
今日も「ディズニー総チェック」やっていきたいと思います。
ということで、今回紹介するのは「きつねと猟犬」

こんな方におすすめ
- 昨日の友は、最大の敵!
- 締めくくり方がシブい!
目次
「きつねと猟犬」について
基本データ
基本データ
- 公開 1981年
- 監督 アート・スティーブンス/テッド・バーマン/リチャード・リッチ
- 脚本 ラリー・クレモンズ/テッド・バーマン
- 原作 ダニエル・P・マニックス『きつねと猟犬』
- 声の出演 ミッキー・ルーニー/カート・ラッセル ほか
あらすじ
母を亡くし独りぼっちだった子ぎつねが、優しいおばあさんに拾われ、トッドと名づけられます。
トッドは隣の猟師に飼われる猟犬の子コッパーに出会い、たちまち仲良しになります。
毎日、楽しく冒険をして遊びながら友情をはぐくんでゆく2匹。
やがて時が過ぎ、一人前の猟犬に成長したコッパーは、執拗にトッドを狙うご主人の命令に従い、とうとうトッドを森の奥まで追いつめて・・・。
果たしてトッドとコッパーは、自分たちの運命を固い友情の絆で乗り越えてゆけるのでしょうか。
今作品が「大傑作」である理由とは?

ギャグテイストのやり取りに巧妙に隠された、「自然の摂理」
この作品は「総チェック」をしてきた中でも、かなりの傑作である!
それを、まず断言したい。
そして、物語の構造が非常に「泣かせる」のが特徴だ。
というのも今作は、かつての友とすれ違い、そして「敵対」する物語なのだ。

賛同してくれる方、いませんか?
母を亡くした子狐の「トッド」
彼は、トゥイード夫人に拾われ愛情たっぷり育てられる。
そして隣人である、猟師エイモスの元にも猟犬候補のコッパーという子犬がやって来る。
好奇心旺盛な2匹が種族の枠を超え、森で遊び周り、すくすくと成長そしていく。
そんな2匹が友情を育む姿を、序盤は美しい森の風景の中で描く今作。
そして2匹は互いに「親友」であると認め合い、その友情は永遠に続くと思われるように描かれる。
ただ、とはいえこの2匹は「狐」と「犬」しかも「猟犬」だ。
それは構図として「狩られる側」と「狩る側」という、相容れない運命にあるのだ。
それを実は、この作品は序盤から描いている。
一見するとギャグテイストにしか見えない、キツツキの「ディンキー」そして、スズメの「ブーマー」と、芋虫の「スクイーク」のやり取り。
それも執拗にスクイークを狙う2羽の様子が描かれるが、これは自然界における「捕食者」「被食者」の関係を表しているのだ。
つまりこれは、自然界における摂理を描いている。
そして、この構造はいずれ来る、トッドとコッパーの運命を示唆しているのだ。
ちなみに「執拗」という観点でいうと、猟師エイモスがトッドを狩ることに異常な「執念」を燃やしているという部分も、実は2羽のエピソードと通ずるのだ。
こうした、実は念入りな目配せをしているのが今作品の作りの特徴だと言える。
すれ違う2匹
そんな2匹の友情は、秋に終わりを告げる。
冬の間、雪山で狩りをするために、エイモスはコッパーと、先輩狩猟犬「チーフ」を連れて出ていくのだ。
フクロウの「ビッグ・ママ」はトッドに忠告する「友情は終わる」と。
だが当然彼は、それを信じようとしない。
自分たちは「永遠に親友」だと、その誓いを信じているのだ。
そして一冬を超え、コッパーは立派に成犬として成長する。
それは一人前の猟犬になったことを意味する。
ここでトッドも同時に成長したことが描かれるが、それでも彼はまだ現実を見ようとしない。
彼の心はまだ子どもの頃のままだ。
ここで2匹の「成長」という点に注目したい。
それはコッパーは、この冬の厳しい環境で「狩り」を続け、猟犬としての自覚。
そして「猟犬として生きる」ということを決意している。
その強い意思があり、彼は「チーフ」を凌ぐ猟犬へとなったのだ。
片やトッドはどうだろうか?
優しい夫人に愛を注がれ、ある意味で「過酷な現実」を知らない。
「世界の優しさ」だけしか見えていない。
だからこそ、トッドは未だにコッパーとの友情を信じ続けているのだ。
そんな彼の「世間知らず」が招く悲劇。
「チーフ」の大怪我を巡って、2匹はついに「狩る者」「狩られる者」という立場になる。
ついに「殺し合う」ことを決意する、関係にまでなってしまうのだ。

コッパーは「チーフ」の一件もあり、完全に「猟犬」としてドットを狩る決意をする。
対峙する2匹
ついに夫人は自身の手ではトッドを守りきれないと、彼を思い「狩猟禁止区域」にドットを逃がすことになる。
そこで彼が初めて出会う雌キツネ「ピクシー」
この辺りの初めて見る「女の子」にキョドる感覚は、「バンビ」でのファリーンとの出会いを彷彿とさせる。
物語がどんどん殺伐としていく中で、ここだけは癒やしポイントにもなっている。
だが、そんな彼らを「狩る」為にコッパーとエイモスが森に罠を仕掛ける。
そしてついに2匹は、対峙することになる。
容赦なく放たれる猟銃。
そして襲いかかるコッパー。
だがトッドには今回は守りたい存在がいる。
2匹はついに「野生回帰」したように互いに爪を立て、噛み合う。
ほんとうの意味での「殺し合い」をする。
ここで今作が秀逸なのは、子供時代の「じゃれ付き」の様子と、今回の「対決」が、ほぼ同じ構図で描かれるということだ。
そしてキャラクターも、いわゆる「ディズニーらしいデフォルメ」されたデザインから、血走った目、滴るよだれ、一気にデザインがハードな方向に変化する。
これは「バンビ」でも描かれた、動物本来の姿を描く、つまり「野生」を描いた時を彷彿とさせる。
ここまで鮮明に描かれる、ハッキリとした「命のやり取り」という場面。
ここまで「ディズニー総チェック」をしてきたが、ここまで殺伐とした展開は類をみない。
そしてここで自分の中で、この物語を「どのように決着するのか?」というのに、ものすごく興味を持ってしまった。
つまり、かなり物語にのめり込んでいる。
これは「生半可」な決着では納得できないぞ!
とかなり高いハードルを課してしまっていた。

綺麗事では「超えられない壁」を描く
今作品で2匹の戦いは「クマ」の乱入によって終りを迎える。
激昂したクマに襲われるエイモス、彼を救うためにコッパーは果敢にクマに挑む。
このエイモスというキャラは「癇癪」を持ち、粗暴。
トッドを猟銃で撃つ・襲うなど、文字でみれば「悪=ヴィラン」的な存在だと言える。
さらに子どものコッパーを叱りつけ、厳しく育て、恐らく「雪山」でも相当なスパルタ教育を強いたハズだ。
そんな、これまでの作品ならば「悪」として描かれそうなエイモスだが、今作品ではそう描かれない。
コッパーはご主人を守るために自ら、クマに戦いを挑む。
そこには、作品内では描かれないが、エイモスは確かにスパルタを課すなどしただろう、だが、誰よりもコッパーに愛情を持って接していたのだ。
事実「素晴らしい猟犬」になった証として、コッパーを助手席に乗せる際、エイモスとコッパーの表情にそれが現れている。
彼らは互いに信頼し、最高のパートナーになっていたのだ。
だからこそ、勝てないだろうクマ相手にコッパーは挑むのだ。
そしてトッドは、やられそうになる、かつての親友、コッパーを見捨てられず、クマに挑む。
共闘の末何とか「クマ」を倒すことになるが、力を使い果たしたトッド。
そんなかれにエイモスは猟銃を向けるが、コッパーの表情を見て、見逃すことにする。
普通の「ディズニー作品」の例になぞらえるなら、この後、誤解が解けて、2匹は「友達」に戻れるという結末になるかも知れないが、今作は安易にそうはならない。
キチンと「超えられない壁」の存在を描くのだ。
「狩る側」「狩られる側」その壁は遥かに高く、超えられない。
その事を2匹は悟る。
今作品のラストカット。
トッドがピクシーと寄り添い、遠くに見えるコッパーの姿を見る。
そのうしろ姿は、二度と2匹が交わることがないことを示唆するのだ。
事実「共闘」はしたが、とはいえ2匹は「殺し合う」
そんな、深い対立をした。
そしてそのわだかまりは、二度と解けないだろう。
2人の心に残る「友情」で、ひとまず対立は終わったが、それでも次に遭遇すれば「対立」する運命にある2匹。
2匹が「友情」「友達のころの思い出」を守り続けるには、二度と会うわけにはいかないのだ。

互いに大切だからこそ、「二度と会えない」、でもそれでいいんだ。
そんな決意が後ろ姿から伝わってくるのだ。
そして子ども時代の2匹の声が響くことで、我々の心を震わせるのだ。
この締めくくりが、ホント「シブい」
そして、この締めくくりが、最高に「良い」
こんな素晴らしい作品があったとは・・・。
今まで「きつねと猟犬」という名作を見なかったことを、心より恥じるしかないと思わされた。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
この物語構造で心動かされないワケがない!
文句なしの「大傑作!」
歴代「ディズニー作品」でも相当なレベルでは?
知名度が低いのが、もったいない!
まとめ
少なくとも「ディズニー作品」として相当ハードな部分に突っ込んだ今作。
ディズニーを支えた「9人の老賢者」最後の作品として振り切るところまで振り切った作劇、気合の入った作画。
それらが評価され、今作は興行面で大成功を収め「9人の老賢者」の有終の美を飾ることになる。
このディズニーを支えた存在が最後に描いたのは、これまでの「ディズニーらしさ」から、あまりにかけ離れた「ビター」な味わいの作品である、というのも興味深い。
「越えられない壁」があるということ。
そして、離れることが「友情」を守り続けるために、最適なのだ、という結末。
ある種「綺麗事」を描いてきた、まさに「夢」の象徴であった「ディズニー映画」
恐らくこれまでならば、2匹を再び「友達」として描いていたかも知れない。
だが彼らは、安易にそれを選ばなかった。
最後に自らを「批評する」かのような作品を作った。
いや最後だからこそ、この作劇になったのかも知れない。
「現実」を知るからこそ「夢」が語れるのだ!
今作は「9人の老賢者」から次代を担う存在へのメッセージという側面もあるのかも知れない。
なんにせよ、まさかこんな良作があるなんて!
「総チェック」してなければ出会えなかったと思うと、恐ろしい。
こんな出会いがあるから「総チェック」はやめられませんね!
まとめ
- 安易な結末に終わらない、それが「良さ」
- ディズニー作品の中でも「ハード」な作品。
- ラストの「2匹」の距離感に込められたメッセージが素晴らしい!

「新世代編」がスタートです!!
乞うご期待!