
今日は過去の作品から「いいな」と思った作品を再鑑賞し批評します。
ということで今回は「ペンギン・ハイウェイ」を取り上げます。
この記事を読むとわかること
- 繰り返される(くどいと感じるほど)の描写に意味があるということ。
- 難解な作品内容。
- 森見登美彦作品の中でも「感動」作品であるということ。
京都人が大好き(個人の主観)な「森見登美彦」作品を今日は取り上げますよー
目次
「ペンギン・ハイウェイ」について
「宇多田ヒカル」大ファンとして、この歌が流れるだけで涙・・・。
基本データ
- 公開 2018年
- 監督 石田祐康
- 脚本 上田誠(ヨーロッパ企画)
- 原作 森見登美彦(同名小説)
- 声の出演 北香那/蒼井優/釘宮理恵/西島秀俊/竹中直人 ほか
あらすじ
小学四年生の少年アオヤマ君は、世界について学び、その学んだことをノートに記録する。
お利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、大人になったときにどれほど偉くなっているか、見当もつかない。
そんなアオヤマ君は、通っている歯科医院の“お姉さん”と仲がよく、“お姉さん”はオトナびた賢いアオヤマ君を、 ちょっと生意気なところも含めかわいがっていた。
そんなある日、アオヤマ君の住む郊外の街にペンギンが出現する。
海のない住宅地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、 いったいどこから来てどこへ行ったのか...。
アオヤマ君はペンギンの謎を解くべく研究をはじめるのだった。
そしてアオヤマ君は、“お姉さん”が投げたコーラの缶が、ペンギンに変身するのを目撃する。
ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。
「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」
“お姉さん”とペンギンの関係とは? そしてこの謎は解けるのか?
少し不思議で、一生忘れない、あの夏の物語。
公式サイトより抜粋
森見登美彦作品の映像化を振り返る

これまでの森見作品の映像化
森見登美彦原作のアニメ作品はこれまで4作品制作されている。
代表的作品が2010年にフジテレビ系列のアニメ枠「ノイタミナ」で放映された「四畳半神話大系」
これが人気に火をつけ、以降テレビアニメでは「有頂天家族」が2シーズン放映。
さらにアニメ映画として「夜は短し歩けよ乙女」
そして今回取り上げる「ペンギン・ハイウェイ」がアニメ映画として制作された。
個人的には「森見」作品の映像化には2つのアプローチがあると思っている。
京都で大学生が「アホ」をする作品群は「ドラッギー」な作風
まずはこのジャンルに当てはまるのが「四畳半神話体系」「夜は短し歩けよ乙女」だ。
これらの作品は「湯浅政明」が監督しており、彼の作風と森見作品独特の世界観が合わさることで、生まれる妙な映像には毎度驚かされる。
この座組みは毎回ハズレがない。
狂ったような世界観、ドラッグ映画とも呼べるような尖った色使い、狂ったデッサン。
大学生が世にもバカげたことを巻き起こして、ジェットコースターのように観客を振り回していく。
見た方なら「なるほど」とわかるだろうし、そもそもこれ以上言えないんだけど。
あれが一つのテンプレ化しているというか、アニメでしか表現し得ないような、強烈な表現のスタイルを確立している。
「夜は短し」の「詭弁踊り」とか、本当どうかしてましたよね?笑
ちなみに似たような作品群を描いている「万城目学」も見過ごせない。
ただ、彼の映像化されている作品は、全て実写作品になっている。
特に「鴨川ホルモー」なんかはCG丸出しで映像的にはどうなんだ?
なんて思いますけど、あれは本当に「大好き」な作品です。
この2人の作家(共に京都大学出身)は「京都の大学生にひたすら”バカなこと”をさせる作品」を作りまくっていて、このジャンルの作品の土壌は「すべて燃やし尽くした」とも2人は語っている。
「ホルモー」の「レナウン娘」のパロディはバカの極みだったなぁ
「森見登美彦作品」といえば、このジャンルを思い浮かべずにはいられない。
彼の得意ジャンルとも言える。
ファンタジー路線は「純アニメ風」
前述したように、森見作品のテレビアニメ化だと「有頂天家族」という作品もあるが、これはまた作風がガラリと替わる。
この作品も、基本的にバカなことを(時に真面目に)やるというのは原作もアニメも変わりない。
だが、アニメに関しては表現はかなり純アニメ風。
今時のアニメらしい割とストレートな表現で描かれている。
ですので結構こちらは、普通のアニメとして見れてしまうので、尖ったところがないのが特徴だと言える。
それは、上記2作品が尖りすぎているだけなんですけど・・・。
ただ、評価的にも上記した作品よりも落ちてしまっているとも言える。
それはあまりにも上記2作品が特徴的で、有名になりすぎたからというのもあるのだが・・・。
そんな森見作品のアニメ化、4作品目である「ペンギン・ハイウェイ」
今回はどちらかというと純アニメに近い作品になている。
ただ今回は、脚本にヨーロッパ企画の上田誠を迎えている。
彼は「四畳半」「夜は短し」でも森見作品の脚本を担当しており、相性の良さは今回も感じられた。
森見作品映像化は、アニメが最も表現するメディアとして最適である。ということが今作で結論づけられたと個人的には思う
森見作品として珍しいストレートな「感動作品」

今作品は「大人びたい子供」「アオヤマくん」
彼を可愛がり、時にからかう「お姉さん」との邂逅を通じて「世界の謎」を解き明かす作品となっている。
さて、今作品で最も印象に残る、ある意味で”くどい”ほどに繰り返されるあるネタ。
「おっぱい」についての問答だが、これは今作品では非常に「大切」な要素である。
まずはその点から今作品を見ていきたい。
成長と”切っても切れない”「性」
「アオヤマくん」は「早く大人になりたい」「おとなびたい」と願う子供だ。
子どもの割に頭がよく、目標への道筋をしっかり立てて行動し、そして「未来」への明るい希望を抱いいる。
ちなみに彼や登場人物が発する言葉の「めんどくさい」言い回しは、「森見作品の台詞回し」だと強烈に意識させられる。
このセリフだけで「作家」としての特徴が出ている。
これも「森見作品」の魅力だ。
そんな彼は歯医者に務める「お姉さん」に淡い憧れを抱いている。
彼の心は彼女の「おっぱい」のことでいっぱいなのだ。
「性」への目覚めは「成長する」ということと「不可分」だ。
「子孫」を残すことができるようになる。
この点は「子ども」「大人」という「生物学的」な線引きとして重要だ。
もちろん「人間社会」にとってはそのほかにも多くの「線引き」が存在する。
だが、「性的」なものに興味を持つということは「成長」と切っても切り離せない重要な要素である。
この「おっぱい」への興味とは彼にとっては「大人」に近づくために必要なものなのだ。
ちなみに本作では「お姉さん」に「おっぱいばかり見て」と注意される描写がある。
この時「アオヤマくん」は「見ているけれど、見ていない」とひねくれた返答をする。
だが友達の「ウチダくん」の前では「おっぱいについて30分は考える」と語るシーンがある。
このはぐらかしたいという気持ちと、ストレートに認める描写。
これは思春期の友達の前では「大人」になっていることを知らせたい。
という気持ちの現れではないだろうか?
ちなみに「ウチダくん」はそういう意味でいうと「おっぱい」と聞くと赤面したりするなど、まだ興味は持っておらず、成長の段階に来てはいない、と言える。
ポイント
✅「性」への目覚めは「大人」へなることと「不可分」なこと。
✅しつこく繰り返されるのは、本作が「アオヤマくん」が「大人」になる物語であるということの現れ。
失う/別れ も大人への成長の一歩である
「おっぱい」「おっぱい」と言っているけれど、もう一つ大きな「成長」の過程で必要なものも描かれる
今作品では「ペンギン」「お姉さん」「海」
この3つの謎が絡まり、そして「アオヤマくん」が街の危機、世界の危機を小学生離れした頭脳で解決する。
いたってシンプルな構成になっている。
最終的に「世界」を救うには、大好きな「お姉さん」を失わなければならない。
つまり「別れる」という決断を「アオヤマくん」が自ら下す。
この「別れ」とは人を成長させるために必要なものだ。
そして最後は「お姉さん」と「また会うために」
より一層の「成長」を誓う「アオヤマくん」
「また会いたい」という思いは、彼をより「大人」に近づける。
つまり「別れ」が「成長」の大きな要因になる。
これも古今東西、ある意味普遍の価値観と言えるし、それがしっかり描かれているのだ。
そしてこのメッセージはやはり「感動」せざるを得ない。
そして「輪廻転成」のような「喪失」することで新しい「命」が生まれる。
「失う」ことで「得る」ことになる。という描写の挿入。
そのことを「輪廻転成」とか難しい言葉を使うことなく、でもそれは「世の中の真理」である。ということ。
それを「絵」で見せつけられる。
ちなみに何度も描かれる「歯」の描写。
「乳歯」を失い、それが「永久歯」に変化すること。
この変化は表面に現れる大きな「大人への変化」の象徴と言える。
これも「失う」ことで「大人」になるという暗示にもなっている。
このシーンをとっても、描写が非常にスマートなのが今作の特徴だと言える。
そしてラストは冒頭と対になっているのだが、最後に冒頭と同じことを繰り返す。
少しだけ、でも、確実に、大人へと日々近づいていく「アオヤマくん」
不思議な夏の出来事を通じて、成長したということを描写。
今作品は彼が「大人」へ近づく物語だったということを最後に改めて描いてみせるのだ。
ポイント
✅「別れ」も成長の大きな要因である。
✅「乳歯」の描写など、「失う」事による「変化」を描くなど、実は丁寧に描かれている。
大人びたい友達/否定する者
ちなみに今作品では「ハマモトさん」という「アオヤマくん」に負けず劣らずな「研究者志向」の女子も出てくる。
彼女も「大人」には知らせたくない「研究」を行っていてるのだが、この、「大人」に隠れて「大人びたこと」をする行為。
これも彼女が「大人」へと近づきたいという思いの現れである。
大人の知らないところで「成果」をだし「認められたい」という思い。
当然「認められる」ことで「一人前」として扱われたいという思いからの行動である。
逆に「おっぱい」の件での「ウチダくん」のようにまだ、「大人」へなることの準備ができていない、だけどその兆候を見せている人物も登場する。
それが「スズキくん」だ。
典型的な「ジャイアン」キャラだね
彼は「ハマモトさん」が好きだが素直になれず「嫌がらせ」をする。
そして彼女と親しくする「アオヤマくん」にもちょっかいを出す。
これは「異性への興味」つまり「成長」と不可分なことから目を背けようとする行動と言える。
そのことを認める「気恥ずかしさ」とでも言えばいいだろうか。彼はまだ「成長」に対する「準備」ができていない。
だけどその「興味」は確実に彼を「大人」へと近づけている。
ちなみに話は前後するが「アオヤマくん」がコーヒーを飲むということにも本作は意味があると言える。
コーヒーはいわゆる「大人の飲み物」
僕もそうだが子供の頃は「まずい」と思うのだが、それがいつの間にか「飲める」しかも「美味しく感じる」
(ちなみに僕はコーヒーに携わる仕事をしてますけども)
「大人びたい」気持ち、でも味覚はついてこない、ある意味で「アオヤマくん」は子供であるという証明だとも言える。
ポイント
✅「一人前」として認められたい思いは「大人」になりたい気持ちの現れ。
✅「好きな子」にいけずをするのは、「まだ大人になることを認めたくない」「気恥ずかしさ」を隠すための行動。
✅その根底の「異性への興味」は「大人」になるために重要な要素である。
今作品の「海」とは?/「ペンギン・ハイウェイ」とは?

「海」と「命」は切り離せないもの
今作では、世界の果てが現実に現れた「異質なもの」として「海」と呼ばれる物体が描かれる。
あれは、妊婦のお腹(もっというと「子宮」)というような解釈もできる。
作中では「世界の果て」と呼ばれ、それを「お姉さん」及び彼女の生み出す「ペンギン」は穴を埋めるように”修繕する役目”を担わされていた。
「海」=「子宮」とはどういうことか?
「一つの生命(人間)が生まれる」
その始まりは子宮で、それが世界の「全て」であり「果て」だと言える。
生命にとってその空間は「始まり」であり「全て」でもあり、そして「果て」なのだ。
生命は、そこから生まれ、生きて、死ぬ。
そしてまたいつか、命はめぐり「果て」に戻る。
こうした「輪廻転生」を本作は、描きたかったのではないか?
そう感じたのだが、これを抽象的に描くことで「命」というものの「抽象性」「不思議」「解き明かせない神秘性」の担保にも繋がっている。
こういった回りくどいような表現を、それぞれが咀嚼し「エウレカ」として、一つの個人的な結論のようなものに辿り着く。理解はできないけど、理解ができる。という塩梅になっている。
「エウレカ」・・・発見の喜びを意味する「ギリシャ語」
「生命」の秘密はいまだに解き明かせないし、少なくとも生きているうちには「解けない」だろう。
そんな「不思議」を考えることは、それはすなわち「生きる」という意味を考えることにもなる。
「どうして生まれたのか?」
それを考えること。
「人生」で大切なことなのだ。
近々、類似テーマの「海獣の子供」も当ブログで取り上げるので、もっと深掘りしていきましょう!
ポイント
✅今作品の「海」と呼ばれる物質は「子宮」のメタファーではないか?
✅「周期」も「妊婦」のお腹の大きさと考えることができる。
「ペンギン・ハイウェイ」を歩いて
今作品の最後「アオヤマくん」が草原で見つける「ペンギン号」
これは、彼が「海」の調査で放ったものだ。
そしてこれはおそらく「お姉さん」が彼の世界に送ってくれたのだ。
「どこにあるかわかる」そのために付けられた「ライト」
「お姉さん」は消えたけれど、その存在がこの世界のどこかにある。
そういう希望を描いてこの作品の幕は降りる。
「人生」という「ペンギン・ハイウェイ」
その道を歩む「アオヤマくん」
彼はもう一度この道の先に「お姉さん」との再会があると信じている。
彼はまだわからない。
どうして「お姉さん」の顔を「好き」になったのか(もちろん「おっぱい」も)?
言い換えれば、「どうして自分が”好きだ”と思う顔を持つ女性が”遺伝子”によって生み出されたのか?」という疑問だ。
これは作中で「お姉さん」が問いかける「私というのも”謎”でしょ?」「この謎をといてご覧?」という言葉にも通ずるものがある。
何も「ペンギン」を生み出せるなど、作中の「お姉さん」のような特殊さを指しているのではない。
この問いかけは、我々の人生で「どうして人を好きになるのか?」
その”謎””不思議”と同義だ。
我々の人生の道にも「不思議」が満ちている。
最後には「アオヤマくん」はその”謎”を楽しんで”道”を歩むことを決める。
同時にそれが「夢」である「お姉さん」との再会に繋がるのかもしれない。
そしてその「不思議」を解き明かす。
その「夢」を持つことが「大人になる」条件の一つなのだ。
夢を見つけ歩いていく彼の決意に「自分も頑張らなければ」と背中を押されるのだ。
非常に前向きなメッセージの作品だったね!
今作品を振り返って
ざっくり一言解説!
人生の「ペンギン・ハイウェイ」はみんなにもある!!
まとめ
今作品は「森見作品」の中でも非常に「感動できる」作品だ。
最後の「メッセージ」が届けられた後、以前にも鑑賞したことがあるのだが「あれ? こんなに泣ける映画だった?」と驚いた。
「大人になる」
それは「性的興味」「別れ」そして「夢を見つける」ことを経験して成し遂げられるのだ。
(もちろん、そのほかにも「経験」は必要)
そのことを丁寧に描写しつつ、説教臭くならない。
これはまさに名人芸の粋だ。
個人的にはこういう「雰囲気」ある意味「セカイ系」と呼べばいいのか?
大好物なので、やはり今作品を高く評価せざるを得ない。
今作のまとめ
- 丁寧に描かれる「大人」へのステップ。(性的興味・別れ・夢)
- 「難解」それこそが、解き明かせない”生命”の神秘性の担保となっている。
- 「森見登美彦」作品でも屈指の「感動作」である。
ということで、読了お疲れ様でした。
また近くお会いしましょう!
聖地巡礼
今作品の街並みのモチーフになった奈良県生駒市。
少しだけ見て回る機会があったので備忘録として追記しておきます。
まずは「お姉さん」の勤務していた歯科医院。

作中では左右反転して登場。
アオヤマくんがお父さんと訪れる喫茶店。
モデルになったのは「梨風庵」
内装撮影はしてませんが、作品内そのままで驚きです。

この辺りはよく行きますので、また追記していきます