
本日は2020年公開の作品を取り上げます。
新作映画の評論は当ブログでは初めてですね!
ということで「ジュディ 虹の彼方に」のご紹介をします。
新作にも関わらず、鑑賞できるのは一重に
「プライムビデオ」のおかげです。感謝!
この記事のポイント
- ジュディ・ガーランドについて理解できる。
- レネー・ゼルウィガーがアカデミー主演女優賞を獲得した、その意義深さがわかる。
- 万人の心に刺さる名作だということがわかる。
- ボロボロになり、それでも最後に残った物、それこそが「自分」だということがわかる。
目次
「ジュディ 虹の彼方に」について
基本データ
- 公開 2019年(日本 2020年)
- 監督 ルパート・グルード
- 脚本 トム・エッジ
- 原作 ピーター・キルター 「エンド・オブ・ザ・レインボー」
- 出演 レネー・ゼルウィガー/ルーファス・シーウェル/マイケル・ガンボン 他
▼あらすじ▼
「オズの魔法使」で知られるハリウッド黄金期のミュージカル女優「ジュディ・ガーランド」が、
47歳の若さで急逝する半年前の1968年冬に行ったロンドン公演の日々を鮮烈に描いた伝記ドラマ。1968年。
かつてミュージカル映画の大スターとしてハリウッドに君臨したジュディは、度重なる遅刻や無断欠勤によって映画出演のオファーが途絶え、巡業ショーで生計を立てる日々を送っていた。住む家もなく借金も膨らむばかりの彼女は、幼い娘や息子との幸せな生活のため、起死回生をかけてロンドン公演へと旅立つ。
映画.com.より一部抜粋
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苦難を味わい続けたスター

ジュディ・ガーランドの苦難
この物語は苦難に満ちた「ジュディ・ガーランド」
彼女の、生前最後のロンドン公演を描く作品だ。
だが、そこに独自の脚色なども付け加えられている、ということは留意して欲しい。
最近では「Queen」のフレディー・マーキュリーをテーマにした「ボヘミアン・ラブソティー」
エルトン・ジョンを描いた「ロケット・マン」など。
同テーマを描いている作品も多数製作されている。
これらの作品の共通点
✅主人公が薬物依存に陥る
✅「LGBD」について描かれる
✅ステージこそ最高の「自己実現の場」であるということ、が描かれる
「ボヘミアン・ラブソティ」「ロケットマン」が刺さった方なら、
今作は要チェック!
苦難の日々
ジュディは、超売れっこの子役だった。
今作でも語られるが「オズの魔法使い」にて主役ドロシー役を演じたことで才能を開花させ、確固とした地位を築く。
だが、当時から「痩せなければならない」
という母親の教えで、過度なダイエットを強いられ。
そして眠らないで働くために「薬物」を与えられていた。
そしてその副作用のために「寝つき」が悪くなり、それを解消するために「睡眠薬」を飲むという、最悪のサイクルに陥ったいることが描かれる。
そして、それは時世が現在に戻っても続く。
ずっと彼女を苦しめるものなのだ。
そして、子役時代から積み上げた収入も散財しており、住む家もない。
最愛の子供とは離れて暮らさねばいけなくなる。
そんな状態まで追い込まれてしまう。
そんな状況を変えるために「ロンドン公演」に赴くことになる。

ショービジネスの苦しみ・喜び
今作では彼女がロンドン公演中、ショービジネスの苦しみと喜び。
どちらも味わいながら物語が進行していく。
苦しみは前述した通りの内容だ。
彼女はまさしくショービジネスで人生を破滅させられている。
被害者だと言ってもいい。
ジュディの死因は「睡眠薬の過剰摂取」だ。
それは当然、「不眠」に悩まされた結果。
つまり子役時代からの最悪のサイクルがもたらしたものなのだ。
ボロボロの体。
それでも彼女は舞台に立ち続けた。
それはなぜか。
彼女は舞台に立つことで、やはり喜びを感じていたからだ。
この作品初めてジュディが公演を行う、そしてその舞台が始まる瞬間まで、一度も歌うそぶりを見せない。
何かにつけて「リハする気分じゃない」など言い出し、マネージャーを務めるロザリンたちは「本当に大丈夫か?」
と不安を滲ませるのだ。
教会でのリハシーン。
ここでの彼女の態度に不安を覚える
ロザリンたちのリアクション演技が素晴らしい
不自然に痩せ、前傾の悪い姿勢。
恐らく薬物のせいか、見るからにボロボロの彼女。
一度はこんな姿では舞台に立てないとドタキャン寸前。
だが舞台に出て第一声を発した瞬間。
彼女はスターの姿に立ち戻るのだ。
これはレネー・ゼルウィガーの演技力がなせる技なのか?
前傾姿勢の頼りない女性が、一瞬でステージ上、そしてスクリーンで輝きに満ち溢れるのだ。この衝撃の変貌。
ここまで「歌うシーン」を先延ばしにしていたおかげで、我々観客と、作中のキャラクター。
それらが、同時にジュディのスター性に引き込まれる。同じ感動を共感することができるのだ。
この展開は素晴らしくうまい!
やはり、劇場で見れなかったことが悔やまれる!!!
ファンの存在
この作品で、ジュディの公演を見に来ているゲイのカップルが登場する。
彼らはジュディの大ファンで、彼女の曲に勇気づけられてきたのだ。
事実ジュディの父親はゲイだった。
そして彼女自身もバイ・セクシャルだった。(これは本作では描かれないが)
そのため、当時では逮捕されることもあった同性愛に対して理解があったのだ。
深掘りポイント
✅LGBTの掲げるフラッグが「レインボー」の理由
➡︎「オズの魔法使い」で歌唱した「虹の彼方に」由来している
そんなゲイのカップルの家に訪れるジュディ。
この時間は彼女にとって、今作で最大の幸せな時間だったに違いない。
そこで、彼女は歌ってきたこと。
映画に出演してきたこと。
それらが、誰かの人生を勇気づけていた。
そのことに気づくのだ。
彼女はこのささやかな交流を通じて、自分を愛してくれる存在がいる。
そのことを再確認するのだ。
ポイント
✅ジュディーはショービジネスの「苦しみ」「喜び」どちらも知っている。
✅自分の人生の歩みが、誰かの人生を勇気づけていることも知る。
何もかも奪われても、残ったもの。
それが自分

幸せな時間
この作品で、少しずつ公演の楽しみを確認するジュディ。
そんな彼女は遅刻して観客と喧嘩したり、相変わらずトラブルメーカーなところもあるが、少しずつ幸せを手に入れる。
5番目の夫となるミッキーとの結婚。
それを祝福してくれる仲間。
イギリス式だ。と花火を打ち上げるシーンなど、
ささやかな幸せが続けばいいと、願わずにはいられなくなるんだ
幸福な人生を取り戻していく。
だが我々は歴史として彼女が、やはり幸せになれないということは知っている。
そして、当然そんな時間は無情にも過ぎ去るのだ。
奪われ、失う
彼女はこの後、今度は全て「奪われる」のだ。
子どもの親権を元夫のシドに奪われる。
だが、今作を見ていると、子供の幸せのためには、これは致し方ないと思わざるを得ない。
彼女は子供を育てるには、ショービジネスに蝕まれすぎているのだ。
そして、彼女自身は本当は自分に子供を幸せにすることが出来ない。
そう気づいていたのだ。
そして電話で最愛の子供に「別れ」を告げる。
夫となった、ミッキーも彼女のもとをさる。
そんな心労が重なり、ついに彼女はステージで暴言を吐き、倒れてしまう。
このトラブルで、自己実現の場所すらも失うのだ。
こうして、彼女はどん底に落ちてしまうんだ
ポイント
✅手にした束の間の幸せを失い、打ちひしがれる。
それでも、残ったものを掴み取る
自分が出るはずだった公演で代役を立てられるジュディ。
それでも彼女はそこに足を運んだ。
バックヤードから見る舞台。
そこで彼女は幼少期を思い出したのだ。
彼女は、どれだけ苦しい思いをしていたとしても、ステージが好きだったのだ。
当時ジュディに好意を持っていたミッキー・ルーニーからデートを誘われても、彼女はそれを断った。
人生をボロボロにされ、彼女にとって忌まわしいものだったかもしれない、ショービジネスの世界。
そして今、人生から全ての幸せが奪われた。
最悪な状態にあるジュディ。そんな状態にありながら、彼女は「ステージ」を愛していたのだ。
満員の観客、そして歓声。
そこで歌を歌うこと。
それこそが自分だ、「ジュディ・ガーランド」なのだ。
そのことに気づくのだ。
何もかも奪われも、それでも残ったものに手を伸ばす。
それこそが自分を、自分たらしめるものなのだ。そのことに気づいたジュディは「少しだけ歌わせて」と自らステージに上がるのだ。
ポイント
✅何もかも剥ぎ取られても、それでも残るもの。それこそが”最も大切なもの”だったのだ!
「虹の彼方に」

圧巻のクライマックス
今作最後にジュディが歌唱する「虹の彼方に」
この曲は彼女を一躍世界的スターに押し上げた「オズの魔法使い」その作中で、彼女が歌う楽曲だ。
この曲は、ジュディにとって「呪い」の側面も抱いている。
だが、ここで彼女が歌い上げる「虹の彼方に」
それは「希望」の象徴となっている。
圧巻の歌唱をしながらも、涙で声がつまり歌えなくなるジュディ。
そこで、この公演中に出会ったゲイのカップルが、真っ先にジュディ代わりにアカペラで歌唱を始めるのだ。
そこから満員の観客が「虹の彼方に」を大合唱する。
ここで今まで溜まっていたジュディの感情。
そして我々のエモーショナルも爆発するのだ。
彼女はこんなにも多くの人間に「愛されていたのだ」
万雷の合唱に拍手。
その中でジュディは自分の人生の意味を知るのだ。
「どれだけ愛するかじゃなくて、どれだけ人から愛されるかが大事なのだ」
「オズの魔法使い」より引用
これは、最後にスクリーンに映し出される「オズの魔法使い」の一文。
彼女は最後に「人から愛されてきた」
自分の人生に「喜び」を見つけたのだ。
そして、「彼女はこの半年後逝去した」
と綴られて今作は幕をおろすのだ。
人生の最期に、「生きてきた意味」を知った
そのことに我々は涙せざるを得ない
ポイント
✅最後に生きてきた意味を知るジュディー。
✅自分は多くの人間に愛されていたことに気づく。
✅呪いの側面を持っていた「虹の彼方に」が、最後に「喜び」の意味を持つ。
レネー・ゼルウィガーの
アカデミー主演女優賞受賞に納得
今作最大の見所はジュディを演じた「レネー・ゼルウィガー」
まさに彼女そのものだと言える。
背筋の曲がった、年齢以上に老けたジュディ。
一度、ステージに上がると、そこにスター性。説得力が増すのだ。
これは彼女の演技スキルの賜物だ。
さらに、徹底的に鍛えた「歌唱力」
それを遺憾なく発揮する「ステージシーン」は全て見所だ。
ジュディ・ガーランドが取れなかった「オスカー」
また、レネー・ゼルウィガーがアカデミー主演女優賞を受賞したことには大きな意味がある。
それは生前のジュディが「オスカー」を手にしていないということだ。
「スタア誕生」で受賞確実視されていたジュディだが、荒れていた私生活など、様々な問題もあって受賞出来なかった。
そのまま、彼女は「オスカー」を生前受賞することなく旅立ってしまった。
そんな、彼女に代わり「ジュディ」を演じた「レネー・ゼルウィガー」が「オスカー」を獲得した。
これは非常に意義のあることではないだろうか?
ようやく「ジュディ」はオスカーを手にしたんだ
ポイント
✅ジュディを演じたレネー・ゼルウィガーは「オスカー」獲得も納得の名演。
✅ようやく「ジュディ」が「オスカー」を手にしたという感動。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!
当たり前の傑作!
またアーティストの傑作伝記映画に、一つ名作を追加できるね
まとめ
本作は気をてらわないオーソドックスな作劇となっていて、非常に見やすい作品になっている。
なので万人に愛される作品になるであろうことは、確実だ。
今作で「ジュディ」がようやく「オスカー」を手にすることが出来た。
そういう意味でも、意義のある作品になったのではないだろうか?
誰にでも勧められる、優等生な作品だった。
要点整理
- レネー・ゼルウィガーの「オスカー」獲得、それは「ジュディ・ガーランド」が「オスカー」獲得したことと同義である。
- 何もかも奪われても、それでも残るもの、それこそが「自分」である、そこに勇気づけられる、非常に万人にオススメしやすい「優等生」な作品。
というわけで、今日も読了、お疲れ様でした
また次回、お会いしましょう!
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