
さて、今日も「ディズニー総チェック」です!
今回取り上げる作品は「ジャングル・ブック」を取り上げたいと思います!
この作品のポイント
- 「本当の居場所」を求める話。
- とにかく楽しい「ビート」のつまった作品!
目次
「ジャングル・ブック」について
基本データ
基本データ
- 公開 1967年
- 監督 ウォルフガング・ライザーマン
- 脚本 ラリー・クレモンズ/ラルフ・ライト ほか
- 原作 ラドヤード・キップリング 『ジャングル・ブック』
- 声の出演 フィル・ハリス ほか
あらすじ
モーグリはジャングルを出て人間の村に戻るために、賢いヒョウのバギーラと一緒にスリルに満ちた冒険の旅に出ることに。
旅の途中で、陽気なキング・ルーイや催眠術が得意な蛇のカー、そしてのんきなクマのバルーと出会う。
バルーはモーグリに、人生において“本当に必要なもの”と友情について教える。
ディズニープラスより引用
自分の居場所を「選ぶ」

全体的に「楽しい」作品
この作品のまずは、総評から述べてると、「非常に楽しい作品」だと言える。
わけあって「狼」に育てられた人間「モーグリ」
彼がジャングルで生活して10年が経つ頃、人間嫌いのトラ「シア・カーン」が戻ってくることになり、それを機に、モーグリを「人間の村」に送り届けようというのが今作品のメインの物語だ。
この作劇は昨年評論した「ポケットモンスター ココ」と通ずる点もある。
そんなモーグリを「人間の村」に送り届けているさなかの、ドタバタ珍道中が非常に楽しいのが今作品だ。
旅のお供をしてくれる黒豹の「バギーラ」
楽観的で、モーグリを息子のように育てようとするクマの「バルー」
モーグリを食べたいニシキヘビの「カー」
火を使えるようになりたいオラウータンの「キング・ルーイ」
そして、人間嫌いで、銃声・火にトラウマをもつベンガルトラの「シア・カーン」
それぞれのキャラクターが強烈な個性を持っているのが、今作品の特徴だ。
そして、各動物の「ビート」を刻む愉快なミュージカル要素もあり、非常に愉快な仕上がりになっている。
先立って評した「王様の剣」以降のディズニー作品を「暗黒期」と紹介したが、今作はそんな「暗黒期」においても、一定の水準をクリアする出来栄えになっている。
そのことは、見た方なら納得していただけると思う。
個人的にも前作「王様の剣」の、どうしたって首を捻りたくなる結末などと比べても、今作の「愉快」さは際立って「良い」断言できる。
そして、それは後世のから振り返っても「ジャングル・ブック」という作品の方が「王様の剣」よりも認知度が高い。
そういう意味で、前作から何とか盛り返してきた。と言えるのではないだろうか?
ということで、まず今作品は、非常に「質のいい」「楽しい」作品に仕上がっている。
そのことはまず断言しておきたい。
モーグリの居場所、考えれば「そこしかない」
今作品のメインテーマは「本当の居場所」を探すという点だ。
そこに、多少なりとも「違和感」を僕は感じてしまった。
この「ディズニー総チェック」の流れでいうと「わんわん物語」でも、同じことを語ったのだが、もう一度繰り返しておきたい。
というのも「わんわん物語」では「トランプ」が最終的には「飼い犬であったが捨てられ、野良犬になる。その後レディと結ばれたため、飼い犬に戻る」そこに少し違和感を感じたといった。
そしてこの構造は「トイ・ストーリー4」の結末と実は「対」になっていると指摘した。
深堀りポイント
人間に捨てられた「ボー」と再会した「ウッディ」
彼が自らの意思で「野良おもちゃ」になるという結末。
繰り返しになるが、「自由意志」の物語である「トイ・ストーリー」
この物語構造を持つが故に、究極的に行き着かざるを得ない「問題」に踏み込んだ。
そういう意味で、非常に「評価」している作品であるということは、認めざるを得ない。
だが、それでも「これでいいのか?」という疑問が生じる。
非常に「アンビバレント」な気持ちにさせられた。
「ジャングル・ブック」でも、モーグリが「ジャングルで生きるか?」それとも「人間界で生きるのか?」その問いかけが随所で描かれる。
バギーラは「人間は人間界で生きるべき」だと諭し、逆にバルーは「居たいところで生きるべき」と主張する。
当の本人モーグリは「ジャングルで育った、だからこそジャングルで生きたい」という。
この答えはどれも正しいのではないか?
少なくとも僕はそう感じる。
だがそれと同時に「どこで生きるべきなのか?」「自分の生きるべき世界とは?」を問いかける作品は、結局どの答えを出しても「心に違和感」が残る。
これもまた認めざるを得ない。
ちなみに今作ではモーグリは「人間界」で生きるという選択をするのだが、それは丁寧にはられた伏線もあり、納得ができる様になっている。
というのもオラウータン、キング・ルーイとの会話で、彼はハッキリと「火を使えるのが人間」と言っており、モーグリから「火の使い方」を学ぼうとする。
そしてシア・カーンと対峙した際、実際に彼を撃退する際に「火」を使うことになる。
それは、我々「人間」つまり「ホモ・サピエンス」が他の「ホモ属」と違い、絶滅すること無く「繁栄」した大きな理由に「火の使用」が挙げられるが、そのことを指しているとも言える。
詳しくはこれ、読んでね!笑
面白いですよ!!
この「火」の使用。
それでモーグリは完全に「人間」となってしまった。
だからこそ最終的に「人間の村」に行く。
その結末は、「人類史」的な理由付けもあって、納得しやすくはなっている。
確かに、描写として「人間の女の子」に興味を示したモーグリを描くことで、彼が動物との友情を捨てた。
だからこそ認められないという意見があるのも理解できる。
でも、それも「生命の本能」として、「子を遺す」という観点から見れば、納得できるんだけど・・・。
このようにモーグリが「人間世界で生きる」という結論を出すのには「人類史」としても「生命の本能論」としても、納得は出来るように作られている。
でも、それでも、どこか「違和感」「モヤモヤ」がある、それも事実なのだ。
この正体は何なのだろうか?
ここから、ものすごく、個人的な話になります笑
「違和感」「モヤモヤ」の正体
結局、このように「自分の居場所」を探す物語。
厳密には「今まで生きてきた世界から、他の世界で生きる」ということを選択する物語。
これらに生じる「違和感」「モヤモヤ」
それは、どうしたって逃れようのない「選択」をしているからなのではないだろうか?
例えば「転職」など、実人生にもある「選択」
それらをしたとて、「成功」するのか、「失敗」するのか、それはわからない。
「前のほうが良い」「今のほうが良い」色々な思いを抱くこと、それは間違いない。
「選択」の結果、当たり前だが、様々な結果が生じるのだ。
ある意味でこの「生きる場所」を変化させるという結末に、僕が「違和感」「モヤモヤ」を感じるのは、この結果が「良くない方向」に行くんじゃないか?
と「ネガティブ思考」を持っているからなのかも知れない。
モーグリはジャングルでバギーラ、バルー達と過ごせば、少なくともこれまでの人生と同じ、ある程度の「幸せ」を享受は約束されている。
でも「人間界」に行けば、圧倒的に違う「世界観」の前に愕然とするかも知れない。
つまり、僕は「人間界」でモーグリが生きることで、得るだろう「幸福」という部分を全く考えていないということに気づいた。
恐らく、こういう系統の物語で、僕が「違和感」を抱くのは、「ポジティブ」より「ネガティブ」な部分を汲み取りやすいからなのかも知れない。
もし、逆に「変化すること」へ「ポジティブ思考」を持っている方々なら、こんな「違和感」「モヤモヤ」は感じないのかも知れない。
ということで、個人的に「わんわん物語」「トイ・ストーリー4」「ジャングル・ブック」
という作品で、そこで描かれる「生きる場所」を「変える」という選択。
そうなる理由が「映画内」「物語内」でキチンと描かれてるのに、つまり「物語」としては、それは良きことと「誘導」している。
にもかかわらず「違和感」を感じるのは、結局は「どう感じるのか?」それは「自分の考え方」に依るところが大きい。と再認識した。

これって、考えれば当たり前なんですけどね!
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
考えすぎました!笑
でも、愉快な作劇が楽しい作品!!
普通に楽しい作品です!!
まとめ
ということで「ジャングル・ブック」
前作「王様の剣」と比べると、やはり大幅に面白くなって、「暗黒期」などと呼ばれている時期の作品だが、一定のクオリティは維持できている作品だと感じた。
動物たちの刻む愉快なビート。
ユーモラスな描写の数々、それらは一見の価値ありといったところだ。
物語の本筋である「モーグリのいるべき世界」
その答えに、少しだが違和感を感じたりもするが、それはこのようなテーマの作品に、毎回感じることでもある。
個人的な「ネガティブさ」がそれを助長しているのかも知れないが・・・。
「人類史」「生命の本質」などを考えると、モーグリが「人間世界」で生きることになる。
ということは、正しいとも言える。
それもキチンと描かれているので、その辺りの抜かりのなさも、流石! と言うところだ。
個人的にはまだ未見なので「実写リメイク」もチェックしなければ! と思わされたので、いずれその話もしようと思います!!
まとめ
- 前作から比べると、格段に「良い」
- 「暗黒期」と呼ばれているが、それでもクオリティが高いのは、さすが「ディズニー」
ということで、読了ありがとうございました!
次回は「おしゃれキャット」
未見作品なので、見るのも、評論するのも、楽しみです!!