2人について

今作品は「石田将也」「西宮硝子」2人の関係性に絞った作品だ。

原作では、例えば「永塚」「真柴」「植野」「佐原」「川井」というサブキャラクターの掘り下げも行われているの。
だが、2時間という映画にする以上、この点を原作からカットしなければならない、これは仕方ない点ですがね。

特に映画しか見てないと「真柴」はちょっと理解し難いキャラになっちゃってますね。

 

原作にある真柴が翔也を殴るシーンなど印象的だが。
それを今作ではカットしている。

 

ただし、原作以上に、将也、硝子に視点を絞っている分、だからこそ今作は「意思疎通」の物語である。
という点は原作よりも「際立っている」とも言える。

 

ちなみに2人についてこれから深掘りしていくが、この2人は共通点がある。

 

2人の”共通点”

  • 名前に「しょう」がつくこと
  • 母子家庭であること
  • 互いに”イジメ”られている
  • ”自殺”をしようとしたこと
  • 互いの存在が”生きる”理由になる

 

このことから、原作の時点で2人をある意味で「表裏」の関係で描こうとしていた。
つまり、これはやはり2人の物語であるという狙いがここからも見て取れる。

石田将也の一転する人生

今作は彼が過去と向き合う物語だ。

 

小学生時代はガキ大将で、退屈のない充実した日々を過ごしていたの将也。
だが、転校してきた「西宮硝子」と出会い、大きく人生が変わる。

 

原作では周りの友達が「塾に行く」など環境の変化で陥る「充実感のない日々」に対する「刺激」として、硝子をイジメる。
しかし今作では、その場面はオミットされており、一応彼なりに「正しい」と思ってイジメていると思われる節がある。

 

前述した「合唱コンクール」や「日々の授業」で周囲の人間に、やはり、どれほど綺麗事を言おうが祥子は「サポート」が必要な存在だ。
だからこそ、そのことを不満に感じる「植野」たちの気持ちは、悲しいかな「理解できる」部分もある。

 

だからこそ最初は将也も「うまくやらないと”嫌われる”ぞ」と硝子に忠告をしているのだ。

 

だけど、これは身勝手な彼の判断だが。
硝子がそれでも、周囲に迷惑をかけている。
そう判断した彼は、おそらく「彼なりの”正義感”」のような感情で「硝子」をイジメるのだ。

 

みんなの授業や、学校生活を、彼なりに守ろうという”間違った”正義感で・・・。

 

そしてそれは「補聴器」を壊すことや、黒板に中傷を書く。などエスカレートしていく。

ここで「周囲の人間」はそれを「咎めよう」とする人間は皆無だ。

この点だけを見ていると、実は周囲も「表立って行動」しないが、彼の行動に「理解」を示しているとも言える。

 

だからこそ、僕は本当に「川合」というキャラが心底”嫌い”です。
正直このキャラには、僕はどう考えても「同情」すべき点もないし「理解」できないです。

もしも「川合」をどう理解したらいいのか、わかる方。
教えてください笑

 

そしてそのことを学級会で咎められた際、将也の人生は一転する。

彼はスクールカーストの最上位から最下層に一気に転落するのだ。

 

そこから「最下層」の人生を生きる彼が「自殺」しようと決意。
最後に硝子に「許し」を請いに彼女の元を訪れるのだ。

これは、「イジメられる立場」もっというと、その経験から周囲の人間を見ようとしなくなった彼が、ある意味で他人の声を拒絶。
つまり何も「聞こえなくなった(聞こうとしなくなった)」状態になり、硝子の立場を理解したからだ。

 

1人の人間に対して、自分が過去にしでかした「罪」
それが「罰」=「✖︎」として周りの人間の顔に張り付いており、彼はそのことに絶望しているとも言える。

だからこそ「許し」を請おうとするのだ。

 

 

ポイント

✅最初は「翔也」は不器用ながら「硝子」と向き合おうとした。

✅翔也の周囲の人間に張り付く「✖︎」は「罰」と意味を含むのでは?

西宮硝子の抱える思い

彼女は生まれながらに「耳が聞こえない」のだ。
原作ではそれを理由に両親は離婚をしている。

そのため周囲とうまく馴染めず、おそらく転校をする前も「イジメ」を受けていたと思しき描写もある。

 

「耳が聞こえない」
そのため「他人の気持ち」をうまく理解できない。
そんな彼女は「意思疎通」のハードルが人よりも数倍高いのだ。

だからこそ、彼女は「すぐに謝る」

 

彼女は周囲に自分が「迷惑」をかけて生きていると思ってしまっている、だからこそ「自己肯定感」が低いのだ。

 

この「障害」があるが故に「自己肯定感」が低いという側面を描いた
「37 Sedonds」も機会があればぜひ鑑賞してくださいね

 

この「自己肯定感」の低さから、彼女は「笑顔」で人の顔色を伺い、そしてすぐに「謝る」のだ。

そのことに周囲が苛立つ。

その象徴が小学生時代の将也であり、現在の植野だ。

「言いたいこと言え」と硝子に詰め寄る2人。
これは作者も言っているが、実は今作で将也以上に硝子と向き合おうとする植野という存在がいるが、これは後述します。

 

笑って「ごめん」それで何とか誤魔化そうとする彼女に対して2人は、”本音”を言え
つまり「意思疎通」をしようと、つまり「怪獣」の気持ちを理解しようとするのだ。

だけど硝子はそれでも「謝罪」をして、向き合おうとはしない。

これはやはり仕方がないが「自己肯定感」の低さからくるのだ。

 

この「笑う」という表情の一つ一つに、本当の硝子の本音が見え隠れする。
そのニュアンスの「表現」も注目すべきポイントだ。

 

そんな彼女が、唯一本音を吐露するのは、小学生時代の放課後の将也との喧嘩だ。

「これでも一生懸命にやっている」
という言葉にならない叫び。
何とか他人のことを理解しようとする、それでも理解できない「苦しみ」

 

彼女は前述したように、生まれ持ってのハンデによって「人のことを理解できない」ことに苦しんでいるのだ。

そしてそれは時世が現代、つまり高校生になっても変わらないのだ。

 

植野は最も硝子と向き合う存在である

植野は小学生時代から硝子のサポートをしなければならないこと、そして硝子が来てからの日常の崩壊にはっきりと「不満」を募らせていた。

ある意味で上野は硝子と反対の性格をしている。
物事をはっきりさせたい上野にとって、硝子の態度。
「人の顔色を伺う」というのは、そもそも気に食わない。

 

だけど、最初から最後まで、硝子と向き合おうとしていたのも事実だ。
「ノートかして」と声をかけた小学生時代。
高校生になり、それでも「人の顔色を伺う」硝子に対して、感情をはっきりぶつけていく。

 

「好きの反対派”嫌い”ではなく”無関心”」というが、上野はそういう意味では「硝子」を「無関心」になろうとはしなかった。

”嫌い”ながらも”嫌いである理由”をずっと訴え続けてきた。

ある意味で最も、硝子と作中一番に向き合った。
とも言える。

だからこそ原作の最後で、大学生になり2人が良好な関係を築いているのは、実はこういう「向き合った過程」があったからだと言える。

 

 

ポイント

✅硝子はそもそも「障害」で人に迷惑をかけていると思い、人の顔色を伺い「ごめん」という。

✅そのため「自己肯定感」が低いとも言える。

硝子/将也が”死”を選ぼうとした理由とは?

西宮硝子の場合

 

今作でやや唐突なのは硝子が花火の日、自宅マンションから自殺を試みる。そこに至るまでの心情変化だと言える。

この点に関して作者はこう述べている。

 

硝子は自分のせいで壊したものを、ずっとカウントしています。

自分のせいで親が離婚した。
自分のせいで妹がいじめられた。
自分のせいでクラスの雰囲気が悪くなった。
自分のせいで佐原さんも学校に来なくなった。

ぼんやりと「死にたい」と考えながら、そのカウントを積み重ねていたんです。

そうして将也と再会するわけですが、やっぱり彼と友達の関係を自分が壊してしまい、カウントと死への想いが甦り、橋の上で「やっぱり死のう」と決断してしまう・・・

 

つまり、これは自分が将也や周囲の人間を不幸にしている。ということで背負った罪の意識。
「自己肯定感」の低さから来ているのだと言える。

 

そこに本当は「責任感」を感じなくてもいい。
でもそこに「責任感」を感じてしまう硝子は、人とのコミュニケーションが不得手な分、必要以上に相手のことを慮ってしまうのだ。

 

だからこそ何度も繰り返すが「すぐに謝る」
そうすることで、何とか「責任感」から回避しようとしている、これは彼女の「処世術」なのだとも言える。

 

そしてこれも繰り返しだが、小学生時代にはそれが元で大きな、またトラブルになり、そして彼女はまた「死のカウント」を重ねる。
その繰り返しなのだ。

石田将也の場合

彼は物語の序盤は人生を謳歌していた。

だが、イジメをきっかけに今度は「スクールカースト」最底辺にまで落ち、そのまま鬱屈した思いを抱えて「生きる意味」を見失っていた。

彼が見る周囲の人間。

その顔に「✖︎」が張り付いている。
それはある意味で「イジメ」という過去の罪に対する「罰」の意味も籠っているのだろうか?

彼は壮絶な裏切り、イジメにあってしまい。
すっかり周りの人間の「声」を聞かなくなってしまった。

将也は周囲の声が聞こえるのにも関わらず、耳を塞いでしまう。
これはある意味で硝子と同じ境遇になっているとも言える。

 

周囲の人間が自分の「悪口」を言っているように将也は思い込んでいる。
そして勝手に「落ち込んでしまう」

(実は周囲の人間は将也に声かけをしていると思しき描写もある)

硝子も耳が聞こえない。
そのために本当には周りが何を言っているのかわからない。
だからこそ、自分が他人に迷惑をかけている、他人を不幸にしていると思い込む。

そんな恐怖のなかに生きている、この2人の境遇はそっくりそのまま同じになっているのだ。

 

そして「生きている理由がない」「自己肯定感」をすっかり失ってしまったのだ。

当然その中には「西宮硝子」へのイジメ、彼女と同じ境遇になったことで、自分の過去への「後悔」に苛まれてしまう。

だからこそ「死」を意識するようになる。

 

これに関して最初に言ったのだが、そもそも「自業自得」「自己責任」というのは理解できる。

だけど、そんな過去の過ちを抱えながらも「生きる」ことに意味を見出す。
その尊さこそが、今作品のが伝えたい大切なポイントであるということも、併せて言及しておきたい。

 

 

ポイント

✅2人は「意思疎通」の”困難さ”という点に思い悩み、そして「死」を選ぼうとする。

✅今作品は「過去の過ち」を抱えても、生きることの「尊さ」を描いている。

 

「声」ではなく「聲」

そんな2人を再び結びつけるのが「手話」だ。

ここで今作のタイトル「聲の形」
「聲」という漢字の成り立ちは、「声」「耳」「手」の組み合わせで出来ている、そのことから作品のタイトルにしたということだ。

 

2人の死を意識する人物を繋ぐのは、つまり意思疎通の手段は「手話」だ。

以前は共通の言葉を、つまり意思疎通の術を持っていなかったが2人。だが彼らの心を「手」が繋ぐのだ。

 

ただしこの「意思疎通」の手段を持ったとしても、彼らはまだ真には理解しあえない。
僕は「聴覚障害」というのが今作のテーマだとは思っていないのは、まさにこの点だ。

 

つまり「聴覚障害」があるから理解しあえない。
と、そんな簡単に描き切っていないのだ。

 

結局共通の「手段」を持っても、それでも最終的に相手とわかり合うために必要なのは、不細工なほどの実直さだ。

 

彼らは「不細工」にも、傷つき、間違え。
それでも必死に「意思疎通」を図ろうとする。

その姿こそが「意思疎通」の本質ではないだろうか?

 

それは「耳が聞こえる」「聞こえない」ということは関係ない。

今作でも「声」「耳」を持つ者同士でも、「意思疎通」は難しいことが描かれている。

 

「聲の形」の「形」が重要なのではない。

つまり「手段」が本質ではないのだ。

相手を理解しようとする、例え不細工だろうと、実直に向き合うことですらそれは成し遂げられないのだ。

 

 

ポイント

✅大切なのは「手段」よりも実直に相手を理解しようという気持ち。

ラストシーン

今作は、将也に周囲の人間の顔が再び見えるようになり、終わりを迎える。

 

ある意味で昏睡後の目覚め、硝子への謝罪をしたことで「罪」からの解放とも思えるラストにも見える。
だが、これからはまた「他人」と向き合う日々が始まるのだ。

その中には「苦しい」こともあるかもしれない。

でも彼はその「苦しみ」を受け入れて、それでも進むことを決意したのだ。

彼には「生きるのを手伝ってくれる存在」がいるのだ。
そんな存在と出会えた、まるで「祝い」のように花吹雪が舞う。

このラストは、非常に「きれい」な着地になっている。

 

 

ポイント

✅これからは「向き合う」ことで生じる「苦しみ」にも逃げない決意での締め括りは、今作に相応しいと言える。

今作を振り返って

ざっくり一言解説!!

人と「心」から向き合うことが大切!!

「意思疎通」は難しい、でもだからこそ「分かり合えた喜び」は大きい

まとめ

 

今作品で語るべき存在がもう1人いる。

それが硝子の妹「西宮結弦」だ。

彼女は耳の聞こえない姉のことでイジメられた経験を持ちながらも、姉を守るために奮闘している。

結弦は「姉が心配でたまらない」のだ。
だけど祖母のいう「私は結弦が心配だ」というセリフ。

ここで何とか姉のために強く生きようとしてきた結弦が、年相応の「甘えたい」という思いを解き放つ。
そんな大好きな祖母の死。

一番強がって生きてきた「結弦」の涙は、我々観客の「涙」を誘う。

その細やかな描写もぜひ注目して頂きたい。

 

 

最後に繰り返しになるが、僕なりの解釈だが、今作は「聴覚障害」の特殊な事情を持つ者との「意思疎通」の話ではない。
今作品は「意思疎通」の本質を描いた物語だ。

それは、難しく、苦しいこともある、でも「向き合う」こと。
不細工にも傷ついき、そしてわかり合うことの「尊さ」を描いているのではないだろうか・・・。

是非皆さんの解釈も気になるので、見てない方はチェックしてくださいね。

aikoさんの主題歌「恋をしたのは」も名曲です。

 

 

 

 

今作品の総括

  • 今作は「意思疎通」の物語。
  • 大切なのは「手段」よりも「向き合う」ひたむきさ。その姿こそ「尊い」ものだと言える。
  • 「意思疎通」には「分かり合えない苦しさ」もある。
    だけど、それでも伝わる思いがある。そのことにこそ「喜び」がある。
  • キャラクターの揺れ動く心情描写、その「絵」の力に圧倒される。
    アニメとしてのレベルの高さ。

ということで、本日も読了、お疲れ様でした。
また近々、お会いしましょう!!

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