映画評 評論

【映画記事】「ノマドランド」が描く、「美しさ」と「厳しさ」【2021年代表作】

2021年3月28日

 

今日も「アカデミー賞」作品部門にノミネートされている作品をご紹介。

下馬評も高く、大本命と言われている「ノマドランド」を徹底評論していきます!

 

編集長
ド本命の作品ということで、注目度も高い作品ですよー!

 

 

この作品のポイント

  • 明確な物語性は無い、ただ「情景」で物語が語られる。
  • 「フィクション」と「リアル」が共存する作品。
  • 「ヴァン」での車中生活の「過酷」さが際立つ作劇。
    ただ、それでも、そういう生活に「憧れさせられる」部分もある。
  • 同時に安易な「ノマド」憧れの警告の側面もある。
  • 2度訪れる「脱ノマド」への道。
    「ファーン」の答えは?

「ノマドランド」について

基本データ

基本データ

  • 公開 2020年(米)、2021年(日本)
  • 監督 クロエ・ジャオ
  • 脚本 クロエ・ジャオ
  • 原作 ジェシカ・ブルーダー『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』(春秋社)
  • 出演者 フランシス・マクドーマンド/デヴィッド・ストラザーン/リンダ・メイ/シャーリーン・スワンキー

あらすじ

企業の破たんと共に、長年住み慣れたネバタ州の住居も失ったファーンは、キャンピングカーに亡き夫との思い出を詰め込んで、〈現代のノマド=遊牧民〉として、季節労働の現場を渡り歩く。

その日、その日を懸命に乗り越えながら、往く先々で出会うノマドたちとの心の交流と共に、誇りを持った彼女の自由な旅は続いていく──。

「ノマドランド」公式サイトより引用

情景が物語る作品

経済破綻により生まれた「ノマド」(遊牧民)

 

この作品の主人公「ファーン」は2008年の「リーマンショック」に端を発す「経済危機」により、街の工場が閉鎖。
その結果、企業城下町であった街ごと放棄せざるを得なくなり、「車上生活者」つまり「ノマド」になったことが描かれる。

 

倉庫に預けた亡き夫と暮らした頃の家財道具を車に積み込み、彼女の「遊牧」は始まるのだ。

 

そしてファーンは、各地を「短期間の職」を求めて移動していくことになる。
そこで出会った、自らと同じ境遇の者たちと、心の交流を深めていくのが今作だ。

 

基本的に物語はこれだけだ。
そこで出会った仲間たちとの交流、そして各地を移動する。
その繰り返しで、ファーンの心の機微が丁寧に描かれるのだ。

 

今作の「ノマド」というのは、現代日本でも意味する「ノマドワーカー」のように若者ではない。
最近では日本でも「ヴァン生活」「車中泊生活」されている方もいるようですが、それらのメイン年齢とも異なる。

 

この作品の「ノマド」たちは「高齢者」なのだ。

 

こうした「高齢者」の方々も、今作では「経済破綻」に端を発する「不景気」で家を手放さざるを得なくなり、「ハウスレス」「車中泊生活」をしている。

 

今作ではそんな「高齢者ノマド」とファーンが出会うのだが、そこでファーンと親しくなる「ボブ」「リンダ」「スワンキー」は役者ではなく、現実に「ノマド」をしている方々だというのだから驚きだ。

 

そういう意味では今作は「フィクション」でありながら、でも実際の「ヴァン」の中の様子や生活の様子は、限りなく「リアル」に近い。
つまり「フィクション」と「ノンフィクション」の両立をしている作品だとも言えるのだ。

 

 

だからこそ、この作品には「真に迫る」ものがある。
画面から伝わるのは「映像情報」だけではない、カメラは、そこに確かに存在する「現実」を切り取っているのだ。

 

だからこそ、今作の臨場感に圧倒されてしまう。
そういう意味では、間違いなく「映画館」で見るべきタイプの作品であることは間違いない。

後年「TV」や「タブレット」で見ると、魅力が大きく半減するタイプの作品だとも言えるのだ。

 

 

ポイント

✅「現実」「フィクション」がないまぜに描かれている、限りなく「リアル」に近い臨場感に圧倒される。

「ノマド」の過酷さ、それでも何故か「憧れる」

 

先程から言うように、今作は「ロードムービー」とも言える。

職を求めて移動をし、そこで出会う「ノマド」たちとファーンは交流を深める。
前述したとおり、これ以上の物語はないのだ。

 

「砂漠の集い」というボブが主催の「ノマド」生活者の交流会でのひととき。
車上生活の「厳しさ」をファーンに教えるスワンキーとの友情。
同じ職場で働いたリンダ、そして「ノマド」という特性上、二度と会えない寂しさ。
「ノマド」をやめるデヴィットとの交流。

それらが、ファーンに小さな変化をもたらしていく。

そこには、小さな幸せも描かれている。

 

 

だが、作品を見ていると終始「明日もわからぬ生活」への不安と、「車上生活の過酷」さが我々に突き刺さる。
アメリカという広大な土地。
当然、整備された「車中泊可」の場所も用意されていない。

 

 

こういう言い方では、怒られるかも知れないが、あえて批判覚悟で言わせてほしい。

今作の「ノマド生活」は「キャンプ」みたいな「楽しい」ものではない、挑戦でもない、生きるための「手段」なのだ。
(もちろん、日本でも過酷な「車上生活者」もいるだろうが)

 

 

車がパンク・故障すれば「命取り」だし、デビットのように「病気」になれば、近くに人がいなければ、確実に「死ぬ」
当然土地も広大な分、ガソリン補給一つでも気をつけなければならない。

いくら寒くても「暖房」を使うのも、燃費を考えると、使うわけにいかない。
実際にファーンは寒波の中で「布団」を何重にも重ねて凌いでいた、

 

そして「トイレ事情」もまた過酷だ。
コンビニが、日本のように当然数キロおきにあるわけではない。

実際今作は、ファーンの放尿シーンが冒頭で描かれ、中盤にも社内で下痢を催す様子が描かれる。

まさに「トイレ事情」も「ノマド」にとっては死活問題なのだ。

 

 

さらに「公共浴場」のような施設も無いので、シャワーで身体を清潔に保つのも困難。

現代の「コロナ禍」を考えれば、それこそパンデミックを起こせば、一瞬で感染拡大し、取り返しのつかない事態になることは容易に想像できる。

そもそも論「移動」した先に「仕事」がある保証もないのだ。

 

 

今作を見て、「ノマド」生活に憧れることなど到底出来ない・・・はずだ。

 

 

だが、それでも今作の「ノマド」たちの生き方には「憧れ」を抱いてしまうのも否定できない。

それは、登場人物たちが「心のまま」に生きているからだ。

 

印象的なのは「スワンキー」のエピソードだ。
彼女は「ガン」を患い、余命半年余り。

その少ない人生を「ベッド」の上で「死を待つ」生き方はできない。
「社会性」のようなものに縛られたくない。

見たい場所・行きたい場所にたどり着くことこそが重要だ、とファーンに告げる。

 

これは、我々の人生にも当てはまる。
我々もこの先「何十年」生きられる保証などない。
その事を潜在的に理解しているからこそ、「心のまま」に生きるスワンキーの生き方に共感してしまうかれではないか?

そんな事を考えさせられてしまった。

 

 

ポイント

✅「ノマド」の「厳しさ」が徹底的に描かれる。

✅それでも、そんな生活に憧れる感情も生じる。

「ノマド」をやめる者・やめない者

 

今作では、ファーンへ「定住」への誘いが2度ある。

 

 

一度は家族である妹からの誘いだ。


そして二度目はデビットからの誘いである。

 

 

まず一度目だが、車の修理代調達のために、ファーンは妹の家へ足を運ぶことになる。
そこで妹家族と再会することになる。
そして、妹はファーンに、彼女が早くに家をでたこと、ずっと会えなかったことの寂しさをぶつけ、彼女に「一緒に暮らそう」と提案する。

 

二度目は「ノマド」仲間であり、息子からの誘いで「ノマド」をやめたデビットの誘いだ。
彼はファーンに恋心を抱いていて、彼女に「一緒に暮らそう」と、再婚の申し込みをするのだ。

 

この作品で2度ファーンは「定住への誘い」をうけるのだが、どちらの提案に対してもファーンの心は揺れ動くのだ。

しかし結局は、その提案を断ることになる。

 

まず妹からの誘いだ。
心揺らぐファーンだが、妹家族の心無い「儲け話」にうんざりし、反論をする。
ファーンにとって、金銭的に苦しい人々を「ローン」に縛り付けて、自らの儲けとする「不動産」に、心底嫌気がさすのだ。

 

それは彼女が、ある意味で「リーマン・ショック」本質的には「サブプライム住宅ローン」問題により引き起こされた「金融危機」で全てを失った。
そのことへの怒りをもっていることの現れだ。

そして、こうしたある意味で「雲の上」で起きた「天変地異」のような出来事に、人生を狂わされた人々を見てきたファーンは、やはりそのことが許せないのだ。

 

だからこそ、彼女は、その誘いを断ることしか出来なかった。

 

次にデビットからの誘いだ。
「ノマド」をやめ、そして息子家族と暮らすことを決めた彼の車。
ビニールシートが貼られ、タイヤもパンクしたまま。

随分動かしていない形跡が描かかれ、完全にデビットは「ノマド」をやめたことが語られる。

 

編集長
今まで、「車」は命を支えてくれる「相棒」のような存在なのに、
それが放置されている、つまり完全に「ノマド」をやめたことを意味している

 

この2人は旅先での交流や、ファーンの大事なお皿をデビットが不注意で割るなど、今作の中では特に深く交流をしている。

 

そんな中でデビットはファーンに恋をしていた。
ファーンも彼に「好意」は少なからずあったはずだ、でも、それは「ノマドのデビット」に対してだ。
彼と「屋根の下」で安定した生活を彼女は想像できないのだ。

亡き夫のこと、自分を「ノマド」に追いやった、自分の力では及ばぬ出来事に翻弄されたこと。
彼女は二度と、何かに大切なものを「奪われたくない」のだ。

だからこそ、誘いには乗れないし、彼女は黙ってデビットの元を去る。

 

 

ただ、ここでファーンはデビットの生き方を否定することはしない。
実際に「安住の地」で生きることを、一瞬でも彼女は考えたはずだ。
それでも「ノマド」を彼女は選ぶのだ。

 

重要なのは、ファーンは自分の生き方に「確固たる自信」があるわけではない。
心の奥底では「間違っている」と思っているのかも知れない。

ましてやデビットを「ひよりやがって」と否定はしていない。

ただ、「心の声」に従い彼女は「ノマド」を選び「旅」に出るのだ。

 

そして「海」にたどり着く。
どこまでも続く水平線、しかし荒天。
これは、確かに「自由」だが、その生き方は「厳しい」ということを物語っているのだ。

 

 

ポイント

✅2度訪れる「安住」への誘い。

✅「二度と失いたくない」からこそ、「安住」を求めないファーン。

✅その生き方には「自由」があるが「厳しさ」もある。

「さよなら」の意味

 

「ノマド」とは「遊牧民」
「安住の地」を持たず、居住場所を変えながら旅をする存在だ。

つまり、「縛り付けるもの」のない存在だといえる。

 

 

ポイント

「ノマド」の日本での意味合い。

日本では「自由な生き方」「何にも縛られない」という、ある意味で「企業」「縛り付けられる生き方」の反対する意味で、非常に「好意的」な意味合いが強い言葉だ。

しかし本質的には、「すべての責任が、”自分”にある」

つまり、最も厳しい生き方でもある、そのことが見落とされている気がする・・・。

 

 

だが、この作品を見ていると、本当に「ノマド」たちは「何にも、縛られていない」のか?
それを深く考えさせられてしまう。

というのもこの作品でファーンを始めとする登場人物皆が、「大切なものを無くした」
そのために「ノマド」になったことが示唆される。

 

ファーンもそうだ。
「最愛の夫」と死別したことに、深い悲しみを感じ続けている。

だからこそ、本来「自動車泊生活」に必要のない家財道具などを倉庫に預け、保管していたのだ。

 

 

それは、つまり「過去に縛られている」ことに他ならないのではないし、「思い出に縛られている」ことと同義だと言えるのだ。

 

 

この作品で最後に、ファーンはボブと再会する。
そこで、彼は息子が自殺したことをファーンに告げる。
そして、彼自身もまた「過去に縛られている」ことを告白するのだ。

 

 

だけど同時に彼は「ノマド」にとっての「GOOD BAY」の意味をファーンに告げる。
それは「さよなら」ではない、「また、どこか出会おう」というものなのだ。

 

この生活には「別れはない」
つまり、この言葉こそファーンが最も欲しかった言葉なのだ。

 

「ノマド」である限り「別れはない」
そして、最愛の人は「心の中にいる」
いつか、その人と「再会」できる希望があるのだ、とボブは告げる。

 

 

だからこそ、最後に彼女は倉庫にしまっていた思い出の品を全て処分し、廃墟と化した、かつての家にたどり着く。

 

 

この「思い出」に縛られている限り「さよなら」は「さよなら」でしかない。
その「思い出」に一区切りつけることで、ようやく「さよなら」は「また、会おう」という意味に変化するのだ。

 

 

だからこそ、最後には、これまでと変わらぬ生活をファーンは続けるのだ。
ここまで同じ状況であっても「過酷」さが際立っていた。
だが、ここにきた彼女を「縛っていたもの」は消えたのだ。

 

だからこそ、少しだけ「希望」のようなものが画面から伝わってくる。

そして、物語は締めくくられるのだ。

 

 

ポイント

✅「さよなら」を「さよなら」にしないため、ファーンは「過去」に踏ん切りをつける。

✅過去に縛られたファーンが、真の意味で「自由」になるからこそ、ラストに「一縷の希望」を感じる。

確かに「憧れる」生活だが・・・。

 

この作品を見て最後に思って事を述べておきたい。

 

それはファーンたち「ノマド」の生活は、やはりどこまでも「過酷」だし、「自由」というものとは程遠い。

 

もちろん、今作の「ノマド」の方々の生き方に感銘を受ける点はいくつもある。
「誇り」を貫く姿に「美しさ」すら感じた。

 

特にスワンキーの行く末は感動的であった。
彼女は最後の場所を自ら選んだのだ。
ずっと「憧れていた場所」で本懐を遂げ死ぬことが出来たのだ。

 

編集長
だけど「最期」はきっと誰にも看取られなかったのだろう

 

 

だからこそ、この生活を安易に僕は「肯定」する気持ちにはなれなかった。

 

何度目かの繰り返しになるが、今作で描かれる「ノマド生活者」は「キャンプ」の延長線上や「セーフティー・ネット」の上に成り立つ「車中生活者」ではない。

 

 

編集長
そもそも、もともとファーンたちは進んで「ノマド」を選んだわけではない、
元々は「そうならざるをえなかった」のだ

 

 

広大な「アメリカ」の国土。
圧倒的な不自由さ。
現実の不条理さ。

 

それらが「ノマド」たちの肩に重くのしかかるのだ。

 

それでも彼らがこの生活をやめないのはなぜか?
今作では幸運にも、ファーンには「やめるチャンス」が2度も訪れる。
それは、これが「映画」だからだ。

 

現実を見れば、「ノマド」たちには差し出される手が、ないのではないか?

 

 

だからこそ、逆に「誇り」をもって彼らは「ノマド」を続けるしか無いのだ。

 

「誇り」がなければ、自分の置かれた状況に「絶望」してしまう。

そうならない為に「ノマド」は「誇り」を持ち続けいるのではないだろうか?

 

そんな風に僕は感じてしまった。

 

もちろん、現在「ノマド生活」をしている方々、その中には過酷な現実を生きている方もいるはずだ!

 

だからこそ、逆に僕は「ノマドランド」を見て、安易な気持ちでこの生活に「憧れ」を抱くものではないと感じた。

 

 

ポイント

✅「過酷」な現実を描いているからこそ、「安易」にこの生き方を「肯定」すべきではないと感じた。

✅「美しさ」だけを「肯定」してはならない、そういう忠告も感じ取れる作品だった。

 

今作を振り返って

ざっくり一言解説!!

安易に「ノマド生活」に憧れては、いけない!

個人的には、安易な「ノマド」憧れに対する警告でもあると感じた

まとめ

 

今作を見ていて「ノマド」に憧れを感じる方も多いと聞くが、僕は全く真逆の印象を受けた。

「ノマド」という言葉で想像するイメージに対して、厳しい現実を突きつける、要は安易な「ノマド」憧れに対する「忠告」と思えた。

 

だが、それでも今作の最後に「希望」が残るように感じるのはなぜか?
(それが鑑賞後に「憧れ」という気持ちにつながったのだと思うのだが・・・)

 

それは「ファーン」が「過去」に縛られなくなったからだ。
彼女は終盤まで「ノマド」ではあったが、「過去」に縛られていて、ホントの意味で「自由」ではなかったのだ。

そしてただ「さよなら」を恐れていたのだ。

 

 

だからこそボブの言葉で彼女は「過去に一区切り」をつける決意をする。
そして、彼女の中で「さよなら」の意味が変わるのだ。

だからこそ彼女は、「真」の意味で最後に「ノマド」になった。

 

 

そもそもファーンは「ノマド」に「ならざるを得なかった」
だけど、最後には、「ノマド」になったことで、彼女は「一歩前に進めた」のだ。
つまり、そこに「ポジティブ」な要素が加わるのだ。

 

「過去に縛られず」「さよなら」を恐れない。
そんな風に彼女が変化したから、「一縷の希望」があるように描かれるのだ。

 

 

だが、それは逆に、彼女が「戻ってこれない」
つまり「安住の地」を得るという選択肢を完全に失ってしまった、そういう風にも見えてしまった。

 

もちろん、これは僕の考えだ。

恐らく他の方が見れば「別の視点」でこの作品を語ることは出来るし、ぜひそういう感想を読んでみたい。

 

ただ、間違いなく言えるのは、見れば「ぶっ刺さる」事間違いないのだから、とにかく「映画館」で見てほしい作品だと思うので、心のそこから「オススメ」です!

 

 

まとめ

  • 安易な「ノマド」憧れに対する忠告といえる作品だといえる。
  • 「ファーン」にとって「一縷の希望」があるラストだが、逆に「もう戻れない」ことを示唆している。

ということで、読了お疲れさまでした!

映画評 評論

2021/7/22

【映画記事】『竜とそばかすの姫』ーネットと現実ー

  今回は久しぶりに「新作映画」の評論です! ということで今日は、細田守さんの新作映画『竜とそばかすの姫」を見てきましたので、早速深堀り解説していきたいと思います!     今作のポイント 細田守の総決算!! 作り手は、ネット・SNSが悪いものではない、それ以上に「人間を良くする」と信じている! 今の「現実」と「ネット」の複雑な関わりが、物語を複雑にしている。 目次 『竜とそばかすの姫』について基本データあらすじインターネットの可能性を信じる男、細田守細田守の足跡ネガティブではなく、ポジティブに「インター ...

ReadMore

ディズニー総チェック 評論

2021/7/10

【映画記事】『ズートピア』ーディズニー史上、最もパーフェクトな作品ー【ディズニー総チェック】

  さて、今回も「長編ディズニーアニメーション」を公開順に鑑賞し、批評する「ディズニー総チェック」をやっていきたいと思います! ということで今日は通算55作品目の『ズートピア』を取り上げます。   とにかく「パーフェクト」「非の打ち所がない」作品なので、語るのが大変ですが、今日も頑張って深堀りしていきたいと思います。   今作のポイント 過去のディズニー作品の「負」を精算する作品。 ストーリー、物語構成、テーマ、全てが素晴らしい! 「新生ディズニー」の到達点! 目次 『ズート ...

ReadMore

ディズニー総チェック 評論

2021/6/28

【映画記事】『ベイマックス』ーDIY精神こそ「マーベル」【ディズニー総チェック】

  今日も「ディズニー長編アニメーション」を公開順に鑑賞・評論をしていく「ディズニー総チェック」 ということで、今回は通算54作品目『ベイマックス』について深堀り解説していきたいと思います。   今作のポイント 原作が「マーベル・コミック」であるということ。 「ヒーロー映画」と見るか、「ハートフル映画」と見るのか? DIY精神こそ「マーベル」である。 目次 『ベイマックス』について基本データあらすじ特筆すべきは原作が「マーベル作品」であるということ「ディズニー帝国」の歩み原作は「マーベ ...

ReadMore

ディズニー総チェック 評論

2021/6/22

【映画記事】『アナと雪の女王』ー史上最高傑作誕生ー【ディズニー総チェック】

    さて今日は「長編ディズニーアニメーション」を公開順に評論していく「ディズニー総チェック」 今回は通算53作品目、そして、現状「ディズニー史上最高傑作」の一本と誉れ高い『アナと雪の女王』を徹底的に深堀りしていきたいと思います。   思えば、人生で最初に「映画評論」的なことをした作品も、『アナと雪の女王』で。今にして思えば、この作品を語ったところから、「映画を見る」だけでなく、そのあと「評する」楽しさを教えてくれたのが、この作品なんですよね!   ということで、 ...

ReadMore

映画評 評論

2021/6/15

【映画記事】『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』ーできるだけ、わかりやすく深堀りー

  さて、今日は久々に新作映画の深堀り解説をしていきたいと思います。 ということで紹介するのは『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』です!   この作品のポイント シャア・アムロの思想を受け継ぐのが、ハサウェイ。 しかし、理想と現実に隔たりがある。 それでも「テロ」を起こして世界を変革しようとする男の物語。 目次 『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』について基本データあらすじシャアとアムロを継ぐ男簡単に今作までを振り返る大きすぎる思想と、現実のギャップ今作を振り返ってまとめ 『機動戦士ガンダム 閃光のハ ...

ReadMore

-映画評, 評論
-

Copyright© Culture Club , 2021 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.