
さて、「ディズニー総チェック」
今回から「新世代編」突入ということですが、「世間の評判だけで、判断する」
なんてことは、ナンセンスなわけで・・・。

ということで今日は「コルドロン」のお話をしていきたいと思います!
この作品のポイント
- 構成する要素はRPG風で、非常に「面白そう」ではある。
- 「面白そう」なのは中盤まで。
そこから終盤、信じられないほど「面白くなくなる」 - 映画において「ストーリー」が、極めて重要だということが、わかります。
- なぜ「男性版シンデレラストーリー」がディズニーで語られにくいのか?
その謎が解けます!
目次
「コルドロン」について
基本データ
基本データ
- 公開 1985年
- 監督 テッド・バーマン/リチャード・リッチ
- 脚本 デヴィッド・ジョナス/ヴァンス・ゲリー/ジョー・ヘイル
- 原作 ロイド・アリグザンダー著/「プリデイン物語シリーズ」『タランと角の王』『タランと黒い魔法の釜』
- 声の出演 グラント・バーズリー/スーザン・シェリダン
今作は、「東京ディズニーランド」のシンボルである「シンデレラ城」でのアトラクション。
「シンデレラ城ミステリーツアー」のモチーフになっている。
あらすじ
魔法と楽しさいっぱいのファンタジーな世界へ大冒険に出よう!
魔法の壷「ブラック・コルドロン」を手に入れた者は、不死身の軍隊を甦らせ世界を支配できるという。
ホーンド・キングはその壷を何としてでも手に入れるべく行方を追うが、その前に立ちはだかったのは、思いもよらない人物…
豚飼いの少年で勇敢な戦士になるのを夢見るターランだった。彼は、勇敢なエロウィー姫と、吟遊詩人のフルーダー、そして予知能力を持つブタのヘン・ウェンの寄せ集めの一団で、魔王の野望を打ち破るために冒険に旅立つ。
果たしてターランには、この困難に立ち向かう勇気があるのだろうか?
ディズニープラスより引用
「面白い」要素はある

「面白そう」という罠
今作品は「ディズニー作品」の中でも「最悪の評価」をされている作品だ。
ネットでの評判みると「全ディズニー作品ワースト」など手厳しい評価をされているが、さて蓋を開ければどうなることやら・・・。
まず、この作品について、ボクの結論から述べておくと「面白くない」と言わざるを得ない作品だったと思います。
ただし、「面白くない」と作品について述べておきながら、いきなり読者を混乱させるようなことを言って申し訳ないが、作品を構成する要素。
それ自体は、いくらでも「面白くなりそう」なのだ。
というのも冒頭の「ブラック・コルドロン」と言われる「世界を破滅させる力」を持ち得るアイテムが出来る経緯や、そしてそれを付け狙う「ホーンド・キング」の存在。
彼の出で立ちは存在感抜群で、角が生えており、顔が骸骨。
ひと目で「悪」といえる存在感だ。
この設定や、敵の造形など、「指輪物語」的とも言える。
そして「ファンタジー」作品として、手垢は付きまくっている設定ではあるが、それでも「面白そう」な要素が散りばめられている。
「コルドロン」とは?
コルドロン(cauldron)とは、英語で「大釜」を意味する。
今作では「魔力」が封じられていて、その力を使い「ホーンド・キング」は世界征服を目論んでいる。
そして今作の主人公「ターラン」
彼は特殊な力を持つブタ、「ヘン・ウェイ」の世話係をしているが、現状に満足できず「勇敢な戦士」になりたいと願っている。
このように「低い身分」であるという設定も、このような「ファンタジー作品」では「面白くなりそうな」要素だと言える。
そんな彼がひょんなことから、敵の住む城で「囚われの姫君」「エロウィー」と出会い、そして同じく囚われていた吟遊詩人の老人「フルーダ」たちと共に城から脱出する。
不思議な動物「ガーギー」や妖精と出会い、「ブラック・コルドロン」を敵より先に見つけ破壊を目指すことになる。
しかも、脱出の際、ターランは「魔法の剣」を手に入れたりもする。
面白そうなポイント
✅主人公が低い身分ながら「勇者」を目指したいという意思がある。
✅敵の「ホーンド・キング」のデザインや、彼の狙う「コルドロン」の設定など、非常に「ファンタジー的」要素。
✅敵の城で、囚われの姫「エロウィー」と出会い、脱出。
✅仲間に不思議な動物や、妖精など、個性豊かな旅の仲間
✅魔法の剣など、よくあるアイテムだが、「ファンタジーらしい」要素。
などなど今作品は「面白そう」な要素が詰まっているのだ。
しかし、それが今作品の「罠」なのだ。
雑な展開で、最悪の失速
で、そんな「面白い」要素がいっぱい詰まった今作品。
正直、色々言いたいことがありながら、中盤までは「面白く」感じる部分も多い。
「RPG」「ファンタジー要素」である程度、ある程度ですが、見れる展開が続く。
ただし、とはいえターランに全く向上心がない、この辺りのキャラの弱さは「王様の剣」の「ワート」並にイライラさせられてしまう。

と、ここまで色々と文句はありますが「さすがディズニー」と言わざるを得ない「美麗」な世界観。
そこで描かれる、脇の甘い「ファンタジー作品」
このように、割り切れば「見れる」作品として中盤までは成立をしている。
だが、そこから物語は怒涛の展開をむかえる。
結論を言うと、なにもかもが「ご都合主義」の極みのような展開が続く。
色々あって(大した苦労せず)、いよいよ「ブラック・コルドロン」の隠された地にたどり着く一行。
それを守っている「魔女三姉妹」との対峙。
そこで「コルドロン」と引き換えにターランが「魔法の剣」を差し出す展開。
ここで「まだ今作品を信頼していた」ボクは、「なるほど!」と騙されてしまった。
というのも「向上心」のないターラン。
彼はいわば「RPG序盤」に最強武器を手に入れた状態になっていて、「剣」の力に甘えて、敵を撃退して、調子に乗っていた。
だからこそ「剣」を手放すことで、彼本来の「資質」「勇気」で最悪の敵に立ち向かう、そうなるんだな!
そうなると信じていた!

と今思えば無駄な期待をしていた
敵であるホーンド・キングに「コルドロン」を手中に収められ、ターレン一行も捕まってしまう。
このままでは「死者の軍団」で世界を征服されてしまう。
絶体絶命の、世界滅亡の危機が訪れる。
さて、どのように、この危機をくぐり抜けるのか?
見せ場ですよね?
ここでターランがホーンド・キングを一騎打ちで倒すのだろう!
様々な妄想がかきたてられる!

でも、もう、ここまで評論を読んだ方はわかりますよね!
そんなことは、一切ない!!
なんとも残念な、展開に空いた口が閉まらない。
結局、終盤なにが起こったかというと、凄まじいエネルギーを放つ「コルドロン」
その中に、不思議な動物「ガーギー」が飛び込む。
そのことで「死者の軍団」が消滅する。
いわば「仲間の自己犠牲」で勝利する、そんな誰もが感動をする展開になるんですが・・・。
この作品、ここまでまともに、ガーギーとターラン達の友情など、深堀りされていない。
そのため、この「自己犠牲」に感動ひとつないのだ。
ここで我々の脳裏に浮かぶ感情は「なんで!?」という疑問符ばかりだ。
そして悪の首領「ホーンド・キング」はガーキーの犠牲で動かなくった「コルドロン」を、「どうしたものか?」と確認に行くと吸い込まれて消滅。
これほど残念な敗北があるだろうか?
しかもターランと、ただの一度も剣も交えず、ほとんど交流せず死亡する。
そして最後は、魔女三姉妹によってガーギーが生き返る雑な展開。
そしてターランとエロウィーが、いい感じになって終幕する。
ということでこの作品、とにかく、誰がやってもある程度「面白くなりそう」な題材を、ここまで「面白くない」ものに仕上げるという、ある意味で「神業」を見せつけてくる。
そんな仕上がりになっている。
評価が低いのも無理ない作品になってしまっているのだ。
「王様の剣」「コルドロン」の失敗がもたらしたもの
先日評した「きつねと猟犬」で、これまでディズニーを支えてきた「9人の老賢者」が全員去り、新時代を担う世代が作った今作品。
こうした事情を鑑みれば、クオリティの低い作品になったのも無理ないと言える。
ただ、個人的に今作品の失敗で確信したことがある。
それは「男性主人公の王道ストーリー」
つまり「男性版シンデレラストーリー」のような「王を目指す話」「英雄になる話」が、ディズニー作品として作られにくくなってしまったのだ。
言うまでもなく「王様の剣」はワートが「王になる物語」
だが、展開やストーリーが雑な点も多く、褒められた作品ではない。
そして今作の失敗。
「コルドロン」は、ディズニー新時代の幕開けとして、
新世代の「白雪姫」として作る!
という半端ない、意気込みで作られた作品だが、
結果は見るも無惨な大失敗となる。
個人的にディズニー作品で「プリンセスもの」は多く制作されているが、「プリンスもの」「英雄もの」が語られないのに、子どもの頃から疑問を抱いていた。
だが「総チェック」を通じてその理由が見えてきた。
それは、その路線で作った作品が「王様の剣」「コルドロン」という、ディズニーの歴史をみても「1位・2位」を争う、圧倒的駄作だったからだ。
企業のマーケティングという面で見ても、この駄作ばかりの路線をこれ以上続けようとは思わない。
だからこそディズニー作品で「男性版シンデレラストーリー」「英雄譚・王になる」という話は語られにくくなるのだ。
(動物モノ路線では「ライオンキング」など作られる)
ちなみに先程「コルドロン」は新世代の「白雪姫」として、新時代の幕開け作品として、かなりの意気込みで作られた作品だと述べたが、結果は振るわず。
その後の1980年代のディズニーは「暗黒期」と呼ばれるほど低迷をすることになる。
この暗黒期を終わらせ、そして「栄光の時代」「新時代」の幕開けになる作品が「リトル・マーメイド」つまり「プリンセスもの」だというのは、なんとも皮肉なことだ。
そして、この結果、ディズニーは今なお「プリンセスもの」を語り続けるのだ。
それは至極当然だといえる。
この「コルドロン」の失敗で、ディズニーは「プリンスストーリー」を描くことを辞めようと決意することになるのだ。
だからこそ、今作は「ディズニー」の今なおブレぬ軸を定めた。
ある意味で、重要な作品だったと、無理やり褒めることが出来る。
今作品を振り返って
ざっくり一言解説!!
なんてもん、作ってんだよ!!
ほんと、ここまで「悪い」とは・・・
まとめ
ここまで「面白そう」な要素を持ち、最後の勝利のワンロジックも「仲間の自己犠牲」という、いくらでも「面白くて、泣ける」展開に出来そうな今作。
それをここまで「微妙」「ダメ」な作品に仕上げる手腕は「残念」を通り越して、ある意味で「驚き」だ。
映画において、脚本をしっかり作るということが、いかに重要か?
という点を再度、肝に銘じる事ができたともいえる。
ただ、今作の出来栄えを見て、ずっと疑問に思っていた「男性版シンデレラストーリー」的な要素のディズニー作品が少ないのか?
その疑問が解消されたとも言える。
それは「王様の剣」と「コルドロン」と、その路線で制作した作品が、ことごとく失敗したからだ。
この失敗は「ディズニー」が「核」とするもの、つまり「プリンセスもの」こそ「ディズニー」の真骨頂である。
それを再確認する意味で重要だったのかも知れない。
だからこそ「暗黒期」を抜けた先に「リトル・マーメイド」があるのだ。
そういう「ディズニー」の今後の流れを決定づけた点。
その点で唯一、今作は褒められても良いかも知れない。
あまり、他人にススメられない作品である、それは間違いない。
まとめ
- 「面白そう」な要素がことごとく「死ぬ」展開。
- ディズニーが「プリンスもの」「男性版シンデレラストーリー」を作りたがらない理由として、十分なほどの駄作である。
- 人に全く「ススメられない」
中々に強烈な「暗黒期」の幕開け・・・。
次はどんな作品が目の前に立ちはだかるのか?
乞うご期待!!