
今日は新作映画のご紹介。
ということで「パーム・スプリングス」という作品を鑑賞してきたので、今回はこの作品を深堀りしていきたいと思います!!
この作品のポイント
- ラブコメディーだが、唐突なホラーっぽさなど、いい意味での「型破り」
- 永遠を謳歌した、ナイルズとサラの微妙な変化。
- ループものの新しい「スタンダード」になりえる作品。
目次
「パーム・スプリングス」について
基本データ
基本データ
- 公開 2021年
- 監督 マックス・バーバコウ
- 脚本 アンディ・シアラ
- 出演者 アンディ・サムバーグ/クリスティン・ミリオティ/J・K・シモンズ
あらすじ
舞台は砂漠のリゾート地、パーム・スプリングス。
妹の結婚式で幸せムードに馴染めずにいたサラは、一見お調子者だが全てを見通したようなナイルズに興味を抱く。
いい雰囲気になる2人だが、謎の老人が突如ナイルズを襲撃に!
負傷したナイルズは近くの奇妙な洞窟へ逃げ込んでいく。ナイルズの制止を聞かずサラも洞窟に入ってしまい、一度眠りに落ちると結婚式の日の朝にリセットされる“タイムループ”に閉じ込められてしまった!
しかもナイルズはすでにループにハマっていて、数え切れないほど同じ日を繰り返しているという。2人で過ごす無限の今日は最高に楽しいものに思えたが、明日がこない日々は本当に大切なものを気づかせていく。
「パーム・スプリングス」公式サイトより引用
果たして2人は、永遠に続く時間の迷宮から抜け出し、未来を掴むことができるのか!?
「”タイムループ”もの」に新たな価値観を見出す

繰り返しとは「煉獄」
まず映画とは直接関係ないが、と言っても作中で主人公「ナイルズ」が口にするのだが、「煉獄」という言葉を取り上げていきたいと思う。
「煉獄とは?」
「煉獄」とは「カトリック」の教義で、いわゆる「天国」と「地獄」の間にあるとされてる。
天国に行くために、必要な浄化をされるために、火に焼かれる場所。
この作品における「タイムループ」はまさに、「煉獄」だ。
「タイムループ」という現象、それ自体が「煉獄的」であるということを、この作品は一見「コメディテイスト」ながら真正面から描いているといえる。
今作品は、一見すると「コメディ映画」である。
ひょんなことから目覚めると、登場人物は絶対に「11月9日」の朝に戻ってしまう、つまり「永遠の11月9日」を繰り返すことになる。
そんな様子を「コメディテイスト」で描くのだ。
主人公のナイルズは「タイムループ」に巻き込まれてから、最初は何とか「脱出」を試みるのだが「何をやっても脱出できず」
ついには「諦めの境地」に達した。
そして、その場の限りで出来る「薬」「酒」「女」「男」など、考えられる様々な「快楽」を貪ることになる。
だが、それでも彼は、リセットされず記憶を保持し続けていることもあり、この「繰り返される一日」が地獄の苦しみに変わっていくのだ。
そして徐々に「変わらない日々」に絶望していく。
それでも、何千回・何万回と「同じ一日」を経験しているにも関わらず、今作の冒頭でのナイルズと、この一日の出来事でループに巻き込まれる「サラ」と出会うシーン。
ここでは、少なくともナイルズは「その日を全力で楽しもうとしている」
正直、メンタルの強さは半端ないと思わされるシーンでもあるのだが。
関連作紹介
ちなみに「ループ」というと「涼宮ハルヒの憂鬱」での「エンドレスエイト」をやはり思い出してしまう。
全登場人物の記憶がリセットされる中で、「長門有希」だけが、何万回ものループの記憶を全て保持している。
彼女にとっても、「エンドレスエイト」は「煉獄」のような体験だったに違いない。
(だからこそ「涼宮ハルヒの消失」につながるわけだが)
この作品の冒頭で描かれる一連のシーン。
ここで、今までのナイルズが体験していた「ループ」と違う「イレギュラー」が発生することになる。
それが「サラ」も「タイムループ」に巻き込まれる事になるということだ。
そのキッカケとなる、ある男に「弓矢」で射殺されそうになるナイルズ。
ここまで「性的なシーン」「お色気」「コメディ」というのを全面に押し出しているのに、急に「ホラーテイスト」になる。
今作品はこのように、割と「飛躍した描写」も多く、意表をつかれるシーンが多いのだ。
このダイナミズムな作り、破綻を恐れぬ作劇が今作の面白さといえる。
「繰り返し」を、如何に捉えるのか?
今作で繰り返しにとらわれる「ナイルズ」「サラ」そして、と謎の老人(ロイ)だ。
彼らはこの永遠の「11月9日」をどう捉えるのか?
今作では、この「捉え方」を通じて「人生観」を描いていく。
最初は「ループ」に巻き込まれたことでパニックを起こしたサラ。
彼女は、恐らく数万日前(同日をループするので、語弊があるが)にナイルズがやったように、様々な方法でこの「ループ」から脱出しようと試みる。
そしてナイルズと同じようにサラもまた、この永遠に続く「11月9日」を謳歌しようとする。
「酒屋」でのノリノリのダンス。
飛行機を盗んで操縦し、墜落。
などなど、考えつく限りの楽しみを尽くすことになる。
これまでナイルズは、自分の命を狙うロイ、それ以外の人間と、完全に壁があったのだ。
周囲の人間にとって「過ぎゆく一日」なのに、自分はその「一日にとらわれる」いわば「世界で一人ぼっち」といえる環境に身をおいているのだ。

そんな「一人の世界」にやってきたサラ。
ナイルズはサラに「生きる意味はない」「繰り返されるだけ」とある種「諦め」のようなセリフを吐く。
だが、2人で「永遠の11月9日」をループするうちに、「一人の世界」に来てくれたサラに徐々に恋心を抱いていくのだ。
それはサラも同じだ、2人で繰り返す「永遠の11月9日」
その中で、ナイルズに信頼と愛情を持つことになるのだ。
ここで両者に意見の食い違いが現れていく。
「永遠の11月9日」でサラと一緒にいれれば、と告げるナイルズ。
それは、この「煉獄」の日々を、最愛の人間と「永遠に繰り返す」
そこに「幸せ」を見出そうとナイルズはするのだ。
だが、サラは、それを望まない。
自分のしてきた過ちを含めて、それでもこのループから脱して、その上でナイルズと一緒になる未来を求めるのだ。
そしてサラはナイルズに問いかける、「この世界だから、私を選ぶのか?」
つまり、この「永遠の11月9日」では、実質世界に2人しかいないも同義なのだ。
だからこそ「愛してくれるのか?」
それとも「永遠の11月9日」から出ても、「世界に人があふれていても」
自分を選んでくれるのか?
その事をナイルズに問いかけるのだ。
ここで、我々はこの2人の考えのどちらにも共感してしまう。
ナイルズにとって、延々と続く繰り返しの中、サラはようやく見つけた「光」なのだ。
それを手放したくない、出来れば永遠に、共にいたい。
そんな存在になったのだ。
それを失いたくない気持ちも痛いほど分かる。
だがサラは違う。
ナイルズは、果たして「永遠の11月9日」から脱っして、「11月10日」になったとしても、それでも自分を「愛してくれるのか?」
そして彼女は「11月10日」もナイルズと愛し合いたいと願っているのだ。
この気持も分かる。
今作はこうして「愛し合った」2人が「何を望むか?」
それを描いていくことになるのだ。
そうきたか、ループを打破せよ!!
今作はこの意見の食い違いから、ナイルズとサラは全く顔を合わせなくなる。
「永遠の11月9日」から脱するためにサラはある方法を取るのだが、これが非情に面白い。
彼女は「永遠の時間」という武器を使い、「物理量子学」を自力で学ぶ。
最初は全く理解できないが、「永遠の時間」で彼女は、どんどん本を読み進めていく。
繰り返しでも、記憶が保持されるからこそ出来る、芸当だ。
これはある意味で「覚えゲーム」のような感覚で進んでいく。
最初は太刀打ち出来なくても、何度も反復、つまり繰り返すことで、彼女は「物理量子学」を理解していくのだ。
この構図は、過去「トム・クルーズ」が主演した「オール・ユー・ニード・イズ・キル」と似ている。
原作は日本人の「桜坂洋」の作品です!
この永遠の時間に囚われた理由を「物理量子学」で謎を解き、様々な実験を凝らすシーンで、「おいおい」とツッコミたくなる実験をしたりもする。
このように今作は、普通の「タイムループもの」では、まずお目にかかれない、キチンと「現象」に「化学」で立ち向かうなど、この構図も非情に面白かったりするのだ。
ということで、2人が結果どうなるのか、それは今回明言せずにおこうかな、と思います。
それは、ぜひ映画をみてくださいね!!
随所に観られる「性描写」の意味
今作は冒頭から、随所に「性描写」が描かれる。
まずはナイルズと、「11月9日」時点で彼の彼女である「ミスティ」の「性描写」が描かれる。
だが、それはどこか淡白なものだ。
それには「11月9日」を迎えるまでの「経緯」もあるのだが・・・。
最大の理由はナイルズは「永遠に繰り返している」ということだ。
つまり彼にとって、このような「行為」は、もはや特別でも何でもなく、「ただの行為」に過ぎないものになっているということだ。
毎日繰り返し、そのため「同じ時間に行為に及ぶ」
そのことも含めて繰り返している、だからこそ、淡白にならざるを得ないのだ。
だからこそナイルズは「繰り返し」のなかで、「男女」「老若」とわず「性行為」をしまくるのだ。
この「永遠」になにかしらの「特別」を求めていたのだ。
だが、それも結局、なんの慰めにもならない。
結局「リセット」される、つまり「意味がない」のだ。
だが、サラとの行為は違った。
繰り返しの中で何千回と彼女とナイルズは交わっている。
だけど、ループに加わった「サラ」との行為は、「意味のあるもの」だったのだ。
つまり「キチンと愛し合った」その証になったのだ。
このように今作は、一見「お色気」
しかもそれを「不謹慎ギャグ」のように見せているが、「性描写」はキチンと意味を持つものになっている。
ナイルズにとって「ループの中での性行為」ではなく、キチンと「愛の証」として、意味を持つものに変化をしていくことになる。
実は、この辺りも巧みなバランスで描かれている。
それも今作の大きな特徴だと言える。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
「タイムループジャンル」に新しい風を吹かせる作品かも!!
コメディだけど、最後は泣けちゃう作品でした
まとめ
今作は笑える作品だが、「タイムループ」とは、ある意味で「永遠に終わらぬ煉獄」だということを強く意識させられる作品になっている。
そんな「煉獄」で愛する人を見つけたナイルズ。
彼が、「永遠」の中で彼女とずっと一緒にいたい、と願うのには共感させられる。
だが、サラのように「11月10日」でも「愛し合いたい」という思いにも、深く共感させられてしまう。
そして、今作は通常の「ループもの」では考えられない描写の数々が、いい意味で「なんでもあり感」を演出しているのも良かった。
特に冒頭のロイに射殺されるシーンは「ホラー映画」顔負け。
しかも、時々やってくるという「イレギュラー感」も「タイムループ」という題材に陥りがちな「単長感」を上手く消すことが出来ている。
これも実は上手い手だと関心させられた。
そして「性描写」やそれを示唆する描写。
これらの行為に「意味を見失った」ナイルズ。
彼に「性行為」の「意味を見いだせる」ことで、彼の「生きる意味」とする描写も丁寧だ。
一見するとただの「ギャグ」演出にも取られかねない、数々の描写、これらを「意味あるもの」にしている。
これは、やはり「上手い」ということだ。
ということで「パーム・スプリングス」
海外では「Hulu」での配信公開のみとのことですが、日本では「劇場公開」されてます!
ぜひオススメの作品ですので御覧ください!!
まとめ
- 「永遠」とは、ある種の「煉獄」であることを描いている。
- その中で「意味を見出し」、そこにとどまりたい思いと、そこから進みたい思いのせめぎあいが見事。