
今日も「ディズニー総チェック」やっていきます!
ということで、今回も名作・傑作と名高い作品「ライオン・キング」を紹介したいと思います。

今作のポイント
- 実質「美女と野獣」「アラジン」と「ライオン・キング」で三部作と言える。
- 王の資質とはなにか?
- 「サークル・オブ・ライフ」思想を深堀りすると・・・。
目次
「ライオン・キング」について
基本データ
基本データ
- 公開 1994年
- 監督 ロジャー・アレーズ/ ロブ・ミンコフ
- 脚本 ジョナサン・ロバーツ/アイリーン・メッキ/リンダ・ウールヴァートン
- 声の出演 ジェームズ・アール・ジョーンズ/ジョナサン・テイラー・トーマス ほか
ムファサの声優は「SW」のダース・ヴェイダーと同じ方、「お前は私の息子だ」というセリフが印象的!
あらすじ
ディズニーの壮大な冒険譚は、好奇心旺盛で、王様になるのを待ちきれないライオンの子、シンバの物語。
野心的な叔父、スカーのワナにハメられ追放されたシンバは、ティモンとプンバァという陽気な仲間たちと出会い、自分の使命を忘れてしまう。
しかし運命の時が訪れ、シンバはプライドランドに戻り、“サークル・オブ・ライフ”の中で自分の居場所を取り戻す。
ディズニープラスより引用
「王の資質たるや」を描く作品

実は「アラジン」の補完的要素のある作品
「ライオン・キング」という作品を一言で要約するならば、シンバが「王の資質たるや」という点に気づいて、最後には「王位」につく、典型的な「貴種流離譚」だと言える。
「貴種流離譚」とは?
神話学の1つの視点としてモノミスの理論がある。
神話的英雄の苦難の冒険の物語については、ギリシア神話や日本の神話にも例が見られ、
「高貴の血脈に生まれ、本来ならば王子や王弟などの高い身分にあるべき者が、
『忌子として捨てられた双子の弟』『王位継承を望まれない(あるいはできない)王子』
などといった不幸の境遇に置かれ、しかし、その恵まれない境遇の中で旅や冒険をしたり巷間で正義を発揮する」
という話型を持つものがある。
これら神話をモチーフにしたさまざまな派生・創作作品についても、「貴種流離譚」と表現することがある。
Wikipediaより一部引用
要は、王位を次ぐものが一度は「国」を追放され、その先で出会った仲間と生活する。
そこで、本当の「正義」に気づいて、「国」に帰還し、「王位」を継承する物語を「貴種流離譚」と一般的に呼ぶ。
さて、繰り返しになるが、今作はそんな物語性をベースを持ちながら、シンバが「王の資質に気づく」物語だ。
なぜ、このタイミングで「王の資質」を問いかける作品が生まれたのか?
この点をまず深堀していきたい。
この「王の資質」を問うこと。
それは前作にあたる「アラジン」が描ききれなかった点を補完するためだと言える。
というのも「アラジン」という作品で描かれる最終的なゴールは、アラジンとジャスミンが結ばれるという点だ。
そして、当然のことながら、「アラジン」という作品はアラジンとジャスミンが結ばれて幕を閉じる。
この作品で2人が結ばれることは、作品として、当然理想的な幕引きだ。
ジャスミンにとってアラジンは「理想的存在」と言えるし、アラジンは「身分違いの恋」を成就させ、そして「いずれは”アグラバー”を背負って立つ」地位に上り詰める。
つまり彼は当初の目的を果たしているのだ。
だが、この先のアラジンのことを考えると、果たして彼に「王の資質」があるのか? そこに疑問が残る。
実際に彼の今後の人生を考えると、実は「この先」の方が長いわけだ。
そこで彼が「良き王」になる保証はどこにもない。
当然それは「アラジン」という作品のゴールが2人が結ばれる点に設定されているので、描かれないのは仕方がないが、しかし「よく考えると」疑問が生じる。
「アラジンは王の資質があるのか?」と。
そんな「アラジン」のあとに「王の資質たるや?」を問いかける物語「ライオン・キング」を持ってきているのは、偶然だろうか?
そもそも「美女と野獣」のテーマを別の角度から問いかける「アラジン」いう流れ。
「アラジン」にチラつく疑問を深堀りする「ライオン・キング」
これは恐らく意図的だと個人的には考えている。
というのも、「美女と野獣」「アラジン」「ライオン・キング」はそれぞれ、実写リメイクが作られているが、これらの3作品も、公開は同様の順番になっている。
2017年「美女と野獣」
2019年5月「アラジン」
2019年7月「ライオン・キング」
当然、実写リメイクは「アニメ公開順」に制作されているわけではない。
だが3作品が、リメイク版も同じ順番で公開していることを考えると、作り手は「順番」にこだわっているのではないか、と想像できる。
それは恐らく、この3作品を「この順番で」見てほしいという思いがあるからではないか?
そこには前作で語った物語の補完を、次の作品に託している側面が見え隠れする。

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では「王の資質とは?」
さて、今作は前述したように、一度は王国を去ったシンバが、「王の資質」に気づき帰還。
そして王位を継承する物語だと言える。
では、この作品における「王の資質」とはなにか?
実は、今作の冒頭で既に答えは出ている。
それは、「サークル・オブ・ライフ」という概念を守るために生きるということだ。
It's the Circle of Life
巡る命 悩み 望み 愛しながら
安らぎの時を求めて
果てしなく続く命
ライオン・キング「 Circle of Life」歌詞の一部抜粋
「Circle of Life」と聞くと少し難しく感じるかも知れないが、これは「生命の輪」
つまるところ「食物連鎖」を歌っている。
つまりこの作品における「王の資質」とは、この「生命の輪」についてキチンと理解することなのだ。
そして理解した上で、そのバランスを保ちながら、いわゆる「管理」をすることが役目だといえる。

それを「よきこと」とする事における「危険性」は後述する
この世界観では、生きるために「肉食動物」は「草食動物」を食べなければならない。
だからといって無闇に「狩り」をしてはいけない。
無闇に狩りをすれば「草食動物」の数が減り、それはつまるところ「生命の輪」のバランスを崩すことになる。
そうなれば、たちまち「国」は立ち行かなくなる。
それを「王」は管理しなければならないということだ。
だからこそムファサを殺し、王位に就いたスカーの政権では、国は一気に困窮することになる。
それはスカーが「生命の輪」をキチンと理解していないからだ。
ある意味スカーや、彼が仲間に引き込んだハイエナは、「生命の輪」ということを一切考えずに「狩り」をした。
そして案の定、王国は衰退の一途をたどる。
さて、このように「生命の輪」を守ることが重要ということを教える今作だが、それを通じて何を我々に伝えたいのか?
それをここから見ていきたい。
今作の伝えたいこと、歴史的背景から紐解く
さて先ほどの問いかけ、「生命の輪」を守ることが重要ということを教える今作だが、それを通じて何を我々に伝えたいのか?
という点を、紐解いていこう、
もちろん「命を食べる際に感謝する」という、ある種の「食育的要素」もある。
食育観点でいうと、「ブタがいた教室」に通ずる点もある
だが、それよりもこの作品が訴えかけているのは、「地球温暖化」に対する警告ではないか?
さてでは、ここから少し「歴史の勉強」をしていきたい。
「地球温暖化」について
1970年代では、地球は「寒冷化」していると考えられていた。
だが、1988年に入り一転「温暖化」していることが一般的な学術的主流の考え方となっていった。
そして国際政治の場でも、1992年6月の「環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)」で気候変動枠組条約が採択されるなど、
地球規模の問題として「温暖化」は深刻さを増していった。
「温暖化」の原因を上げるとキリがないが、ひとつに「大量生産・大量消費」という点があげられる。
人間の飽くなき「欲求」を満たすために、「大量生産・大量消費」をすることで「二酸化炭素」が大量に発生し、それが元で様々な問題が起きた。
そのことで砂漠化が進み「飢えに苦しむ」人々が現れるなどの諸問題が発生。
この構図はスカーが統治した「プライド・ランド」の状況に酷似している。
要は「自分の欲求」で「世界のバランス」を崩すこと、それが回り回って、我々の首を締める。
そのことを「ライオン・キング」は描いているといえる。
つまりこの作品は、1980年代から少しずつ身近な問題になってきた「地球温暖化」という問題を描いているといえるのだ。

ある意味警告的側面を持つ作品だと言える
「サークル・オブ・ライフ」の押し付け感
今作は、そんな大切な「サークル・オブ・ライフ」という意義に気づいたシンバがスカーを打倒。
そして、ナラとの間に子どもが生まれ、作品冒頭の場面に還る作りになっている。
今作の、作劇自体も実は「サークル=輪」の構造になっており、このように、きれいな円環を閉じて締めくくられる。
そして「円環構造」もまた「サークル・オブ・ライフ」の大切さを伝える重要な役割を担っているのだ。
深堀りポイント
「ディズニープラス」で配信されている「Disney マイ・ミュージック・ストーリー」の第3弾で、
バンド「X JAPAN」のリーダー、YOSHIKIさんは今作をこのように評している。
「自分の”傷”(=スカー)と向き合う物語」
これも言い得て妙で、シンバはスカーに騙され、「自分のせいで父が死んだ」という負い目を抱えている。
今作は、その「傷」に立ち向かう話だ。
というのはYOSHIKIさんの人生を考えると、感慨深い点だと感じた。
さて、このように今作を言い表す言葉はたくさんあるが、この評論では「サークル・オブ・ライフ」に注目をしていこうと思う。
先程、この考え方は「生命の輪」のバランスを保たないと、回り回って、それが自身の首を締める。
「地球温暖化」の原因とも言える「大量生産・大量消費」する我々への警告という側面があると指摘したが、もっと素直にこのメッセージを受け止めよう。
そしてこのメッセージの危険性という点に踏み込んでいきたい。
「サークル・オブ・ライフ」はつまるところ「食物連鎖」だ。
この物語、シンバやムファサは、その連鎖のトップに君臨している。
そのことで彼らのいう「命の輪」が「最強の捕食者」であるライオンの勝手な理論の押し付けに、どうしても見えざるを得ない点は、どうしても拭えない。
シンバ、ムファサも、そしてヴィランであるスカーも基本的に、程度の差があれ、やはり「草食動物」を狩し、それを食べること。
そのことは、当然賛成というか、それは当たり前だと言う考えでは、共通している。
ムファサは、ある意味で、その正当性を解くかのように、「命は廻る」とシンバに伝える。
草食動物が草を食べ、肉食動物がそれを食う。その動物の排泄した糞が草木を豊かにし、それをまた草食動物が食べる。そして肉食動物も死んで土に還る。
この「サークル・オブ・ライフ」という思想。
これを「食べられる側」から見てみる。
すると、なんとも身勝手な価値観の押しつけかと思わざるを得ない。
しかも、この世界観では、なまじ動物たちは「言葉」が通じる。
「草食動物」は、「いつか、自分たちを食べるかもしれない」と思いながらも、専制君主の頂上に君臨するムファサ、広義でいうとライオンに頭を垂れる。(冒頭と終盤)
実はシマウマ達「草食動物」にとって、この「プライド・ランド」は、ある意味で地獄的な場所だとも言える。
ただし、今作が巧みなのは、この逆の生活をするティモンとプンバァたち「ハクナ・マタタ」側を描いている点だ。
彼らは最初は捕食者であるライオン、シンバを恐れたが、彼を仲間にするために様々な生活の知恵を教える。
そして「ハクナ・マタタ」という考え方が、シンバの心の傷を、つまり「自分のせいで父が死んだ」というトラウマを癒すことになる。
さらに本来関わることのなかった「食べられる側」と共にいることで、「プライド・ランド」では学べない価値観を学ぶのだ。
そのことで、シンバはある意味で「サークル・オブ・ライフ」「ハクナ・マタタ」という2つの思考を手に入れたことで、また違う統治をすることは想像できる。
だからこそ、この「サークル・オブ・ライフ」のある種の「押し付け感」を脱臭することには一定程度成功している。
だが、よく考えればこの思想は、ある種「頂点に立つ存在」からの「押し付け感」というのが、やはり拭えない。

と思ったんだけど、「プライド・ランド」はあくまでサバンナだから、虫も少ないんだろうね!
2016年、この「食物連鎖」という視点を描き直す「ズートピア」という作品が制作される。
恐らく作り手は「ライオン・キング」に残った「食物連鎖」という考え方を、描きなしたかったのではないだろうか?
その辺りは、「ズートピア評論」で深堀りしていきたい。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
「サークル・オブ・ライフ」に隠された意味と、ある種の「押し付け感」に注目しなければならない。
なぜ、このタイミングで「王の資質」を問う物語が来たのか、考えると興味深い
まとめ
「王の資質」それを問う物語が「アラジン」の次に用意されたのは、非常に興味深い。
ある種「王になる」ことをゴールにした「アラジン」
主人公であるアラジンに「王の資質」があるのか?
それはわからない、だが本当の人生は「王になってから」のほうが長い。
アラジンは「国民のための、良き王」になるのか?
そこには確かに疑問が残るのだ。
だからこそ「ライオン・キング」は「王の資質」を問う物語になっている。
実は「アラジン」の描ききれなかった面を補う関係になっている。
だからこそ「美女と野獣」「アラジン」「ライオン・キング」という並びは、かなり重要だと言える。
そして「サークル・オブ・ライフ」という思想。
ここには、我々が現実に直面する「無計画な大量生産・大量消費」による危機、「地球温暖化」への警告という側面もあり、ある種「エコメッセージ」を内包しているといえる。
これも1980年から顕著になってきた、社会問題を「ディズニー」がすくい取ったといえる。
だが、その思想は「草食動物」から見ると、つまり「食べられる側」から見れば、実は非常に「押し付けがましさ」を感じる、この世界観だからこそ感じてしまう危険性を孕んでもいる。
後年の「ズートピア」はある種、この面をアップデートする作品だと言えるのかも知れない。
ただ、いずれにせよ、やはりクオリティの高い。
ある種の「神話性」を帯びた、典型的な「貴種流離譚」として、万人が楽しめる作品に仕上がっており、「間違いない!」仕上がりの「ライオン・キング」
まさに「ディズニー史」に残る傑作であることは、疑いの余地がない!
まとめ
- 「アラジン」の補足的側面をもつ。
- 「サークル・オブ・ライフ」を通じて、我々への問題提起。
- 「サークル・オブ・ライフ」が持つ、「押し付け」
後年、それをカバーする「ズートピア」に注目すべし!
さて、いよいよ「黄金期」のピークが過ぎ、カッツェンバーグがディズニーを去る。
ここから、一体どうなっていくのか?
楽しみな「総チェック」はまだまだ続きます!!