
今日は「Netflix」にて独占公開中の新作映画、「泣きたい私は猫をかぶる」を紹介します。
ちなみに、チョーどうでもいい話をすると、ここ3年間。
僕の中で「ネコがきてます」笑
甘えたと思ったら去っていく、あの人間に媚びない感じがクセになるんですよねぇ。
とりあえず僕は「猫推し」という無益情報でした・・・
この記事を読むと
- この映画の主題は「猫をかぶる」ということに気づく。
- 見てない方は、今すぐ見たくなる。
目次
「泣きたい私は猫をかぶる」について
基本データ
- 公開 2020年(Netflixにて独占配信作品)
- 監督 佐藤順一/柴山智隆
- 脚本 岡田麿里
- 声の出演 志田未来/花江夏樹/寿美菜子 ほか
本来ならば「劇場公開」予定でしたが、コロナウィルスの影響で「Netflix限定配信」になったんだよ
あらすじ
私はあたなの力になりたい。好きって言われたい―
笹木美代(ささき・みよ)は、いつも明るく陽気な中学二年生の女の子。
空気を読まない言動で周囲を驚かせ、クラスメイトからは「ムゲ(無限大謎人間)」というあだ名で呼ばれている。
しかし本当は周りに気を使い、「無限大謎人間」とは裏腹に自分の感情を抑えて日々を過ごしていた。
そんなムゲは、熱烈な想いを寄せるクラスメイトの日之出賢人(ひので・けんと)へ毎日果敢にアタックを続けるが全く相手にされない。
めげずにアピールし続ける彼女には誰にも言えないとっておきの秘密があった・・・。
それは、猫の姿になって 大好きな日之出に会いにいくこと。
実はムゲは、ある夏祭りの夜お面屋にいた猫の店主から、「かぶると猫へと姿を変えることができる」という不思議なお面をもらって以来、猫・太郎として日之出の家に通っていたのだ。
普段はクールに振舞う日之出だが、太郎にだけは素直な気持ちを打ち明けることができ、いつしか太郎は日之出の支えになっていた。
≪人間≫のときには距離を取られてしまうが、≪猫≫のときには近づけるふたりの関係。
ムゲもまた、猫でいれば周囲との関係に悩むことない自由さを知り、次第に心地よさを覚えていく。
猫として長く過ごすほど、いつしか猫と自分の境界があいまいになるムゲ。
ある日、再び現れた猫店主から、猫の“お面”とムゲの“顔”を交換し、≪人間≫を捨て≪猫≫として生きるよう迫られる・・・
このままずっと、彼のそばにいたい。
でも、《私》に戻ることができなくなる――
自分が誰に支えられているのか。大切なものに気がつくとき、二人の世界が変わり始める。
公式サイトより抜粋(https://nakineko-movie.com/)
ちなみに「スタジオコロリド」制作の「BURN THE WITCH」も楽しみ!!
「猫をかぶる」が真実になってしまう

「猫をかぶる」「猫被り」について
そもそも「猫をかぶる」という言葉はどういう意味か?
- 「本当の姿」「本性」を隠して、おとなしい人格として振舞う。
- 「知っていながら、知らないふりをする」
では、なぜ「猫をかぶる」という言葉が生まれたのか?
その語源には2つの説があると言われている。
①猫を”うわべだけ柔和で内心は貪欲だったり、陰険だったりする”ものと捉えたという説。
②「猫」は、「ねこ」のことではなく、「ねござ」のことを言っているという説。
おそらくは2つの意味がかけ合わさり、つまり「むしろ」の「ねこ」が、動物の「猫」とかけあって現在の意味になったと考えられている。
また「猫被り」という言葉もある。
- 本性を表に出さないようにしておとなしく殊勝なふうを装うさま、をさす言葉・表現。
本作は言葉の意味を知ると「猫をかぶる」「猫被り」こそがテーマであると言える。
「美代」の「ムゲ」という偽りの姿
今作の主人公「美代」は「ムゲ」(無限大謎人間)という変わったニックネームを持つ少女だ。
正直なところ物語の冒頭での「美代」の行動は「謎」が多すぎて感情移入するのに時間がかかってしまった。
いくら好きな男子がいても「ヒップアタック」で「挨拶」は理解できない。
おそらくそういう方も多いはずだが・・・。
これは、我々観客にも意味不明。
つまり「謎」な行動をする「美代」の「ムゲ」っぷりを一発で表現する手段としては最適だ。
ちなみに今作の「猫に変身する」という設定で、「猫をかぶる」という作品タイトルの意味を「なんとなく推察」した方も多いだろう。
だが今作を鑑賞すると、この時「美代」は既に「猫をかぶっている」のだ。ということに気づくことになる。
それは特別な「猫に変身」するという力云々ではない。
むしろ言葉の意味として「猫をかぶる」ということなのだが・・・。
それは「ムゲ」というニックネームで呼ばれる「美代」という姿で見られたい。
つまり「ムゲ」という仮面を被っているということだ。(これは「猫被り」という言葉の方が近い意味合いだが)
「美代」はなかなか複雑な家庭環境で育っており、両親が離婚。
父親に引き取られ、今の父親の恋人(再婚予定)の薫さんと暮らしている。
いわば彼女は「大人の事情」に振り回されていると言えるのだ。
ポイント
✅ 「ムゲ」という姿が、既に「猫をかぶっている」ということ。(「ムゲ」という名前が、本当に「猫」の名前でありそう)
「猫をかぶった」姿が本当の「美代」だと考える周囲の人間
複雑な家庭環境で「美代」は少しずつ無理をしていく。
両親の離婚後、母親「実紀」との関係。
別の恋人と出会い「美代」を捨てた「美紀」だが、物語の冒頭「一緒に住もう」という無神経な提案をしたりする。
また共に暮らす父と再婚予定の相手であり、いわば義理の母になる「薫」と「美代」の関係。
そして「美紀」と「薫」の、どちらが「美代」のことを思っているか?
という揉め事など。
文字に起こすだけで「美代」がどれほど苦労しているのかがわかると思う。
さらには小学生時代には「両親のこと」で「イジメ」にあってしまう。
これほど「大人に振り回される」のははっきり言って不幸だ。
そこから「処世術」として「猫をかぶる」ことを「美代」は覚える
まだ幼い「美代」は「猫をかぶる」ということを覚える。
「薫」と父が再婚すること。
母には捨てられたが、それでも「母が好き」という気持ちを持つ「美代」は、そのことに傷つかないはずがないのだ。
だがそれでも父の幸せを考えてしまう「美代」は「無理して笑い」
自分心のうちの「本音」を言わずに「大人しく受け入れよう」とするのだ。
だからこそ、周囲は「美代」が納得しているようにも見えてしまうのだ。
だからこそ「美代」が心のうちをぶちまけるシーン。
本当の思いだからこそ、そこには切実さが込もっている。
そして「好きな人」に「ヒップアタック」など過剰なスキンシップをとるいう振る舞い。
これも周りの人間から見ると「好きな相手に付きまとっている」「謎な行動」に見えるのだが本心は別。
むしろ「好き」という言葉をきちんと相手に伝えられないが故の行動なのだ。
あまりにも「美代」の「やりすぎ」で「本気度」が見えにくい行動。
「本気」か「本気ではないのか」曖昧にすることで、
「好かれなくても」「本気ではない」
と逃げ道のようなものを作っているように見えてしまった。
実際に物語が進み「美代」が変身した猫”太郎”に本音を打ち明ける「日之出」も「あいつみたいに、自分の思いをはっきり口にできたら」と吐露する。
だが実際は違う。
「美代」は本音を言ってはいないし、むしろそれができずに苦しい思いをしているのだ。
ポイント
✅ 周囲は「猫をかぶった」姿(=ムゲ)を「美代」の”本当の姿”だと認識してしまう。
✅ 本当の姿は「言いたいことも言えない」「複雑な環境」に思い悩む「美代」
「好き」と言われたいから「好き」と言おうとする変化

「好かれたい」思い
さて今作で「美代」が抱く欲求の1つに「好かれたい」という思いが存在する。
これも彼女がおそらく「美紀」に捨てられた。
というのが起因していると言える。
「好かれたい」つまり「好き」と言われたい、究極的な人間の欲求だと言えるこの感情。
本当は「薫」にも愛されたい、だけど血の繋がってない自分を本当に「愛してくれるのか」「好きになってくれるのか」
その悩みが故に「美代」は「人を好きにならない」ように生きようとするのだ。
自分が「好かれない」ことで傷つくくらいならば、「人を好きにならないよう」に努力する。
こうして彼女にとって世界はどんどん、「必要のないもの」「なくなってしまって良いもの」になっていく。
そこで彼女に「好きになる」という感情を取り戻させるのが、猫に変身した際に出会う「日之出」なのだ。
しかしそこで「好き」とストレートに言えない彼女は「好き」と言われたい思いを抱く。
それは「猫」である”太郎”に変身している際にかけられる言葉だ。
そして「好き」ということを、勇気を出して伝えようとした際に起こる出来事で「美代」は大きな傷を負う。
そのことで彼女は「人間よりも猫として生きる」
つまり「自分を偽る”猫を被り”生きる」ということを肯定してしまう。
言葉の意味として「猫をかぶる」
ファンタジー設定として猫の仮面を被り「猫になる」
そこから本当の自分を取り戻すことが後半の主題となる。
今回の物語は、そこからいかに「正直」に生きるのか。
そうした思いを取り戻す話だと言える。
ポイント
✅ 今作は「正直」に生きることを取り戻す。つまり「猫をかぶる」ことをやめることを選ぶ物語だと言える
エンドロールの後日談が個人的には「好き」

後日談系のエンドロールはお得感が増す
個人的には、後半の「猫世界」での冒険や、自分を取り戻す物語構成は概ね上手くいっていると思う。
そしてエンドロール。
僕はこういう後日談が語られるエンドロールは好きです。
「ヨルシカ」のテーマ曲も感動5割増しなんです。
しかも「薫」「美紀」とのやりとりが、静止画にセリフが綴られていくスタイル。
本編でやると、どうしても「お涙頂戴」的展開になりそうなところを、さらりと処理しているのが、個人的にはGOOD。
猫の「きなこ」との関係性も、これくらいの距離感で終わる方が「猫」っぽい。
「きなこ」と「薫」
個人的にグッときたのが「薫」と飼い猫「きなこ」の関係性。
「きなこ」はずっと飼っててくれた「薫」の幸せを願っている。
そのために彼女が「美代」と仲良しになれば幸せになれのでは?
と考えている。
この物語で冒頭から「きなこ」が「美代」に懐いて無さそうな雰囲気はそれが原因だ。
だからこそ「きなこ」は「人間の仮面」(=「美代」)を被り、「美代」として生きることで「薫」を幸せにしようとするのだ。
しかしそのことで「きなこ」がいなくなることで悲しむ「薫」という姿を見て、「美代」「きなこ」が元の姿に戻ろうと協力するのも、個人的にはこの映画の好きなところ!!
今作を振り返って
ざっくり一言解説!
「猫をかぶる」という言葉について考えさせられた!!
まとめ
今回は「猫をかぶる」「猫被り」という言葉の意味から、物語を見ていくということをしてしまい、難産な評論になってしまいました。
そう言えば僕も「猫被り」なのかもしれない。
考えると。
なんとか難しい評論方法に挑戦して、「差別化」「特別感」あるキャラに見られようとしていた。
まぁ、それも上手くいってないのだろう。
でもこう見られたい。という姿を演じることが「全てが悪い」ことだとは当然思わない。
「美代」も「猫をかぶった」(言葉の意味的にも、物語のファンタジー要素としても)からこそ、本当の自分の気持ちに気づけた。成長できたのだ。
そう考えると「猫をかぶる」のも悪いことではないのかもしれない。
でも、こういう言葉の意味から考えて文章を組み立てるのは「難しい」なと、改めて”まだまだだな”と思わされる評論にもなりました。
というわけで、読了ありがとうございました。
また別の記事であいましょう!!
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