
さて今日も「ディズニー総チェック」です!!
今回は「眠れる森の美女」について語っていきたいと思います。
この作品のポイント
- 他の「ディズニー作品」と違い、良くも悪くも「抽象性」が高い!
- フィリップ王子は、恐らくディズニープリンセスで最も体を張っている!
目次
「眠れる森の美女」について
基本データ
基本データ
- 公開 1959年
- 監督 クライド・ジェロニミ(指揮)/ウォルフガング・ライザーマン(演出)/エリック・ラーソン(演出)/レス・クラーク(演出)
- 脚本 アードマン・ペナー/ジョー・リナルディ/ウィンストン・ヒブラー ほか
- 原作 シャルル・ペロー 「眠れる森の美女」
- 声の出演 メアリー・コスタ/ビル・シャーレイ ほか
あらすじ
「眠れる森の美女」は、邪悪な魔女マレフィセントに呪いをかけられたオーロラ姫の物語。
予言によると、オーロラ姫は16歳の誕生日に糸車で指を刺して深い眠りに落ち、真の恋人のキスによって目覚める。
3人の良き妖精、フローラ、フォーナ、メリーウェザーは、幼いオーロラ姫に“ブライア・ローズ”という名前を付け、マレフィセントに見つからないように森の奥深くに彼女をかくまい、普通の女性として育てる。
ある日、ブライア・ローズは森でフィリップ王子と出会い、その瞬間お互い恋に落ちる。
しかし妖精たちはローズに、彼女が王女であることを明かし、すぐにお城に戻らなければならないと伝える。
だがオーロラ姫は塔に1人でいるところをマレフィセントに見つかってしまう。
フィリップ王子は姫を救うため城に駆けつけるが、その前にドラゴンに変身したマレフィセントが立ちはだかる。
ディズニープラスより引用
今までのディズニー作品との大きな「違い」

メインの登場人物以外の「描かれ方」
この作品をみて第一に感じたのが「メインキャラ」とその他のキャラクターの描き込みに差があるという点だ。
この物語は「白雪姫」「シンデレラ」など歴代の「プリンセス物語」と同様に「絵本」が開かれ物語が語られる。
つまり世界で知られる「おとぎ話」を「ディズニーが語り直す」という点では一致している。
だが今作品は「白雪姫」「シンデレラ」と比べて、この「おとぎ話」であるという感覚が非常に強い。
それを強く感じるのは冒頭の場面だ。
オーロラが生まれ、国中・他国からのお祝いに人々が訪れるのだが、その描きこみが非常に薄っぺらく、どこか書割りというかハリボテ感を感じさせる。
さらに城下町なども、「リアリティ」がなく、どこか「抽象的」に描かれている。
だが、オーロラや、3人の妖精。
フィリップ王子、マレフィセントなど、メインのキャラは、逆にキチンと描きこまれている。
つまりメインキャラとその他の描き込みの落差が非常に大きのだ。
個人的にはこの「落差」が今作の最大の「良い点」だと感じた。
これのおかげで、今作は主要キャラが織りなす「限定的」な話である。
つまり、これは「おとぎ話的」であるという面を強調しているように思える。
これは、「おとぎ話」を語るという点で、ひとつの正しいアプローチではないか。
ただし、この「落差」(僕の思う、「今作の良さ」)を「ウォルト・ディズニー」は「良し」と思ってはいなかったそうだ。
というのも今作の製作開始時、彼は「ディズニーランド」の企画などに忙殺され、映画の制作進行に一応加わっていはいたものの、その詳細までを管理出来ていなかったのだ。
彼は、今までの作品と違い、今作の人間に「人間らしさがない」と大変な不満を抱えていたようだ。
そして「眠れる森の美女」は、そんなウォルトの不満を汲み取ったかのように、公開当時はあまりヒットせず、ディズニー作品として久々の低調な結果として終わってしまうのだ。

ちなみに再公開された際、初期の「ピノキオ」「バンビ」と同様再評価されて、いまでは「ディズニー傑作」のひとつになっている。
ディズニー他作品の主人公と比べて、圧倒的に「何もしてない」オーロラ
この作品の主役であるオーロラは、ここまでのディズニー作品の中の主人公で最も「何もしてない」(何もされてない)感が強い。
少なくとも「白雪姫」や「シンデレラ」と比べても、それは一目瞭然だ。
オーロラは彼女たちと違い、少なくとも「イジメ」「嫌がらせ」を受けて育ってはいない、ある意味で一番幸せな育ち方をしてきたと思われる。
もちろん3人の妖精「フローラ」「フォーナ」「メリーウェザー」が、これまでの「継母」と違い、圧倒的にいい人達だからだ。
というより、この「眠れる森の美女」という作品は、便宜上「オーロラ」が主役ではあるが、実質は「3人の妖精」の奮闘の物語だといってもいい。
3人の妖精がひょんなことから魔法なしでオーロラを育て、そして呪われてしまう。
そこから、勇気をだしてマレフィセントに立ち向かい、そして子離れをする。
どう考えても今作は、彼女達が軸の物語だ。
それでもオーロラに魅力があるとするならば、それはなんだろうか?
個人的には、これまでの「白雪姫」「シンデレラ」と違い、彼女は「王子」との結婚を夢見ていたわけではない。
つまり、彼女がフィリップに惹かれるのが「王子」だから、という理由ではない。
それが、オーロラの「他のプリンセス」にはない魅力ではないか?
森の奥底で、幸せに暮らすオーロラだが、イチゴを摘み取る間に遥か彼方に広がる「城」(つまり本来の家)を望むシーンがある。
これは「幸せ」とはいえ、彼女の思いが「森の外」にあるということを示している。
そんな彼女はある意味で、「外の世界」の生き写しとして「男性」の姿を夢見ていたのだ。
そのオーロラの前に現れたフィリップ。
その素性を、当然その時点ではオーロラは知らず、でも惹かれてしまう。
それは、彼の姿、その向こうに「世界」を感じたからだ。
これまでの「プリンセス作品」にあった「王子」との恋を、オーロラは夢見ていたのではない。
ある意味でたまたま、好きになったのが「王子」だった。
それこそが、オーロラの魅力ではないか?

ただ、これまた意地悪なことを言うと、彼女の「美」「歌声」はすべて自前ではなく、魔法由来だと言うのが・・・ね、チートじゃないか!
と言いたいとこだけど。
それについては目をつむります。
とにかくハッキリ言いたいのは、たしかに「圧倒的に何もしていない」「寝てるだけ」と揶揄されがちのオーロラだが、彼女には、たしかに他の「プリンセス」と違う魅力がある。
それは声を大にしていいたい!!
頑張れ!フィリップ王子!
今作のオーロラは「何もしない」けど独自の魅力があると言ったが、逆にディズニーの他作品では、あまり体を張らない「王子」が今作では頑張るのも魅力と言える。
基本的に「白雪姫」の王子は噂を聞いて来ただけだし、「シンデレラ」の王子は側近の力を使い、権力でシンデレラを探したにすぎない。
というより、これまでの作品では、「王子」は「王子」という記号だ。
その名前もいちいち覚えてないが、「フィリップ」は「フィリップ」として認知されている。
これは大きな差ではないか?
これはひとえに、フィリップがキチンと体を張って、オーロラを助けようと奮闘したからだ。
そもそも彼は、どこの誰とも知れぬオーロラに惚れ込み、その地位を捨ててでも、彼女と愛し合おうと決意している。
そして、マレフィセントに拉致監禁されるなど、きちんと「ヒロインポイント」も稼ぎつつ、最後には恐ろしい「ドラゴン」となったマレフィセントに立ち向かう。
深堀りポイント
ちなみに、この王子監禁後のマレフィセントの策略の趣味の悪さは、さすがディズニーヴィランの中でも随一と評されるだけはある。
年老いた姿で、オーロラにキスして、果たして目覚めるかどうか?
それを見極めようとしていた辺り、趣味が悪い。
そして今作では、ある意味で理由なき「悪」として際立つ存在だ。
なぜ、オーロラを呪うのか?
などは一切描かれないので、ある意味で、理解できない分「恐ろしい」存在として、強く印象に残るのだ。

個人的にはそこに理由付けする「マレフィセント」という作品は好きじゃないのは、この「理由なき悪意」という存在のマレフィセントが良いと思っているからだ。
ある意味で今作は「何もしない、オーロラ」と「頑張るフィリップ」という、実はものすごく丁度良いバランスで描かれている。
これも大きな特徴のひとつだ。
美麗な映像が凄い!
今作品は、視覚的に美しさにこだわった作品だ。
600万ドルの費用をかけ、300人のアニメーター、セル画数100万枚。
今作はディズニー映画史上最も贅沢で豪華な長編アニメ映画だといえる。
先程「抽象的」「リアリティ」のない人間描写を、薄っぺらいと評したが、その薄っぺらい人間にも独特の色味を与えている。
ウォルトはこれを「気に入らない」と言ったが、実はこれは制作陣の意図的なものだったといえる。
あえて背景の人間を描きこまない、その人間に「独特の色付け」をする。
そのことで、今までにない画作りを目指した今作品。
ある種の冒頭の「抽象的」な画面づくりにこそ、こだわりがあったといえる。
個人的にはこの画作りが、この物語の「おとぎ話」感を強めていると思うので、このアプローチは正解だったと思っている。
これは繰り返しになるが、今作品。
物語も「オーロラ」を便宜上の主人公としているが、実際は3人の妖精やフィリップの奮闘の物語であるし。
彼女たちこそが、主人公という作りになっており、今までの作品とは異なる物語構成になっている
ある意味でここまで積み上げたものを刷新しようとした「意欲作」で有ることは間違いないだろう。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!
ここまでの「ディズニーらしさ」から脱却を目指す、意欲作!!
頑張る、フィリップ・妖精
寝てるだけのオーロラ、その構図こそが魅力!!
まとめ
今作品は、ここまでの「ディズニーらしさ」から敢えて脱却しようとした作品だ。
そういう意味では「何もしてない」オーロラ。
「頑張る」フィリップという構図、それ自体が魅力なのだ。
そして今作で最も頑張る3人の妖精。
この物語は、彼女たちの育児奮闘物語でもあり、そして子離れの物語なのだ。
だからこそ、実写「マレフィセント」での妖精の扱いには怒り心頭してしまう・・・。
そして「マレフィセント」というディズニー屈指の悪役を生み出したという意味でも、今後のディズニー史に意義のある作品だったと言える。
ある意味で本来の「悪魔的」魅力に溢れた彼女。
つまり「理由なく悪事を企てる」それこそが、人間が本質的に恐ろしいと思う、その点をキチンと突いている。
だからこそ、ここまで「名ヴィラン」になったのだ。
だから「マレフィセント」でそもそも、彼女のバックボーンを描く理由があったのか?
そこには甚だ疑問しか残らない。
個人的に「マレフィセント二部作」はあまり好きではないが、やはり「眠れる森の美女」を見て、その思いを強くしてしまった・・・。(好きな人ごめんなさい)
まとめ
- 「オーロラ」「フィリップ」の描き方が意欲的挑戦といえる。
- 美麗な画作りも魅力!
「おとぎ話」である感覚を強めている。 - 「マレフィセント」という存在が、その行動理由がよくわからない。
だからこそ「怖い」
ということで、今日も読了お疲れさまでした!
また次回の記事で、お会いしましょう!