
僕目線で「ここがいい!」というポイントを紹介しながら、映画を骨の髄までしゃぶり尽くそう、とはじめました当ブログ。
今日は「スタンド・バイ・ミー」のご紹介。
この記事を読むと
- 多くの人間の心に刺さる理由がわかる。
- ある程度、年齢が重ねると、さらにハマる理由がわかる。
- タイトルの「意味」を理解できる。
さて、今日は「あの少年時代」を共に思い出して感傷に浸りましょう!
目次
「スタンド・バイ・ミー」について
基本データ
- 公開 1986年(日本 1987年)
- 監督 ロブ・ライナー
- 脚本 ブルース・A・エヴァンス/レイノルド・ギデオン
- 原作 スティーヴン・キング
- 出演 ウィル・ウィートン/リヴァー・フェニックス/コリー・フェルドマン/ジェリー・オコネル 他
「リヴァー・フェニックス」は昨年大ヒットした「ジョーカー」の主演
「ホアキン・フェニックス」のお兄さんとして有名だ。
あとは突然の「死」がね・・・
▼あらすじ▼
1959年 オレゴンの小さな街。
文学少年ゴーディをはじめとする12歳の仲良し4人組は、行方不明の少年が列車に轢かれて野晒しの「遺体」となったことを知る。
死体を発見すれば「ヒーロー」になれる。
4人は興奮と不安を胸に抱き「遺体」探しの旅に出る。
たった二日間の冒険は、彼らの心に永遠に忘れぬ思い出を残した・・・。
アマゾン商品紹介ページより抜粋
今日は珍しく、ネタバレほとんどしないぞ!
忘れがたい「冒険」

動機は「不純」極まりない
この作品は「遺体探し」の旅の話だ。
4人の少年は「遺体」を探し当てると、「注目を浴び」「ヒーロー」になれると信じて旅に出る。
これは「不純」だと言わざるを得ない。
そして4人の他にも、エース率いるチンピラ集団のエースたち「遺体」探しを始める。
彼らも4人と同じく動機は不純だ。
しかも年齢が高校生ほどだろうか?
歳を重ねている分、余計にタチが悪い。
子どもの頃、なんで「遺体」を必死に探すのか意味がわからなかったんだ
だが、後述するが、この映画では4人が旅に出る理由は「遺体探し」だが、これは別になんだって置き換え可能なものだ。
これは、僕らの子ども時代に経験した出来事とも置き換えることが可能なものだと言えるのだ。
ポイント
✅「遺体探し」は、僕らの子供の頃の体験談に置き換え可能なのだ。
小さな町から外に出るとそこは「大きな世界」が
この映画は12歳という思春期手前の少年が初めて「大きな世界」を知る物語だ。
オレゴンという田舎で、自分の知る小さなコミュニティしか知らない少年たち、彼らが「不純」な理由にせよ、その町を4人だけで出ていく。
印象的な線路を進むシーン。
線路を頼りに4人は町の外に出ていく。
「ヒーロー」になりたいという「ワクワク」と「知らない世界」への「不安」
このような環境のなか、4人はそれぞれに自分の心にある「悲しみ」を互いに曝け出す。
そして皆が互いの「悲しみ」に向き合うのだ。
これは「不安」な環境に足を踏み出したからこそだ。このような環境で、押し留めていた、心の奥に隠していたものが溢れ出てしまう。
だが、友人と共にいるからこそ、その「不安」を互いにカバーし合おうとするのだ。
そして、少しずつ成長をする。
「大きな世界」は彼らを確実に「大人」へと近づけていくのだ。
ポイント
✅「知らない世界」が彼らの「心の中の闇」と向き合わせる、そして成長を促す。
心のうちにある不安、コンプレックスの吐露
この映画最大の見せ場は、夜焚き火を囲んでのローディーとクリスの心情吐露のシーンだ。
ゴーディーは優秀な兄の死。そこで両親がいつまでも「兄の死」を嘆き続けていて、いつ「お前が死ねばよかった」と言われるか不安を抱きつづける。
クリスは「給食費」を盗んだこと、そして、そのことを先生に利用されてしまったという悲しい出来事、その思いを吐露する。
それぞれが心のうちで抱き続いていた、「悲しみ」を慰め合い、そして互いに深く理解する。
こうした出来事はきっと4人が旅に出なければ起こり得なかった。
この出来事が後の人生を変えるのだ。
「遺体」を見つけるという過程が大切なのではない、こうした些細な感情のぶつけ合いを重ねることで、彼らは大きく成長するのだ。
ポイント
✅「遺体探し」は重要なことではない。
僕らの実人生に置き換えてみる

この冒険は、僕らの人生の出来事としても置き換え可能だ
これは「遺体探し」という目的の旅だが、先ほども言ったように、これは僕らの人生おいて経験した出来事とも置き換えは可能だ。
そういう意味ではこの作品は「なんの変哲」もない、僕らの少年時代に身の回りで起きた出来事と変わらない。
別にそれは冒険でなくても良い。
両親に秘密で「遊んだ経験」「少し遠出した思い出」
そこに今作品ほど大きな出来事や、道中の心情吐露というエピソードがなくても、だけどそうした経験。
知らない世界に踏み出したことで、知らなかった世界に触れたという経験。
そして「何かしらの思い出」に残る出来事。
そういう思い出は、きっと多くの人の持つものだと僕はおもう。
だからこそ、何度もいうが「こうした冒険」ほど大きな出来事は経験せずとも、しかし今作で起きる出来事の全てに僕らはどうしても「懐かしさ」を感じてしまうのではないか?
「近道」だと言われて友達と意味のわからない藪の中を歩いて、結局遠回りした思い出。
そのささやかな冒険、今となっては意味がない、ただの無駄なことと、大人の自分には思える。そんな出来事が、実は妙に印象に残っていたりする。
そういう他人事と思えない、自分の中にある記憶のカケラを今作品は刺激するのである。
ポイント
✅「子供たちだけ」での行動など、過去の自分たちの「経験」の記憶が刺激される、だから懐かしみを覚えてしまう。
成長する人、しない人
4人はこの旅で、ささやかに「何かを学んだ」
コーディーはクリスとのやり取りで「小説家」になる夢を持つきっかけを掴む。
クリスは、どうにか自分の力で「最悪な環境」から逃れようとした。
テディもバーンも、この二人は上記2人ほど原作でも映画でも、「良き」成長をしたとは描かれてはいないが、それでもきっと、「些細」な成長はしたであろう。
4人は自分の足で歩いて、世界の大きさに触れ、そして掛け替えのない経験をする。
だがチンピラのエースたちは違う。
車を使って、苦労せずに「遺体」を見つけようとする。
そこに自力。という成長するための努力はない。
彼らは結局いつまでも「成長」できず、自らのコミュニティで踏ん反りかえっているだけなのだ。
ただ、歳を重ねただけなのだ。
ポイント
✅「成長」をしないエースたち、彼らは「自力」で世界を歩こうとしないのだ。
あの頃の友達、「元トモ」を思い出す
この映画は究極の「元トモ」映画でもある。
RHYMESTER宇多丸さんがラジオ「タマフル」「アト6」で定義づけされた「元トモ」という概念。
「元トモ」とは?
あの頃、仲がよかったのに、今では「疎遠」になったでも、別に今、会おうとも思わない。
でも心の中になぜか印象深く残る「元友達」のこと。
こちらも名著なので、ぜひお勧めします!!
僕らの身の回りで起きた、些細な「出来事」
それを共に体験した、当時、世界の誰よりも、大好きだった「友達」
でもそんな彼らと、今、接点がない。
そんな「友達」がきっとみんなの周りにもいると思う。
その思い出もこの映画は強く刺激する。
ゴーディーたちも結局この「旅」のあと「疎遠」になる。
また会おうと、旅の終わりに別れた。でも結局「中学」に進学することになり、すっかり道が違える。
そしてゴーディーの親友だったクリスも町を出て、それっきり連絡もとらず10年が経つ。
今度、彼のことを思い出したのは「彼が死んだ」という一報を聴いた時になる。
その一報を聴いた「ゴーディー」が書き上げた小説、それが「スタンド・バイ・ミー」なのだ。
この作品は「大人」になったゴーディーが「元トモ」との思い出を綴ったものだったとも言える。
ポイント
✅今作は「元トモ」との思い出を描いた作品である。
スタンド・バイ・ミー
だが、その頃の思い出は、ずっと僕らの心に寄り添っている。
僕らの心の中にいる、あの頃の「友達」
そうした関係性を、今から出会う「人」との間で生み出すことができるのか?
おそらくそれは不可能だ。
僕らは「無邪気」というにはもう歳を取りすぎている。
あの「世界の広さ」を「知らなかった」もの同士、だからこそ生み出せた関係性。非常に特殊な時期に生まれた友情だからこそ、その存在は特別なのだ。
そして、その存在と今は「疎遠」だとしても、その存在は、今でも僕らの心の中にいる。
ずっと僕らに寄り添っている。
まさしく「スタンド・バイ・ミー」ということだ。
ここまで考えると、僕が子どもの頃にこの映画を理解できなかった理由がよくわかるね
子どもの頃は誰もが、時間は無限にあるように感じていて、友達たちとずっと、一緒にいるものだと思っていたのではないだろうか?
そもそも、そんな子ども期に今作品は理解できるものではないのだ。
これは無常にも大人が子どもの頃を「振り返る」ことでしか理解できない。
でも「大人」ならばどうしたって思い入れてしまうのだ。
そして懐かしい子ども時代を思い巡らずにはいられなくなる・・・。
あの頃の友だちは一体何をしているんだろう? と。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!
と言ってもSNSとかあるから、今は会おうと思えば会えるよね!
今ではSNSとかで会えることもできるから、今後は、この映画を見ても別の印象を持つ人も出てくるよね
時代は変化していく、その変化とともに「スタンド・バイ・ミー」という作品の捉え方も、また変わってくるかもしれない。
まとめ
この映画で描かれる「冒険」は僕らの思い出の中にある出来事と、置き換え可能だ。
だからこそ多くの人間が「懐かしい」という感覚にかられ、その時のことをそれぞれが思い出して感傷に浸ってしまう。
そして、その時側にいた「元トモ」のことを思い出してしまう。
「アイツ今、何をしてるんだろうか?」と。
でも会おうとお思わない。そんな存在のことを・・・。
この映画は、大人であれば共感できる、大人にこそ刺さる作品だ。
そんな「元トモ」も思い出の中では「ずっと側にいる」
まさしく「スタンド・バイ・ミー」だということに気づかされるのだ。
こうした存在との「何気ない出来事」それが、僕らの人生に彩りを与えている。
そんな思い出をこの映画を見て時々思い出してみては、いかがだろうか?
でも、今はSNSとかあるから気になったら連絡もできちゃうしね!
まとめ
- あの頃の「友達」「思い出」を刺激される作品。
- その思い出は、ずっと心の中にいる。
「スタンド・バイ・ミー」だということに気づかされる。
というわけで、本日もお相手ありがとうございました!
また次回、お会いしましょう!