
さて、今回は2020年再注目作品「ポケットモンスター ココ」について評論していきたいと思います。
ちなみに、今作の監督矢嶋哲生さんが手掛けた「ポケットモンスター みんなの物語」は2018年の僕の「シネマランキング1位」の作品です!!

今作のポイント
- やはり「矢嶋哲生」は信頼できる男!!
- 「ポケモン」として、「人間」として生きる「ココ」が背負うもの。
- シリーズ初めて描かれる「2つ」の要素。
音声評論配信中!!
目次
「ポケットモンスター ココ」について
基本データ
基本データ
- 公開 2020年
- 監督 矢嶋哲生
- 脚本 冨岡淳広、矢嶋哲生
- 原案 田尻智
- 出演者 松本梨香 大谷育江 上白石萌歌
山寺宏一 中川翔子 中村勘九郎 ほか
あらすじ
ポケモンと人間、
ちょっと変わった親子の物語。
人里から遠く離れたジャングルの奥地。厳しい掟で守られたポケモンたちの楽園、オコヤの森があった。
そこで仲間たちと暮らしていた頑固者のザルードは、ある日、川辺で人間の赤ん坊を見つける。
「ニンゲン、これが…」
見捨てられないザルードは、森の掟に反して、赤ん坊をココと名付け、群れを離れてふたりで暮らすことを決意する。
ポケモンが人間を育てる生活が始まって10年。
ココは、オコヤの森にやってきたサトシとピカチュウに出会う。
初めてできた「ニンゲンの友達」。
自分のことをポケモンだと信じて疑わなかったココの胸の中に、少しずつ疑問が芽生え始める。
「父ちゃん、オレはニンゲンなの?」
自分はポケモンなのか?それとも人間なのか?悩むココだったが、ある日、招かれざる人間の足音が森に近づいてきて、平穏な日々が一変する——。
ネタバレも含みますのでご注意を!!
前作の衝撃、果たしてそれを超えられるのか??

前作は個人的にシリーズ最高傑作、高すぎるハードル・・・。
今作品で23作目となった「ポケモン映画」
その中でも僕は、21作品目の「みんなの物語」こそシリーズナンバーワン作品だと、様々なところで言って回っていましたが・・・。
その内容・理由について語るのは、当ブログでも評論しているし、音声配信もしているので敢えて繰り返しませんが・・・。
「みんなの物語」はとにかく「これまでのシリーズのマンネリ化」の打破。
そしてサトシを主人公に添えず、あくまで「みんな」を物語の主軸に置くという大胆な構成。
それらが功を奏し、個人的には「シリーズナンバーワン」の出来であると断言できる「傑作」だと評したんですが・・・。
そんな「みんなの物語」を手掛けた「矢嶋哲生」が再び手掛ける「ポケモン映画」
当然期待はしていましたが、しかしとはいえ、前作級の「素晴らしい作品」がまた観れるとは思ってもいなかった、というのが、本音で。

その結果どうだったのか?
という点から述べていきたいと思うのですが、「いやー参りました!」
矢嶋哲生監督、アナタ本物だよ!(偉そう)
今回で驚かされたのは、またもシリーズになかった要素を大胆に物語に落とし込み、「みんなの物語」とはまた違う「ポケモン」と「人間」が住む世界。
そこで語れれるべきテーマを十二分に描ききっていた!
個人的には、ここまで描かれてきた「人間とポケモン」の関係。
つまり「人間」が主語である「関係」からまた一歩踏み込んだ視点で描かれていた。
そこに関心しきりというか・・・。
ほんと!
今回も外さない作品、またも「シリーズ最高更新」と言っても過言ではない、とんでもないものを見せてもらえて。
正直「大満足!」でした。
主軸となるのは「ポケモン」と「人間」
さて、今作品は随所で指摘されているが、シリーズで初めてタイトルに「ポケモン名ではなく人間名」が表記されることになるのが、大きな特徴だ。
ただし、その指摘は今作を見れば当てはまらないのは、おわかりいただけると思うが・・・。(詳しくは後述)
そのタイトルにもなっている「ココ」だが、今作品最大のサプライズは、彼の存在そのものだ。
「ポケモン」である「ザルード」に育てられ、自分を「ポケモンである=ザルードである」と思い込む少年「ココ」
この設定はまさに「ターザン」だとも言える。
というより、ほぼ「ターザン」を原作にしていると言っても過言ではないだろう。

と表記があるので、まずそれは間違い無いだろう!
その格好も野性味たっぷりで上半身裸。
人間の言葉をカタコトでしか話すことが出来ない。
今作はそんな彼が、自身の出生の秘密、そして「どう生きるのか?」
それはつまり「ポケモン」として生きるのか?
「人間として生きるのか?」
その答えを探す物語だ。
つまり「みんなの物語」同様、サトシは今回も、脇に徹していると言える。
なぜサトシは脇役なのか?
これは前回の評論でも指摘したが、要は「初代ポケモン」のリメイク作品である「キミにきめた」という劇場作品。
そこでサトシの旅のゴールの1つ「ホウオウ」と出会うという、一応の目的がすでに達成されるまでを描いたからだ。
つまり「キミにきめた」の時点で、ある種このシリーズは「最終回」を迎えているとも言える。
だからこそ、彼はゲーム的に言うと「殿堂入り後」とも言える状態なのだ。
すなわちそれは「サトシ」をもう主人公として、少なくとも映画世界では描く必要が無くなったとも言える。
そしてその役割は「TVシリーズ」に任せているとも言える。
この「ココ」という存在だが、これはシリーズでも異例だ。
ここまで、僕が評価している「みんなの物語」も含めてだが、究極的には「”人間”とポケモン」の関係をこのシリーズでは追求し続けていた。
ここで重要なのは「異なる種族の絆」を描いてきたシリーズだが、どうしてもその主となる視点、つまり主語は「人間」だったのだ。
つまり、「人間視点」でこれまでその関係性が描かれ続けてきていた。
「みんなの物語」でもそうだ。
とはいえ、やはりその主語となるのは「人間」だった。
「人間はポケモンとなら、どんなことでもやり遂げることができる」
サトシが「みんなの物語」で度々繰り返すこのセリフも、どうしたって「人間」が主なのだ。
ただ、少なくとも「みんなの物語」ではラルゴがゼラオラに「ポケモンもそうだといいね」と尋ねるシーンがあり、そのセリフを受けたゼラオラの行動で、ある種の「押し付けがましさ」を消すことに成功しているのだが・・・。
恐らくこの「人間が主」として描かれる「異種族の絆」というのに、どこか押し付けがましさを感じたのか?
そこから着想したのが今作ではないかと個人的には考える。
だからこそ「ポケモン」だとも言える存在「ココ」を主人公にして、彼が人間とどう関わるのか?
そこを描くことで「ポケモン」目線で「人間」との関係性を追求しようとしたのだ。
そう考えると「タイトルがポケモン名ではない」と先程言ったが、それはある意味で正解であり、不正解だ。
「ココ」というのは、今作を見ればおわかりだろうが、「ポケモン」だと言える存在なのだ。
そういう意味で今回徹底されているのは、ココの使う言語だ。
彼は流暢に「父ちゃん」であるザルードと言葉を交わしているが、いざ中盤でサトシと出会うと、実はココの言葉は「ポケモン語」であるということが判明する。
その中盤まで描かれるのはココの日常であり、そしてザルードというポケモンが生きていく上での掟。
つまり「ポケモン」の住む世界での、彼らなりの生活様式が描かれるのだ。
しかも、今作品は「ザルード」というポケモンの群れ、その個体にそれぞれ個性があるということだ。
そして冒頭で彼らが歌う「掟の歌」があるのだが、それらも本来人間には「理解できない、ポケモン語」だ。
でも彼らの中では、当然その歌に意味があるという風に描かれる。
それは「ポケモンの持つ、独自文化」を描いているといえるのだ。
少し話がずれるが、今作品、サトシの登場が冒頭で描かれてから、ココと出会うまで、かなりの時間を要する。
本来シリーズの主人公であるサトシを、物語に本格的に絡ませるまで時間をかけるということは、やはり彼は「主役」ではないということだ。
しかも今回徹底されているのは、そこから安易にココが「人間の言葉」を理解できるようにはならない。
あくまでサトシとココのコミュニケーションに若干の齟齬があるし、最初はピカチュウが通訳的な役割を果たしていた。
そういう安易な言葉を介した交流をしない、これも思い切った作劇だと言える。
つまり、これはやはりココが「ポケモン」であることだ。

というように、今回は「ココ」という「ポケモンであり人間」という存在を使って、「ポケモン」を主語にして「人間との関係」を描いている。
それは、これまでのシリーズでは取り入れなかった手法だといえるのだ!
これまでのシリーズにはない、踏み込んだ描写
そして今作品は、これまでのシリーズでは描かれなかった点に踏み込んでいるのも特徴だ。
それが「明確な殺人描写」と「サトシの父」の存在への言及だ。
今作ではシリーズでも久しぶりに明確な「悪人」が登場する。
まぁ、もったいぶる必要もないのでいいますが「ゼット博士」なんですけど。
今作品、彼が過去に行う、「明確な殺人描写」
ココの両親を事故に見せかけて殺害するという、シリーズでは今まで描かれなかった描写がされる。

両親は完全に「死んでいる」それもおどろきでしたね
更に彼は明確にザルードの群れに殺意を持つし。
つまり「ココのもうひとりの親」を殺そうとする。
ここまで明確に「殺しもいとわない」という意思を持つキャラクターを出してきたのは、正直驚いた。
もちろん彼には、彼なりの「正義」はある。
でもその「正義」があまりにも「自己中心的」である、割りと同情の余地がないキャラになっているのも驚かされた。
深堀りポイント
そして今作品でゼット逮捕に貢献するのが「ロケット団」というのも素晴らしいポイントですよ!
確かにムサシ、コジロウ、ニャース、ソーナンスの4人は、「悪の組織」に属しているが、根からの「悪」ではない。
むしろ、誰よりも優しい心を持っているし、ある意味で身を寄せ合うことでしか生きていけない、悲しい側面を持っている。
そんな彼らがゼットの明確な「殺人の証拠」を掴んだとき、恐らく「許せない」と思ったに違いない。
だからこそ、それを匿名で情報リークした。
ある意味で今作品で「勝利」出来たのは、ロケット団の力添えなくしてはなし得なかった。
そういう意味で「ロケット団」に久しぶりに活躍の場をきちんと与えているのも、ファンなら嬉しいポイントだ!
更に、今シリーズで初めて語られる要素に「サトシの父」への言及があるのも驚かされた。
それは今回の作品のテーマが「父と子」であるから当然だ。
だが、ここまでサトシは基本「ママ」の話をするキャラクターだったので、それを主眼においた「結晶塔のエンテイ」なでもありましたが、今作品ではココと「父親の話」をして友達になる。
そこが非常に新鮮というか、当たり前だが、サトシにも父がいる。
そういう当たり前のことを再認識させることで、彼がなぜココと友達になれるのかもキチンと理由付けされているのも、気が効いている。

「どうすれば、父親になれますか?」へのアンサー

矢嶋監督は「作家性」の強い監督
今作品での最大の特徴は前述したが「ココ」という存在だ。
ポケモンに育てられ、自分をポケモンだと思う少年。
そんな彼を育てる「父ちゃんザルード」の悩む姿も、今作品に深みを与える。
今作品は「親子」のあり方を問う作品だ、その中でもフューチャーされるのは「父子」だと言える。
彼自身には「父」の記憶がない。
そして息子として育てたココも「実子」でもなければ、「人間」であり、種族が違う。
そこに対して、自分は「父親足り得るのか?」と疑問を抱く「父ちゃんザルード」
これは僕が前日評した「泣く子はいねぇが」の評論でも述べましたが、ある意味で同テーマを扱っていると言える。
「どうすれば父親になれますか?」
「自分は父親になれましたか?」
今作品は、その問いに答える物語なのだ。
今作品は「矢嶋哲生」自身の人生経験である、「子育て」から着想された作品だ。

もともと彼は「死んでも、アニメづくりをしたい」と思っていたが、子どもが出来たことで、「子どものために生きる」
「自分が死んでも、子どもを守りたい」と心情が変化したと述べている。
これは冒頭の「ココ」を拾った「父ちゃんザルード」そのものだ。
「掟」に従い生きてきた彼が、「ココ」を育てるために、自分の人生で最も大切にした「群れ」を捨てる。
ココのために「命を賭ける」決断をするのだ。
「父になる」ということは「命を賭ける覚悟」をする。
そして、「自分の生き方を変える」
こうした心情の変化であると今作では描かれている。
つまり物語の冒頭で「ココ」のために群れを抜ける、それはすなわち「生き方を変える」という決断をした、その時点で彼は「父親」なのだ。
そして「子のために命を賭ける」
怪我をした「ワシボン」と「ウォーグル」の格上にも挑む姿など、随所に「親」とはどういうものなのか? を描くことで、このテーマを作品全体でキチンと描いている。

そういう点から、前作から引き続き「個人的な心情」を物語の着想のキッカケにして、それを物語全体で語る。
当たり前、そうすることで映画として一貫性のあるテーマが作品全体を貫くし、キチンと明確なテーマが観客に伝わる。
当然、完成度が素晴らしいものになるのも、納得させられてしまうのだ!
離れていても「父ちゃんだ」
今作品はサトシは脇役だと前述したが、最後に彼の心情の微妙な変化も、「親子」というテーマに彩りを与える。
冒頭では「ママからの電話を煩わしい」と感じるサトシだが、このエピソードを体験して、今度は「サトシからママに電話をする」
そのことで、この「みんなの物語」「ココ」とある意味で成長の余地がない、成長しきった存在になってしまった彼を、また等身大の10歳に戻す意味合いとしてもいい手だ。
そして物語の締めくくりにその描写があるのは、離れていても「親子」である、それは変わらないということを表すという意味で重要なのだ。
それはラストで群れを離れて、「ポケモンであり人間」という特殊な境遇の自分だからこそ、世界の中で「役に立つことができる」
そう考えて旅立つ決意をしたココと父ちゃんザルードの関係の写し鏡とも言える。
どんなに決意を持っても「寂しくなったり」「つらい思い」をするだろう。
でも、どれだけ離れても「ザルード」と「ココ」は親子だし、どこにいてもずっとそれは変わらない。
それを旅に出てもう長い、サトシとママの関係で最後に補足することで、「どこにいても親子」という「絆」を描く、そのことで「ココとザルード」の関係を透けて描くというのは、やはり必要な描写なのだ。
このあたりも非常に気が利いている描写であり、それがサトシを等身大の10歳にもどしているのだから、「うまい!」
と膝を打ちましたね。
「ココ」と関わることで変化するもの
今作品でも、なぜ最後に危機を脱することが出来たのか?
ゼットに勝利することが出来たのか?
そこにワンロジックが用意されているのも素晴らしい。
それは森で威張り散らしていたザルード、もちろん彼らには彼らの流儀があっての行動だが、それでも他のポケモンをイジメていたのは否定できない。
だけどココは違った。
自分をザルードだと思いながら、でもその心は他のザルードのように「いばることなく」
むしろ森のポケモンと共生の道を歩もうとしていた。
そんなココの姿を見て、ザルードの長は考えを改める、父ちゃんザルードも、今まで下に見ていた他のポケモンに土下座して協力を求める。
このプライドを、ある種捨てるという描写は、前述した「子ども」のためには「何でもする」という心情の変化なのだ。
そしてそれができる、ザルードはやはり「父ちゃん」なのだ。

最終的にはココのその姿を見て、心を入れ替えたザルード、そして森のポケモン、サトシ・ピカチュウでゼットを撃退する。
誰かが欠けても出来ないし、サトシはここで「みんなの物語」に引き続き「ポケモンと人間でなら勝てる」と断言するシーンもある。
そして最後に兵長ザルード(声が津田健次郎で素晴らしい)とともに「アイアンテール」で勝利する。
そういうしっかり「バトルでのアゲシーン」があるのも今作最大の特徴だ。

この点は前作からブラッシュアップされている点だとも言える。
そして最終的にココが「ポケモンであり人間だから」
森が力を貸して、父ちゃんザルードの命を救うシーンにつながる。
すなわちそれが「森」のさらなる繁栄に必要な共生だったことをザルードたちは知り、「掟の歌」の真の意味に気づく。
森を守るのは「ザルード」だけではない、そこには他のポケモンも必要だし、人間との協力も必要なのだ。
最終的にセレビィは皆がその事に気づいたからこそ、その姿を表したのだ。
その全員の心持ちの変化は「ポケモンであり人間」のココがいたからこそなのだ。
深堀りポイント
今作品では最後にココが両親の仇ゼットを追い詰めるシーンがあるが、ココは転落死しかけたゼットを助けるという決断をする。
そして前述したロケット団のリーク情報で彼は逮捕され罪を償うことになる。
ここでゼット逮捕のニュースを聞いたときにロケット団が「嬉しそうな顔」をするのが、コイツらホント憎めないなぁ! となる。
そういう意味では今作品は久しぶりの「ロケット団」推しにはたまらないのではないか?
ココの自分探し
「人間」「ポケモン」そのどちらでもない。
自分がザルードではなく「人間である」と気づいて、アイデンティティが揺らぐココ。
この作品はそんな彼が「人間・ポケモン」どちらなのか?
そこはある意味で、重要ではないと描いている。
そのどちらも持っている「ココ」という、そういう存在であることにこそ、意味がある。
その自分を誇りに思って生きてほしい、という非常に前向きなメッセージで締めくくられている今作品。
「黒か白か」ではない、その中間でも構わない。
これはある意味で「多様性」という現代社会へのメッセージだとも言える。
こうした社会的メッセージを「子供向けコンテンツ」に落とし込み、描いているという点も今作品の素晴らしさの一つだし、深みの一つだと言える。

今作品を振り返って
ざっくり一言解説!
よもや、よもや、またもや特大ホームラン!

まとめ
ということで今作品「ココ」は「みんなの物語」と逆の視点で描かれた、「ポケモン」目線で描かれる「人間」との関係。
その、今までにないテーマが十二分に描かれた作品である。
そして「親子」特に「父子」の関係を描くという意味で、「父親とはなにか?」
という問いかけに対する答えがきちんと描かれている。
そういう意味では「泣く子はいねぇが」という作品のアンサー的な要素もあって、まさに「全く関係ない作品がつながっている」という不思議な体験をさせてもらえることが出来た。
また矢嶋哲生監督が「非常に作家性のある方」である。
という点もまた、再認識させられた。
今回は自分の「子育て」という点から着想して物語を作ったということだが、非常に個人的な出来事を物語に落とし込む、その着眼点が素晴らしい監督なのだ。
そのことは間違いない。
ということで、やはりまだ矢嶋監督がポケモンに関わっている限り、僕は劇場に足を運ぶつもりだし、やはり期待してしまう。
そんな素晴らしい才能にまた触れることが出来た。
そういう意味でも非常に嬉しい映画体験をさせてもらえることが出来た。
ということで、まだまだその魅力は書ききれない、「ホシガリス、ウッウが可愛すぎ」みたいに、ポケモンが可愛いという、当たり前だが、そういう「可愛いさ」も溢れた作品なので、これはもう見てもらうしかない作品だと断言できる!

あとは「岡崎体育」の今作品とのタイアップ曲がどれも素晴らしい、この人の才能の豊かさに驚かされました!
本当に年の瀬、最後にまたど偉い作品が来てしまいました!
僕はもう「大満足です!」
まとめ
- 「ココ」という難解なキャラクターを引き立たせる、完璧な物語運び。
- 気の利いた描写の多く、しっかり考えられ作られた作品。
- 矢嶋監督はやはり「外さない!」
ということで、読了ありがとうございました!
また次回の記事でお会いしましょう!!