
さて、今回は「ピクサー総チェック」をやっていきたいと思います。
と言うことで、「ピクサー作品」としては通算8作品目となる『レミーのおいしいレストラン』を深掘りしていきたと思います。
ポイント
- レストラン=ディズニー、ネズミ=ピクサーの図式
- ブラッド・バードの作家性がやはり漏れ出ている
- つきまとう欠点!
目次
『レミーのおいしいレストラン』について
基本データ
基本データ
- 公開 2007年
- 監督・脚本 ブラッド・バード
- 声の出演 パットン・オズワルト、他
あらすじ
フランスの片田舎で暮らすレミーは、料理の天才。
いつの日か一流レストランのシェフになることを夢見ている。
けれど、それは叶わぬ夢…そう、レミーはネズミだから。
そんなレミーが、ある事件をきっかけに、パリにある憧れのレストラン“グストー”にやって来る。そこで料理が苦手な見習いシェフ、リングイニと出会い、ふたりはあきらめかけた夢に向かって素敵な《奇跡》を巻き起こしていく!
ディズニー公式サイトより引用
ディズニー・ピクサーの関係と、作品の構図に注目!!

ディズニーを揶揄した設定
この『レミーのおいしいレストラン』と言う作品の企画が持ち上がったのは2000年の初めから持ち上がり、本格的に着手が始まったのは2003年だ。
実は当時の物語制作の裏話が『メイキング・オブ・ピクサー』に記載されているのだが、この作品は明確に当時(2003年)の「ディズニー」と「ピクサー」の冷え切った関係、つまり破綻後の作品として計画されていたのだ。
つまり、「ピクサー」が「ディズニー」との契約満了後に初めて世界に出す作品として用意されていたのだ。
さらに同書を読み進めると今作のシナリオ。
つまり、創業者の名声に寄り掛かり、過去のアイデアを使い回すだけのレストランは、ゆっくりと、しかし確実に廃れる。
これは、明確にアイズナー体制末期の「ディズニー」を揶揄しているのだ。
つまり、ここから邪推も入るが今作で描かれる「冷凍食品」の類。
これらは2000年代のアイズナー体制で粗製濫造された、過去のディズニークラシックたちに、意味もなく付け加えられた「続編」の数々を指しているのだ。

しかし、このような「雑」なものを粗製濫造したことにより、ディズニーのアニメに対する失望が「暗黒時代」を招いた原因だとも言える
では、今作における「レミー」たちとは何者なのか?
それは、まさに「ディズニー」と言う「腐敗したレストラン」にやってきた「ピクサー」そのものなのだ。
「ピクサー(今作におけるレミー)」の独創的な創造力は、腐敗していた「ディズニー=レストラン)を通じて観客の心に刺さっていった。(レミーの料理)
しかし、それをマイケル・アイズナー、つまり今作におけるスキナーは快く思わず、「ピクサー」つまり「ネズミ」を追い出そうと躍起になった。
つまり、物語の構図そのものが、「ディズニー」と「ピクサー」の関係性に言及するものになったのだ。
もし仮に今作が両社の契約が切れた状態で公開となっていたら、2001年の『シュレック』級と言うべきか。
外部からの「特大のディズニー批判」になりかねない爆弾映画だった可能性もあるのだ。
しかし幸運なことに、今作は「ピクサー」が「ディズニー」に買収されるという結果の後に公開された作品なので、強烈な「ディズニー批判」作品的なイメージを世間は持たなかったとも言えるのだ。
漏れ出るブラッド・バード監督の持ち味
さて、今作は元々は「ピンカヴァ」を監督にして製作されていたが、製作中に様々な困難が生じ、2005年に彼を解任。
当時のピクサーで顧問責任者としてこのプロジェクトを見守っていた「ブラッド・バード」に突然監督依頼がきたのだ。
残る製作期間は18ヶ月。
このわずかな期間で彼は映画ストーリーの再構成から完成までを余儀なくされたのだ。
しかし、バードは元々の計画にあったキャラクターなどを一部そのまま利用することにした。
それが「レミー」「リングイニ」「イーゴ(料理評論家)」だ。

さらにバードはとあるアレンジを加えた、それが「グストー」を故人にしたことだ。
バードは明確にグストーを「SWシリーズ」の中でもEP5・6におけるオビ=ワンの役目を与えることにした。
結果、元々のプロットに存在した「母」と、他の兄弟の存在を削り、レミーの精神面の支えをグストーにすることで、物語の整理をしたのだ。
さらにバードはレストランの中の紅一点である「コレット」彼女の活躍シーンも増やすというアレンジも加えた。
つまり元々あったアイデアを拡大させ魅力的に描いて、何とか18ヶ月という短期間で映画を作り上げたのだ。
これに関しては、やはり監督の技量を認めざるをえない。
さて、ここから映画の本質に触れていくが、今作でバードが重要視していた信条がある。
それが「どんなものであれ想像的才能が確かに存在する場合、それらは滅多にない大切なものとして扱わねばならない」と言うものだ。
つまり「才能あるものは、それを存分に活かすべき」と言うことだ。
これは当たり前だが、今作における「レミー」のことだ。
例え「ネズミ」であろうとも才能があれば、それを活かすべきということ。
これこそが、少なくとも今作で語りたいメインの信条だと言える。
実はバード作品のほとんど全てがこのメッセージを孕んでいる。
前々作にあたる『Mr.インクレディブル』の評論でも述べたが、「なりたい自分になればいい」という一見すると優しいメッセージにも見える彼の作品だが、そのほとんど全てに以下のような言葉が続くのだ。
「それができる才能があるならば」という・・・。

実は今作、このバードの作品に込めるテーマ性があるからこそ、大きな問題点も孕んでいるのだ。
バードの信条と相反する、「誰にでも料理はできる」というテーマ
前述したがバードは毎回の作品で「なりたい自分になればいい、ただし才能があるならば」ということを論じている。
こうした主張があるというのは、作家性としては認めるし、ある意味で独自性として受け入れられるのだが、今作に関しては間違いなくこれが裏目に出ていると僕は感じた。
それは、今作にもう一つ掲げられているテーマ。
「誰にでも料理はできる」ということとの食い合わせの悪さだ。
僕は本質的にこの映画のテーマ「誰にでも料理はできる」という部分は、リングイニが担うべきだと感じた。
結局リングイニは「料理」をしないし、出来るようにもならない。
成長がまるで見られないキャラクターなのだ。
それもそのはず、彼には「才能」がないからだ。
バードの信条としては、これが正しいのだが、映画のテーマとしては正しくないのだ。
つまり今作は食い合わせの悪い二つのテーマが相乗りしていて、同一視されている。
しかし、それらが確実に映画内で不協和音のようになっている点がどうしても気になるのだ。
例えば最後に評論家「イーゴ」に出す料理。
これをレミーとリングイニが一緒に料理を作るシーンだったり、せめてリングイニが「ラタトゥイユ」という家庭料理でいこうというアイデアを出すくらいはして欲しかった。
例えばリングイニの母の「ラタトゥイユ」のエピソードを挿入するとか。
「家庭料理」と「本格料理」は違うけど、どちらも魅力がある。
というようなことを描ければ、イーゴが昔を懐かしむシーンと関連性も描けたと思うのだが・・・。

つまり、何が言いたいかというと、このストーリーではリングイニは「やはり才能のない男」のままだし、彼に成長の余地が一才描かれ無いのだ。
もちろんこれは監督の思いとしては十分理解できる。
なぜなら「彼に才能はないからだ」
だが、この映画が冒頭に掲げた「料理は誰でもできる」というテーマ。
これは「才能なき者でもできる」ということに繋がるべきなのだ。
つまり、最後の料理「ラタトゥイユ」を出すことへの説得力が、これでは不十分なのだ。
僕はどうしても、この「才能なきもの」の扱いという点で、毎回バード作品に疑問を抱いてしまう。
「なりたい自分になればいい」
デビュー作『アイアンジャイアント』では優しく聞こえたメッセージも、彼の後年の作品を見続ければ、その後に続く言葉を意識せざるを得なくなる。
「才能がある人はね」という。
もちろんこれはバードの人生での挫折の経験からの学びなのだから、こうした主張が作品に反映されるのはかまわない。
ただし今作に関しては、どうしても「料理は誰でもできる」というメッセージと彼の主張が相反して、不協和音のように描かれているのが、非常に気になったのも事実だ。
そういう意味で映画としては及第点はあるものの、今作に乗り切れなかったと言わざるをえない。
今作を振り返って
ざっくり一言解説
映画としては面白いけど、少し不満が残るなー
今回はバードの主張が強すぎる気がした
まとめ
映画としては一定の水準を超えていて、おもしろい作品だとは言える。
特に僕は「レストラン」「ネズミ」の関係を「ディズニー」「ピクサー」に準える構図に面白さを感じた。

仮に「ディズニー」「ピクサー」が袂を分かっていたならば、これは強烈な「ディズニー批評映画」として後世に語り継がれただろう。
しかし、どうしてもブラッド・バード監督の主張と、作品の掲げた主張の食い合わせが悪く、違和感を感じたのも事実だ。
この食い合わせの悪さに個人的に強い違和感があり、どうしても乗り切れ無いという結果になってしまった。
ただし18ヶ月という短い製作期間でこのクオリティはやはり「ピクサー」と侮れ無いところはあるし、「ディズニー」の子会社化してからの「ピクサー」はここから怒涛の傑作を連発していく時期になっていく。
そういう意味でも「総チェック」が非常に楽しい時期に入っていくので、今後もぜひよろしくお願いします!!
まとめ
- 作品の構図が面白い!
- ただし監督の掲げる信条と、作品テーマの食い合わせが悪い!