
今回は、2023年公開映画の中で、最も注目されていると言っても過言ではない作品。
『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』
こちらを鑑賞してきたので、その感想を述べていきたいと思います。
目次
『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』について
この作品のポイント
- ストーリーは正直まどろっこしい点が多い
- 昨年の「トップガン」と同じく、トムの意思表明の作品
- 何にせよ、これはすごいことは間違いない!
基本データとあらすじ
基本データ
- 公開 2023年
- 監督 クリストファー・マッカリー
- 脚本 クリストファー・マッカリー
- 原作 『スパイ大作戦』ブルース・ゲラー
- 出演者 トム・クルーズ/ヘイリー・アトウェル/ヴィング・レイムス 他
あらすじ
IMFエージェント、イーサン・ハントに課せられた究極のミッション
—全人類を脅かす新兵器が悪の手に渡る前に見つけ出すこと。
しかし、IMF所属前のイーサンの“逃れられない過去”を知る“ある男”が迫るなか、
世界各地でイーサンたちは命を懸けた攻防を繰り広げる。
やがて、今回のミッションはどんな犠牲を払っても
絶対に達成させなければならないことを知る。
その時、守るのは、ミッションか、それとも仲間か。
イーサンに、史上最大の決断が迫る—
公式サイトより引用
意図せず、非常意味深い作品になってしまった
映画としては大味。人物相関が複雑
まずこの作品、基本的には”かなり大味”な作品になっている。
というのも、基本的にアクションを”魅せる”タイプの作品になっていて、そのために”物語”があるからだ。
そのため、どうしても突飛な展開は目立つ作りでもある。
物語の冒頭。
海底でのロシアの潜水艦が沈没するシーンから映画は幕をあける。
そしてシーリーズではお約束の、イーサンがIMFから指令を受けとるシーンに突入。
「例によって、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで」というメッセージを受け取る。
そこからいきなり中東の砂漠での大見せ場。
開始30分で、クライマックスでもおかしくないアクションが展開されていく。
基本的にそこから場所を変えながら、生身でそれをしてるのか?
どんどん映画のテンションが上がりながら見せ場が連なっていく。
牛丼にうなぎを乗っけました的な、大味な展開が続いていくのだ。
しかし、映画として少し焦点がぼやけるのは、これが前後編の前編であるということもあるが、今回の作中でのマクガフィンとなる「2本の鍵」
これを巡ってイーサンたち、IMF上層部、CIA、武器商人。
そして、日本字幕では「それ」と呼ばれる「人工知能(AI)エンティティ」が雇った人間ガブリエル。
これらの勢力が複雑に絡み合う、割と難解な作りになっている。
正直この難解さ、脚本をもっと練り込めばある程度は解消できたはずだし、整理することも可能だったはずだ。
ただ、これに関しては後半を見れば、「なるほど」と思える可能性があるので、とりあえず評価は保留だ。
さて今作のヴィランは人工知能「エンティティ」だ。
このAIは人間のコントロールを離れて、インターネットを移動、世界中を混乱に陥れていく。
イーサンたちは何とか、人工知能を破壊するために、その「ソースコード」が書き込まれた「2本の鍵」を手に入れようと奮闘するのだ。
ちなみにこのAIを巡って、イーサンたちと彼らの上層部も意見が食い違っているのも、今作の難しいポイントだ。
あくまでイーサンたちを雇う上層部は、AIを軍事目的で使用しようとしているのだ。
つまり、過去の作品以上に、イーサンたちには味方がいなくて、孤軍奮闘を余儀なくされるのだ。
AIをヴィランにする理由
今作のヴィランはAIである「エンティティ」と、それに雇われた存在であるガブリエルだ。
ただ、「エンティティ」はとはいえAで、そのため現実に「実体」として姿を持つわけではない。
そのため、あくまで「実体」を持つ存在という意味合いでガブリエルが必要だったのだろう。
ただ、この過去の因縁というのが、まだ明らかにされきっていない。
その分、どういう因縁があるのか不明瞭だったのも、今作が今ひとつ飲み込みにくいポイントの一つだったと言える。
しかしながら、今作のAIがヴィランであるということは非常に意義深いことだと思える。
というのも、タイムリーな話題として現在(2023年7月)の時点で、「ハリウッド俳優組合」によるストライキで映画制作が停止しているという件がある。
これは端的にいえば「動画ストリーミングサービス」で再生数に応じて、報酬を求めているのが争点の一つだが、もう一つの争点に「AIによる機械学習の規制」という点がある。

今作は後者の「AIの発展」
つまり科学技術の暴走に対してイーサンが立ち向かう構図だが、実は俳優「トム・クルーズ」は俳優として、ずっと科学技術の発展と闘ってきたのだ。
ちなみに昨年の『トップガン マーヴェリック』実はこの作品にもこれは通ずる点もある。
というのも1990年代に入り、CG技術が発展したこと映画の視覚表現の幅は一気に広がった。
特にエポックメイキングなのは1993年スティーブン・スピルバーグの作品『ジュラシック・パーク』だろう。
この作品は作中で「過去の生命」である「恐竜」を科学技術で甦らせることで、人々がそれに驚愕するのだが、これはCGで恐竜を見ている観客と同じ反応だと言える。
しかし、当時はCGという技術自体で観客は感動をしたが、徐々に目が越えると、それ自体では感動できなくなったのだ。
逆に、どんなにすごい映像でも、どんなにすごいスタントシーンでも「CGでしょ」と口にするようになったのだ。
トムはまさにそんな「CGでしょ」と言われることを嫌うのだ。
だからこそ、今作でも予行でも使われる断崖絶壁をバイクでトップスピードで駆け抜け、そのままダイブする。
普通こんな無謀なこと、全てグリーンバックで行うが、彼はこのシーン撮影のために6度このスタントに挑戦をしている。
それは何故か、理由はただ一つ。
「それをやって、みんなに驚いてほしい」からなのだ。
それこそ「俳優組合」がストの理由の一つに挙げている「AIによる機械学習」でエキストラを全て生成することが可能なんてこと、トムが一番許してはおけないことなのだ。
だからこそ、彼は「無茶苦茶」だと思うようなアクションをずっと演じ続けているのだ。
科学技術にある意味で、アナログで挑む、脳筋根性の塊なわけだ。
だからこそこの作中でも、ハイテクなスパイメカが使えなくり、シリーズのどの作品に比べての、脳筋レベルが上がっているのも特徴だ。
このシリーズでは「そんなバカな」と半笑いしてしまうような、高精度の秘密道具があるのだが、AIに妨害されてそれが使えないという状況に陥る。
そこで彼らは、本当に行き当たりばったりな作戦を行う、ある意味で「AI」が一番怖いのは「ばか」というのを地でいくのだ。
ノープランで撮影する!
しかしもっと恐ろしいことに、この作品、実は「ノープラン」で作っている。
というのも、トムが「こんなことやりたい」というのをストーリーの展開などを考える前に、先にアクションを撮影。
それを無理くり繋げていくという作り方をしている。
そんなことをすると「予算」が「青天井」になり、制作費が嵩む。
そうならない為に、普通は「ストーリー」を作り「撮影」をするが、そんなこと彼には関係ない。
「すごいもの見せてやる!」
その彼の熱意がエスカレートして、今作は制作費がなんと326億円という大台に乗ってしまっている。
ちなみにクライマックスの列車アクションのシーン。
これは監督が列車を崖から落とすシーンを思いついたようで、鉄道会社に「落とす用の列車を貸して」と頼んだが、断られたのだ。
しかし、諦めるわけがないのが製作陣。(普通はCGで作ります)
ならばと、豪華列車を撮影用に作ってしまうという。
そして、せっかくなら走行中の列車の屋根でアクションシーンも撮ろうかということで、実際に動いている列車の上で撮影を敢行するという。
とんでもないことをやっている。
そしてクライマックスは念願の列車を崖から実際に落とすという。
しかもそれが3段落ちの展開。
正直ギャグなのか? と劇場で笑いも漏れたが、もうお腹いっぱいになるのだ。
ちなみにこの「アクションありき」で物語を作るからこそ、この作品度々変な展開を見せる。
そもそも、イタリアのパーティ会場に行ったのは、そこで鍵の受け渡しをするからだ。
しかし、ガブリエルが「ここでその必要はない」「明日の列車で受け取ろう」といきなり言い始め、めちゃくちゃ不自然な展開になる。
どう考えても、人工知能エンティティもそこにいたし、そこで鍵の受け渡しをする、しかも「鍵」は相手側は早めに確保しておくに越したことはない。
そこにイーサンが乱入し争奪戦をする。
これが一番展開としては綺麗なはずだ。
なぜこんな不自然なことをするのか?
それは「列車アクション」をやりたいがためだ。
そのため無理くりに物語を繋げないといけない。
だからこそ、こんなに不自然極まりない展開も辞さない。
しかし、この無理くりなストーリテリングはきっと「AI」にはできない。
「AI」は「予算」など様々な制約をきちんと整理して、それを論理的に突き詰めた作劇をするからだ。
行き当たりばったりな展開など、絶対に描かないのだ。
ある意味で、この映画を制作する構図も「AI」VSトム・クルーズだったというわけだ。
トム・クルーズはCGでなんでも生み出せてしまう時代になった時から、ずっと生身のアクションにこだわり、「そんなことする!?」というような無謀なことにも挑戦し続けた。
負傷し、ボロボロになりながらだ・・・。
そんな彼が、この「AI時代」に、役者の仕事を奪うような「動画生成能力」を持つ存在に立ち向かうのは、ある意味で必然だったのだろうと思う。
これが偶然にも「ハリウッド俳優組合」が求める「AIの規制」という声と重なったのだ。
確かに作品の作り方によって、結果物語は破綻しているというレベルで飛躍、飲み込みにくさはある、今作品。
しかし、それでも悪い気がしないのは、この「破綻」を含めて「人間」なのだということを教えてくれるからだ。
今後「AI」が脚本を作る時代が来るかも知れない、役者を全て「AIが生成」して、映画が生まれる時代も来るかも知れない。
しかし、「論理的思考」では到達できない、「人間だから」生み出せる驚き、ぜひ劇場で体感してみてほしい。