
さて、本日は「この作品実写すんの?」とずっと前から気にしていた作品の批評をします。
ということで「約束のネバーランド」について今日は語りましょう!

「鬼滅の刃」みたいに素人状態での鑑賞ではありません!
この作品のポイント
- 「頑張ってはいる・・・」
果たしてそれでいいのか? 問題。 - 厳しく言うと「再現ドラマ」レベル。
- 映画として明確な欠点がある。
音声評論配信中!!
途中から辛口コメント注意!!笑
目次
「約束のネバーランド」について
基本データ
基本データ
- 公開 2020年
- 監督 平川雄一朗
- 脚本 後藤法子
- 原作 白井カイウ/出水ぽすか『約束のネバーランド』
- 出演 浜辺美波/城桧吏/板垣李光人/渡辺直美/北川景子 ほか
あらすじ
自然の中に建てられた楽園のような孤児院「グレイス=フィールドハウス」。
そこで暮らす子どもたちは、母親代わりの優しいイザベラを「ママ」と呼んで慕い、いつか里親に引き取られる日を待ちわびている。
年長者のエマ、レイ、ノーマンも、外の世界で待つ幸せな暮らしを信じていた。
ある日、里親が見つかり孤児院を去ることになったコニーを見送ったエマとノーマンは、彼女が大切にしていた人形を忘れて行ったことに気づく。
コニーに人形を届けるため、近づくことを固く禁じられていた「門」へ向かった2人は、そこで無残にも命を奪われ、食料として出荷されるコニーの姿を目撃する。
彼らが楽園だと信じていた孤児院は、実は「鬼に献上する食用児を育てる農園」で、ママは「最上級の食用児を育てる飼育監」だったのだ。
全てが偽りだったと気づいたエマたちは、孤児全員を引き連れた無謀ともいえる脱獄計画に乗り出す。
映画.comより引用
そもそも「成功」か「否か」

「頑張っては・・・いる」
この「約束のネバーランド」は週刊少年ジャンプで2016年から2020年まで連載されていた人気漫画の実写化作品である。
「あらすじ」にも書いたが、この作品は、孤児院で愛があふれる生活、幸せに満ちた生活を送っていた主人公エマとノーマンが「実は自分たちが食用肉として飼育されていた」という衝撃の事実を知るシーンから始まる。
そんな状況から頭脳戦とも言える騙し合いを制して脱獄する。
そして外の世界で如何にサバイブしていくのか?、というのを描いたこの作品を、まさか実写化するとは?
と衝撃を受けたのも事実だ。
まぁ僕も正直「ダメだろう」と思って今回映画館に行ったわけですが・・・。
ということで、まず僕なりの結論から申し上げるとですね、この「実写化」「頑張ってはいる」と思います。
個人的に思っていたよりも原作を忠実に再現できていた。
その点で、味噌もクソも、みたいに悪し様に貶すなんてことはしたくない作品ではありました。

ということで、まずは「頑張っていた」という点から上げていこうかと思います。
①世界観の再現を頑張っていた
まずはこの孤児院(食用肉飼育施設)のスケール感、この作品ではここで育てられた子どもたちの「世界の全てである」という空間なんですけど。
意外と広さ表現などショボくなく見せられていて、広がりは感じられました。
ハウスの外も「頑張っていた」とは思いました。
②見せられる範囲での「グロ」描写も頑張っていた
この作品で最初のショックシーンである「コニー」の変わり果てた姿。
トラックに乗っているコニーの遺体を見てエマが絶句する。
そこからカットを割って誤魔化すのかと思いきや、きちんと物体として提示してみせた。
そこを逃げなかった点は「頑張っていた」
そして鬼のCG表現。
声が関俊彦さんだったので「モモタロス」もとい「無惨」感が頭を過ぎったりもしましたが・・・。
その鬼描写も「頑張っていた」
③役者陣も頑張っていた
この作品の世界観はあきらかに欧州だし、当然キャラそれぞれも言ってしまえば、外国人風デザインをされている。
それを日本人で演じる、そこにそもそも「無理難題」はあるにせよ、みんなそれぞれベストはこなしていた。
とくにイザベラを演じた「北川景子」は素晴らしかったと言える。
ここは観客全員の同意も得られると思う。
「愛情」そして「冷血」さ。
その二面性をもつキャラクターをきちんと演じられていた、この作品のスリルが持続したのは「北川景子」の好演なくしては語れないだろう。
子役のみんなも際どいところありましたけど「頑張っていた」

そこを取って「評価する」と言ってもいいかもしれない。
その皆の頑張りが、この映画を「見れる」作品として成立させていた。
そこは認めます!
だから「おすすめです」って締めてもいいんですけれど・・・。
しかしですね、それは所詮どこまで言っても「頑張っている」止まりである。
という点も留意しなければならないのも事実だ。

この作品を好きな方は、ここから先は読まないでください!笑
実写というより「よく出来た再現ドラマ」
漫画原作の作品を実写にする際、「原作の一部のエッセンス」を取り出してブラッシュアップする、そのことで作品クオリティを高めて成功させている実写作品も最近は多い。
今年でいうと「思い、思われ、ふり、ふられ」という作品の「実写化」
これは、原作の「恋愛」というテーマの、どの部分にフォーカスするのか?
視点を変えることで、物語最後に受ける印象を大きく「大人な視点」にしてみせていた。
そういう点で、僕は非常に高く評価しているんですが。
この「約束のネバーランド」は基本的に「原作」を「実写」にする。
それ以上の志は基本的に、作品から感じられないんですよね。
もちろん「原作」をそのまま「実写」にする。
それが最大のテーマだったのでしょう。
だからこそ「なぜ役者が全員日本人なのか?」という点はスルーしていたんでしょうけど。
少し話はそれますが「駄作」という烙印を押された「実写版 進撃の巨人」
この作品は「確かに駄作」です。
でも「意義ある駄作」だということは声を大にして言いたい。
例えば原作以上の「グロ描写」
おそらく漫画よりもキツくすることで、世界の悲惨さを際立たせよう。そういう意図があってのことでしょう!
そして実際グロさは、どの映像媒体よりもキツイものに仕上がっている。
そして重要なのは「なぜキャストが日本人だったのか?」
という点に最後納得の行く回答を用意している。
こういう作品を実写する際に出る「なぜ日本人が演じるのか?」という批判に、きちんと回答しているんですよね。
(今回の「約束のネバーランド」では当然そういう点は完全スルーされてるんですけどね)
話を戻すと、今回の「約束のネバーランド」
確かに原作に忠実で、アレンジなどなくて、物語の流れもほとんど原作そのまま。
つまるところ見ていて「よく出来た再現ドラマ」レベルでしかないともいえるんですよね。
今作のベースになった「脱獄編」(第1話〜第37話)はボリュームある長編で、それを忠実にやるにしても、ダイジェスト感は否めない。
いくらエマとノーマンが天才だからって、「自分たちの境遇に対する理解の速さ」
ここに尺がない分、あまりにも不自然としか言えない出来になっている。
そして原作完コピのシスターの登場。
鬼ごっこのシーンは正直劇場から爆笑も漏れてましたが、本来そこはもっと深刻なシーンのはず。

シスターとの利害が一致しながらも、いつ裏切られるかという攻防も薄いし、退場までも早い。
このあたりのダイジェスト感は否めない。
このダイジェスト感は「忠実にやる」という命題でやってるからこそ生じるものだ。

というところに一切の葛藤とか描かないのがね
このダイジェスト感が「再現ドラマ感」を強くしている、それもまた事実だ。
僕は今回のせっかく実写版をするのだから、作り手は「脱獄編」だけで物語を終わらせるように、無駄な「今後の続きの要素」など無くす。
ストーリーを練り直すなど「一本の映画として完結」させる工夫が必要だったのではないか?、と思わざるを得ない。
忠実にやっているからこそ、ノーマンの行く末や、より大きな黒幕の存在をチラつかせる展開。
イザベラのラストカットの意味ありげな演出。
そういうのが、ものすごく無駄に感じる。

もしそうなら、その姿勢がそもそも気に食わない笑
ここは思い切って脚本を練ってこの物語を「脱獄編」だけで完結させる工夫をすべきだったのではないか?
そうすれば少なくとも「実写映画にする意義」があったのにだ・・・。
てか、忠実に映像化している「アニメ版」がハイクオリティなので、忠実にやるなら、そもそも作る意義もないと思うんですけどね。

映画として致命的な欠陥
そして、この作品は「映画として致命的な欠陥」がある、そこは目をつぶれない。
この作品の監督、平川雄一朗さん。
この方は「ROOKIES」のドラマ・映画。「仁」などで有名ですが、とにかく情緒過多すぎる演出が多い。

今回もラスト脱獄を果たすシーンでエマとイザベラの問答。
さっき「鬼」が「上物以外は殺していい」と許可を得て、脱獄した子供を追ってるカットがありましたよね。
要は早く向こう岸に逃げなければならない、命がかかった場面ですよね。
何をチンタラやってるんだ!、と言いたくなるんですよ、しかも向こう岸も「鬼の領土」
一刻を争う事態にも関わらず、問答をする。
明らかにエマはイザベラが来るの待ってるんですよ。
繰り返します、今この場面は、一刻の猶予ない事態のハズですよね??
わかりますよ、「飼育監」だったとしてもエマは、イザベラが好きだった、それを振り切る。
わかりますよ・・・。
でもね、一刻を争う事態なんですよ、そこをチンタラ、チンタラ。
ここでイライラするし、イザベラがロープを切る切らないの「引っ張り」
わかりますよ・・・。
彼女にも葛藤がある、でも彼女もヘマをしたら「殺される」
彼女にも一刻を争う事態なんです。
この情緒過多な演出、猶予ない事態で交わす問答など、この作品に限ったことじゃないですけど、それが挟まれることで、緊迫感が削がれるんですよ。
しかもこのシーンは「一番この映画で重要なシーン」ですよね?
そこでこの演出・・・。
流石に養護不可ですよね。
これ僕ならエマが対岸に渡り切る、そしてエマがロープを切る。
そうすることで、イザベラとの関係を彼女自ら断つ。
ということにしたり、いくらでもやりようがあると思うんですけどね。
まぁとにかく、なんか愁嘆場で、くどい演出とか、ホント勘弁してくれって思わずにはいられなかったですね。
あとこれは言いたくないけど、浜辺美波のエマと、城桧吏のレイ。
板垣李光人のノーマン。(ウールくん頑張ってた笑)
このメインキャラ3人が危なすぎるんです。
今作は、原作よりもメインキャラの年齢を高くしている。
でも演出は原作そのまま。
そりゃおかしいことになりますよ。
アンバランス過ぎますよ。
あとレイの城桧吏の演技が危なすぎる。
この子「万引き家族」だと演技力すごいんですけど、それが全く活かせてない。
思い切って主演3人は原作と同世代の子役に託すくらいでも良かったと思います。
もちろんマーケティング的にそれはできないでしょうが。
くれぐれも言っておきますが、演者は誰も悪くないですよ。
監督が演出をちゃんと指導してないのが「大問題」です!
ということで、個人的にはこの作品。
世界観の作り込みとか「頑張っている点」はあるにも関わらず、僕は「監督」が、はっきりこの作品をダメにしたと思います。
まぁ、でもこの題材を映画にしてって言われて、果たして何人の方が「うまく作品を成立させられるのか?」
そこは議論のよちがありますが。
今作を振り返って
ざっくり一言解説
「頑張っている」と認めるのは吝かではないのだが・・・。
映画として致命的な点もあるんだよね・・・
まとめ
ということで、今作品、僕は思いの外「みれました」
そういう意味では頑張っている作品でしたが。
ただし、映画として致命的な欠陥、演出の不味さなども目立つ作品だ。
悪し様に「駄作」だと言うには憚れるし、でも映画として「良い」とは言い難い。
原作ファンだとどう思うのか?
それも気になりますが、でも僕は「頑張っている」というのは認める。
そこを肯定的に汲み取ると、「良い」という評価にはなるのかな?
個人的には「頑張っている」のは認めつつ、映画としては決して「褒められた」ものではないとおもいました。
まとめ
- 「頑張っている」けどそれが「映画としていい」という結論につながらない。
- 実写独自のオリジナリティなど、しっかり思案すべきだったのではないか?
ということで、今回も読了ありがとうございました。
また次回の映画評論でお会いしましょう!