
今回は新作映画評論!
と言うことで、映画業界で話題沸騰、ジョーダン・ピール監督最新作『NOPE』を評論していきたいと思います。

この作品のポイント
- 非常に深掘りしがいのある作品
- 一見すると、意味の分からない作品だが、いい意味でそれがいい!
目次
『NOPE』について
基本データ
基本データ
- 公開 2022年
- 監督/脚本 ジョーダン・ピール
- 出演者 ダニエル・カルーヤ/キキ・パーマー/スティーヴン・ユァン
あらすじ
田舎町の牧場に空から異物が降り注ぎ、牧場経営する一家の父が息絶える。
現場にいた長男は、謎の飛行物体を目撃していた。
やがて、妹と共に動画撮影を試みた彼は、想像を絶する事態に見舞われる。
グーグルより引用
何を見ているのか、分からなくなるのが魅力!

何を語りたいのか?
さて、この『NOPE』を見た方は恐らくわかるだろうが、この作品は我々に何かを投げかけ、問いかけてくるタイプの映画だ。
それぞれの描写が一見すると無関係にも見えるし、でも紐解いていけばいくつかの「答え」のようなものを暗示させる。
いわゆる「深掘り」しがいのあるタイプの映画だ。
ただし、普通に見ると何を「軸」に作品を探求すればいいのか?
それすらも分からないかも知れない。
なので今回は「見ること」「見られること」
それらがもたらす「暴力性」「エンタメ性」と言う観点を軸に作品を振り返りたいと思う。
さて、今作は冒頭で旧約聖書のナホム書が引用される。
“I WILL CAST ABOMINABLE FILTH AT YOU, MAKE YOU VILE, AND MAKE YOU A SPECTACLE. ” – NAHUM 3.6
私はお前に忌まわしい汚物をぶつけ、卑劣な扱いをし、見せ物にする
旧約聖書のナホム書
今作の全てがこの冒頭の引用に込められている。
今作は「見せもの」にすること、されること、それらに対して問題提起をする作品だ。
昨今SNSやYouTubeなどで、他人に認知されることで「自己顕示欲」を満たしたり、反対に誰かを「見る」ことを消費する時代になっている。

「自己顕示欲」を満たしたいからこそ、モラルに反することをしてしまう人も出てくる
だが、本当にそれでいいのか?
そう言う問いかけが作中では随所に語られている。
では今作は、この現状に「批判的」な作品なのか? と思われるかも知れないが、実は単純にはそうなっていない。
実に多角的な角度の作品だというのもポイントだ。
まず今作は二つのエピソードがメインで語られる。
一つは過去に起きた痛ましい惨劇。
チンパンジーのゴーディがコメディドラマの撮影中、風船に怯え暴走し、出演者をリッキーを除き皆殺しにすると言う話。
もう一つが時勢が現代に移り、主人公OJが経営する牧場に謎の飛行物体が現れ、馬が行方不明になる事件だ。
OJは経営不信に喘ぐ牧場を立て直すために、飛行物体を撮影することに意地を見せる。
今作はこの二つの話が、直接的にではなく間接的に絡み合い展開されていく。
二つの話に確かに直接的な因果関係はない。
しかしどこか「共通」する部分がある、それを我々が探っていくことになる。
見られることが引き起こした悲劇
今作ではメインで描かれるエピソードに、チンパンジーのゴーディがコメディドラマの撮影中に、風船に驚き、出演者を殺してしまうと言う悲劇が描かれる。
この事件を間近で見てしまった子役であり、出演者の一人リッキー。
彼は大人になり、主人公OJの牧場の近くで「カーボーイ」体験のできるテーマパークを経営しており、そこで「馬」などを用いてショービジネスを行なっていた。
そして、彼は未確認飛行物体の存在に気づきながら、それを利用してショーとして見世物にしていた。
リッキーはかつて自分が動物をショーとして見せ物にして起きてしまった悲劇を体験していながら、彼自身もまた同じことを行っていた。
そして、悲劇は再び繰り返されてしまうのだ。
ある意味で彼は全く学習せず悲劇を繰り返しているようにもこの作品では見えるが、僕はここに少しエクスキューズを入れておく。
それは彼がチンパンジーのゴーディーと真の意味で友情を築こうとしかけていたと言うことだ。
彼は獲物を探すゴーディーの伸ばした手に、手を伸ばし、まるでETを彷彿とさせるように、触れ合おうとした。
だが、駆けつけた警察官の銃弾でゴーディーは目の前で射殺された。
もしかするとリッキーの中では「分かり合えるかも知れない」と言う希望、望み、自信・過信があったのかも知れない。
だが、そのれも虚しく彼は未確認飛行物体に捕食されてしまうのだ。
「見られない」「認められない」と言う暴力
今作は前述したように、ある意味で「見世物」として、動物を消費したことで起きた悲劇が描かれる。
だが、それと同時に「見世物」として「未確認飛行物体」を撮影したいというエピソードも描かれるのだ。
主人公OJはハリウッドなどで使用される「馬」の調教を行っている。
しかし父の死後、仕事は軌道に乗らず、困窮していた。
そこでリッキーに馬を売るなどして生計を立てていた。
ある日、彼は自分達の住む家の近くに「未確認飛行物体」がいることに気づき、なんとかそれを撮影して「一儲け」することを考える。
しかし、「撮影」とは本質的に「見ること」の暴力性の行く果ての行為だともいえる。
それは我々が見ている「映画そのもの」に通底する側面への忠告でもある。
特に終盤出てくるTMZのニュース記者がフルフェイスのヘルメットで登場するが、彼は顔もされすことなく、一方的に「未確認飛行物体」の映像を撮影しようしている。
まさに一方的に「見る」ことを暴力的に行う存在なのだ。
その彼の末路もまた悲惨なことになっている。
だが、今作はでは「見る」ことはいけないことと解くのか?
そう思われるかも知れないが、今作は「見られない暴力」の歴史をここに重ねてくる。
それは今作でも仕切りに引用される、世界最初の映像だ。
黒人のジョッキーが馬を駆る。
まさに「映像の原初」だ。
だが、現実の歴史では黒人ジョッキーの方は名前も残らず、撮影者の名前だけが歴史に残っている。
要は歴史的に差別で「見られない」「存在を認められない」暴力性もまた存在したわけだ。
その歴史に対峙するようにOJが馬を駆り「未確認飛行物体」を撮影する。
そのことで、自分達の存在を証明しようと、大作戦を行うのが今作のクライマックスになっている。
歴史的に虐げられてきた我々の存在を、なんとか認めさせるんだ。
そんために大仕掛けで撮影の作戦をこなしていくシーンは、高揚感すら漂ってくる。
このように「見る」ことの暴力性を描きながら「見られない」ことの暴力性を重ねて描く。
そして、それらを一見、バラバラな要素で最終的には答えのようなものに導いていく、この手腕には心底驚かされたと言わさるを得ない。
当然、ポカンとする人がいるのもわかる
と言うことで、個人的には考察の余地や、情報の出し方など、様々な点で面食らわされた映画で楽しめました。
だが、まぁ二つのテーマの置き所。
それを描くための情報の出し方、歴史的背景。
そして、あまりにもスペクタクルで燃える展開の数々。
どこを切り取ればいいのか、分からなくなる人もいるだろう。
そのあまりにもハイブロウすぎるコンセプトが、受け付けられないと言う人がいるのもわかる。
支離滅裂だと言う意見もわかる。
ただし以下のように関係しないと思われる二つのエピソードで、関連している点もある。
- 目を見ることで「襲われる」・・・ゴーディの目を見た人だけが襲われ、「未確認飛行物体」を見た人が襲われている
→これは「見ること」「見られること」についての問題提起 - 風船・・・ゴーディーが暴れる原因であり、「未確認飛行物体」と戦う武器
- 「見ること」の悲劇と「見られない」悲劇・歴史
チンパンジーの場面や、飛行物体が家の上空で撒き散らすものが何か?
グロテスクな映像シーンもあり(ただし、ホラーという触れ込みだが、そう言う観点からは決して多くはない)、でもスペクタクルですらある。
まぁいい意味であまりにも「変な映画」だと言わざるを得ないのも事実ではある。
だが、「変な作品」と切り捨てるには惜しい、非常に深掘りしがいのあるタイプの作品ですので、ぜひ一度挑戦してみてはいかがでしょうか?
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
ハイブロウで変な映画だが、面白さが詰まっている!
好き嫌いは分かれる映画だといえる!
まとめ
今作は様々な深掘り要素が溢れた作品だ。
「見る」「見られる」関係性。
「見られなかった」と言う差別の歴史。
そして、「承認欲求の暴走」
歴史的な視点や、現代社会の問題。
それらを一見すると「全く関係ない話」で描きながら、でも最終的には浮かび上がるテーマが見えてくる。
これほど巧みな誘導があるのかと、僕は非常に感心させられた作品でした。
深掘りしたり、探究しながら映画を見るのが好きな方は、ぜひ是非オススメしたいと思います!!
まとめ
- ハイブロウな作劇にハマれるかが鍵!
- 深掘りするタイプの作品が好きな方にはオススメ!