
ディズニーの人気アニメーション「くまのプーさん」ファンに届けたい。
という思いで、今日も映画を批評します。
今回批評するのは「グッバイ・クリストファー・ロビン」です。
この映画は日本では劇場公開されていない「ビデオスルー作品」となっていますので、ちょっとマニアックな内容になるかもです。
この記事を読むと
- 「くまのプーさん」に隠された真実が見えてくる。
- もっと「くまのプーさん」を好きになる。
- 誰かにこの事実を語りたくなる。
- この映画を見たくなる
なぜ、この作品が劇場公開されなかったのか・・・
非常に勿体ないなぁ
目次
「グッバイ・クリストファー・ロビン」について
基本データ
- 公開 2017年(日本未公開 2018年ビデオスルー)
- 監督 サイモン・カーティス
- 脚本 フランク・コットレス=ボイス/サイモン・ヴォーン
- 出演者 ドーナル・グリーソン/マーゴット・ロビー/ケリー・マクドナルド 他
- 吹き替え 森川智之/冬馬由美/中村千枝 他
ドーナル・グリーソン、マーゴットロビーなど、ハリウッドで活躍するスター出演作だよ
▼あらすじ▼
作家のアランは第一次世界大戦から帰還後に「PTSD」になり、彼を励まそうと妻のダフネは男の子の赤ん坊を産みクリストファー・ロビンと名づける。
西洋のためロンドンから田舎に引っ越したアランは息子と二人で過ごすことになり、ぬいぐるみを使って徐々にキャラクターを創り出していく。
息子との日々から構想を練り上げたアランは、新作「くまのプーさん」を発表するが、その反響は大きく、次第に一家は普通の暮らしができなくなるのだった・・・。
「グッバイ・クリストファー・ロビン」DVDパッケージの紹介文より抜粋
さて、ここからはネタバレも含んだ解説になりますよ!
「くまのプーさん」誕生秘話
この作品は世界的にも有名な、特にディズニーアニメーションで今も愛されている「くまのプーさん」誕生を描くノンフィクション映画である。
今作品を知らない人は「クリストファー・ロビン」が実在する人間(モデルとして)であるということに、驚かれるかもしれない。
クリストファーの父、アラン・ミルンがどのように「くまのプーさん」を生み出し、それがどのような悲劇を産んだのか、そこをまずは見ていきたい!!

アラン・ミルンの苦悩
この物語はアランの苦悩を中心に描いた作品である。
彼は第一次世界大戦の激戦地での経験で、帰還後も「PTSD」に悩まされている。
PTSD=心的外傷後ストレス障害
強い精神的ショック体験などが原因で、時間が経ってからも、その経験を思い出し恐怖を感じること
そのことから、元々劇作家として活躍していた彼だが、仕事などにも悪影響をきたし、ロンドンを離れることを決断する。
この出来事はもちろん彼にとって苦難な出来事だ。
だがこの作品はさらなる苦難が待ち受けている。
「くまのプーさん」執筆で起きる悲劇
「くまのプーさん」はアランが、息子ビリー・ムーン(クリストファー・ロビンのニックネーム)との掛け替えのない日々から着想を得た物語である。
元々ムーンの世話は子守のオリーブ(ヌー)に任せきりだった、アランと妻ダフネ。
そん関係性が薄い父子が「ぬいぐるみ」や「森の冒険」をして遊んだこと、それは親子水入らずの「大切な時間」でもあった。
ムーンがずっと大切にしていて、エドワードと名付けた「クマのぬいぐるみ」
なぜ「プー」と呼ばれるようになったかも、この作品を見ればわかるよ!
彼らをモデルにした「くまのプーさん」は世界で大ヒットするベストセラーになる。
戦後のPTSDで苦しんだアランにとっても、これは人生を好転させるきっかけになるのだ。
だがここから物語は、さらなる転落への道をたどることになる。
それはムーンに「世間の好奇の目」が注がれることになるということだ。
「クリストファー・ロビン」は実在する。とメディアは彼に取材をしようと殺到し
世間から「時の人」扱いされるんだ
何百ものファンレターの数々、イベント出演、取材対応。
どこにいても人々の目が注がれる異常な事態、そしてその状況を危険視していた、ムーン唯一の心の拠り所ヌーが、ミルン家を去る。
この異常な事態にアランは「二度と『プー』について書かない」と誓う。
そしてムーンにも静かな時間を再び与えようと、彼を「学校」に進学させる。
これでようやく事態はおさまるかのように思えた・・・
世間では「クリストファー・ロビン」として見られてしまう
その地獄はむしろ学校でピークに達する。
よく考えれば当たり前だが、「クマのぬいぐるみ」と遊んでいた少年ということで世間では大注目されていたムーン。
「ここなら誰でもない『クリストファー』」として生きていける」という希望は早くも潰えるのだ。
そして地獄のような”ぬいぐるみと一人で遊ぶ少年”と虐められる日々は卒業まで続いた。
ちなみにこの描写自体は、短いのだが、演出のうまさで「この日々がどれほど長い時間だったのか」が表現されている。
僕は、痛々しい感情に襲われながら、このテクニックには感服するしかなかった。
そしてムーンは「クマに人生を狂わされた」「忌々しいクマ」という悲痛な思いを叫ぶ。
彼は「くまのプーさん」に人生を破壊されたのだ。
今まで無邪気に「プーさん」を親しんできた我々には、これはキツイ描写だった
「プーさん」の「クリストファー・ロビン」ではない場所を求めて
彼はこの日々の経験から、自分を「プーさん」の「クリストファー」ではなく「ただのクリストファー」として見てくれる場所を求める。
その場所こそ「第二次世界大戦」の戦地であった。
後述するが、元々アランは「戦争が起きない世界」を願い作品を書き続けていた、そんな彼にこのムーンの決断はあまりにも辛いものだった。
そして、これは僕の深読みかもしれないが、ムーンは戦地での生死を分かつ場所であるなら、苦しみの日々を彼は忘れられると思ったんじゃないだろうか?
死への渇望とまではいかないが、それに近い感情を彼は「くまのプーさん」の「呪い」によって持つに至ったのだ。
「プーさん」に込められた「願い」
このような悲劇を生み出した「プーさん」の執筆だが、もちろんそんなことはアランが望んでいたことではない。
「プーさん」には「願い」が込められていたのだ。
今度はその側面にフォーカスしていきたいと思う。

反戦への願い
この作品を描くまで、アランはPTSDに苦しんでいた。
それと同時に「上流階級」が血を流さず、若者たちの犠牲を強いる世界のあり方。
「戦争」という選択を持つ愚かさを、自身の地位、キャリアを顧みずに主張していた。
そんな中で、ムーンとの日々。
「ぬいぐるみ」たちとの温かな、夢のある世界。
そんな世界を人々が心に抱くことができるならば、戦争はなくなるんだ。
彼はそんな「願い」を込めて「プーさん」を世に送り出す。
そしてその「願い」が多くの人々の「心」に伝わることを望んだ。
アランはムーンに負荷が生じている事に気づいてた。
でもアランはムーンの負荷を見てみぬふりをしてしまったんだよ
そんな思いは母のダフネにもある。
彼女は、身勝手にも上流階級の暮らしが忘れられず、作品を書かない夫に愛想をつかせる。
そして夫と息子を見捨て、ロンドンで遊び呆ける。
その間にアランから送られた「プーさん」の原型になる物語を読み、勝手に出版社に持ち込む。
ここは、彼女はもう一度都心で生活を夢見てこのような行動に走ったように思われる。
しかし彼女も、愛する人間を戦地に送り出し、それを待つことに耐えられない。と思いを吐露している。
実はミルンと彼女も「戦争がなくなればいい」という「願い」を持っているという点で共通しているのだ。
ムーンの赦し
前述してきたように、アランの「願い」が込められたはずの「プーさん」
この作品で「呪い」を受けたのは、息子のムーンだ
この作品はここまでひたすら「プーさん」に描かれた「願い」
その広がりのために一身にその「呪い」ともよべる苦しみを背負うムーンを描き続けてきた。
だが彼が戦地で、死にゆく仲間たちがが最後に「プーさん」の歌を口ずさむのを目にする。
そこで、「プーさん」の物語が人々にとっては楽しかった子供時代の象徴的なものであったことを知るのだ。
ここで、彼は自分にとって「呪い」だったものが多くの人々にとって「願い」であったことに気づいたのだ。
「プーさん」の物語を読んだ彼らは、この物語を思い出すことで「家族団欒」の日々。
幸せだった「幼少期」を思い出し安らかに逝ったのだ。
ここでムーンは、ようやく父が込めた「願い」の側面に気づき、父が「プーさん」を世に送り出したことを赦すのだ。
皮肉にもそれは「戦場」での出来事だった。
戦地から帰還したムーンは幼少期のように、父アランと森へ出かける。
過去と折り合いをつけたとて、自分の辛い過去がなくなるわけではない。
それでもやはり「プーさん」が世に出たことに意味があったと告げるムーン。
そしてアランと「あの場所」に向かう。
厳密には「くまのプーさん 完全保存版」「プーと大人になった僕」のラストで訪れる場所だよ!
そこでムーンは過去に折り合いをつけ、「呪い」から解き放たれる。
クリストファー・ロビンはもはや個人としてでなく、世界中の人々の、ものになってしまったのだ。
最後は非常に複雑な感情にさせられてしまったな・・・
「プーさん」とその「仲間」のキャラ設定の秘話にも注目!
この秘話を知って「プーさんのハニーハント」待ち時間中、したり顔で語っちゃおう!

家族の影響、子守の影響を強く受けている
まずは今作品を見るまで。
ディズニーの「プーさん」をみて僕が
それぞれのキャラに対して、どう思っていたのか?
という点から説明するね
「プーさん」登場キャラに対する私見
まず僕は「100エーカーの住人」は、全てロビン少年の心の特性を持っていると考えていた。
ここをもっと掘り下げると、ロビン少年の”今”の心の特性ではなく、今のロビンよりも少し幼い時、幼年期の特性だ。
例えば「オウル」は大人ぶりたい心。
「カンガ」には自分の思う母性と。
「ルー」には、子供として母に甘えたいという気持ちの現れ。
「ピグレット」は臆病さ。
「イーヨ」はネガティブさ。
「ティガー」はポジティブ。
「プー」はのんびり「何もしないこと」を最も強く体現している。
本作品を見るまでは、このように捉えていた。
実際に本作を見ると、ムーンの周囲の大人が、キャラ設定に大きく影響しているのがわかるね
実際は、父のミルンががPTSDになり臆病になっている、そのピグレットに大きく反映されている。
またその心理的要因から思考がマイナスになったいるのがイーヨにも反映されている。
ティガーのあの暴走する感じは、母親ダフネの性格がモロに反映されている。
さらに本作を見て驚いたが、ティガーは途中でもらうぬいぐるみだから、「プーさん」でも途中から登場するのかと・・・。
カンガはきっと子守のノウの優しさが詰まっている。
そう考えると、実は「カンガ」って最重要キャラクターなんだ
それぞれのキャラが創作の上で、どのようにキャラ付けされているのかという側面からも見ることができたのも非常に興味深かいのも本作の特徴と言える。
また実際のムーンは「プー」に思い入れはそこまで高くないと僕は感じた。
むしろ、これまでうまくいっていなかった親子関係を修復するきっかけとして「ぬいぐるみたち」への思い入れがあるのではないだろうか?
つまり父親との思い出の中の彼らとの思い入れだ。
そしてこれは僕らの人生においても置き換え可能な事柄だ。
両親とこんなおもちゃで遊んだなぁ。
そういう思い出は誰にでもあるのじゃないだろうか?
だからこそムーンが父との大切な思い出だった、「プーたちに」人生を狂わされるというのは、皮肉というほかないのだ。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!
「プーさん」を純粋な気持ちで見れなくなるよ!
今年「プーさんのハニーハント」に乗ったんだけど
ちょっと複雑な気持ちになったなぁ
まとめ
僕は、これまで「プーさん」を見て、どこか懐かしい子供時代を思い出していた。
ノスタルジーな気分にさせてもらっていた。
これからもその「ポジティブ」な部分は大いに享受しようと思う。
でも、そんな裏側に「呪い」があったこと、そのこともぜった忘れたくないと思わせてくれる。
非常に胸に刺さる作品であり、忘れられない大切な作品になった。
そして今作品は問題提起になる作品だとも言える
また、マスコミの執拗な取材、過度な熱狂は本当に禁物だという面を描いている点も忘れてはならない。
このような出来事は現実でも時折起こる問題だと、僕は思っている。
子役への過度な注目など、これは古今東西起こり得ることではないだろうか?
今作はそういう注意喚起にもなると言える作品だと言える。
というわけで、今日も読了お疲れ様でした!
また次回、お会いしましょう