
ということで、今日も「ディズニー総チェック」
今回取り上げるのは、「オリバー/ニューヨーク子猫ものがたり」です。
この作品のポイント
- 「暗黒期」から「黄金期」への橋渡し的な作品。
- 「ディズニー」に再び「自分たちの”強み”」を思い出させる作品。
目次
「オリバー/ニューヨーク子猫ものがたり」について
基本データ
基本データ
- 公開 1988年
- 監督 ジョージ・スクリブナー
- 脚本 ジム・コックス/ティモシー・A・ディズニー/ジェームズ・マンゴールド
- 原作 チャールズ・ディケンズ著『オリバー・ツイスト』
- 声の出演 ジョーイ・ローレンス ほか
あらすじ
舞台は大都会ニューヨーク。
捨て猫オリバーは、ドジャーを兄貴分とする気のいい犬たちの仲間に入ります。
ある日、オリバーは心優しい少女ジェニーと出会い、彼女の豪邸へ。
ところが、ジェニーの誘拐事件が発生!
オリバーと仲間たちは絶妙なチームワークでジェニーを救えるでしょうか!?
ディズニーの強みとは?

「低迷期」「暗黒期」の終わりを予見させる作品
この作品は「イカボードとトード氏」の評論でも語ったことと重複するが、「ディズニー自信が、自らの”強み”」を再認識する作品だと言える。
ここまでの総チェックで「ディズニーの歴史」における「低迷期」について言及してきた。
一度目の低迷期は「ラテン・アメリカの旅」から「イカボードとトード氏」まで。
二度目は、ウォルトの死後の作品「ジャングル・ブック」から今作までを指すことが多い。
ただ、個人的には二度目の「低迷期」いわゆる「暗黒期」の作品、全てが「悪い」と思わない。
むしろ「きつねと猟犬」や「くまのプーさん 完全保存版」など、名作もキチンと作られている。
「コルドロン」みたいな擁護不能な、壊滅的作品もあるのだが・・・。

ただし仮に「低迷期」の条件を「プリンセスもの」がない。
ということで定義するのであれば納得できる。
事実この後「2000年代」にも訪れる低迷期。
ここでも「プリンセスもの」は制作されておらず、「ディズニーの一丁一番地」のジャンル作品が作られない、そのことをもって「暗黒期」と呼ぶことは理にかなっていると言える。
ポイント
今後、当ブログで「低迷期」「暗黒期」を指す条件。
✅「プリンセスもの」が定期的に制作されていない時期とする。
そういう意味では「イカボードとトード氏」「オリバー/ニューヨーク子猫ものがたり」は「低迷期」「暗黒期」作品なのだが、これらを一概にその括りでまとめるのも良くない。
というのもこの2作品に共通点に、「低迷期」「暗黒期」から抜け出す、そんな「光明」の指している作品だという点があげられる。
そして前者の後には「シンデレラ」
後者の後には「リトル・マーメイド」と、どちらもビッグタイトルが控えている。
つまり「黄金期」の始まりの作品が控えている、そのことも決して見逃せない点だ。
さて、ではここから、この2作品の後に、なぜ「黄金期」がやって来るのか?
という点を深堀りしていこうと思う。
自分の「強み」とは?
「アナタの長所はなんですか?」
よく面接などでも聞かれる常套句だが、今作はそんな「アナタの強み」つまり「ディズニーの強み」に言及する作品だと言える。
そして、今作でディズニーは、その答えを出す。
「我々の強みは”ミュージカル”だ」と。
「9人の老賢者」がディズニーを去ってから、新世代が作品作りを始めるのだが、直近の2作品は明らかに「脱ミュージカル化」を推し進め、結果失敗をした。
というのも何度もバカにするようで悪いが「コルドロン」
言うなれば、「低迷期」「暗黒期」でも、「底」にいる作品だが、この「コルドロン」は明らかに「脱ミュージカル」というのを鮮明にしていた。
だが、この作品に関しては、他の要素も「悪い」ので、その狙いだけを否定はできないが、結果は言わずもがな。
その後の「オリビアちゃん」
決して面白くないとは言わないが、「没個性的」というか、特徴のない作品なのだが、ここでも「ミュージカル要素」はかなり少なかった。
だからこそ「ディズニーらしさ」がないと見ていて感じた。
だからこそ、この2作品の反省を踏まえて、今作は「原点回帰」するように「ミュージカル要素」をふんだんに盛り込むことになる。
ちなみに、その力の入れようはキャスティングを見ても明らかだ。
主演「オリバー」演じる「ジョーイ・ローレンス」は歌手としても活動している。
さらに「ドジャー」を演じるのは、あの「ビリー・ジョエル」だ!
カバー版しか見つけられなかったが、一度聞けばノリノリになる、ドジャーによる、最高の楽曲「Why Should I Worry?」
オリバーとジェニーの幸せな日々を象徴する「いつでも一緒」も素晴らしい!
日本語吹き替え「松崎しげる」も素晴らしい!
このように、今作は一度聞けば「ノリノリ」になれること間違いなし、「耳にも楽しい」楽曲が満載なのだ。
この「耳にも楽しい」楽曲が作品内で用意されている。
そのことが、これまでの「名作ディズニー作品」とも共通する点なのだ。
そしてこの後の「黄金期ディズニー作品」その先陣をきる「リトル・マーメイド」
その楽曲レベルの高さは誰もが認めるところだ。
つまり、この作品で「ディズニーが自分の”長所”」に、もう一度向き合ったからこそ、「黄金期」がやってきたとも言えるのだ。
この流れは「実写とアニメの融合」という迷走を繰り返した最初の「低迷期」から脱するキッカケになった「イカボード」と同じだ。
「イカボード」の成功でディズニーは、「自分たちの長所は”アニメ”」だという点に気づいた、その構図に重なる。
つまるところ、二度の「低迷期」「暗黒期」を抜ける際、必ずディズニーは、「自分たちの強み」を再確認するかのような作品を作っているのだ。

自分の居場所とは?

オリバーの求めるもの
今作品の「ディズニー史」での位置づけは、これくらいにして、ここから本編について語ろうと思う。
個人的にこの物語の肝は「自分の居場所とは?」を探す物語である。
その点に特化した作品だと言える。
これまでの「総チェック」で「わんわん物語」「おしゃれキャット」でも同様のテーマだと語ったが、今作品はそこから更にテーマを発展させている。
今作は冒頭で、捨て猫の中で一匹、誰にも拾われず雨に打たれる「オリバー」が描かれる。
物語の開始時のオリバーはとにかく、「寄る辺ない存在だ」
頼れる仲間は一人もおらず、一人ぼっちの夜に怯えている。
そんな彼に声をかけるのが「ロジャー」だ。
ロジャーはオリバーに「ニューヨークでの生き方」を教えるが、エサを独り占めし去っていこうとする。
そんなロジャーを追いかけるオリバー。
そして隠れ家にたどり着く。
そこにはロジャーの他にも4匹の犬が暮らしていた。
ここで描かれるのは彼らの生活は完全に「野良犬」のように描かれる。
それこそ「わんわん物語」における「トランプ」
「おしゃれキャット」における「トーマス」のように。
だが、今作ではそこに一捻り加えている、それは「飼い主・フェイギン」の存在だ。
ロジャーたちは「飼い犬」なのだ。
だが、彼らはただの「飼い犬」であるとは言えない。
「飼い主」のフェイギンはサイクスから借金をしており、まともな生活をしていない。
彼も「飼い主」ではあるが、「人間界」における「野良」「ホームレス」に近い、劣悪な環境に生きているのだ。
つまり、この作品では「わんわん物語」「おしゃれキャット」では「飼い主」に飼われているイコール、裕福な生活をしている。
いわゆる「野良」との対比として描かれていたが、今作では必ずしもそうではないと描かれるのだ。
だが、このフェイギンたちとロジャーは種族違えど境遇が同じだ。
そういうこともあり、彼らの「絆」は強い。
そんな「絆」「つながり」をオリバーは求めていたのだ。
そして彼はロジャーたちの仲間に入ることになる。
つまりこの作品は、ここでオリバーの求めていたものを最初に与えるのだ。
ともすれば、「嫌な」終わり方になりかねない危険性
だが、今作はそこから更に一捻り加えられる。
というのもオリバーはひょんなことから、裕福な家庭の子ども「ジェニー」に拾われ、飼い猫として迎えられることになる。
ここでジェニーとオリバーの交流で絆が深まっていく。
そして、オリバーは徐々に彼女との「絆」を大切にするようになっていく。
この物語はロジャー達と生きるか、ジェニーと生きるか、そんなオリバーの心の葛藤が描かれる。
そこから紆余曲折ありジェニーの誘拐事件が起こり、フェイギン達の協力で救出。
などなど見どころたっぷりの作劇がつづく。
だが、今作で重要なのは最終的にオリバーの生き方、ロジャーたちの生き方。
それらを安易に同化して描かれない点だ。
どちらの生き方にも「幸せ」はあるし、だがそこを安易に「同化」しては描かない。
そして同時に、一緒に暮らさずとも、一度築いた絆は「不変」であると描かれるのが素晴らしいと言える。
結局、幸せとは「自分の生きたいところで、生きる」
そして、それを自分で選ぶことが重要なのだ。
オリバーは、今作で確かに事故的にジェニーと出会ったが、それでも最終的に「ここで生きたい」と意思を貫いた。
自分の意思で生きる場所を選んだのだ。
確かに今作のオリバーの行動は「わがまま」なようにも思えるが、でも彼は「ロジャーとの生活」
「ジェニーとの生活」どちらも体験して、ジェニーを選んだのだ。
「自由意志」を持つ存在であるならば、その行動を決めるのは「自分」である、そのことを描くのだ。
この点から考えると、今作を子どもに見せる際、そこにこのメッセージは、教訓になり得るのではないだろうか?
「自分の人生は、自分で決めていい」と。
そして、この作品のもう一つの特徴は、ともすれば「オリバーはわがままだ」とも捉えられない危険性を孕んでいるが、そこに目配せをしている点だ。
それを可能にしているのは、ロジャーたちの気持ちの良いほどの「良いやつさ」だ。
自分たちよりもジェニーを選んだ。
そんな恨み言ひとつ言わず(中盤ちょっと言うけど)「Why Should I Worry?」を歌い、またニューヨークでたくましく生きるロジャー達。
彼らの嫌味のない気持ちよさ、そして「いつまでも仲間だ」という宣言が、この作品の締めくくりを風通しの良いものにしている。
「他人の決断に文句はない、でも、いつまでも『仲間』それは変わらない」
そんな無類のいいヤツたち、彼らの存在がないと、この作品のオチでこの気持ちよさは描けなかったのではないだろうか?
このバランス感なくして、今作のスッキリした締めくくりはあり得なかったであろう。
今作品を振り返って
ざっくり一言解説!!
結構、際どい綱渡りに勝利した作品!
ともすれば、「わがまま」だとも捉えかねない危険性を、うまく払拭している
まとめ
まず今作品は「暗黒期」「低迷期」というトンネルを抜ける、そんな光の見える作品だった。
「ミュージカル」という自分たちの強さを再確認した作劇。
そこに力を入れたことで、当たり前だが「名曲揃い」となっている今作品。
評論で指摘できなかったが、ギャグキャラである「ジョルジェット」の圧倒的な存在感。
そして「完璧なのも楽じゃない」という楽曲での歌唱シーンは作中でも特筆すべき、笑えてクオリティの高いシーンに仕上がっている。
この「自分たちの強み」に気づいたからこそ、「リトル・マーメイド」という傑作に今後つながるのだと言える。
そして「黄金期」が始まるのだ。
今作品はそんな「暗黒期」から「黄金期」へのブリッジになる作品だったと言える。
そして作品としても今作は挑戦的で「野良」の対比として「飼い犬・飼い猫」を描いていない。
これは、ある意味で「飼われること=裕福」という構図に陥りがちだった点をアップデートしている。
例え厳しい環境でも、支え合える仲間といる。
フェイギンも人間界では「野良」のように「寄る辺ない存在」だ。
だからこそロジャーたちは彼を支えるのだ。
そしてオリバーは一度はそこに「居場所」を見出す。
だが、そこからジェニーと出会い、彼女との「生活」を選ぶのだ。
「自由意志のある生命、だから人生を自分で決める」
それは子どもたちに今作を見せた際、教訓にもなり得る。
自分の人生は、自分できめるんだよ! と。
とはいえ今作の流れだと、それはただの「わがまま」のようにも捉えかねない、「裏切り」とも捉えかねない。
だが今作は、そんなオリバーの背中を押すロジャーたちの「気持ちの良すぎるほどの、いいヤツさ」がそれを取り払っている。
この作品がネガティブな印象で終わらないのは、彼らの存在があってこそだ。
また本論内で指摘しきれなかったが、「カーアクション」も「101匹わんちゃん」と比べても格段に進化しており、アクションの見せ方もアップデートされており、見せ場も派手で退屈しない。
観客が楽しめるように工夫も凝らされている。
などなど見どころもたっぷりな今作品。
とにかく「ディズニーの強みは”ミュージカル”」ということに気づく。
実は「ディズニー史」において重要な作品である「オリバー/ニューヨーク子猫ものがたり」
ぜひこの機会に鑑賞してみてはいかがでしょうか?
まとめ
- ディズニーの強みは「ミュージカル」だと再確認する作品。
- 自分の居場所は、自分が決める、というメッセージ。
- 上述のメッセージの「ネガティブ」さを消す、ロジャーたちの気持ちのいい「良いヤツさ」が素晴らしい!
ということで、次回から「黄金期編」に突入する「総チェック」
ぜひ、引き続きお楽しみください!