
さて、本日は新作映画について語っていきます。
ということで、取り上げる作品は「羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)」です。

と新しい発見のできた作品です
この作品のポイント
- 意外や、意外。
異能力バトルものとして面白い! - 二人の「異なる正義」を掲げる「師」とシャオヘイの出会い。
文字通り「彼が選ぶ未来」を描く物語。 - フーシーはキルモンガーだ。
そして、彼の行動には深く共感できてしまう、 - 弾圧された過去、それすらも「赦す」
そして「未来」へ進む。
目次
「羅小黒戦記〜ぼくが選ぶ未来〜」について
基本データ
基本データ
- 公開 2020年
- 監督 MTJJ木頭
- 脚本 MTJJ木頭/彭可欣/風息神泪
- 出演者 山新/郝祥海/劉明月 ほか
- 吹き替え 花澤香菜/宮野真守/櫻井孝宏 ほか
あらすじ
この世には妖精が実在し、彼らの中には人間の格好をして社会に溶け込んでいるものもいれば、山の奥で隠れて暮らすものもいた。
森で楽しい日々送っていた猫の妖精・羅小黒(ロシャオヘイ)は、人間たちによって森が切り開かれてしまったことから、暮らす場所を探して各地を放浪する。
その旅の途中で妖精のフーシー(風息)、人間のムゲン(無限)と出会ったシャオヘイは、彼らとの交流を通じてさまざまなことを学び、成長していきながら、再び安心して暮らせる場所を求めて旅を続ける。
映画.COM より抜粋
王道の展開で楽しめる作品

WEBアニメから、劇場アニメ化された作品
「羅小黒戦記」(以後、「ロシャオヘイセンキ」と呼称)は非常によくできた作品である。
ストーリーやテーマについては後述することにして、まずはこの作品の「アニメとしてのクオリティ」の高さについてまずは言及したい。
というのもこの作品について調べると、元々は今作の監督でもあるMTJIにより、2009年から漫画の連載され、その後2011年にWEBアニメとして制作・公開され人気が出たという経緯がある。
ちなみにこちらが、そのWEBアニメの第一話にあたる。
ジブリに影響を強く受けているということもあり、めちゃくちゃBGMとか「ハウルの動く城」(王子様思いっきり「ハウル」)っぽかったり、このWEBアニメ版は、今回の作品と大分作劇のトーンが違う。
だが、このほのぼのしたWEBアニメが人気になり、今回の劇場アニメ制作につながった。という経緯がある。
/#ロシャオヘイセンキ
— 『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)』11/7全国公開 (@heicat_movie_jp) November 11, 2020
公開中 🐈🐾
\#羅小黒戦記 #花澤香菜 #宮野真守 #櫻井孝宏
▼本編特別映像【食事シーン】▼ pic.twitter.com/hgwUOCCQ6S

そういう意味では、こちらの「WEB版」もチェックしておくべきなのは間違いない。
こうした経緯で制作されることになった今回の「劇場版『ロシャオヘイセンキ』」
ちなみに日本でこの作品は、中国語に日本字幕をつけるという体系で既に2019年に公開されており、少しずつ話題になっていった。
そして話題が話題を呼び、ついに日本語吹き替え版「ロシャオヘイセンキ〜ぼくらが選ぶ未来〜」という形で、公開されることになったのだ。
さて、ようやく作品について触れるが、この作品。
いい意味で「WEBアニメ版」とは全く違う、しっかりとしたクオリティの高さ。
そして劇場アニメとしてのスケール感があり、間違いなく「劇場公開」に相応しいアップデートを遂げた作品である。
そのことは、観た方なら頷いていただけるのでは無いだろうか?
個人的にはうまく「WEBアニメ時」のフラッシュアニメ感をうまく残しながら、きちんと現代の技術を盛り込み。
そして、これはやはり影響を受けているでしょう、「ジブリ」作品を観ているような重厚さもあって。
そして、それらがキチンと混ざって「ロシャオヘイセンキ」らしさ、独特の魅力を醸し出せている。
鑑賞していて、これは中国のアニメ作品に慣れ親しんでいないという事もあるかもですが、今まで観たことのない「独特」の雰囲気が非常に新鮮に感じることができた。
日本の美麗なアニメ。とはまた違う味わいが楽しめたので、まずはこの「独特の雰囲気」を楽しむという意味でも、「ロシャオヘイセンキ」を見逃す手はないでしょう。

二人の「師」から学ぶ世界
今作品の主人公「シャオへイ」は黒猫の妖精だ。
彼ら妖精達の多くは森で静かに過ごしていたが、ある日、人間の森林開発によって故郷を追われたという過去を持つ。
シャオへイもその一人だ。
彼は故郷を失い、人間を恨んでいた。
彼が悪夢から目が覚めるシーン、そこで彼が寝床にしているのが「ゴミの上」というのが、なんとも哀れだ。

そして故郷を追われ、町で魚を盗み、屋台から食べ物をくすねて生きる日々。
彼には仲間がいない。居場所もない。
孤独に日々を生きていることが容易に想像できてしまう。
そんな彼が心ない人間にイジメられそうになったとき(これは重要な伏線ですが・・・)、彼を助けるのは、同じく人間に故郷を奪われた妖精の「フーシー」だ。
フーシーはシャオヘイを隠れ家に案内する。
そこで同じ境遇の仲間、ロジュ、シューファイ、テンフーと出会い、ようやく彼は「居場所」と「仲間」を手にするのだ。
だがその安住も長くは続かない。
突然やってきた「人間」
それも「異能」を持つ「ムゲン」が彼らの隠れ家を強襲してきたのだ。
散り散りになる仲間達、そしてシャオへイはムゲンに捕らえられてしまう。
またも憎む人間に全てを奪われたシャオへイは、なんとかムゲンを倒そうとするが、うまくいかず「館」という場所に連行されることになる。
その珍道中が今作品の大きな比重を占めるのだ。
この珍道中はギャグ混じりで不思議な旅なのだが、ここでシャオヘイは、フーシー達の境遇とは違う「人間と共生」する妖精の存在を知ることになる。
深掘りポイント
前述した食事シーンだが、本作品では重要な要素となっている。
シャオヘイが、美味しそうに食事をする時には、ムゲン、もしくはフーシーに深く影響されているし、逆に不味そうに食べる時。
(ちなみにこれは、ギャグでもあるのだが・・・)
その時は、心を完全には開いていない、もしくは自分の本心と葛藤しているように描かれている。
ココがポイント
重要なのはここで「フーシー」という「人間を憎む」存在、それすなわち、人間に「復讐」を誓う存在。
ムゲンのように「人間と妖精が共生」する世界を目指す存在。
このように、二つの真逆の考えを持つ「師」と呼べる存在と出会ったシャオへイ。
彼自身がその二人から学び、「未来」を選ぶというのが、今作のメインテーマだ。
この作品の「フーシー」にぼくは、「ブラックパンサー」における「キルモンガー」を連想せずにはいられなかった。
虐げられた者を救うために、力を求め、そして自分たちの理想郷を作ろうとする。
彼の考えには、それはそれで深く共感できてしまう。
最初は彼のように「人間」を憎むシャオへイ。
だけどムゲンとの旅で「共生」の道があることを知る。
ムゲンは「過去の遺恨」も乗り越え、互いに共存することに未来を見出している。
その考えにも我々は深く共感してしまう。
それは「互いに信じる正義」「正しさ」というものが、立場変わればそれが全く変わってしまうという、現実を描いているということだ。
この作品は繰り返しになるが「真逆」の考えを持つ二人の「師」との出会い。
その結果「シャオヘイ」が「どんな未来を選ぶのか?」という点がしっかりと描けている。
まさに「ぼくの選ぶ未来」を掴み取る話となっているのだ。
「能力バトルもの」としてのルール設定が面白い
この作品はそんな「正しさ」について描く作品だが、それ以上に驚いたのは「能力バトルもの」として十分面白いという点だ。
特に「空間系能力=領界」の中ではその能力執行者が「神にも等しい存在になる」というのをムゲンが旅の途中でさらっと説明しつつ、最終決戦ではそれが戦いの鍵になる。
そして序盤から登場する嘿咻とシャオヘイの関係が、この劣勢において「なぜ勝利できたのか?」
というワンロジックになっている。
バトルものとして「奇跡の力」で勝利。
というのではなく「理由」があるのがすごく個人的にはGOODでした。
そして「フーシー」の能力「洗脳」
最初シャオヘイを襲った人間の表情。
あの時点だけでは、作画クオリティーが低いなぁーと。
マイナスポイントのように見えたのだが、実はそれすらも伏線だった。
そこから逆算すると、実は「フーシー」は、最初からシャオヘイを利用しようとしていたのがわかる。
ただし、ここもうまいのは、「フーシー」は最初はなんとかシャオヘイを説得し、彼の意思で計画を遂行しようとしており、やはり彼には「善意」の心があることを伺わせる。
そして「ロジュ」もまた、シャオヘイを家族のように思っていたことがわかる。
このように、彼らも「悪人」ではなく、あくまで彼らの信じる「正義」を貫くため、そしてシャオヘイを本当の仲間のように思っていたことが示唆されている。
この辺りの描写でやはりフーシー達に強烈に思い入れてしまうのだ。
「赦す」ということ・・・。

「憎む」ことは簡単なのだ
この作品を見てぼくは改めて「赦す」ということについて考えさせられた。
人間は、過去の出来事や、受けた仕打ちを「憎む」「恨む」それは仕方がないことだ。
だけど難しいのは、そのことを「乗り越えて」そして「赦す」ことではないか?
「恨み」「憎しみ」はまた、別の誰かの「恨み」「憎しみ」に変わる。
永遠に続く「負の感情」とも言える。
その「負」を抱くことは簡単だ、人間は傷つき、ボロボロになった時、自分の心を守るため、人を恨むのだ。
別にそれは、たいそれた話だけではない。
小さな日々の生活で人に「傷つけられ」当然「傷つけた」ことのある人間は、いないはずがないのだ。
その時、あなたは「他人を恨んだりしなかっただろうか?」
それは繰り返しだが、「自衛本能」として当然の心の作用だ。
だけど、そこをグッと飲み込んで、「赦す」
もちろんそれは非常に難しいとだと思う。
だけど、その感情を持つことが、未来を変える。
未来に起こる「負」を消す、唯一の方法ではないか?
そんなことを考えさせられた。
今作で、シャオヘイは人間を憎むことをやめ、仲間と共に共生の道を選んだ。
「憎む」のではなく、手を携え共に生きることに未来を見出したのだ。
その道のりは、絶対に厳しい。
だからこそ、その道を選んだ彼の勇気が胸を打つ。
深掘りポイント
このようなテーマ、視点で描かれた作品が、中国でヒットをしている。
それは、ある意味で彼らの国が抱える、様々な問題が「良くなる未来」が来るのでは?
と予感させられる。
そしてそれは、我々も同じだ。
少しずつ対立を超えて、互いのことを理解する、そして手を取り合う。
困難には共に立ち向かう。
それが大事なのではないか?

人間側が妖精に協力する描写など有ればよかったと思うんだよなぁ
こんなことを語ると、「理想論」だと思う人もいるだろう・・・。
ぼくは、声を大にして言いたい。
理想があるから現実は良くなる。
そして、理想を求めて現実を変える。
例えそれを「綺麗事」「現実的ではない」と言われようとも、「綺麗事」を求める。
それが世界をよくしてきたのではないか?
「基本的人権」だってそうだ。
まだまだ足りないが「黒人問題」だってそう。
もっと「よくしなければならない」と思ったからこそ、声を上げた人々がいたからこそ。
「手を取り合い世界をよくしたい」と思ったからこそ、世界は少しずつ良くなってきたし、これからもそうなると信じたい。
シャオへイが、そんな「赦す」という勇気をもったことに、ぼくは称賛の拍手を送りたい、と心からそう思った。

少しでもこんな風に、考えられるように、なれればいいな。
これは自戒の念でもある
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
クオリティーのたかさ、テーマの骨太さ。
未見の方、何やってんの!?
今すぐ劇場で鑑賞すべし!!
シャオへイを通じて「二つの正義」を描く、非常に見応えたっぷりな作品
まとめ
ということで「ロシャオヘイセンキ」について語りましたが、やはりこの作品は、見逃すには惜しい作品だと断言します。
アニメとしてのクオリティーもさることながら「異能力バトルもの」として、非常に良くできてるし、設定も練られていた。
日本アニメもうかうかしてられない。
そう思わされた作品だった。
もちろん、物語も「シャオヘイ」を通じて、二つの異なる視点での「正義」が描かれ、そのどちらにも我々は深く思い入れずにはいられない。
フーシーのこれまでを考えると、彼の「憎しみ」が故の行動にも、それはすごく共感してしまう。
でも「憎しみ」という「負」で未来を描くより。
「共生」という、例え大きな困難があろうとも、それでも「前を向く」という「未来」を選ぶこと。
「憎しみ」すらも乗り越えて、手を携え生きる決断をしたシャオヘイの勇気に感動させられてしまった。
「理想論」と笑われても、その「理想」を掲げて生きることの大切さを、この「ロシャオヘイセンキ」から学ばさせてもらった。
まとめ
- 日本アニメもうかうかしてられない、素晴らしいクオリティ。
- 「正義」は立場によって変わる、異なる「正義」を知れたシャオヘイが「選ぶ未来とは?」
- 「理想論」こそ「未来を良くする」
ということで、今日も読了ありがとうございます。
また、次の記事も読んでくださいね!!
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