
さて、いよいよ「アカデミー賞作品部門」ノミネート作品が、日本でも公開される季節になりました。
映画好きとしては、まぁ楽しい時期ですよ!
ということで、今日は「ミナリ」を鑑賞してきたので、その評論をしたいと思います!
今作のポイント
- 物語の骨格事態は「ハッピーエンド」になるハズなのだが・・・
- 「ミナリ」という植物が「意味する」ものとは?
目次
「ミナリ」について
基本データ
基本データ
- 公開 2021年
- 監督・脚本 リー・アイザック・チョン
- 製作総指揮 ブラッド・ピット/スティーヴン・ユァン ほか
- 出演 スティーヴン・ユァン/ハン・イェリ ほか
制作総指揮がブラピなのがびっくり!
あらすじ
1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブは、アメリカはアーカンソー州の高原に、家族と共に引っ越してきた。
荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスを見た妻のモニカは、いつまでも心は少年の夫の冒険に危険な匂いを感じるが、
しっかり者の長女アンと好奇心旺盛な弟のデビッドは、新しい土地に希望を見つけていく。まもなく毒舌で破天荒な祖母も加わり、デビッドと一風変わった絆を結ぶ。
だが、水が干上がり、作物は売れず、追い詰められた一家に、
映画公式サイトより引用
思いもしない事態が立ち上がる──。
イメージとは真逆の「厳しさ」を描く作品

基本的には不穏さが物語を支配する
この作品のタイトル「ミナリ」とは、韓国語で「セリ」を意味する言葉である。
「セリ」は水源の近く、豊かな土に根を張る植物であるのだが、この「セリ」は今作の主人公たちの家族を象徴するモチーフだと言える。
というのも、この作品は、ジェイコブ一家が移住した土地に根をおろす話だからだ。
だが今作は、シェイコブ・イーたち一家が、新しい土地を開梱することで「成功」するという安易な作劇ではない。
むしろ、ジェイコブの選択がことごとく裏目に出て、どんどん家族は崩壊への一途をたどる道筋を描く物語が描かれるのだ。
それはある種冒頭から描かれる。
一家の主たるジェイコブは「一攫千金」を夢見て、家族全員でアーカンソー州に引っ越してくる場面から始まる。
広大な土地を手に入れたが、家は「トレーラーハウス」
息子のデビットは心臓に持病持ちで、通院にも時間がかかるなど、妻であるモニカは、冒頭からジェイコブの行動を、冷めて目で見ている。
この時点で「夢見がち」な夫。
「冷静」な妻。
というある意味の対立軸が出来てしまうのだ。
そして、この構図は基本的にずっと解消されることはない。
まず物語の軸に「夫婦」のすれ違いというテーマが設定されている。
さらに今作にはもう一つのテーマが描かれる。
それがデビットと、母方の祖母スンジャとの交流だ。
この2つの軸を中心に作品は描かれていくのだ。
何もかもを犠牲に突き進む父
とにかくこの作品の主人公ジェイコブは、身勝手な男だといえる。
「一攫千金」を夢見て、広大な土地に「農園」を作ろうと計画するも、そこに「成功」への根拠はまるで無く、モニカを呆れさせる。
一度ハリケーンが来た際には「家が吹っ飛ぶかも」と言い、一家全員の命を危険に晒すなど、その行動に責任感があるとは言い難い。
そんなジェイコブ、モニカは農園を経営しながら、普段は「ひよこの鑑定」の仕事をする。
ジェイコブにとって「ひよこ」の肛門を見て「おす・めす」の判断をする仕事は、余りにも惨めで、こんな生活で賃金を得るのは「嫌だ」というのが、「一攫千金」を夢見る動機と言える。

そして肝心の農場もなんとかポールという協力者のおかげで、少しずつ切り拓けて行く。
ただ、このポールというキャラクターも風変わりで、日曜日には、まるで「キリスト」のように「十字架」を背負い歩き続けている。
そのせいで近所の子どもたちから「変人」扱いをされている。
このポールが「近所の人たちから、どう思われているか?」
それをデビットと姉のアンは知っているからこそ、最後にポールが家にやってきて「お祓い」をするシーンも、子ども目線では非常に複雑な心境になるなど、ここも作品の不穏さを強調する役目を担っている。
話は夫婦関係に戻るが、ジェイコブは水源を掘り当て、作物を育てるが、突然それが枯れるというアクシデントに見舞われる。
そして水道水を使うものの、恐らく「使用しすぎ」で、今度は家の「水道」が出なくなるなど、失敗続き。
そして、移住してきた祖母(ここは詳しくは後述する)が「脳卒中」で倒れるなど、どんどん事態は悪化をたどるのだ。
デビットとスンジャの交流
そんな夫婦の仲違いを描きながら展開されるもう一つのドラマがデビットと、祖母スンジャの交流だ。
デビットは最初の出会いから祖母が苦手で・・・。
祖母の良かれと思っての行動、「栗」をねぶってデビットに食べさせようとするシーンなど、「あぁ嫌だわ」と強く思わされましたり。
まぁ悪気は無いんですけど。
そして、基本的にスンジャは料理など出来ず、デビットの抱く、いわゆる「おばあちゃん」というイメージとは真逆の存在だとも言える。
「花札」中の余りにも、品のない言動。
プロレス中継を見ながらの発言。
おおよそ教育的とは言えない発言をするなど、破天荒を地で行く存在であるスンジャ。
そんな彼女に対してデビットは心底うんざりしているのだ。
そんなスンジャに対してデビットの反撃。
正直、「森の露の水」の色が、なぜか「黄色がかってる」ので、正直「○○○○」みたいだと思ってましたけど・・・。
まさかね、そんな伏線の回収の仕方があるのか?
とここはあまりの展開に劇場爆笑というね。
ていうか、このスンジャとデビットの交流は終始笑える展開の連続で、ここがある種の弛緩になってて、良かったりもしましたが。
そして2人は奇妙な信頼で結ばれていくことになる。
元々心臓に病気を持っているデビットは「走れない」ので、高齢のスンジャと、「歩み」のスピードが同じなのだ。

そしてそんな2人は、森の奥に川を見つけ、そこに「ミナリ=セリ」を植えることになる。
そこで2人は野生の「ヘビ」を見つけるのだ。
ここで、デビットはヘビに石を投げつけるが、スンジャは「見えないより、見える方がいい」「見えないほうが怖い」と咎める。
つまり「ヘビ」がどこにいるのか?
それが分るほうが安全だと言うのだ。
この言葉が実はこの後の展開に大きな影響をする。
現実を直視すること
そんな祖母と孫の交流の後の夜。
モニカはデビットに「天国が見えたら、病気が治る」という話をする。
それは母なりの気遣いだろう。
だが、デビットはそんなもの見たくないと告げるのだ。
それも、そのハズ、彼は両親の話を盗み聞きしていて「自分が死ぬかも知れない」という事を耳にしてしまったのだ。
そこで出てきた「天国」の話。
彼は初めて、「死」という現実を直視することになるのだ。
ここで先程、スンジャとの会話が効いてくる。
「見えないより、見えるほうが良い」「見えない方が怖い」
本当なら、デビットがこの言葉で「死」の運命にあるかも知れないという事を「知っている方が、怖くない」という意味になる。
だけど、まだまだ「子ども」
自分の運命に立ち向かえるほど強くないのも無理はない。
だからこそ、彼は母親の「天国を見る」という発言に拒否感を抱くし、スンジャもまた「そんなもの見えなくていい」と、実は真逆の発言をするのだ。
そして、初めてスンジャとデビットは同じ床で眠ることになる。
このように、本来ならば「強く運命を見定めろ」という言葉。
これは、人生を生きる上で、一般的には大切な「意味」を持つ言葉であると言えるが、今作品はそれを「全ての人間」に対して「正しい言葉」ではないと、作中内で撤回をするのだ。
今作は、このように、正しい価値観・言葉でも「時と場合」によっては、それは「間違い」でもあるということを描いているのだ。
この辺りの「正しさ」というものの押し付けになっていないバランスも、今作の「良い点」だと言える。
過酷な運命
しかし物語はここから過酷さを増す。
スンジャの脳卒中や、モニカの夫に対する、たまり溜まった不満。
「ひよこ鑑別」の仕事中のミスの頻発。
さらに肝心の農場で採れた野菜も「買い手」がつかないなど、どうしようもない悪循環に陥ることになるのだ。
いよいよ一家は崩壊寸前に陥る。
そして、ついにモニカは家を出る決意をする。
それをジェイコブは、認めようとするのだ。
ココに注目!
そもそも、様々なシーンで描かれる要素を照らし合わせると、
ジェイコブの買った土地が「ダメな土地」であることも示唆されているのも印象的だ。
前所有者も、「一攫千金」を夢見たが、結果頓挫し「自殺」したことが仄めかされる。
そしてデビットの定期検診と、野菜の買い手探しという、運命の時を迎える。
ここでまずデビットの心臓が奇跡的に回復傾向にあることが描かれる。
恐らく「田舎」という環境が良かったということだ示唆されるのだ。
そして、奇跡的に野菜の買い手もみつかり、苦労が報われる瞬間が描かれる。
だが、夫婦は一度は「別れよう」と決意している。
デビットは、いよいよ「農場経営」で食べていける、だから夫婦関係を続けようと切り出すのだ。
だがモニカはその提案に怒りを顕にする。
「成功しなかったら別れる」「成功したら別れない」という姿勢そのものが気に入らないと。
実際モニカは、「上手くいかずとも」家族を支えたい、ジェイコブといたい、と考えていた、別れ話も、本当は「考え直せ」と言ってほしかったのだ。
だが、ジェイコブは「農場成功の可否」を「一緒にいる条件」に設定していた。
つまり、彼にとって、最優先は「農場」で、「家族」は二の次だったのだ。
本来なら「家族」のために「一攫千金」を目指したはずが、いつの間にか「手段」と「結果」が逆になってしまっていたのだ。
そんな姿勢にモニカは完全に愛想を尽かしたといえるのだ。
それでも見える「微かな希望」
そんな最悪に、もう一つの最悪が襲いかかる。
それが「農作物」倉庫からの出火だ。
原因は、スンジャの良かれと思っての掃除という行動。
そして、ゴミを燃やした際に火が燃え移ったのだ。
結果売れるはずの野菜は全滅、家族は意気消沈する。
全ての希望が潰えたかに思えた。
だが、まだ残っているものがあった、それが川辺の「ミナリ」だ。
この作品のタイトルでもある「ミナリ」は、水源の近くの肥えた土であれば「根をおろす」事ができる。
ある種、たくましい植物だと言える。
ある意味で、ジェイコブたち一家も、「知らぬ土地」に根を下ろそうとする、そういう意味では「ミナリ」なのだ。
ココがポイント
「ミナリ」は、2度目の旬が最もおいしい。
つまり、「ミナリ」には、子供世代の幸せのために、
親の世代が懸命に生きるという意味も込められている。
そして「最悪」の状況だからこそ、家族は「再び絆」を取り戻せたのかも知れない。
全てを捨てて、挑んだ「農場経営」で、全てが台無しになり「ゼロ」になったことで、ある意味ジェイコブは「家族」の大切さを思い出したとも言えるのだ。
そして、物語の冒頭で拒否した提案「家族だから雑魚寝しよう」というのが、最後になってようやく叶うのだ。
それを見つめる祖母スンジャ。
それがこの作品のラストカットだ。
ここから一家に待ち受ける困難や、一縷の望み。
それら様々な予感を孕んで、けして「ハッピーエンド」とは言えないが、物語はここで幕をおろすのだ。
これは、どんな時も必ず「明日」は来る。
その「明日」をどう生きるのか?
それは彼ら次第だというメッセージだ。
同時にこれは我々にも突き刺さる。
「明日が、どうなるのか? それは我々次第なのだ」と。
今作品を振り返って
ざっくり一言解説!!
何もかもを「説明」しない作品!!
行間を読むとは、まさにこの作品のこと!
まとめ
今作は「何かしら」の伝えたいことを「ストレート」に伝えるタイプの作品ではない、それぞれが「映画」を咀嚼し、それぞれが「作品について」考えるタイプの作品だ。
ある意味で「アカデミー賞」ノミネート作品らしい作品だと言える。
「開拓精神」を持って、「一攫千金」を夢見るジェイコブの気持ちも理解できる。
そして「家族」を幸せにしたいという願いも理解できる。
だが、そのために「家族」を犠牲にすることへの不満を抱くモニカへも感情移入出来る。
結局「成功」すれば「英断」とされるし、「失敗」すれば「愚行」と言われる。
この作品は、そういう答えも用意してはいない。
ただ、これから、彼らがどうなるのか?
それは、我々が考える余白として残されているのだ。
ということで、結論は、皆さんの「ミナリ」に対する感想が気になる(笑)
今作を見た人と語り合いたい、そんなタイプの作品だった。
まとめ
- あえて結論を描かぬ作劇。
- 行間を読ますタイプの作品である。
ということで、読了ありがとうございました!
また次回の記事で会いましょう!!