
さて今日も「ディズニー総チェック」していきましょう!
ということで「ポカホンタス」について語っていきます。

ただ、"ポテンシャルは秘めている"作品であることは間違いない!
この作品のポイント
- 「美女と野獣」を越えようという、遥かに高い「志」
- 初の「実在の人物」を描いた「ディズニー長編アニメーション」
- この挑戦で得たこととは?
長編アニメ視聴チャレンジ🏃🎬✨
— ディズニープラス公式 (@DisneyPlusJP) February 28, 2021
33作目『ポカホンタス』
文化の違いを超えて⚡️
34作目『ノートルダムの鐘』
圧巻の歌🍀
35作目『ヘラクレス』
神の子のヒーロー修行👼
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目次
「ポカホンタス」について
基本データ
基本データ
- 公開 1994年
- 監督 マイク・ガブリエル/エリック・ゴールドバーグ
- 脚本 カール・ビンダー/スザンナ・グラント/フィリップ・ラズブニク
- 声の出演 アイリーン・ベダード/メル・ギブソン

あらすじ
アメリカの歴史的な逸話を基にした物語。自由奔放なポカホンタスと、森の仲間、ミーコとフリットは海岸で、村に初めて入植してきたイギリス人を目撃する。
柳の木のおばあさんの知恵と、勇敢なジョン・スミスとの友情を頼りに、ポカホンタスは、2つの大きく異なる文化を結びつけるために立ち上がる。
ディズニープラスより引用
ディズニー映画初の試み

実在の人物を描くことへの挑戦
今作は「長編ディズニーアニメーション作品」としては初めての試みをしている。
これまで「総チェック」してきた「ディズニー作品」は、「おとぎ話」「子ども向けのお話」「有名な伝説・逸話」という路線。
つまり「フィクションをアニメ化」するという方向性だった。

そこから今作は、大きな挑戦をする。
それが「ポカホンタス」という実際に存在したインディアン(ネイティブ・アメリカン)を描いくという挑戦だ。
つまり今作は、「歴史映画」「史実映画」という側面を持っている作品であるといえる。
その点において、今作には様々な「賛否」があるのだが、それは追々深堀りする。
まず大切なのは、今作は「ディズニー長編アニメーション」として初の「歴史映画」「史実映画」という側面を持っている。
ここが大きなポイントであると言える。
目標は「美女と野獣」超え!
今作は、ある野心的な狙いを持って制作された作品でもある。
制作当時、ディズニーアニメ部門の責任者だったジェフリー・カッツェンバーグ(公開当時ディズニーを去っている)は「ポカホンタス」が「美女と野獣」のようにアカデミー賞にノミネートされることを夢見たそうだ。

「ポカホンタス」が「美女と野獣」を超えること、それは即ちディズニー映画の象徴になることを意味する。
そんな遥かに高いハードルを自らに課してた今作は公開された。
だが結果は商業的に成功はしたものの「美女と野獣」や、前作にあたる「ライオン・キング」を超えることはできなかった。
恐らくその要因の一つにあげられるのが、前述したように「ポカホンタス」という作品が「歴史的」「史実的」な側面を持つ映画だったという点があるのだが、その点は後述することにする。
まずは、この「ポカホンタス」という作品で「美女と野獣」を超えること、そこにどんな勝算を持っていたのか?
その点から今作を紐解いていこう。
そもそも「美女と野獣」という作品が、どういう作品だったのか考えてみよう。
一言で要約すると、作品を通じて「見た目よりも中身」という点を伝えたい作品だと言えるのではないか?
そのテーマは、実は「ポカホンタス」でも描かれている。
今作は17世紀のアメリカを舞台にしている。
冒頭イギリスの船が、当時新大陸だったアメリカに「金」を求めて入植をするため、嵐を超えて航海する場面が描かれる。
そこから場面は一転、今度はポカホンタスをはじめ、アメリカの先住民インディアン(ネイティブ・アメリカン)達の生活が描かれる。
ここでポカホンタスが結婚ということが不自由であり、自分には「別の道」があるのではないか?
という悩みがあることなどが手際よく描写されていく。
そしてイギリス船で一番勇敢な男ジョン・スミスとポカホンタスが運命的な出会いをする。
この2人はひと目見て惹かれ合う関係になるのだ。
言葉も通じない、見た目も違う。
そんな2人は「風の色」を見つけ、「心の声」で互いを深く理解していく。
その過程が美しい風景とともに丁寧に描写される。
深堀りポイント
この「カラー・オブ・ザ・ウィンドウ」で、深層心理的にポカホンタスたちに対するジョンの持つ、差別意識を指摘している。
逆にポカホンタスがジョンに「あなたの知らない世界もあるのだ」と諭す内容で、非常に興味深いシーンに仕上がっており。
個人的に大好きなシーンだ。
だが、他の登場人物はどうだろうか?
インディアンはイギリス人達を「色の白い不吉な存在」と敵対の意思を示す。
イギリス人はインディアン達を「未開の野蛮な存在」として、こちらも敵対の意思を示す。
どちらの勢力も「互いに理解し合える」とは全く考えていないのだ。
つまりポカホンタスとジョン・スミス以外の登場人物は全て、「自分たちと違う」と相手を理解しようとしない。
それは「中身を知ろうとしない」ということに他ならない。
そして最終的に今作は、両陣営の敵対心がピークに達し、開戦間近という事態にまで発展。
そこでポカホンタスが身を挺してジョン・スミスをかばう姿にポカホンタスの父、パウアタンやインディアン達は考え方を改めることになる。
そしてジョン・スミスもまた、その身を挺してパウアタンを銃撃から守り倒れる、そのことでイギリス人達も考えを改めるのだ。
つまり異人種の2人が、互いに愛する姿をみた両陣営は、「2人のように自分たちも、互いに理解できる存在なのだ」ということを知る。
このことから、今作はポカホンタスとジョン・スミスが「愛し合う姿」を見せることで、異なる人種でも「相互理解」ができるという事を描いた作品だと言えるのではないだろうか。
つまり「見た目」「言葉」が違っても、「中身=心」を知ろうとすれば、互いに分かりあえる道があることを描いているということだ。
少々強引に聞こえるかも知れないが、これは「美女と野獣」でも描かれた「見た目より中身」というテーマと通ずる点もあるし、その点をまた別の角度から描いているとも言える。
カッツェンバーグはこの「美女と野獣」と「ポカホンタス」が「同テーマ」である点。
そして、それを「史実」「歴史」をベースにして描くことで、完全にフィクションである「美女と野獣」よりも上に「ポカホンタス」が行けると信じたのではないだろうか?
そしてラストをビターエンドにすることで、これまでのターゲットよりも上の層、つまり「大人向け」としても評価をされたいと考えたのではないか?
この大きな2つの勝算を持って、「美女と野獣」超えという試練に挑んだのだ。
「歴史・史実」ベースであるが故の問題点
さて、今作は「見た目より中身=異人種の相互理解」というテーマ。
「歴史・史実」ベースという点で、大人向けという要素で勝負という点。
2つの勝算で作られた作品だが、個人的には「見た目より中身」という「異人種の相互理解」の点は概ね上手くいっていると考えている。
というのもポカホンタスとジョン・スミスの恋模様や、インディアンとイギリス人の対立。
そして和解という物語性は、非常に素晴らしく感動的だ。
それを認めるのは吝かではない。
だが、個人的には今作品で2つの要素が気になった。
ひとつは「歴史・史実」ベースであるが故に生じる、物語上の「制約」という点。
そしてもう一つ「史実との相違」という点だ。
正直2つ目の要素、「史実との相違」という点を指摘すると、それこそ「歴史映画・ドラマ」は全て何かしらにケチがつくし、個人的には目をつぶりたい点ではあるのだが・・・。
どうしても気になったので指摘する。
ということで、まず2つ目にあげた問題点「史実との相違」という点を紐解こう。
「史実との相違」(そもそも「真偽不明」であるエピソードをベースにしている)
まずこの作品最大の肝である、異人種の相互理解における、ジョン・スミスとポカホンタスの感動的なやりとりだ。
彼らの身を挺して互いを庇い合う姿に、両陣営は鉾を収めるという、今作最大のハイライトシーンだといえる。
このやり取りに近い出来事は、本当に”あった”と語られている。
ジョン・スミスは実際にネイティブ・アメリカンに処刑をされかけたが、ポカホンタスによって命を救われた。
ということをジョン・スミス自身が武勇伝のように語っており、それが今なお伝わっている。
さらに、イギリズ人とネイティブ・アメリカンが「交友関係」にあったことなどが伝えられている。

というのも当時のネイティブ・アメリカンは文字を持たなかったので、こうした「ポカホンタス」にまつわるエピソードは口伝されたものが、後の世代によって文献化されているということ。
つまり都合よく改ざんされている可能性が大いにあるということ。

そして今作最大のハイライトであるポカホンタスとジョン・スミスのやり取りのエピソードについて、彼が言及したのはポカホンタスの死後だということに、きな臭さを感じる。
実際のポカホンタスは、1616年にイギリスに渡り、そこで「ネイティブ・アメリカンの姫」としてイギリス中で一躍センセーショナルな存在となった。
新世界アメリカからやって来た、有名人という具合にだ。
そんな彼女は、そのまま二度と祖国の土を踏むことなく、亡くなる。
僅か23歳という短い生涯だったのだ。
そのタイミングでジョン・スミスは「俺、ポカホンタスに助けられたんだぜ!」という具合に武勇伝として、この出来事を語りだしたのだ。
つまり「イギリス国内でセンセーショナルな存在であるポカホンタス」
彼女と、何かしらのエピソードがあるということは、イギリス国内でジョン・スミスの地位を引き上げるダシにはもってこいというわけだ。
そういう意味で、彼女の死後にこのエピソードを語っているという点に、色々疑惑を感じる。

文献にあるジョン・スミス一行とネイティブ・アメリカンたちが友情を築いた。
それが実際にあった出来事であれば、こんなに素晴らしいことはない。
ただし、この友好的というエピソードも実際にネイティブ・アメリカン側に賠償を命じるなど、揉め事は多発している。

そしてジョン・スミスの武勇伝のような、審議定かではないエピソードのきれいな部分だけを抜き出し、それをベースにしている今作。
さらに「ポカホンタス」を幼い少女(10歳)から、大人びた年齢に変更している点など、ネイティブ・アメリカンの側からすれば、これほど屈辱的なことはない。
「ポカホンタス」という作品を、どうしても純粋に受け止められない、そんな要素が現実に溢れている。
それが、この作品の抱える大きな問題点だといえる。
史実ベースであるがゆえの「制約」
そして、今作は曲がりなりにも「史実」ベースだが、この点が大きな「制約」にもなっている。
というのもこの作品で、ポカホンタスは「ここではないどこか」つまり「別の道」を模索している存在だ。
そんな彼女が模索の最中にジョン・スミスと出会い、恋をする。
だが、2人は結ばれることはない。
個人的に「結ばれないラスト」という点が作劇として上手くないと感じた。
というのも、この「歴史的出来事」を「きれいな話」として切り取る。
そういう作劇にするならば、2人はそのままイギリスに渡ればいいのだ。
事実彼女はイギリスに渡っている。
そしてポカホンタスがイギリスで「ネイティブ・アメリカンとイギリス人」を繋ぐ架け橋になる、そういう希望に満ちたラストにすればよかったのだ。

だが、そこまでは流石に踏み込めなかったのか・・・。
あくまで、やはりこの作品は「史実ベース」なのだ。
つまり、どうしても「制約」が生じてしまうのだ。
「史実」であるという体裁である以上、どうしても生じる「制約」
この問題の解消には、一つの方法しかない!!
個人的に「ポカホンタス」という作品は、一つの作品として捉えた場合、伝えたいテーマなど概ね上手く描けており、素晴らしい作品だと思う。
だが、どうしても「史実ベース」であるが故に生じる「疑問」
そして「史実ベース」だからこそ生じる「制約」
とくに「史実ベース」であるが故の、外部からの批判は、この作品が目指す「美女と野獣」超えに大きなアゲインストの風になったに違いない。

それが、今作を完全フィクションにする方法だ。
構図をイギリス人と、ネイティブ・アメリカンから、例えば、海底人と地底人に置き換える(ちょっと過激な「リトル・マーメイド」路線)。
どこかの惑星にでも入植する宇宙船の乗組員と、原住民の恋物語にするとか・・・。
つまり「アバター」にしてしまえばいいんです!!
事実「アバター」は完全に「ポカホンタス」のアップデート版という要素を持っている。
しかも2019年「アベンジャーズ エンドゲーム」公開まで「世界の映画興行ランキング」1位の座を守り続けた。
つまり「ポカホンタス」は「美女と野獣」を超える伸び代は秘めていたのだ。
むしろ監督である「ジェームズ・キャメロン」はその点に気づいていたのかも知れない。

ディズニーは「20世紀フォックス」買収で「アバター」の続編を制作・公開を予定している。
さらにフロリダのディズニーワールドで同作のアトラクションを作った。
「ポカホンタス」のアトラクションは無理だけど、「アバター」ならいける。
という風に考えたのではないか?
つまり、ディズニーはこの題材を、「歴史・史実」関係なく、完全なフィクションで制作すれば、もしかすれば同社最大のヒット作品になったかも知れない。
それは同時に、今作が持つ面白さ・感動は、間違いのないものだという証明でもあるのだ。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
描こうとしていることは、間違いなし。ただ「史実もの」という点が邪魔をしている!!
天下統一のポテンシャルは秘めている!!
まとめ
今作が描こうとしているテーマは「美女と野獣」にも通ずる点があり、同テーマでそれを越えようという野心は素晴らしい。
そして十二分にそのポテンシャルは秘めている、素晴らしい作品ではある。
それは間違いない。
ただしどうしても今作には「歴史」「史実」というベースが重くのしかかった。
そしてこれは、どうしても無視できない点でもある。
これを解消するには方法は一つしか無い。
それは「このテーマ」を完全なフィクションにすること、それ即ち「アバター」にするということだ。
ディズニーが「アバター」続編の制作を決めた理由の一つに、もしかしたら「ポカホンタス」と「アバター」を重ねている点があるのかも知れない。
なぜなら、ディズニー関係者は今なお「ポカホンタス」が同社の看板作品になることを望んでいるからだ。
ただ、その夢は果たせそうにない。
その代わり、同テーマを持つ「アバター」にその夢の続きを託しているのかも知れない。

ただ、何度もいうが「ポカホンタス」という作品自体の語ろうとしているテーマなど、僕はすごく好きだ。
そして素晴らしい映画であることは認めるしかない!
まとめ
- ポテンシャルを秘めた作品。
- 今作のテーマを完全な「フィクション」で語れば完璧だった!
- 「ディズニー」の「アバター」への思いなど興味深い。
さて、長文を読んで頂きありがとうございました!
次回は「ノートルダムの鐘」また語ることが多そうな予感!!