
今週も映画館で映画鑑賞。
ちょっと遅ればせながら感もありますが話題の作品を見てきたので、語っていこうと思います。
ということで、今日取り上げる作品は「ストリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」です。
この記事を読むと
- 今作の「ラスト」が「現実」と「虚構」に対する見事な折衷案であることがわかる。
- 今作は『若草物語』であり「ルイーザ・メイ・オルコット」の自伝映画だということがわかる。
非常に評価も高い作品なので、未見の方は、まずは劇場にGO!
音声評論配信中!!
目次
「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」について
基本データ
- 公開 2019年(日本 2020年)
- 監督/脚本 グレタ・ガーウィグ
- 原作 ルイーザ・メイ・オルコット『若草物語』
- 出演 シアーシャ・ローナン/ティモシー・シャラメ/フローレンス・ピュー/エリザ・スカンレン/エマ・ワトソン ほか
あらすじ
ジョーはマーチ家の個性豊かな四姉妹の次女。
情熱家で、自分を曲げられないため周りとぶつかりながら、小説家を目指して執筆に励む日々。
控えめで美しい姉メグを慕い、姉には女優の才能があると信じるが、メグが望むのは幸せな結婚だ。
また心優しい妹ベスを我が子のように溺愛するも、彼女が立ち向かうのは、病という大きな壁。
そしてジョーとケンカの絶えない妹エイミーは、彼女の信じる形で、家族の幸せを追い求めていた。
共に夢を追い、輝かしい少女時代を過ごした4人。
そして大人になるにつれ向き合う現実は、時に厳しく、それぞれの物語を生み出していく。
小説家になることが全てだったジョーが、幼馴染のローリーのプロポーズを断ることで、孤独の意味を知ったように─。
自分らしく生きることを願う4人の選択と決意が描く、4つの物語。
公式サイトより抜粋(https://www.storyofmylife.jp/about.html)
アカデミー賞では「衣装賞」受賞したことでも話題の作品です!
そもそも『若草物語』ってどんな話?

「若草物語とは?」−10秒で説明−
そもそも『若草物語』ってどんな話なのか?
とりあえずそこを切り口に語ろうかな、と思います。
ちなみに今回の作品は『若草物語』の映画化としては9回目であるんですけど。
基本的には「マーチ家」の4姉妹の物語で、主人公は次女のジョー(ジョセフィーヌ)。
このジョーは今作でも主人公ですが、どちらかというと「おてんば」タイプ。
反面、物語を書くのが好きという一面を持っている。
ジョーは『若草物語』の原作者「ルイーザ・メイ・オルコット」がモデルである。
『若草物語』は彼女が体験した「実話」という側面のある作品だと言える。
一番上の姉メグ。
すごくおしとやかで女性的で。
「いつか社交界に行きたいわ」というキャラ。
しかし、物語の終盤では、結婚に幸せを見出すことになる。
そして前述した、二番目のジョー。
社交界がらみの話でいうと「そんなの、どうでもいい!」派なんですけど。
三番目のベス(エリザベス)はすごく体が弱い。
ピアノなど音楽が得意なキャラクター。
最後に末っ子がエイミー。
この子はわがまま気質、でも芸術センスがあり、絵がうまいというキャラですね。
この性格からもわかるようにジョーとエイミーは喧嘩をよくするんですが・・・。
そんな4姉妹の交流を描いた話だと言える。(雑な説明です)
『若草物語』は実質『いちご100%』(!?)
そんな4姉妹と深く関わるのが「ローリー」というお金持ちの美少年。
今作品では”美少年”「ティモシー・シャラメ」が演じておりますが、彼とこの4姉妹のうち誰がひっつくのか?
つまり、4姉妹全てが彼と一緒になる可能性を秘めているわけですが・・・。
このヒロイン全員とフラグを立てる、まさにローリーは実質「真中淳平」なんですよ笑
(これ両作品のファン怒らないかな?)
ちなみに『いちご100%』は真中がどのヒロインと一緒になるのか?
そこはもちろん物語の推進力ではあった。
しかし、選ばれなかったヒロインたちはも含めて、みんな自分の夢にきちんと進んでいく。
それぞれにとって恋愛の成就だけがゴールではないという結末になっているので、今回の作品と非常に近い作劇と言えるのではないだろうか?
で、普通なら主人公ジョーがローリーとひっつくだろう?
と考えるわけですが、前述した「あらすじ」にもあるように(公式HPでここでも書かれてるので「ネタバレ」でもないんですけど)、そうはならない。
『若草物語』連載中にも実際に作者のオルコットの元に届くファンレターにも「ジョーとローリーを結婚させて」という声が多く集まったそうですが。
続編である「続若草物語」や「第三若草物語」「第四若草物語」で描かれるがローリーは末っ子のエイミーと結婚することになる。
(これはジョーつまりオルコット自信が生涯独身だったという点からもこの展開は納得できる)
そして、この物語を通じて「男に見出されることが女性の幸せではない」という強烈なメッセージのあらわれでもある。
ちなみにこれは当ブログでも主に「ディズニープリンセスもの」を語る際、僕が声を大にして主張している点でもあります。
しかし物語が続くにしたがってジョーは結婚することになる。
今作のリメイクはまさに「ジョーの結婚」という点を大胆にアレンジしている作品だと言える。
ポイント
✅今作品は「ジョー」の結婚という点に対する現代的回答の作品。
✅原作や過去の映画と比べると、今作は「女性の幸せ」についての視点から現代版への見事なアップデートをしている。
ということでざっくりと、過去の『若草物語』について振り返ったので、いよいよ本作の話をしますよー
注意
ここからは本作品のネタバレも含みます!!
ジョーの現在と過去が入り混じり、「若草物語」が紡がれる

当時の小説で求められるオチとは?
今作品は冒頭ジョーが小説を出版社に持ち込むとこから始まるが、とりあえず連載されることになり喜ぶところから始まるが、そこで編集長がいう言葉。
「女性が主人公なら『結婚』して完結しなければならない」
これが今作品ではある意味で「否定」すべきこの時代の価値観として描かれる。
これはジョーの考え、つまりオルコット考えとも真逆のものだ。
彼女は「『結婚』だけが女性の幸せ。ではない」と考えて生きてきた。
そして女性にも「夢」はあるし「野望」をあると主張している。
つまり「結婚」というのが人生のゴールではないと考えているのだ。
今作の時代背景である、南北戦争期では「女性」が自立して生きていくというのは困難。
そんな時代に自分の意志を貫き生きる強さがジョーには備わっているのだ。
そこから時代が少女時代に戻ったり、現代に戻りながら、少しずつ『若草物語』が語られていく。
今作品はジョーが『若草物語』を描くまでの話でもある。
ポイント
✅編集長の主張する「売れる作品」という点に対して、ジョー、そして作者オルコットの出した答えとは果たして・・・。
表面上、原作をなぞられる形で進む物語
時系列移動が見事
先ほども前述したが、今作品の本筋は大きくはこれまでの作品と、語られるべきストーリーは変わらない。
メグの結婚話や、ベスの病気。
エイミーとジョーの喧嘩、ローリーと2人の関係。
それらが時系列が行ったり来たりして語られるのが本作の特徴だ。
だが、時系列が混乱することはない。
例えば社交界でのダンス。
現在はバラバラに生活しているジョー、エイミー。そして過去のエマのエピソード。
同じ事柄を場所、時系列は違えどそれを軸に物語の時間軸を移動する。
そのことで少しずつ物語全体象が掴めるという描かれ方をしている。
その為に最初は混乱は多少するが、最後に振り返るとスッと腑に落ちるのだ。
ちなみに2回目の鑑賞時はさらにその的確な物語の動きの華麗さが身に染みる。
さらに先にエイミーが、ローリーとジョーの関係性がどうなるか?
それを先にいってしまうので、実はジョーとローリーの恋愛の行末で引っ張ろうとしないのだ。
(あまりにもこの物語が有名だという点もあるだろう)
ちなみに同じ事柄での時間移動にベスの療養という点もあるが。今作は彼女の最期をあえてラストに持ってきていない。
ベスとジョーの約束が「若草物語」執筆の直接的なキッカケになる。
そしてその中で行われるあるやり取り。
それが後述するが今作最大の見せ場であるクライマックスに繋がるということになる。
このように時間移動が繰り返されるのだが、物語の筋から我々が置いていかれないように、計算された語り口は見事だ。
そして、もう一つこの時間移動で混乱しない工夫として「過去は暖かみ」「現在は冷たさ」という場面場面で画面の色彩が変化している。
海でのシーン1つとってもはっきりとそれが打ち出されている。
こういう混乱しない工夫も、それだけの後悔止まらず、物語的にしっかり「意味」があるのだ。
「若草」=「青春」とは可能性の季節
「若草」つまり「青春」とは一体、なんなのか?
それはいわゆる「子供」と言い換えても構わない。
ある種の「可能性」の期間であると言えるのではないか?
✅ 青春とは未来の開かれた可能性の期間。
だが時間、経験、そして「女性」ということ。
それらが彼女たちを「大人」へと変えていく。
ある意味で「大人」とは可能性のある程度限定されてきた時期だとも言える。
結婚すれば子育て。
仕事をすればそのこでの人生。
もちろん、そこに幸せを感じることはある、だが、それでも「無限」の可能性は閉じられてしまっているのだ。
この考えを、そのまま物語に取り込んだのが「デジモンアドベンチャー ラストエヴォリューション絆」
デジモンの進化の力は「子供の無限の可能性」だから、大人になれば必然的に進化できなくなる。
そのことに抗えない物語となっている。
「みんな」との「別れ」/「閉じる可能性」
この青春の終わりを告げる、最大の出来事がメグの結婚話だ。
これは「結婚だけが幸せ」と考えていない、ジョーにとっては最も信じられない出来事だ。
そしてジョーは姉に女優の道を歩んで欲しいと願っている、だからこそ「結婚」することでその道が断たれることを嫌がるのだ。
「わたしにはわたしの”夢”がある」
メグは結婚をして家庭を持つことが夢だと語る。
それも正しい。
そういう幸せも、もちろん人生の喜びであることは間違いない。
後述するがこのメグの生き方もまた、今作での結末。
「結婚」も「幸せ」の一つの形である、ということを強調するのに重要な要素だ。
だけどそれはジョーにとっては受け入れがたいものなのだ。
ここには一種の自分の考えを、愛する姉に否定されることへの恐れという感情も混ざっている。
もしも「結婚で幸せ」になったなら、それは自分自身の否定にもなるからだ。
もちろん彼女はメグの幸せは願っているのだが・・・。
さらに、ジョーは自分の幸せな日々の「終わり」を怖がっているとも言える。
彼女の結婚前夜。
つまり「4姉妹が一つ屋根の下で暮らす日々の終わりを迎える時」が訪れることへの恐れ。
ジョーにとっての幸せはこの「4姉妹」での日々、つまり「若草」の頃なのだ。
だからこそ色彩が「過去は暖かく」「今は冷たい」のだ。
しかし時間は永遠に止まりはしない、いずれ変化していくもの。
4姉妹の日々は終わる。
それはある意味で必然なのだ。
さらにその結婚式のパーティーで末っ子のエイミーが、マーチおばさんと共にヨーロッパ旅に同行することが許されるのだ。
ジョーはおばさんとのヨーロッパ旅の権利を欲してはいたが、選ばれたのはエイミーだった。
そのことからのイライラなどがつのっていたが、そのタイミングでローリーに告白されるジョー。
ここで彼女がローリーを拒絶する。
今作を見る限り、一番ベストな相性に思えた2人。
だがこの2人は、あくまで「親友」としての関係性がベストだったということだ。
ちなみにこのローリーとの別れ。
それも彼女の「若草」の季節の終わりを告げる重要な出来事なのだ。
こうして彼女は今まで過ごしてきた「みんな」と「別れ」
そして徐々に可能性が閉じていく時期、つまり「大人」へと近づいていくのだ。
そこからジョーは「ニューヨーク」へと1人移り住むことになる。
そして時系列がこの辺りで明確なものになる。
ポイント
✅同一出来事が有機的に絡みながら、少しずつ時系列のねじれを解き明かしていく物語運び。(色彩の変化なども)
✅「青春」という可能性がある意味で「閉じていく」物語だと言える。
今作最大の見せ場

結婚に対するいくつもの考え方
経済的側面と「愛」のせめぎ合い
今作品では「結婚」というものに対して様々なことが語られる。
今とは違い今作の時代背景では、女性の自立は、遥かにハードルの高いことだったに違いない。
それこそ「女優をするか、売春宿の経営をするか」というセリフにも現れている。
「お金持ち」と「結婚」をする。
そのことで、女性は「幸せ」を手に入れることができるのだ、マーチおばさんはそう告げる。
もちろんそれはジョーの「結婚だけが幸せ」という考えと相反するものだ。
だが、これは本作の時代背景を考えると、どちらかが違う、どちらが正しい。
そう言えるものではない。
マーチおばさんに言わせればメグの貧しい家庭教師であるジョンとの婚約は「間違え」だ。
でもメグのいう「愛する人と家庭を築きたい」そのことも正しいのだ。
ここで大きな「経済的理由」という側面がのしかかる。
何度も言うが、今のように女性が経済的自立をするのが難しかった時代。
そこで「お金持ち」と「結婚」する。
そのことには大きな意義があるのだ。
「結婚」は「経済」的な側面が重要視されていた。
だが、それでも「好きな人」と一緒に生きたいと言う思いを叶えること、それも尊いことだ。
そして、夢を追いかけて生きていく、それももちろん尊いことだと描かれるのだ。
⚪️「お金持ち」と結婚し幸せになる。
⚪️「愛する人」と結婚する。
⚪️「夢に生きる」
➡︎ そのどれも「尊重されるべき人生」
そもそも結婚しない「幸せ」を求めるジョー、だけど「寂しい」
この物語の主人公のジョーは頑なに結婚をしたがらない。
「結婚だけが女性の幸せではない」
それも正しい。
だが、本作はそれでも揺らぐ彼女の心情を切り取る。
「たまらなく寂しい」と。
ベスの死後、ローリーに対する自分の気持ちに気づいたジョー。
だが、その思いも虚しくローリーはエイミーと結婚をしていた。
そこから、そのショックを振り払うように『若草物語』執筆に取り掛かるジョー。
ポイント
この場面でジョーが抱く「本当はローリーを愛していた、でも別れを選んだ」という後悔。
もちろん、これは「恋愛面」での後悔というのもあるが、実は「ローリー」という子供時代を彩る存在への執着。だとも取れるのではないか?
だからこそ、彼と完全に「別離」することで、ジョーは本当の意味で「子供時代」と別れを告げれたのではないか?
そして、ここからジョーが、2つの人生を生きるのだ。これは最大の本作の原作からのアレンジだ。
今作は『若草物語』そのものを描いきながら、それと同時に『若草物語』作者「ルイーザ・メイ・オルコット」の自伝的物語を描いていたのだ。
ポイント
✅今作が描いてきた、様々な「女性の幸せ」について、今作の落としどころ。それが最大の見所!!
ジョーに用意された2つの人生。どちらも尊重する結末
これは現実の話だが『若草物語』の連載当初から「ジョーとローリーの結婚」を望むファンレターがオルコットに届けられていた。
だが、先ほど言ったように物語内では2人は結婚をしない。
しかし実際に描かれた『若草物語』で、ジョーは別の人物と結婚をする。
それがベア教授だ。
この映画でも2人は序盤での言い争いから、終盤での再会でフラグを立てている。
これはオルコット自身が「結婚した方が売れる」と言う編集長の助言を聞き入れた結果なのだ。
そして事実『若草物語』は世界で大ヒットをする。
本作でもジョーが持ち込んだ『若草物語』に対してダッシュウッド編集長が「結婚させれば売れる」と最後に迫るシーンがある。
「売れる作品にする」その為、つまり「経済的理由」でジョーは『若草物語』の結末を書き換えるのだ。
これは原作にもない、現実の出来事を取り入れていると言える。
つまりここで、「結婚させる」と言う決断をしたのは、今作の世界の視点ではジョーであり、現実の視点から見ればオルコットなのだ。
本作はその2つの視点を同時に描くために、ジョーの視点が分岐する。
結婚した世界線のジョーは学校を開校、そこでメグやエイミーやローリーたちと子供たちを指導する姿が描かれる。
これは「第三」「第四」つまり『若草物語』の続編からきているアイデアだ。
製本所では『若草物語』が仕上がり、それを見つめるジョー。
こちらはオルコットの実人生に近いジョー。
だがオルコットが本当に書きたかった世界を生きるジョーだとも言える。
このジョーの視点は、オルコットの実人生の視点だと言える。(=自伝的側面)
オルコットは生涯独身として生きた。
そして歴史に名を残す作家となった。
今作で、作り手はジョーにあったはずの2つの人生を尊重することを選んだ。
それは、オルコットの人生の尊重だとも言うことができる。
オルコットの人生は「結婚をせず幸せになり」「歴史に名を残す作家になる夢を叶えた」
だけど彼女にも寂しさがあったのかもしれない。
でも彼女はそれでも「幸せ」だった、その人生の尊重への思いを込めた「結婚しないジョー」
同時に彼女が歴史に名を残す作家になったのは『若草物語』でジョーを結婚させたからだ。
そしてジョーは物語内で結婚したことで、その後の続編で彼女の人生は「幸せ」なものになっていく。
この結末はある意味で2人(2人のジョー)を尊重する素晴らしいものだと言えるのだ。
「結婚しない」と言うオルコット自身の選ぼうとした結末。
「結婚する」と言う実際に書かれた結末。
その両方をどうするか?
相反する2つの物事を見事に1つの形にして、描き切ったのだ。
ポイント
✅今作は、本来書きたかったジョー(限りなくオルコットの実人生に近い)と、結婚したジョー。2人の人生を尊重させる作品だと言える。
✅様々な「幸せのかたち」を描くことで、そのどれもキチンと「尊重」する、テーマに対する回答として見事!
今作を振り返って
ざっくり一言解説!
結婚する/しない。2つの決断、どちらも尊重されるべき価値観!!
まとめ
本作に触れる上で「衣装」の素晴らしさにも触れなければならない。
各キャラの衣装の出来栄えの良さ、そのクオリティの高さが我々にスクリーンに映る世界の存在感をグッと高めてくれるのだ。
そして最後の結末である「結婚する/しない」
そのどちらの先にも「幸せ」が開けている。
どちらの可能性も尊重するラストは感嘆するしかない。
「結婚しない」それには「寂しさ」が付き纏うかもしれない。
「結婚する」したとて、そこには苦労が付き纏う。
だけどそのどちらの道の先にも「幸せ」はあるのだ。
大切なのは、その道を選ぶのは、あくまで自分だと言うこと。
そこには「男」「女」もない、1人の人間として選ぶ必要があるのだ。
「ストーリー・オブ・マイライフ」
自分の 人生=物語 を生きる権利がそれぞれにある。
そのことを教えてくれる文句なしの傑作でした!!
まとめ
- 本来描きたかった「結末」と、実際に描かれた「結末」
その共存が見事。 - 時間軸の移動の手際が見事!!
と言うことで、読了お疲れ様でした。
また次回の記事でお会いしましょう!