映画評 評論

【映画記事】徹底解説「スカイウォーカーの夜明け」ってホントのとこどうなの?

2020年5月3日

「スター・ウォーズEP9ってどうなの?」「みんながどう思っているか知りたい」というそこのアナタに今日は届けたい!

本日は、昨年末、世間を二分し大論争を巻き起こした「スター・ウォーズ EP9 スカイウォーカーの夜明け」について語りたいと思います。

この記事を読むと

①なぜ今作品が大論争を巻き起こしたがわかる

②僕なりのオススメの点もわかり、物語理解が深まる

③なぜ僕が文句言いつつ「擁護派」なのかがわかる

④スター・ウォーズが好きになる!

⑤スター・ウィーズに詳しくなる!

生まれた時から「スター・ウォーズファン」
の僕が、今日は肩に力を入れまくってお送りするよ!

SW EP9「スカイウォーカーの夜明け」について

基本データ

  • 公開 2019年
  • 監督 J・J・エイブラムス
  • 脚本 J・J・エイブラムス/クリス・テリオ
  • 出演者 キャリー・フィッシャー/マーク・ハミル/アダム・ドライヴァー/デイジー・リドリー/ジョン・ボイエガ/オスカー・アイザック 他

ここには明記できないけれど、プリクエルからも声のみ出演の方々もいる
キャスト面はまさにフィナーレに相応しくシリーズオールスター出演だよ!

▼あらすじ▼

死者の口が開いた!

復讐を誓う元皇帝パルパティンの声が銀河中に響き渡る。

レイア・オーガナ将軍が情報収集を命じる中、ジェダイ最後の希望レイは

ファースト・オーダーとの最終決戦に備ていた。

ファースト・オーダーの最高指導者カイロ・レンは

自らによる銀河の支配を脅かす皇帝の幻影を、

怒りを力に変えて追っていた。

SW EP9「スカイウォーカーの夜明け」オープニングロールより

遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・
でおなじみだね!

まずは今作に至るまでを「ざっくり」振り返る

しばらく「シィクエル」のおさらいだから、先が気になる方はここは読み飛ばしても大丈夫だよ!

プリクエル(前日譚三部作)の不満点を解消したEP7「フォースの覚醒」(2015年公開)

本論を始める前に、これから使用される用語をまずはここでまとめておこうと思う。

用語解説

「オリジナルトリロジー」(旧三部作と呼ばれることもある)
SWシリーズの「EP4・5・6」をさす言葉

これがシリーズの骨格と言える
主人公 ルーク、ダース・ヴェイダーなどが活躍する物語

「プリクエル」(前日譚)
SWシリーズの「EP1・2・3」をさす言葉

オリジナルトリロジーで起こる出来事の謎解きをするシリーズ
主人公 アナキンやオビ=ワンなどジェダイ全盛期の時代の物語

「シィクエル」(続三部作)
SWシリーズ「EP7・8・9」をさす言葉

現段階でシリーズ最終の三部作となっている 
主人公 レイ、フィン、ポーが活躍。さらにオリジナルトリロジーからの続投キャラ多数出演

ファンの間では日常遣いの用語だからこの際覚えちゃおう!

そもそも「フォースの覚醒」は評価が高い作品だ。
元々批判をされがちだった「プリクエル」それらを否定する作品だったとも言える。

「SWらしさ」それは、やはり「オリジナルトリロジー」の延長線上にあるべきだ。という多くのファンの声。
そして監督を務めた「J・J・エイブラムス」の意向もあったのだろう。

「フォースの覚醒」は強烈に「オリジナルトリロジー」との繋がりを感じさせる作りになっている。

そもそものストーリーラインが「EP4・5」を足して2で割ったような構成で、最も人気の高い「スター・ウォーズ」のいいとこ取りでできている。

さらに旧シリーズからのオリジナルキャスト再登板という話題性。
人気メカ総登場という豪華さだ。

シリーズの創造主である「ジョージ・ルーカス」は「プリクエル」で新しい要素でSW世界を構築しようとしたが、それはあまりファンから評価されなかった。
だからこそ「フォースの覚醒」はそうしたファンにまず「SWらしさ」をもう一度認識したもらう、いわば「みそぎ的側面」のある作品だったと言える。

ただ僕は完全「プリクエル直撃世代」なので、そんなに悪く言わないでよって気持ちもあるんだよ

だがそういう「旧三部作ファン」への目配せだけには終わっていないのが「フォースの覚醒」のすごい点だ。

それは新主要キャラの魅力に溢れているという点だ。
女性主人公のレイ、元トルーパーのフィン、レジスタンスのエースであるポー・ダメロン
さらにはシスを受け継ぐカイロ・レン

主要キャラの多くは現代的なキャラ造形で、全員をこの一本で大好きになってしまうほどであった。

こうして「みそぎ」を済ませた続三部作。
船出はこれ以上ない完璧なシリーズ再スタートを見せてくれた・・・。

型破りすぎたEP8「最後のジェダイ」(2017年公開)

そんな順風満帆な「シィクエル」の船出だが、ここで大きな荒波が生じる。
監督のバトンを受け継いだ「ライアン・ジョンソン」は果敢にもこの「超人気作品」で大博打に打って出たのだ。

それは「SW」という作品の「お約束」などを全て「破壊」するという行為だ。

シリーズがここまで7作品積み上がっているということで、ある意味で「型」のようなものがシリーズに生まれていた。
例えば三部作構成の二作品目は、ダークさが売りだという点が挙げられる。

確かに「最後のジェダイ」はダークだと言える。

しかしこの作品はその要素以外、物語の構成上、「こうなればこう」というシリーズの「お約束」要素を全て裏切るという作りになっている。

シリーズの「お約束」ならば「こうなる」という展開を全て「逆張り」する。
その要素だけで出来ていると言っても過言ではないのだ。

さらに物語面でも「スカイウォーカー」という選ばれた「血統」の物語として語られてきたシリーズを一度リセットしようという気概にも満ちている。

しかしこれにファンは大不評のブーイングを突きつけた。

「最後のジェダイ」の試みを「嫌いになれない」です
ただし看過できない部分も多々あるのは認める

それは、あまりにも練り込み不足な展開だ。
「シリーズのウラをかく」ことを目的化しすぎていて、そのせいで作品として、しっちゃかめっちゃかな構成になっているのは否めない。

でもシリーズで最も「カイロ・レン」が味わい深さを出していて、てかぶっちゃけ
「シィクエル」は彼の物語でもあるんだ

敵の首領である「スノーク」の顛末。
ボロボロに打ちのめされる「レジスタンス」
そもそものレイの正体。

これからどうシリーズを完結に向かわせるのか、今後の展開に不安を覚えたのもまた事実だ。
こうして「シリーズのバトン」は爆弾的な要素を含みリレーされることになる。

「気概」は買うが、今後のシリーズに「不安」を残す。
怖いの半分、期待半分で、ファンは続編を待ち望むことになるのであった。

ここからは超絶怒涛のネタバレ祭りになるからご容赦を!

「スカイウォーカーの夜明け」批判ポイント・評価ポイント

できないことは無視!
潔すぎるリスタート

この作品を見るまで多くのファンは、「ボロ負け状態」からどう再起するのか?
そこを論点にしていた方も多かったのだが、その答えはある意味で「潔いものだった」

監督のバトンをライアンから再び受け継いだJ・J・エイブラムスの出した答えに僕は苦笑したのを忘れない。

それはオープニングロールの一行目でさらりと、さらにとんでもない要素を盛り込み、ここまで多くの疑問を抱いている観客の視線をそらすことにしたのだ。

さらに「いかに再起するのか?」という問いには「一年後なんでオールOKでした」と力技で、有無を言わさず物語を始めたのだ。

そこから怒涛の、ある意味ヤケクソのSW祭りが始まるんだ

開始10分でパルパティン再登場という気前の良さが祭りのヤケクソ感をさらに加速させた。

批判ポイント

✅潔すぎるヤケクソ展開

✅まさかのパルパティン再登場

要は「最後のジェダイ」をなかったことにしたんだよ

レイ・フィン・ポーの謎解きの旅

今作品は「シスウェイファインダー」というアイテムを探す冒険の物語だ。
今までのシリーズ中でもここまで冒険を前面に打ち出す作品は異例だ。

ただ、僕はこの3人のアンサンブルは多幸感に満ちており、この冒険は正直ワクワクしてしまった。
やはりこの3人を僕は非常に好きになってしまっているのは認めざるを得ない。

旅の道中でのユーモラスな会話。
それらは「旧三部作」が持っていた愛すべき要素の復活だと言える。

「プリクエル」はアナキン 転落の悲劇、共和制から帝政への移行をテーマにしておりそこに「ユーモラス」さの入る余地はあまりなかった。

ただこの旅も結局、あっちってはこっちに行き。という、前作同様の「行き当たりばったり」な展開。

でもユーモラスさがあるからこそ、この3人の旅路がどれほど「ご都合主義」でも嫌いにはなれないのだ。

確かにそれに対する批判というのもそれは理解できる。
特に「C-3PO」の記憶の件は、看過できない。
これはシリーズ9部作全て出てくる彼が「まさか」という展開の、ひっかけにしたいという意図が丸見えなのだ。

批判ポイント

✅今回も結局「行き当たりばったり」展開

魅力的なファーストオーダー陣

さらにカイロ・レンのいまだに揺れ動く心情。
前作でマスクを破壊した、にも関わらず今回またマスクをする。

シスとして強く悪の道を突き進みたいのに、正義の存在に戻りたいという深層心理が滲み出る。
それを隠したい。だから再びマスクを着用するレン。

彼はこの三部作で「厨二病」をどんどんこじらせる。
普通なら見てらんないキャラなんだけど、俳優「アダム・ドライヴァー」のここ最近の活躍、演技スキル向上。

現代のハリウッドで最も実力派俳優としての彼は、そんな「厨二病」すらも味わい深く演じてしまう。
これには正直舌を巻く。

そしてあまりにもな扱いな「ハックス将軍」
演じるドーナル・グリーソンは最近不憫な役が多すぎます。でもそれが本当に絶品でしたね。

レイの出自の真実

そしてもう一つの大きな要素「レイ問題」がある。

そもそも前作で彼女は、これまでのシリーズの主人公とはちがい「スカイウォーカー家」の血統ではないことが明らかになった。
これこそ前作が「スター・ウォーズ」は選ばれた血族の話ではないのだ。という賛否分かれた最大のポイントであった。

映画評論家の町山さんはこの点を非常に高く評価していたね

しかし今作ではさらにそこをひっくり返すのだ。

この要素を取り入れることで、前作から追加された「フォースチャット」なる新概念。
レイとカイロ・レン間にある不思議なフォースの引き寄せ。
レイの設定を「パルパティンの孫」にすることで、「プリクエル」からの大きな「パルパティン家」と「スカイウォーカー家」の繋がりを強烈に感じさせることにも成功しているとも言える。

ただ、僕も「スター・ウォーズ」から「スカイウォーカー家」を離すという試み
それ自体は評価はしていたからちょっと複雑なんだけどね

彼女は「スカイウォーカー」と並ぶ「パルパティン」の血族だったのだ。

この作品は、こうした重大な設定をさらにひっくり返し「前作」が丸々なくてもいいように改変したのだ。

批判ポイント

✅レイの正体の設定が改変、結局「血族主義」の物語となった

ただし僕はこの設定自体は面白いものだと感じたよ!

「パルパティン」というシスの首領、悪の存在を血筋に持つレイが、自分の「正義」を貫き通す。

この展開自体は「ルーク」と「アナキン 」の関係性と重ねて見ることができるし、「スター・ウォーズ」らしいと思う。

この物語で真実を知り絶望するレイにルークが問いかける「血よりも強いものがある」
それは己の心なのだ。

それを問いかけるルークもまた、その意志の強さで「父を取り戻した」
そんな彼からのメッセージは、やはりシリーズファンとして、そりゃ胸に響かないわけがない。

前作でのルークのあまりにぞんざいな扱いには批判が出たが、この作品はその部分のカバーもきちんとしており、彼の評価を持ち直させたとも言える。

今作でも「カイロ・レン」演じる「アダム・ドライヴァー」の演技スキルが凄すぎる

先ほども前述したが、この三部作を通じて最も美味しいキャラになっているのは「カイロ・レン」だ。

三部作を通じてあんまりな「厨二病」を発病してそれをこじらせる彼。
おそらく歴史上ここまでの「厨二病キャラ」は存在しなかったと言ってもいいと思われる。

今作品最大のオススメポイント、というかこれは賛否どちらの派閥の方も頷くポイントであるとも思うんですが。
それはやはり「カイロ・レン」シーン全てと言える。

「最後のジェダイ」での逆張り要素として「とは言ってもカイロ・レンは正義の側に戻ってくる」という約束を裏切るという点があった。

シスの首領スノークを殺害し、自分がシスのトップに上り詰めるという野心的行動。
これで彼の「正義側」への転身はないもの。という路線ができていた。

これも先ほどの「論点ポイント」のように、前作の展開をなきことにするストーリー展開が今作で展開される。

普通ならこの展開は白けの極みになるはずだよ、でもそうはならなかったのが
アダム・ドライヴァーの凄さだ

しかし、その「ご都合主義展開の極み」のような物語展開ですら、彼の演技スキルで魅力的に見せてしまう。

レイとエンドアでの交流、そして母であるレイアの最期の彼に対するフォースによる問いかけ。
亡き父ハン・ソロとの父子の和解。

このシーンは「フォースの覚醒」と「ジェダイの帰還」に通ずるシーンでもある。

あの時ライトセーバーを捨てられなかったカイロ・レン。彼が勇気をもち、それを捨てる決断をする見せ場。
それは「ジェダイの帰還」でのルークの勇気ある決断と同じだ。

武器を捨て、剥き出しの自分を見せる。
剥き出しの自分をさらけ出す。
そのことで「カイロ・レン」という殻を破り「ベン・ソロ」という人格を取り戻す。

こうしてシスの「カイロ・レン」ではなくジェダイ「ベン・ソロ」に立ち戻る。
画面にはまるで同一人物であるかのように思えない、ガラリと雰囲気が一転した存在がスクリーンを支配している。

最終決戦にジェダイ「ベン」として参戦する彼の表情はまさに大きく様変わりしている。
これぞ「演技力」その極みを見せられてしまう。

どうしたってここは、評価せざるを得ない。

やはりこの三部作、どれほど役の設定が「行き当たりばったり」に思えても、それすら魅力的に見せるた「アダム・ドライヴァー」はやはり素晴らしい演者であると思い知らされた。

批判/評価ポイントのまとめ

ここまで、いくつかの批判ポイントを上げながら話を進めたが、ここでもう一度まとめておこうと思う。

批判ポイントまとめ

✅潔すぎるヤケクソ展開

✅まさかのパルパティン再登場

✅物語展開のご都合主義

✅レイの出自の改変

✅カイロ・レンの転向の展開
(良くも悪くもアダム・ドライヴァーの演技力のすごさ)

と、これをまとめると全ての点において「ご都合主義的」展開が批判ポイントになっていることがわかる。

だけど僕は、それぞれの要素の「否定意見」は理解している。
それでも魅力的だと評価している点もあるのは否定しない。

評価ポイント

✅ヤケクソ展開、ご都合主義の中でも主要3人のやりとりが微笑ましい

✅レイの出自の改変で、プリクエルとの繋がりが強くなった
(ただちょっと複雑な気持ちはある)

✅カイロ・レンの味わい深さ

今から当たり前のことをいうよ

要は僕の中でも、それぞれの要素に対して、賛否意見を持っている。
そしてSWシリーズは世界で愛されている作品だ。
だからこそ、昨年末この作品は「大論争」を巻き起こしたとも言える。

テーマとしての評価ポイント

祖父を超える「カイロ・レン」=「ベン・ソロ」

僕が最大に今作で心に刺さったのは「祖父を超える」ということを成し遂げたベンの姿だと言える。

元々祖父の「ダース・ヴェイダー」つまり「アナキン 」をリスペクトしていた「ベン」
彼がそうなった、その明確な理由はわからないのが不満ではあるが、それでもずっと憧れを抱いていた「祖父」の姿。

その祖父であるアナキン 。
彼がそもそも「ダース・ヴェイダー」になったのは、「ジェダイ」では学べない「フォースの極意」

死の運命にある者を救う術を「シス」から学ぼうとしたからだ。
いうまでもなくその存在とは妻であるパドメだ。
しかし悲劇なことに彼は「シス」になることで、パドメすら怒りで殺してしまうのだが。

そこまで修羅に身を落とした彼でさえ、結局のところ「人を死から救う術」は手にすることはできなかった。

その術を最期の時に気づいたベン。
それを成し遂げ、ささやかながら「アナキン」を超えることができたのだ。
そしてその術でレイを救う。その時の彼の笑顔、これはやはり名シーンだと言える。

彼はやはり「スカイウォーカー」の血族だった。
叔父のルークのように勇気を出してライトセーバーを捨てる姿。
祖父にできなかった術を最期に学んだベン。

そしてやはり彼もまたフォースに召されるのだ。

ベンの一生はスカイウォーカー家の総決算のような壮大なものだった

「ジェダイ」「シス」くびきから解き放たれる「フォース」

先ほど「スター・ウォーズ」という物語から「スカイウォーカー家」を切り離すという話を何度かしたが、結局それは今作で方向転換し、維持された。

だけどもっと大きなものを解き放つことになった
それが「フォース」なんだ

この作品では「フォース」は「ジェダイ」「シス」どちらかの流派に属すものだった。

「ジェダイ」はそれを「正しく使う」というが、彼らは非常に密教的すぎた。
「シス」はそれを探究し、発展させようとしたが、強引すぎた。
互いに互いを認めることはなく、このシリーズはそれらのせめぎ合いの物語だった。

だが今作のラストではそのくびきがなくなる。

象徴的な武器ライトセーバー。
青・緑を使用するジェダイ。赤を使用するシス。

レイが「タトゥイン」で手にしたライトセーバーはそのどちらでもない「黄色」の光刃だ。

先ほど語ったようにレイはベンの「フォースの極意」とも呼べる力で息を吹き返す。
その行動をすることこそが、この物語の根にあった「フォースのバランス」を取り戻す行為に繋がると僕は考える。

この展開で明らかにな流のは「アナキン」は真の意味で「バランスをもたらす者」ではなかったと言うことだ。

彼は「シェダイ」を滅ぼし「シス」となり、そして自らも死ぬ。
そのことで「ジェダイの帰還」で「バランスをもたらした」ということになっていたが、それは「バランス」ではなかった。

それは「ルーク」の存在があるからだ。

「フォースのバランス」つまり「ジェダイ」「シス」どちらもなくなること、それこそが真の意味での「バランス」だ。

だからこそ、そのどちらの色でもない「黄」つまり新しい道を進む「レイ」
この状態こそが「真のバランス」だったのだ。

その道の体現者であるレイを救う事でベンは「真の意味でのバランス」を生み出すことに寄与したのだ。
そういう意味でも彼は憧れの祖父を超えることができた。

最後のレイのライトセーバーの色は「フォース」を「ジェダイ」「シス」のくびきから解き放つ象徴だ。

そしてその行為こそ「フォースのバランス」なのだ。

スカイウォーカーはフォースのバランスをもたらすものを「生かす」
そのことで「バランス」をもたらすことに寄与したんだ

シリーズの最終作としてここまでしっかりと答えを出したのは評価できるポイントだと言える。

もちろんダメなところもある

ただ、ぶっちゃけ不満ていうか、ダメなところ、今回てんこ盛りだ。
その点は、先ほどから何度も指摘するように認めるほかない。

どうやってあの状況から「レジスタンス」が再起したのかもわからないし、エンドアでの宝探し。

パルパティン率いる軍の名前が「ファイナル・オーダー」という馬鹿っぽい名称。
都合よくエンドアでデススターが落下している点。
ナイフの文字C−3POに読ませるくだりなど。

先ほどから何度も言うように「ご都合主義」もいいところだ!

クライマックスのテーマソングに合わせて大艦隊集結。
戦隊モノでもしない直球の「アゲシーン」
ベタだけど、感動したよ。
でもその人数どこにいたの?
とか「エクセゴル」までの道はかなり険しいんでしょ?
などなど、これもご都合主義だね

さらに歴戦のジェダイの囁き。
「アソーカ」までいたよ。その声に導かれて大逆転。
フィナーレにふさわしいシリーズキャラの総出演。

ベタだよ。でも感動している心の中でツッコミを入れている自分もいるのも認めなければならない。
「アナキン」お前霊体になってベンの前に出てくれば、この話、ここまで拗れないし、「厨二病」にならなかったぞって。

思い出せば「これどうなん?」はいっぱいありますよ。

だけど、それでも好き。と言うアンビバレントな気持ち

でも総じて「よくやった」と僕は思いますよ。
「ここまで難しいハードルをよく超えた(?)」と。
超えたというよりハードルを無視したとも言えるんだろうけど。

前作が「SW」という型を破壊し尽くしたからこその荒技だと言えるかもしれない。
きっと「 J・J・エイブラムス」だけがシリーズ監督をしていたら、ここまでの力技な「SW」は生まれなかったんじゃないだろうか?

それだけでなくちゃんと前述した「フォースのバランス」という大きな命題に決着をつけたあたりも評価できる。

ただ最後「レイ」がファミリーネームを名乗るシーン。

そこは「スカイウォーカー」を名乗るのではなく「パルパティン」と名乗るべきだ。
レイの両親は非常に素晴らしい人間だった、悪いのは「おじいちゃん」だけなのだ。

もしくは「レイ」とだけ名乗る。ですかね。

ただここも少し、深読みすると、「スカイウォーカー」の正当な血脈は絶えた、ただ、そのファミリーネームに冠された「フォースの申し子」の意味は消えない。

彼女が真の意味で「フォースのバランス」をもたらす者、だからこそ、そのファミリーネームを使用することに、意味はあると思うんです。
でもそこはやっぱり「レイ」だけでもよかっただろう。

なぜこんなにも奇妙な三部作になったのか?

シィクエル全体の設計図はおそらくなかったのでは?

本当繰り返しですが「よくやりました」それは否定しない!
しかも「フォースのバランス」という命題にきちんとしたオチをつけたのだ

ただ今から指摘すること、これは大きな問題だ。
それは、このシィクエルにおそらく全体像がなかったと言う点だ。

もちろん、先に書いた通り、結果として「全エピソード」を包括した「フォースのバランス」
そのテーマに一応の決着はつけたという点は評価できる。
しかしやはり投げっぱなしの伏線。
また物語の適合性が取れてない点もあるのは非常に気になるところだ。

「最後のジェダイ」「スカイウォーカーの夜明け」の繋がりのなさ、シリーズ物としては、やはり致命的な欠陥と言うことは認めざるを得ない。

そして作り手が「SW」という大きな存在に対して、「正統性」という点でそれを担保しなければならないという忖度している部分も見え隠れしている。
例えばあまりにもシリーズの引用描写の多さなど、これは否定できない。
もちろんファンだからそれは喜ぶのだが、それにしてもそれが目的化しすぎている点も目立つ。

それは「SWらしさ」の逆張りと言う要素で構成されている「最後のジェダイ」でも変わらない。
それが「新しく」見えた。
そう言う点でも、僕は嫌いじゃない作品だ。

でもそれは「SW」と言う物語があるからこそ、前提にあるからこそできるのだ。

結局「元の木阿弥」

そしてこのシィクエルで描かれた結末。
これは結局「元の木阿弥」的なオチとも言える。

だから結果「ジェダイの帰還」の後と状況自体はあまり変わってない。
つまりこれを本当に作ったことに「意味」があったのか?
そこは大きな疑問だ。

もちろん何度も言うが、ラストで真の意味で「フォースのバランス」はもたらされたというオチには納得している。

しかし続編作らなければ「ジェダイの帰還」の時点で「バランス」だった。
事実シィクエルが生まれるまでは、そう解釈されていたのだ。
それは否定できない。

結局のところ「元の木阿弥」に戻ったクライマックスであることは認めるしかない。

これならば、こういう過去の遺物を再び掘り起こすような物ではなく、全く別の時間軸で、物語を構築することなど出来なかったのか?
と疑問が浮かぶ、これも仕方ないことだ。

それでも感謝している

ファン心理とは奇妙なものだ

ここまで書いていて、自分自身も「スカイウォーカーの夜明け」をどう思っているのか「シィクエル」をどう考えているのか、わからなくなってくる。

読者も、読んでいてだんだん「僕がどう考えているか」わからなくなっているのではないか?

でも確かなことがある。

忘れもしない2015年に公開された「フォースの覚醒」公開初日の世界同時上映のプレミア上映。
そこで二度と会えないはずだった、ルーク、レイア、ハン・ソロとまた会えた喜びは今も忘れない。
ミレニアムファルコン、Xウィングという大好きなマシーン。
子どもの頃から夢中になった世界に再び会えた喜び。

そしてレイ、フィン、ポー、カイロ・レンという魅力的な若者と出会った幸福。

その後も色々感じることはあったが、新しいSWを見れた感謝の気持ち。
そしてその物語が終わり、レイたちと別れる悲しみ。
なんとか完結したという多幸感。

結局僕は「SW」に人生をいまだに支配されているのだ。

そういう「SWファン」の方々もきっと、これには同意してくれると思う。

もしもこの記事を読んでシリーズ未見の方はぜひ、この「濃ゆい」体験をしてもらいたい。

今作を振り返って

ざっくり一言解説!

スター・ウォーズは永遠に不滅です!

結局、僕はスター・ウォーズが好きだってこの記事を書いてて再認識したよ!

まとめ

これほどまでに世界中の人間を夢中にさせている映画シリーズはない。
そんな凄まじい映画だからこそ、公開の度にファンは一喜一憂する。

でも結局こうして熱く論じてしまう。それは結局「好き」以外の何者でもない感情なのだ。

こうした映画シリーズに僕は果たしてこれから出会えるのだろうか?

悔しいかな、僕はやはり「SW」に人生を支配されている・・・
そのことにまた気づかされる「スカイウォーカーの夜明け」評だったね

というわけで、読了お疲れ様でした。
また次回、お会いしましょう!

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