映画評 評論

【映画記事】「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」  [前編] 始まりの物語 / [後編] 永遠の物語 を語る。

2021年5月1日

 

今日は先日、10周年記念の劇場版Blu-ray BOXが発売された、「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語 / [後編] 永遠の物語」について語りたいと思います。

 

しかも、しかも先日の記念イベントで続編も制作されるということで、ますます注目の作品ですので、この機会に、皆さん「まどマギ」初めませんか??

 

 

この作品のポイント

  • タイトルから想像されるイメージを覆す「物語」「世界観」にド肝!
  • 脚本家「虚淵玄うろぶちげん」のすべてが詰まった作品。
  • 「大局の正義」と「個人」という深すぎるテーマ。
  • 救済の幕引きは、まさに「キリスト」である。


編集長
どんな側面からも語ることの出来る、屈指の名作でしょ!

 

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語 / [後編] 永遠の物語」について

基本データ

基本データ

  • 公開 前編/後編 2012年
  • 総監督 新房昭之
  • 監督 宮本幸裕
  • 脚本 虚淵玄
  • 声の出演 悠木碧/斎藤千和 ほか

 

あらすじ

大事な家族や親友に囲まれて、平和で平穏な日々を送る中学2年生の「鹿目まどか」

ある日、まどかの通うクラスに1人の転校生がやって来る。
「暁美ほむら」と名乗る黒髪の少女は、初めて出会ったはずのまどかに、意味深な言葉を投げかけるのだった。

少しずつ変わり始めた日常。
不思議な生き物「キュウべえ」は、「どんな願い事も叶えてあげる。だから僕と契約して、魔法少女になってよ!」とまどかに誘いかける。

何の取り柄もない自分だけど、もし誰かの役に立てるなら・・・。

まどかの運命を変える出会い、そして最後に彼女が出した答えとは。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 10th Anniversary Compact Collection より引用

「魔法少女まどか☆マギカ」シリーズについて

劇場版「前後編」は基本的にTV版の再編集である

 

まずは、この「魔法少女まどか☆マギカ」というシリーズ全体について簡単に説明をしたい。

 

元々2011年に放映された『魔法少女まどか☆マギカ』(全12話)が、爆発的な大ヒットを記録し、それを「前後編」の劇場版として再編集し直したのが、今作品だ。

 

編集長
TV版「ガンダム」を劇場用に再編集した「劇場版ガンダム3部作」と同じ関係だとも言える

 

(こちらがTV版のBlu-ray BOX)

 

このTV版の完成度、先の読めない物語展開など、話数を重ねるごとに話題が話題を呼んだ「まどマギ」
控えめに言って「2010年代」を代表する大ヒット作品である、そう言ってもいいすぎではない。

 

編集長
個人的に言えば、「エヴァ」以上の衝撃を受けたと言っても過言ではない

 

当然、様々な面で影響を与えられた作品だし、今なおシリーズのファンである。
そんな方も多いのではないだろうか?

 

なので先日発売された「劇場版Blu-ray BOX」など、発売されたら買うし、新作の情報が出れば喜ぶ。
もうどうしようもないファンなわけですよ(苦笑)

 

(上記を買えば、劇場版三部作すべて見れます)

 

ちなみに今日は、劇場版三部作のうち「前編/後編」の「始まりの物語/永遠の物語」について語るが、劇場版としては三作目である「叛逆の物語」も制作されている。

そして、前述したように、さらにその続編「ワルプルギスの廻天」の制作も決定され、現段階では「四部作」となる予定になっている。

 

これが簡単ではあるが現状の「魔法少女まどか☆マギカ」シリーズの全てである。
厳密には、スピンオフの「マギアレコード」もあるが、ややこしいので、今回は言及しません。

 

 

 

 

 

ポイント

✅今日紹介する「前後編」は、TV版の再編集版だといえる。(厳密には・・・)

「魔法少女もの」の皮を被った、ハードな展開・・・

不穏な展開・世界観

 

この作品のタイトル「魔法少女まどか☆マギカ」というタイトルを聞くと、多くの方々が脳裏に「魔法少女もの」というジャンルを想像するだろう。

 

古くは「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」
最近だと「セーラームーン」「おジャ魔女どれみ」「プリキュア」などなど。
いわゆる「女の子」が「魔法」で変身して「トラブル解決」に奔走したり、「セーラームーン」「プリキュア」のように「悪」と戦う。

 

それこそ「女児むけヒーロー」ものとして今やジャンルとして確立された「魔法少女もの」という類型があるのだが、今作はこうした作品群とは一線を画する作りになっている。

 

とはいえ、例えば「蒼樹うめ」が担当したキャラクターデザインなどは、確かにこれまで作られてきた「魔法少女もの」のフォーマットにはしっかり基づいている。
そういう意味ではキャラクターという面からは「女児向け」と思われても仕方がない。

 

 

だが、そんな「可愛らしい」デザインのキャラクターが生きている、この作品内世界は非情に「ホラー」で「グロテスク」でそして、「無慈悲」「残酷」なのだ。

この奇妙なバランス感、アンバランスさが今作最大の面白さだと言っても過言ではない。

 

 

物語の冒頭でこの「アンバランス」さはいきなり牙をむく。

いわゆる「魔法少女もの」にありがちなマスコットキャラ。
その役目をになう「キュウべえ」を救う、主人公の「鹿目まどか」
そして彼女の前に転校生として現れるミステリアスな「暁美ほむら」

 

冒頭の物語展開は、こうしたジャンルにありがちなお約束的な展開をするのだが、それでも彼女たちのいる空間デザインや、敵である「魔女の結界」での「北欧アートアニメ調」の世界観。

それらを構築する「劇団イヌカレー」の世界観もまた、見事にエッジの効いたスパイスになっている。

 

 

 

それら、絶対に混ざりそうにない要素、が様々に混ざりあい、奇妙なバランスで成立している今作は、つかみから「何かが違う」
だからこそ、冒頭から我々の心を、ぐっと鷲掴みにしてしまうのが、今作最大の魅力だと言える。

 

 

そして、物語展開としては「魔法少女」になる可能性を見いだされた、まどかと、その親友「美樹さやか」は先輩魔法少女「巴マミ」のいわゆる「魔法少女」活動をともに目にして「魔法少女」というものがどういう存在か?

そのことを知り、あこがれを抱くようになるのだ。

 

 

この、巴マミという存在は、これまでに存在した「魔法少女もの」のフォーマットにのっとってデサインされたかのようなキャラクターで「可愛らしい変身シーン」
「リボンの魔法」「必殺技名を叫ぶ」など、いわゆるミスリードを誘う存在だとも言える。

 

さらに彼女は人々を襲う「魔女」を倒し、世界に平和をもたらすために戦っており、その姿もまさに「ヒロイック」な存在だともいえる。

それが序盤では「自分に取り柄はない」と嘆くまどかにとって憧れになるのだ。

 

 

ただ、それは序盤の40分だけだ。
TV版では第三話に値するのだが、ここでこの、「魔法少女ものらしい」流れは完全に崩れ去るのだ。
ちなみにこの「三話」放映時、ツイッターの「慌ただしさ」は、今や伝説となっている。

 

それが「巴マミ」のあまりにも呆気ない「死」だ。
首を食いちぎられて絶命するシーンは大きな衝撃を視聴者に与えた。

このシーンで、今作は完全にこれまでの「魔法少女もの」とは違うと、宣言したといっても過言ではない。

ここから一気にハードな世界観が我々に牙を向き、どんどん作品に引き込まれてしまうのだ。

 

 

ポイント

✅可愛らしいキャラクター、「魔法少女モノ」というジャンル、これらがある程度どういうものか、共有出来ているからこそ、今作の「異端さ」が際立つ。

✅巴マミの死は、既存の「魔法少女モノ」とは一味違うことを見せつける、まさに名シーン。

 

編集長
ちなみにTV版の「EDテーマ」を聴けば、この世界観の一端のイメージがしやすいかも

 

大局の正義と、個人を語る「前編」

 

そんな可愛らしいキャラクターが不穏な世界で繰り広げる物語について見ていきたい。

今作で描かれるのは「大局の正義と、個人」についてだ。

 

まず表向きの「魔法少女」というものの存在理由だ。
例えばこのことは「セーラームーン」や「プリキュア」など既存の「魔法少女モノ」にも実は内包されているものともいえる。

それが、世界の平和のために「悪」今作では「魔女」だが、それらと「そもそも戦うこと」にこそ大きな問題点が隠されいる。

 

 

 

世界の平和のために、この身一つでボロボロになりながらも「戦う」という行為。

それは、他の人間を守るためという大変に「ヒロイック」なのだが、そもそも、そのこういそのものが「魔法少女」たちの人生を狂わせているということだ。

 

 

「多くの人間を救う」
そのことは「大局」からみれば「正義」だ。
だけど、そのために実は傷ついている「彼女たち」つまり「個人」については語られない事が多い。

大抵の「魔法少女モノ」はこの問題点を実は表にしていないのだ。
そもそもこうしたジャンルが「女児向け」ということで、あえて不問にしているとも言える。

 

だが今作はそこを不問にしない。

先程のように「巴マミ」は呆気なく悲惨な死を遂げる。
これは「魔法少女モノ」では踏み越えなかった、でも「戦う」という行為そのものに元々ある「死」という面を不問にしなかった結果だともいえるのだ。

 

 

例えば「男児」向けの「仮面ライダー」では、戦いの中での「死」は比較的描かれてもいる。

「女児」向けの「セーラームーン」アニメ版(無印終盤)でも「死」は描かれていたりもした。
なので、今まで「男児・女児 向け」とはいえ、完全に「死」が不問にされていたわけではない。

 

 

そして、そこからさらに悲惨な展開が今作では続く。
ある意味で今作最も感情移入させられるに違いない「美樹さやか」の顛末だ。

 

そもそも今作の世界観で「魔法少女」は「キュウべえ」と契約する際に「一つの願い事を叶えてもらえる」
その代わりに、「魔女」と戦う運命を背負わされるのだ。

 

 

美樹さやかは、マミの死を目の当たりにしながらも、結局「叶えたい願い」の為に「魔法少女」になる。

 

 

それは彼女が恋心を抱く幼馴染の「上条恭介」の腕(彼は事故でバイオリニストとして再起不能のケガをする)を治すために「契約」をするのだ。

そして死んだマミの思いを継いで街を守るために「魔女」と戦う日々を受け入れることになる。
そんな中、私利私欲のために「魔女」を狩る「佐倉杏子」と対立を深めていく。

 

 

だが、今作で明かされる「魔法少女」のもう一つの事実を彼女は知ってしまう。
契約した者はすべて「肉体」は「死んでしまう」
それを「魔力」で維持しているだけ、つまり「ゾンビ化」しているという事実が判明する。

そのことでさやかは絶望し、自分はもう「恭介」を愛する資格がないと涙するのだ。

 

 

ここで取り上げなければならないのは、そもそも「魔法少女」として「戦う」
その事自体が、「個人」としての人生を、犠牲にしているというのは前述したとおりだが、今作ではさらに「肉体」という面でも犠牲になっている点だ。

そのことで、美樹さやかの「精神」は壊れていく。

 

そして恭介がさやか、まどかの友人である「志筑仁美しづきひとみ」と付き合うことになり、いよいよ彼女は「仁美」を助けたことに後悔をいだく。
つまり、さやかに残るはずの唯一「芯」である「正義」というものも失うのだ。

そして、ホステスの心無い言葉を耳にした、さやかはついに「自分の人生」を投げ捨てた、そのことで「守ろうとした世界」 に、そんな価値はないと絶望してしまう。

 

そして、彼女はついに一線を踏み越えてしまうのだ。

 

 

 

ここで前編は終わる。
「世界を守る」つまり「希望」の存在であるはずの「魔法少女」

 

だが、彼女たちが「絶望」することで、今度は「世界を破壊する」「絶望」の象徴「魔女」になるという事実が告げられるのだ・・・。

 

 

ここまで「前編」では、「大局」のために身を犠牲にする、「戦い」という行為。
そこには「死」が待っているということを「巴マミ」という存在を使って我々に見せつける。
それを、既存の「魔法少女モノ」では、不問にしていたことに気付かされる。

 

次に「美樹さやか」を描くことで、元々「他者のため」だったり「正義」の志を持っていたはずの彼女。
そのために「すべてを失った」にも関わらず彼女はどんどん不幸に見舞われていく。
そして「真実」を知り絶望する。

 

そこから、そもそも「この世界」は「守る」に値するものなのか?
「大局のため」と信じて「個人」としての自分を犠牲にしたのに、世界にそんな「価値」はない。
さやかは、元々信じていた「思い」を自ら否定することになる。

 

 

この両者はどちらも「大局」のために「身を捧げた」
だが、それは報われることなく、結局「個人」として「犠牲」になった。

それもこの「前編」では特に強調して描くのが特徴だといえる。

そしてもう一つのポイントは「鹿目まどか」は、これらの出来事に対して、ただ傍観するのみだということだ。

 

 

ポイント

✅ひたすら「大局」のために戦う「魔法少女」を追い詰める展開。

✅主人公の「鹿目まどか」は、これらを傍観しているのみ。

搾取される「構造」と、抗う「まどか」を描く「後編」

 

さて「前編 始まりの物語」では、巴マミ、美樹さやかの顛末を描いたきた。
そして「魔法少女」の正体が実は「魔女」だということが明らかになるが、この「後編」から、この「構造」はさらに飛躍する。

 

 

それが、さらに大きな「大局」が存在するということだ。
「前編」の時点では「人類」のみの視点で語られてきたが、この「魔法少女」は最終的に「魔女」になる、この「構図」
まさに「キュウべえ」はこれを狙って「魔法少女」を増やしていたことが明らかにされる。

 

 

「キュウべえ=インキュベーター」はこの「魔法少女」が「魔女」になる際に発生するエネルギーを回収して、「宇宙」全体の寿命を伸ばそうとしていた。

そのために「魔法少女」を生み出し、「魔女」に変化させ、さらにその「魔女」を倒すために「魔法少女」を集めていた。

 


無限に続くこの「因果」は、インキュベーターが「宇宙」の存続のために行っていたことだったのだ。

つまり「不幸」を生み出す「キュウべえ=インキュベーター」もまた、「大局=宇宙」のために行動していたのだ。

 

しかも彼は「リアリスト」でもある。
つまり「宇宙」という「地球」をも飲み込む大きな「世界」
その存続のために「1人の少女」の犠牲など、どうでもいいのだ。

 

むしろ「1人の命で、宇宙を存続させる」
そのことに「なぜ感謝しないのか?」と、まどかに問いかけるのだ。

 

 

ちなみに作中世界では、この「構図」を成り立たせるために「インキュベーター」は「猿人」を「人類」に進化させたと語る。

ここから一気に「SF」な展開になっていくのも今作の特徴だ。

 

 

だけど、まどかにとって「マミ」「さやか」そして「さやか」を助けようと犠牲になった「佐倉杏子」
彼女たちの「死」は到底受け入れられるものでもない。

 

 

だけど、「宇宙」の存続のために、その犠牲は「やむなし」だという事実を突きつけられるのだ。

 

 

ここから「後編」は、この「どうしようもない構図」に「まどか」が立ち向かう様子が描かれていく。

そして、「前編」からミステリアスで「すべてを予見」してるかのような「暁美ほむら」
彼女の行動の謎が「後編」では明らかになる。

 

それらが「全て明らかになり」
「鹿目まどか」はどうするのか?
これが今作最大の肝だといえる。

 

 

ポイント

✅「魔法少女」が「魔女化」するサイクルが、「宇宙」を存続させるために不可欠だという事実。

✅それは「必要」な「犠牲」だという事実。

「それでも」と足掻くこと

 

今作では、「魔法少女まどか☆マギカ」というタイトルでありながら主人公の「鹿目まどか」は最後まで「変身」をしない。
この最後に至るまで、彼女は「傍観者」なのだ。

 

そんな「傍観者」である「まどか」は「最強の魔法少女」になれる逸材で、それは「最強の魔女」になれる存在だ。
つまり「インキュベーター」にしてみれば「宇宙」のために何としても「犠牲」にしたい存在でありエネルギーなのだ。

 

 

そんな運命から「まどか」を救うために何度も時間をやり直していた「暁美ほむら」
「ほむら」「まどか」は、元々の時間軸では親友で、特に「ほむら」にとって「まどか」はかけがえのない親友だったのだ。

だからこそ何度も「まどか」を救う未来を手にするために、何度も「時間を操作」し続けていた。

それが明らかになり「コネクト」が流れる演出は、今作最大のハイライトだと言える。

 

 

 

そして訪れる、運命の日。
「ワルプルギスの夜」という最強の「魔女」が街に襲いかかる。

倒すには「まどか」が「魔法少女」になるしかない・・・。

 

 

ここで「街のため」という「大局」
そして「宇宙のため」という「大局」

そのために「まどか」はこの最終局面で、ついに「魔法少女」になることを決める。

 

 

ここまで「まどか」は、「自己肯定感」が低い「私なんか」と口にすることが多い少女だった。
それが「巴マミ」を見て、「人のために戦う」ことに「憧れ」を抱いた。
これこそが、世界のために「唯一役立てる」ことだと考えたのだ。

しかしマミの死で、一度はその「憧れ」を捨てた。

 

その後「キュウべえ」の策略で「美樹さやか」が「魔女」になり、そのために「佐倉杏子」も死んだ。
そして「暁美ほむら」が自分を「キュウべえ」から守ってくれていたことも知った。

 

これまで彼女に関わった「魔法少女」を見て、まどかはついに決意をするのだ。

「魔法少女になる」と。

 

 

 

だが、それは決して「大局のため」だけではない、決意だった。

まどかは「これまでの、そしてこれからの、全ての魔法少女の救済」を願い、「魔法少女」になるのだ。

 

 

 

この作品の最大のポイントは、決して「魔法少女」というシステムを「無くす」ことを「よし」としない点だ。

 

ここまで、悲惨な「事実」が語られてきた。
とはいえこの構図がなければ「宇宙は維持できない」
つまり「どうしたって、必要なもの」であるという側面から、今作は逃げないのだ。

 

そして、「魔法少女になる」という「希望の願い」
それ自体は、決して「悪」ではないと、まどかは叫ぶのだ。

 

あくまで「魔女」になり「絶望」することを「無くす」
それを「まどか」は願うのだ。

 

 

そのために「魔女少女」が「魔女」になる前に「救済」をする、そんな「システム・原理」に「まどか」はなる道を選ぶのだ。

 

 

それは「世界の再構築」とも言える。
つまり「まどか」は人ではなくなり、誰からも認知できない、だけど「確かに存在する」
いわば「神」とも呼ぶべき存在になるのだ。

 

 

これは非情に「神話的」ともいえる。
つまり「願い」というある種の「原罪」を抱えた「魔法少女」という存在。

彼女たちが「死」の間際「絶望」し、「魔女」になる前に「まどか」はそれを「救済」をする。

いわば、「魔法少女すべての原罪」を背負い、自分は「宇宙の原理」の一部になる、そんな「神」の道を「まどか」は選んだのだ。

 

「自分なんか」と「ダメな自分」という引け目を抱いていた「まどか」は、その「勇気」で誰も成し遂げられなかった「構造」そのものの「書き換え」を行ったのだ。

 

SWの「EP6 ジェダイの帰還」のルークのように、「ダメなやつ」が「勇気」で、誰も成し遂げられないことを成し遂げる構図に似ているとも言える。

 

 

そして自分の為に、ずっと戦い続けていた「暁美ほむら」にまた会おうと告げ、ついに「円環の理えんかんのことわり」という、存在に昇華していくのだ。

 

 

この「魔法少女まどか☆マギカ」という作品は、最終的に「まどか」という存在が、「神」にも近しい存在になり、そして「悲劇の連鎖」を断ち切るまでの話だったのだ。

 

だが、これは「まどか」の親友である「ほむら」にとっては「悲劇」でしかない。
「ほむら」は、その生命尽きるまで「まどか」と会えないのだ。

そして、とは言え「魔法少女」というシステムそれ自体は「宇宙存続」のために「必要悪」として残り続けている。

 

世界には「魔女」の代わりに「魔獣」という存在が現れ、それを「狩る」ことで「宇宙存続」のためのエネルギーを回収しなければならないのだ。

 

最後は「ほむら」が「まどか」が救った世界の為に「まだ、戦い続ける」
その事を示唆して、今作は一応の「幕をおろす」ことになる。

 

だが、その後公開された「叛逆の物語」
これが違う意味での「衝撃作」だったのは、見た方皆さんが思うことだ。
それは、またいずれ語りたい・・・。

 

 

ポイント

✅「悲劇」を生む「魔法少女」というシステム、そのものは、「必要悪」として残る。

✅だが、「魔法少女」が「死」の間際、絶望せぬように、「原罪」を背負った「まどか」は「神」とも呼べる存在に昇華する。

✅「宗教的」なオチとも言える作品である。

 

虚淵玄の作家性

信じたものが「崩れ去る」様子を描き続ける作家

 

今作の脚本家「虚淵玄うろぶちげん」は、非情に「作家性」が強い。

かれの「フィルモグラフィ」を見ていると、多くの作品で「信じたものが崩れ去る」という事を何度も描いている。

 

 

 

「PSYCHO-PASS」

 

例えば「PSYCHO-PASS」でも、世界の「正義」と信じられていた「シビュラシステム」が、実際は「犯罪者の脳」から構築されたものである。

 

そして、それを「正義」と認めていいのか?


という、問いかけを「常守朱つねもりあかね」は投げかけられる。

それに対して、現状は「必要悪」だと認めつつも、いずれ「シビュラシステム」から脱却を宣言するシーンが語られる。

ちなみに、「PSYCHO-PASS」はシリーズは続いているので、これが今後どうなるのか?
それはまだわからない・・・。

 

 

 

 

「仮面ライダー鎧武」

 

そして「魔法少女まどか☆マギカ」の後に手掛けた「仮面ライダー鎧武」でも、また「正義」と信じたものが「崩れる」ことを描いている。

 

 

「ユグドラシル」の行為そのものを、主人公の「葛葉紘汰かずらばこうた」は「間違っている」と否定していた。

だが、実は彼らの行いこそ「大局の正義」を見据えての行動だったことが明らかになり、自分は「間違っていたのか?」と考えるにいたる。

だが、それでも「ユグドラシル」の行いは許せないとして、彼らとは「別の道」で「人類」を救済しようと足掻く姿が「仮面ライダー鎧武」では描かれるのだ。

 

 

ちなみにこの「鎧武」は葛葉紘汰の「選択」は「まどか」の最後の「選択」と被る点も多い。
実際彼も「神の如き」存在となる「道」を選ぶのだ。

似ているといえば、「仮面ライダー」になることで「人ならざる力」を持ってしまうというのは、実は「魔法少女」の設定とも大きく重なる部分ともいえる。

 

そういう意味では「仮面ライダー鎧武」は「魔法少女まどか☆マギカ」の語り直しという作品だともいえる。

 

深堀りポイント

そもそも「魔法少女まどか☆マギカ」制作にあたって「虚淵玄」は、「仮面ライダー龍騎」を参考にしているのは有名な話。

そういう意味では、「龍騎」らしいことを「まどか☆マギカ」でやり尽くし、その彼が「仮面ライダー」携わるというのは、よく出来た話だと言える。

ちなみに僕は「平成二期」だと「仮面ライダー鎧武」がイチオシです!!

 

 

 

さて、このように手掛けた多くの作品で「虚淵玄」は、主人公の信じていた「正義」そのものが、実は「間違っていた」ことを描いてきた。

それは何故だろうか?
それを紐解くのには、彼の人生を見なければならない。

 

 

虚淵玄の父親は「共産主義」を信じており、それを「正義」と信じていたことは、虚淵玄本人の口や、インタビューでも度々語られている。
(昨年コロナウィルスで亡くなった俳優の「和田周」が、虚淵さんの父親である)

 

しかし、実際に理想的な「共産主義」の国だと思われていた「北朝鮮」「ソ連」では飢餓や、虐殺が起きていた。
これらは、とても「理想」と呼べる「国」ではなく、「共産主義」とは「夢物語」だと虚淵氏の父は悟ったそうだ。

 

そのことで「正義」と信じたものが、「間違い」だと気づいた父の姿が、虚淵氏は忘れられなかったそうだ。

 

 

だからこそ、彼は自身の作品で、「信じていた正義」が「間違い」だと知り、絶望する展開を繰り返すのだ。

それは、彼の人生での経験が強く反映されてると言っても過言ではない。

すなわち、これが彼の「作家性」だともいえるのだ。

 

 

ポイント

✅虚淵玄が手掛ける作品の多くで、「信じた正義」が間違いだと絶望する展開があるのは、彼の「人生の経験」からきている。

✅つまり「作家性」が強いといえる。

それでも「足掻く」

 

しかし同時に、「虚淵作品」では、絶望から主人公たちが「這い上がる」のも魅力の一つだ。

たしかに「間違えた」かもしれない。
でも、それでも足掻き、模索する。
そのことで「新しい道」を見つける。

 

「まどか☆マギカ」もそうだ。
まどか自ら「宇宙のことわり」の一つとなることで、悲しい連鎖を終われせる道を選び取ったのだ。

先程紹介した「鎧武」もそうだ。
「ヘルヘイム」の侵略から地球を守るために、「神に等しい力」を手に入れた葛葉紘汰。
彼は、「ヘルヘイム」という植物のことも考えて、別の「星」に移り住むことで、危機を終わらせたのだ。

 

 

このように、虚淵作品では主人公が「正義」を見失い「足掻く」
その先に、なんとか「新しい道」を見つける事が多いのだ。

これこそ、彼の本当に描きたいことなのかも知れない。

 

 

 

例え「信じたもの」が「間違っていても」
それでも「足掻く」こと、それが大切なのだ。

 

虚淵作品最大のメッセージはここにあるのではないだろうか?

いくつも彼の作品を追いかけてきて、そう最近考えるようになってしまった。

 

 

ポイント

✅大切なのは「裏切られても」「足掻く」こと!

 

今作を振り返って

ざっくり一言解説!!

この一言につきる! めちゃくちゃ面白いし、見たほうがいいよ!!

2010年代最大の作品と言っても過言じゃないね!

まとめ

 

ということで、壮大な「まどか☆マギカ」の一部を紹介してきたが、まだまだ語り尽くせぬ魅力に満ちたこの作品。

中でも「異端さ」「ジャンルの流れに乗らない」点を指摘はしてきたが、それはあくまで取っ掛かりに過ぎない。

 

今回はサラリと流したが「暁美ほむら」の辿った足跡など、観ていて「泣ける」場面も多く、そもそも「物語」も面白いので、ぜひ見てほしい作品だ。

 

 

そして、考える限り「最良」とは言えないかも知れないが、たどり着いた幕引きの展開。
しかし、それが「あまりにもキレイ」だからこそ、この後に制作された「叛逆の物語」の、これまた「唖然」とさせられる展開。

それについても語りたいとこだが、それはまた「別の機会」に・・・。

 

とにかく「魔法少女まどか☆マギカ」は、我々が安易に考える「魔法少女モノ」とは一味違う、「大人」こそ楽しめる(てか、大人向けです)、骨太の「名作」ですので、絶対に必見の作品です!

これみないと、ホントダメよ!!

 

 

まとめ

  • 「大局のため」に「個人」が犠牲にならざるを得ない、残酷な世界観。
  • 「魔法少女」は「絶望」しながらも「足掻く」ことの意味。
    それこそ、「虚淵玄」の伝えたいことかも知れない。

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2023/8/19

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  今回は「ピクサー」の27作品目となる長編アニメーション映画最新作『マイ・エレメント』 こちらの作品を鑑賞してきたので、感想を語っていきたいと思います。   目次 『マイ・エレメント』について基本データ あらすじ韓国系アメリカ人監督の語る「私小説」どストレートな恋愛映画腑に落ちないラスト 『マイ・エレメント』について   基本データ 基本データ 公開 2023年 🇯🇵8月4日 監督 ピーター・ソーン 脚本 ジョン・ホバーグ/キャット・リッケル/ブレンダ・シュエ 製作総指揮 ピート・ドクター 出演者 リー ...

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映画評 評論

2023/8/15

やはり『バービー』は名作だった!

今回も新作映画を鑑賞してきたので、感想・評論をしていきたいと思います。 今回は、世界中で愛され続けるアメリカのファッションドール「バービー」を、マーゴット・ロビー&ライアン・ゴズリングの共演で実写映画化した作品。日本では8月11日より公開された『バービー』 こちらの感想を述べていきたいと思います。   目次 『バービー』について基本データあらすじ冒頭から爆笑の展開ケンという存在何者にならなくてもいい、そのままでいい完璧ではない、でも「それでもいい」 『バービー』について 基本データ 基本データ ...

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映画評 評論

2023/8/9

『キングダム 運命の炎』はやはりすごい!

今回は、漫画家・原泰久による、累計発行部数9,500万部を超える同名タイトルの人気漫画を実力派キャストで実写化した「キングダム」シリーズ。 その、シリーズ第3弾となる最新作『キングダム 運命の炎』 こちらを鑑賞してきたので、感想を語っていきたいと思います。 目次 『キングダム 運命の炎』について作品についてあらすじ何度もいうが、ここまで出来ているのは「凄い!」静かな前半このシリーズ最大の功労者「大沢たかお」まとめ 『キングダム 運命の炎』について 作品について 基本データ 公開 2023年 監督 佐藤信介 ...

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