
今日は「もののけ姫」を映画館で見てきましたので、その感想を書いていこうと思います。
まぁ、わざわざ僕なんかが語る必要もない「傑作」ですよ!!
とりあえず先に一つ言っておくと、この機会にぜひ「一生に一度は、映画館でジブリを。」するのがオススメですよ。
今作に対する”僕なり”のポイント
- 「生きろ」というテーマが秀逸すぎる。
- 「環境保全」と「人類=生命の営み」どちらにも「肩入れ」しない結末。
目次
「もののけ姫」について
基本データ
- 公開 1997年(再公開 2020年)
- 監督/脚本 宮崎駿
- 声の出演 松田洋治/石田ゆり子/田中裕子/小林薫/美輪明宏/森繁久彌 ほか
あらすじ
中世・室町期の日本。
いまだ人を寄せ付けぬ太古の深い森の中には、人語を解する巨大な山犬や猪などの神獣たちが潜み、聖域を侵す人間たちを襲って、荒ぶる神々として恐れられていた。
エミシの末裔のアシタカは、人間への怒りと憎しみによってタタリ神と化した猪神に呪いをかけられ、それを解くために訪れた西の国で、数奇な運命に巻き込まれていく。
森を切り開こうとするタタラ製鉄集団とその長エボシ御前、森を守る山犬一族、そして山犬に育てられた人間の少女サン。
アシタカはその狭間で、自分が呪われた理由を知り……。
Amazon製品紹介ページより抜粋
語り口のスーマートさ

今作(ジブリ作品)との距離感
そもそも、僕は初公開時に劇場で本作を見ていない。
「金ロー」での放送、レンタルビデオで後追いで見たのが記憶にある。
「すごい作品」であるということは、なんとなく世相の評価、そして観賞後にそう思ったことを覚えている。
それから「すごい」ということを、”わかっているつもり”になって、改めて見ようと思わずに今日まで生きてた。
で僕は基本的に「ジブリ作品」いわゆる「宮崎駿監督作」ですけど、基本的に「ストーリー」は知ってるけど・・・。
くらいの距離感、まぁ「ジブリ弱者」です。
劇場で見たのは「アリエッティ」「思い出のマーニー」です。
(マーニーは結構好きです)
「えぇ、そこ!?」ってよく言われてきました。
そんな僕にとって「一生に一度は、映画館でジブリを。」という企画はまさに「ジブリデビュー」するに相応しいタイミングでしたね。
このタイミングでの再上映を決めてくださった関係各位のみなさま、本当にありがとうございました!!
旅立ちまでの段取りの早さ
まず本論に入る前に結論だけ言うと「やっぱり”すごい”」作品だと思いましたね。
「もののけ姫」はそれは各所でもう「語られ尽くしている作品」ですので、僕が改めて語る必要もないと思うんですが・・・。
あと「もののけ姫」ファンの方。
この記事を読んでも「ジブリ弱者の観点」で書いてるので、ぜひお手柔らかにお願いします笑
と言うことで、言い訳めいた前置きはそろそろ終わりにして、本論に入りますね。
今作を見て僕はとにかく「語り口のスマートさ」に圧倒されましたね。
この「もののけ姫」なんですけど、時代背景、人物の相関。
そして物語内の「ルール」的なものが入り組んで展開されている。
そして繰り広げられる会話など、禅問答のような様相を呈していく。
さらには、物語として「明確な結論」が用意されているわけでもない。
にも関わらず、多くの方々に支持される作品になったのは「語り口のスマートさ」が故ではないだろうか?
アシタカの旅立ちまでのシーンを思い返して欲しい。
「タタリ神」との対立、そして呪いを負う、そして旅立ち。
ここまでの流れは本当に「無駄なく」「手際がいい」のだ。
さらにはメインの物語が展開されてからも、それは変わらず、「タタラ場」そして森の「もののけ」そして「サン」との邂逅。
多くの要素が入り乱れるも、非常にわかりやすく展開される物語。
繰り返しになるが、ここで繰り広げられる会話、そしてテーマはある意味で「解決不能」なものだ。
にも関わらず、ここまで今作が支持されるのは、物語全体を通してこの「手際の良さ」が際立っているからではないか?
これが、多くの人間に支持される最大の要因だと感じた。
- 語っていることの「禅問答=答えのでない問いかけ」に対して、物語の語り口は「スマート」で「手際がいい」
- そのため、物語に引き込まれる感覚が強い。
ある意味で「突き放した」結末/結論

「生きる」こととは?
「生きること」
それに付き纏う本質的なものがある、それが「奪う」ことだ。
我々は生きるために「何かを食べる」これは当然「命」を「奪うこと」だ。
そして「自然」に存在するものを「資源」として生きるために使う。
これもある意味で「自然界」から何かを「奪っている」と言える。
「生命のサイクル」それは「食物連鎖」と言い換えても構わないが、ある意味でその「範疇」を超えた「奪う」行為に対する、「怒り」
その「怒り」が「呪い」としてアシタカを蝕んでいく。
「これって、自然保護主義的な映画なのか・・・」
この時点で僕はそう思ったし、僕の「もののけ姫」に対するざっくりとしイメージがこれだったんです。
ですが、本作は実は、その点に「結論」めいたものを出す作品ではなかった。
つまり、こうした物語展開では「奪う側」つまり「人間」は「悪」として描かれることが多いのだが、今作では「タタラ場」の人々、エボシ御前を「悪」としては描いていない。
むしろその生き方には「同情」的ですらあるのだ。
ある意味で今作は「自然は保護しよう」
「でも、ある意味で自然破壊することは、仕方のないこと」
と相反する考えが鬩ぎ合う。
それは、アシタカの視点から見ると明白だ。
彼は「人間」が生きていく上で「自然から奪う」ことに理解を示している。
この時代に「売られた女性たち」を世話して生きるために「タタラ場」を発展させなければならない。
こうした「人間界特有」の切迫した状況にも理解を示している。
だが、彼は「もののけ」たちにもまた共感をする。
過度な「自然破壊」が「呪い」となり、彼は祟られる、そしてそれに伴う「痛み」
住処を奪われ、仲間を殺される「痛み」や「悲しみ」
それはまさしく「森の痛み」なのだ。
「生きるために”奪う”もの」
「生きているのに”奪われる”もの」
この相反する2つの思想の間で、彼は必死に答えを探そうとする。
「生きる」とは何か?
ある意味で僕は「答えを探してもがく」それこそが「生きる」ことではないか?
と思った。
我々の現実を見ても「生きる」ため。
そのために「自然を破壊する」
そのことに「心は痛む」だけど同時にどこか「仕方ない」と思わないだろうか?
「そりゃ、守れるなら守りたい、でも・・・」と言う気持ちにはならないか?
そしてこれはある意味で「解決不能」「共存不能」な事柄なのかもしれない。
今作はこの問題に「答え」を出していない。
ある意味で「突き放している」とも言える。
その「答え」を探して「悩むこと」それこそが「生きる」ことではないのか?
「生きろ、其方は美しい」
この有名なアシタカがサンに語りかけるセリフ。
サンと言う人間でありながら「もののけ」として生きる存在。
そんな彼女も「生きるとは?」その意味を必死に考えなければならない。
「自然界のために死ぬ」
それではいけない。
ある意味でサンに「悩み生きること」を強いるセリフだったのではないか?
「死ぬなんて”楽”をするな”悩め”という」
ある意味で厳しいシーンであるかのように僕には思えてしかたなかった。
- 自然保護の映画と思いきや、「生きる人間」にもスポットを当てている。
- そのため「エボシ」「サン」どちらにも思い入れてしまう。
- どちらの生き方が正しいのか描かれない。
苦悩、葛藤、それでも「生きろ」
今作では「生きる」
そのことに因んだセリフが多い。
僕にはそのどれもが、何があっても「生きる」そのことにこそ価値がある。
「悩み、葛藤する」
それこそが「生きる」ことの意味だと言われている気がしてならない。
現実にはどうにもならない、2つの「主義/主張」の間で悩んだアシタカ。
彼はこれからも「生きる」
この先も「悩み」それでも「生きる」
その役目を「シシ神」に彼は託されたのだ。
「生きる」ということ、それは「苦しみ」を背負っても、「生きる」
そして必死に駆けずり回ること、それが「生きる意味」なのだ。
僕は「もののけ姫」という作品を通じて、そう感じずにはいられなかった。
- 「生きる」とは「苦悩」して、「それでも」と足掻くことなのかも知れない。
本作を振り返って
ざっくり一言解説!
「悩み生きる」ことにこそ「意味がある」のでは?
まとめ
多くの人が「語り尽くしている」今作品。
正直「ぬるい」記事だと思う。
だからこそ、今回は僕の心に刺さった今作からのメッセージにフォーカスした。
「生きる」それは「悩み」「苦しむこと」
そのことにこそ「意味がある」という強烈なメッセージだ。
ただ漠然と生きる。
漠然と「自然を奪う」「命を食らう」
それではいけない、そう言われた気がしてならない。
もちろん「もののけ姫」は色々な視点から深掘りできる作品だ。
ネットにはこんな記事より素晴らしいものがいっぱいあるので、ぜひ調べてください笑
僕もしっかり今後も勉強します笑
なので「Blu-ray」を買いましたしね。
そういう意味でも何度も見返したくなる「そんな一本」になりました。
ということで「いまさら」ながら「オススメ」の作品です!!
今作の振り返り
- 「生きる」こととは「悩む」み「苦しむ」こと。
そこから「答え」を探して「生きろ」というメッセージ。 - 「正しさ」も視点が変われば変わる、「正解」はない。
というわけで、読了お疲れ様です。
また次回の記事でお会いしましょう!