
さて今日も「ディズニー総チェック」やっていきます。
取り上げるのは「わんわん物語」です!

この作品のポイント
- 自分の居場所を失う恐怖とは?
- ディズニーがついに「おとぎ話」を作る側に立つ!
目次
「わんわん物語」について
基本データ
- 公開 1955年
- 監督 ウィルフレッド・ジャクソン/ハミルトン・ラスク/クライド・ジェロニミ
- 脚本 アードマン・ペナー/ジョー・リナルディ/ラルフ・ライト ほか
- 声の出演 バーバラ・ルディ/ラリー・ロバーツ ほか
あらすじ
長年愛され続けてきたディズニーの名作映画。
お嬢様育ちのコッカースパニエルのレディと、自由を愛する心優しき野良犬のトランプがスリル満載の冒険を繰り広げる。
美しいアニメーション、心に残る挿入歌、そして極上のラブストーリーが織り成す心温まる物語は、今なお子供から大人まで魅了する。
ディズニープラスより引用
居場所を失う恐怖を描く

レディの不安
この作品の主人公である、アメリカン・コッカー・スパニエルの雌「レディ」
彼女がジムから、妻のダーリングへのプレゼントとしてやって来るシーンから、物語が始まる。
最初は躾として犬用のベットで寝るように指示されるが、そのあまりの可愛さに結局メロメロ、ご主人のベットで一緒に眠るようになる。

このレディの一連の仕草で「犬派」に転向してもいいくらい、
可愛かったです
それからしばらく経ち、すくすくと成長したレディ。
彼女はご主人から、それこそ我が子のように愛され、隣人の犬「ジョック」「トラスティ」という仲間にも恵まれ、何不自由ない幸せな生活を謳歌していた。
しかしダーリングの妊娠から少しずつ変化が起こる。
今までは遊んでくれたのに、なぜか素っ気無い態度を取られたりするなど、言いようのない不安に襲われるのだ。
ここで重要なのは、レディに、愛を与えてくれた飼い主が奪われてしまうという不安にかられるということだ。
この構図は1995年に公開されるピクサー作品「トイ・ストーリー」の「ウッディ」が「バズ」がやってくる際に感じた不安によく似ている。
というか、個人的には「わんわん物語」の物語が非常に「トイ・ストーリーシリーズ」と重なる点が多いと思いました。
それは後述しますが・・・。
とにかく、序盤で一気に見せられた、レディの幸せな日々はダーリングの妊娠から大きく変化を余儀なくされるのだ。
深堀りポイント
ただ、この「愛されない」という不安は、別に「犬」に限った話ではない。
この「不安」に我々が深く共感してしまうのは、例えば「長男・長女」の方ならわかると思うが、「弟・妹」が生まれた際のことなど思い出すと、心当たりがないだろうか?
また、これは少し語弊があるかも知れないが、親友に別の親友ができて、疎外感を感じたり。
心理学に詳しくないので、こうした「心理状況」を言い表す言葉が思いつかないが、実は「愛されない」ということ、「疎外感」を感じるということは、実は多くの人間が体験していることでもあるのだ。
だからこそ、序盤のレディの不安というのが、我々に深く突き刺さるのだ。
トランプの存在
そんなレディがたどるかも知れない可能性の存在がトランプだ。
彼はレディに「赤ん坊」の存在は犬にとっては悲劇だと告げる。
恐らく彼は元飼い犬で、恐らく「赤ん坊」が生まれた時点で捨てられてしまったのだろう・・・。
そんな彼は「野良犬」になりレディとは全く違う生活をしている。
その日暮らしで餌を求めて、保健所に連行される野良犬仲間を助け、自由に街を徘徊する。

そんな彼が、ひょんなことからディア家から飛び出してしまったレディと出会い、2匹が恋に落ちていく。
その姿をロマンティクに描いているのが今作だ。
深堀りポイント
ちなみにこのレディが家を出るキッカケになるのも、ホント可愛そうだ。
旅行にいく両親に変わり赤ん坊の世話をしにやってきた、セーラおばさん。
その飼い猫であるサイとアムのシャム猫び双子のいたずらを止めようと頑張ったのに、誤解を受けてしまう。

こういう「この子は悪くないのに・・・」ものの系譜って、ありますよね!
赤ん坊が生まれる、そして両親が旅行へ。
そして「完全猫派」のセーラおばさんが来た、最悪が重なりレディは一転、迷子・野良犬になってしまう。
繰り返しになるがトランプは、「もしかしたら、レディが辿ったかも知れない可能性」のひとつだ。
そしてこの構造が、これも繰り返しになるが「トイ・ストーリー4」を強烈に意識させられる。
だからこそ、自分の中で「ある引っ掛かり」が生じた。
「自由意志」の先に
この作品を見て強烈に意識させられた「トイ・ストーリー4」の結末。
この作品は、公開当時大論争を巻き起こしたのも記憶に新しい。
それは「ウッディ」が、人間に捨てられ「野良おもちゃ」となった、かつての恋人「ボー」(その立ち位置は「トランプ」と同じと言える)とともに生きることを選択するという結末だ。
深堀りポイント
これに関しては、長くなるので全ては語らないが、僕としては「自由意志」をもつ生命が、「どう生きるのか?」
つまりそれは「おもちゃ」という名目を捨て、「命」として「どう生きるのか?」を自ら選び取る、「自由意志」の物語の結末として素晴らしいものだったと思っている。

だが、そのオチに批判があったのも事実だ。
つまり「ウッディ」がとはいえ、自分を所有している「ボニー」の元を離れ、「野良おもちゃ」として生きる。
それが「正しき」選択なのか? という批判だ。
ある意味で、「わんわん物語」はこの逆の結末といっていい。
「トイ・ストーリー4」になぞらえるなら、ボーが再びボニーの家にやって来るオチと言い換えることが出来る。
だけど、この「わんわん物語」だと、その終わり方にあまり「賛否」は出ないだろう。
結局の所、これは主人公の視点の違いが鍵なのではないか?
ウッディは「家を捨て、野良の道で愛するものと生きる」
レディは「家に残り、愛するものと一緒に生きる」
前者は「世捨て人」的であり、後者は「幸せ」な結末を予感させる。
だけど、両作品で用意された結末は同じ「愛するものと結ばれる」というものだが、その味わいが見事に変わるのだ。
今作品を見ていて、僕はずっと「トイ・ストーリー4」のラストが重なって見えてしまった。
個人的には、これは「犬」「ペット」は究極のところ「愛する主人」とともに生き続けることが「幸せ」だ。
と描いているようにも見えてきてしまったりもした・・・。
もちろん今作ではレディはそれこそが「幸せ」だと考えている。
だから否定はしない。
ただ「トイ・ストーリー4」というあまりにも突き詰めた作品を見てしまった今では、このオチに引っかかりを覚えるようになってしまった。
相変わらず恐るべし「ピクサー」といったところだ・・・。

オリジナル作品でも「戦える!」
少しだけ作品全体像にも触れておこう。
今作品は原作のない「オリジナル作品」だ。
特にオムニバス期以降の「シンデレラ」「ふしぎの国のアリス」「ピーター・パン」はどれも「有名な原作」がある作品で、世界中の人々が知る「おとぎ話」だ。
これはマーケティングとして、「世界の人々が知る作品」を作れば、それだけ多くの人々に見てもらえるという戦術だった。
だが、今作のヒットで、いよいよ「ディズニー」は新たな「おとぎ話」を作る側に立つことになる。
「ディズニー作品」だから見るという層が増え始め、いよいよ、ひとつのブランドとしての地位を完全に確立することになるのだ。
そういう意味でも「わんわん物語」は重要な転換点になった作品だといえる。
そして「地位の確立」
つまり「映画」に人が来る、そこからの資金の流入が「ディズニーランド」の建設に大きな貢献を果たすことになる。
そして肝心の作品クオリティもいよいよ確立されてきた感もあり、「アニメ」としてのレベルの高さは言わずもがな、今作品はすべて「犬」目線で画面が構成されるなど、非常に気が利いた演出がなされている。
さらには、ウォルトが自分で演技してみせたトランプとネズミの攻防など、見どころも多い。
実際に「ネズミ」のカウンター攻撃などを予見しての「トランプ」の立ち居振る舞いなど、かなり考えて作られている。
そして作品を象徴する「スパゲティキス」
これは元々ウォルトは必要ないシーンだと考えていたが、絵コンテを見て採用するなど、多くのスタッフが忌憚なく意見をぶつけ合う土壌があったからこそ、ここまでクオリティの高い作品が出来たのだ。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
ずっと「トイ・ストーリー4」が脳裏に引っかかってしまった
いい作品だと思いますが、トランプにとって幸せなのかな?
とか考えちゃいます。
まとめ
個人的にオチの部分に引っかかる点もあって、文句言ってるようにも見えるだろうが、僕はこの作品十分に楽しめました!
いい作品ですよ!笑
そして意義深いのは、「おとぎ話」を語ることの多かったディズニーが、いよいよ「おとぎ話」を「作る側」に立つという点だ。
これはディズニーというブランドが確立され、そして存在感を増してきたということなのだ。
オリジナル作品で自由な作品を作っても「ディズニーだから見る」という層が増えてきた。
つまり企業としての存在が脆弱だった「ディズニー」はもう存在しない。
いよいよ今作の公開と同年オープンする「ディズニーランド」など、その地位を強固なものにしていくことになる。
その一歩とも言える今作品も、また「ディズニー史」に名を残す作品だと言える。
まとめ
- 作品は素晴らしいが、少しオチが引っかかる・・・。
- ディズニーがいよいよ「おとぎ話」を語る側に立つことになる。
というわけで、読了おつかれさまでした!
また次回の記事で会いましょう!!