
さて今日は「長編ディズニーアニメーション」を公開順に評論していく「ディズニー総チェック」
今回は通算53作品目、そして、現状「ディズニー史上最高傑作」の一本と誉れ高い『アナと雪の女王』を徹底的に深堀りしていきたいと思います。
思えば、人生で最初に「映画評論」的なことをした作品も、『アナと雪の女王』で。
今にして思えば、この作品を語ったところから、「映画を見る」だけでなく、そのあと「評する」楽しさを教えてくれたのが、この作品なんですよね!
ということで、思い入れも非常に深いので、力を入れて深堀りしたいと思います!!
この作品のポイント
- ディズニーでこれまで語られた「真実の愛」からの脱却。
- 「新生ディズニー」の全てが詰まった作品。
- やはり「歌」が良い!!
目次
『アナと雪の女王』について
基本データ
基本データ
- 公開 2013年
- 監督 クリス・バック/ジェニファー・リー
- 脚本 ジェニファー・リー
- 原作 ハンス・クリスチャン・アンデルセン『雪の女王』
- 声の出演 クリスティン・ベル/イディナ・メンゼル
あらすじ
明るく勇敢なアナが、たくましい山男のクリストフと彼の相棒トナカイのスヴェンと一緒に、姉エルサをさがす壮大な冒険の物語。
アレンデール王国は、触れたものを凍らせてしまうエルサの力で永遠の冬で閉ざされていた…。
エベレストのように過酷な北の山で、雪だるまのオラフや不思議な生き物トロールと出会ったアナたちは、エルサを見つけ出し、凍った世界を救うことができるのか?
ディズニープラスより引用
やはり「楽曲」の素晴らしさは特筆すべき!

神曲連発で一気に勝負!
今作品はまず前提として、「素晴らしい作品」であるということは、断言しておきたい。
そして、無数の切り口から「称賛」出来る作品でもある。
だがまず、これは見た人が誰もが思うことだと思うのだが、やはり「楽曲」の魅力が、正直これまでの「ディズニー作品」と比べても抜きん出ている。
その点は、誰もが認めるところではないか?
特に印象に残るのは次の楽曲だ。
- 「雪だるまつくろう」
- 「生まれてはじめて」
- 「扉あけて」
- 「レット・イット・ゴー~ありのままで~」
この4曲は公開当時、常に「歌番組」でフューチャーされてたし、映画を見てない人でも知っているという、ある意味で「国民の共通認識」になっていた。
冷静に考えるとヤバい減少が起きていたわけだ。
そして特に「レット・イット・ゴー~ありのままで~」は、恐らく名曲多しと言われる「ディズニー史上」でも「最高の楽曲」と言っても過言ではないだろう。
今作はそんな魅力的な楽曲を、冒頭から次々と投入してくる。
今作品は約100分なのだが、実はこの4つの「楽曲」は、映画開始から30分以内で全て、お披露目されるのだ。
この耳馴染み良く、そして覚えやすい、そして「いい曲」
これら楽曲の良さを「冒頭」で一気に示して、観客を映画に飲み込んでいく。
まさに「楽曲」で、勝ち取った勝利だとも言える。
そして、やはり「ミュージカル」こそ「ディズニー」の強みなんだ。
そのことを、再度世界に知ろしめす事になったのだ。
しかし、「いびつ」な物語構成
だが、そんな「神曲」連発したことで、今作品には一つの「大きな問題点」が隠されている。
それはなにか?
実は、物語構成が「いびつ」であるという点だ。
もっというと、後半の展開が、非常に「飲み込みづらい」ところも出てくるのだ。
それはなにか?
「ハンス」という男の存在である。
この「ハンス」は最初は「アナ」と恋に落ちる、いわゆる「ステレオタイプ」
つまり「従来のプリセスもの」における「王子」的存在で、その存在自体がミスリードになっている(詳しくは後述)。
その彼が、あまりに脈絡なく「ヴィラン」になる展開が後半展開される。
それが、あまりにも突拍子がなく、飲み込みづらいのだ。
だが、それには理由がある。
それこそ「神曲」が生まれたからだ。
というのも、元々の初期の脚本段階では今作は「アナ」と「エルサ」の対立の物語だったのだ。
実は、それが色濃く残っている点がある。
それは「エルサ」のデザインだ。


この上記のデザインが、第何稿のデザイン案かはわからないが、今のデザインと比べると、かなり変化していることが伺える。
そして、現行のデザインも実は「目の周り」の化粧の色使いなどが、実は「従来のヴィラン」的な色使いになっている。
つまり作り手は元々「姉妹」の対立の話として『アナと雪の女王』について構成を練っていたのだ。
だが、それが大きく変わる出来事が起こるのだ。
それこそ、まさに「レット・イット・ゴー~ありのままで~」という楽曲を生み出してしまったことだ。
当初、「ヴィラン」であるエルサがこの歌を歌唱することを想定していたのだが、作り手の中に「こんな素晴らしい曲を歌う存在が、悪人なハズがない」という思いが芽生えてきたのだ。
だからこそ「ハンス」という存在を「ヴィラン」として設定したのだ。
それがあるから、後半、今作は「いびつ」な展開をしていくのだ。
実はこういう「いびつさ」は「新生ディズニー」が最も嫌うことでもある。
ジョン・ラセターがディズニーCCOに就任して以降、物語の穴・欠点は、社内のチェックで極限まで削ぎ落とされ、完全無欠の状態で世に送り出されるようになった。
だからこそ、当然、作り手は、今作の「いびつさ」「強引さ」は承知の上だったハズだ。
にも関わらず、この作品を世に送り出したのはなぜか?
それは、作り手すらも「感動させ」た「レット・イット・ゴー~ありのままで~」という楽曲の魅力を信じたからだ。
つまり、細かい辻褄云々よりも「楽曲」の持つ「力」に賭けた。
エルサから溢れ出す、感情を表現したい。
その思いを優先したのだ。

そして、結果「レット・イット・ゴー~ありのままで~」は世界で愛される楽曲になり、映画も世界的大ヒット。
これ以上ない成績を叩き出すことになる。
そして、ずっと獲得出来なかった「アカデミー長編アニメーション部門」を獲得。
ついに「黄金期」の再来を世界に示す瞬間が訪れたのだ。
「愛」とは何だ?

今作が語りたいこと
これまでも「真実の愛」が呪いを解く。
そういう設定は、従来の「プリンセスもの」にもあったテンプレ要素だといえる。
そして、その多くで、プリンセスが王子に恋をして、そして成就する。
つまり「愛」=「恋」という構図だった。
多くの人が、「ディズニープリンセスストーリー」と聞くと、このストーリーラインをイメージするのは間違いないだろう。
つまり、これまでのプリンセスものは「愛」と「恋」を同一視していたのだ。
そして、それを掴むことこそが「幸せ」と描かれてきた。
言い換えると、女性は男性に見出されてこそ、幸せであり。
そして、そこがゴールなのだ。
そのことを、長い歴史でディズニーは語ってきた。
しかし、今の世の中ではそうではない。
社会の進歩に「この価値観」は、あまりにも古すぎるもだ。
だからこそ『プリセスと魔法のキス』『塔の上のラプンツェル』と、過去を否定する要素の作品を作り、価値観を刷新。
そして、ついに『アナと雪の女王』を作り上げるに至ったのだ。
今作で問われるのは「真実の愛」とはなにか?
それは「現代」ではどうあるべきなのか?
そこを追求することになるのだ。
様々な「愛」の物語
そもそも今作品では、様々な「愛」が今作品では描かれる。
僕なりの要約をするならば、この『アナと雪の女王』は「愛のボタンの掛け違い」の物語だ。
まずエルサを人目に触れぬよう育てた両親に注目したい。
生まれついた魔法の力で彼女が誰も傷つけぬようにした。
それは「家族愛」だと言えるのではないか?
そして「生まれながら」持っている「魔法」でエルサは「アナ」を傷つけてしまった。
二度とアナを「傷つけない」
そのため一人きりになり、力をコントロールしようとしたのは「妹」への「愛」だといえる。
深堀りポイント
ちょっとひねた見かたをすれば、エルサは律儀に言いつけを守らず、隠れてアナと会ってもよかったはずだ。
けれどそれをしなかった。当然妹を傷つけたくないからだ。
だかど、その中には、アナに怖がられることで自分が傷つきたくないという考えもあったのかも知れない。
そしてそれは「自己愛」とも言えるのではないか?
当然アナをエルサに対する思い、それも「姉妹愛」だといえる。
そして、ミスリードではあるが「ハンス」とのトキメキ。
これも、当然「愛」だった。
クリストフとトナカイのスヴェンの種を超えた絆。
仲間としてのこれも「愛」
トロールとのクリストフの間にあるこれも種を超えた「愛」だ。
そして、終盤「心が凍った」アナ。
そんな彼女のために「溶けても良い」と自己犠牲の精神を見せる「オラフ」
それもまた「愛」が故だ。
今作品は、様々な「愛」
それも「ボタンの掛け違い」というのが、非常に際立つ作品だ。
事実「ハンス」という存在がいるからこそ、アナとクリストフの関係は、本来であれば進展しそうなものだが、直接的な「成就」にはならない。
むしろクリストフがアナのことを思うが故、だからこそ彼女をハンスに託そうとする。
それも、「自分の気持よりも、アナを思う」つまりそれも「愛」だ。
それはアナとエルサの姉妹関係においてもそうだ。
エルサはアナを「愛する」からこそ、彼女と離れようとする。
他者のために、自らは身を引く。
今作はそんなある種「愛する」からこそ、傷つけたくないからこそ、離れようとする。
それこそ「ハリネズミのジレンマ」的なテーマが描かれた作品とも言える。
【深堀りポイント】 あまり語られない、「アナ」について
そんな作品において、最も従来の「ディズニープリンセス」らしい存在。
「愛」を求めるのがアナだと言える。
ポイント
エルサに関しては誰もが語りたくなるのだが(僕も後述しますが)、実は「アナ」の存在が今作では大きい。
でも、正直あまり語られない存在でもある。
アナは純粋であるからこそハンスに一目惚れ。
出会ったその場で「結婚」をしようとする。
これは例えば『白雪姫』『シンデレラ』的な流れを汲んでいるとも言える。
白雪姫とシンデレラは、ほとんど「王子」と関係を深める展開はない。
『白雪姫』では「寝て」たら、ブチューですから、セクハラだからね・・・
つまり、従来の「ディズニープリンセス」の多くは、まともに「心」の交流を経ることなく、結ばれる。
そしてそれを「愛」としていた。
その点を「アナ」という存在を通して、「冷静に考えたらおかしいよね」と我々に突きつけてくる。
ちなみにそれだけでは「後味」も悪くなる。
だが、今作が優秀なのは、そこにもう一つ「エッセンス」を加えて、上手くそこをフォローしている点だ。
それはなにか?
それこそ「クリストフ」という存在だ。
この謎は『プリンセスと魔法のキス』『塔の上のラプンツェル』『シュガー・ラッシュ』から連なる流れで見ると紐解ける。
つまり「幸せになると信じてた、もの・こと」
それを手に入れることが、本当の「幸せではない」こともある。
それを「ハンス=従来の王子」というミスリードの存在にたくしているのだ。
これは最近のディズニーの主張そのものだ。

つまり、自分が「信じる」「幸せ」だと思うゴール。
それが、実際そうではないこともある。
人生には「別の幸せ」もあるのだということを描いているからだ。
それに気づいたアナ。
彼女の「本当の相手」それは「クリストフ」だったという着地にしている。
つまり彼女が本当の「幸せ」という事に気づくラストが用意されている、だからこそ、「後味」が悪くならないのだ。
そして、もっと重要なのは、「エルサ」関係の話にだけフォーカスしすぎると、色々「辛い」というか・・・。
映画を楽しく見てられないってのもあるので、「アナ」というある種の「コメディ」であり「シリアス」の両刀で魅力的なキャラは必須だったと言える。
では、真実の愛とは?
さて、様々な「愛」が飛び交う『アナと雪の女王』
この物語で終盤の鍵になる「真実の愛」
それを深堀りしていこうと思う。
従来の「ディズニー作品」ならば、ハンスとアナの間に生じるもの、それが「真実の愛」だ。
つまりプリンスとの間に生じるもののハズだ。
だが、前述の通りハンスはそういう存在ではない。
ではクリストフか?
彼はプリンスではない、だがアナと冒険し二人は惹かれあっていた。
でも今作では、彼との間に生じるものとして描いてはいない。(もしかしたら、彼のキスで魔法が解けた可能性もあるが)
今作で語られる「真実の愛」はそういうものではない。
アナと王国を救う「愛」それは男女間に生じる物ではなかったのだ。
それは「姉妹愛」だった。

それも「トロール」の言う「キス」すら必要ない。
言うなれば「キス」という行為そのもの、それすらも、ミスリードだったのだ。
今作は「真実の愛」という、これまでならば「キス」という行為で描かれてきた着地にはしなかった。
幾度となく語られてきた常套句をディズニー自ら刷新したのだ。
そして、ここでいよいよ「ディズニー」は従来の考え方から、また一つ進むことになる。
それが「愛」は決して「男女間」でしか成立しないものではない、ということだ。
これは現代の様々な価値観、多様性のある社会。
その中で語られるべき「御伽話」として、これからの時代に即したメッセージだと言える。
つまり、今作で描かれてきた様々な「愛」
それら全てが「真実の愛」だったということだ。
その中で最もアナが欲したのが「エルサ」からの「愛」だったというわけだ。

ある種「ハンス」と惹かれ合うのは、その「枯渇した愛」を求めての行為だったとも言える。
つまり、ここで「ディズニー」はいよいよ、これまで語り続けた「真実の愛」の殻を破ることになる。
ポイント
これは、『プリンセスと魔法のキス』『塔の上のラプンツェル』でも、まだ成し得なかったことだ。
なぜなこの2作品は、とはいえ「結婚」がゴールになっているからだ。
つまり、「真実の愛」とは、どんな者の間でおいても「成立」し得るものだという価値観の刷新を行うに至るのだ。
この志の高さは、ここまで「総チェック」してきたうえで見ると、感慨深いものでもある。
ちなみに、クライマックスで再びアナとエルサが共に生きることを決めたシーン。
ここで冒頭、幼少期の二人の関係を象徴する楽曲「雪だるまつくろう」のメロディーが流れる。
このことで、音楽的にも二人の関係が、再び元の戻ったことを示している。
ミュージカル映画としても非常に上手い演出になっている。
このあたりの「映画」としての目配せの細やかさも、ニクイね「ディズニー」と言わざるを得ない。
エルサという存在

生まれつき持った「人との違い」
この作品でやはり、多くの方が深く感情移入させられるエルサ。
彼女は「生まれついた魔法の力」に苦しめられる存在だ。
確かに、従来の「ディズニー作品」でも「魔法」「呪い」を受けた存在は多くいた。
だが、それらは「必ず」解けるものだった。
しかし、今回のエルサのものは違う。
治癒すべきものとして描かれないのだ。
一生付き合って行くしかないもの、として描かれている。
そんな力で妹を傷つけ、誰も傷つけまいと、「魔法の力」を隠して生きていくために彼女は努力した。
でも、そんな努力は虚しく、どんどん力は強くなっていく。
両親が死んだという知らせを受けた日ですら、アナと会わず、一人で力を抑えようとしていた。
なんとか「普通」の人のように取り繕う努力はした。
でも、それは叶わない。
その事に、また彼女は傷つくのだ。
しかし、いつまでも一人で生きるわけにはいかない。
彼女は王女で、成人を迎え「戴冠式」を行うのだ。
人前で「魔法」を見せてはならない。
最大のプレッシャーに見舞われながらの戴冠式だったが、ここではうまく取り繕えた。
だがその後、ハンスとアナの結婚を巡っての口論で、ついに「魔法」を隠しきれなくなってしまった。
そこから王国から逃亡、その後、雪山での「レット・イット・ゴー~ありのままで~」の歌唱をする。
そこで、始めて魔法の力を隠さず、誰とも関わらずに生きていける喜びを歌う。
もう「隠さない」「偽らない」それは、彼女にとって抑圧された自分をさらけ出せる、「ありのまま」生きる喜びなのだ。
だけどそれは悲しい、孤独に身を落とすということだ。
このシーンは、素晴らしい楽曲でエルサの力強い意思表示が歌われる、でも同時に「悲しさ」の色が見え隠れするのだ。
ここでのエルサの心情を慮ると、それはやはり感情移入せずにはいられない。
皆それぞれ「人と違う」
でもそれを隠さなければならないこともある。
多かれ少なかれ、一度は「人との違い」に悩んだことはないだろうか?
これは、全ての人間が必ず一度は悩むことだ。
「普通」という言葉が、この世に存在する限り、この「悩み」は無くならない。
だからこそ、我々はエルサに深く感情を揺さぶられるのだ。
先程、「真実の愛」で「多様性」を認める価値観が描かれたといったが、それはエルサにも当てはまる。
「人との違い」に悩んだ彼女は、最終的には「違いを受け入れてくれる仲間」を得る。
だけど、結局は「魔法の力」は変わらず彼女の中に存在し続けるのだ。
これは前作『シュガー・ラッシュ』のヴァネロペにも通ずる。
要は「バグ」「魔法」は「治癒」すべきものでもなければ、隠すものでもない。
それを含めて「自分」なのだと自分で自分を認めることも大切なのだ。
そして、それを認める世界もまた必要なのだ。
つまり今作は「多様性」が認められる世界を作るために、現代社会に「ディズニー」が送り出した、やはり「現代」のための「御伽話」なのだ。
そして、その思いは少しずつ世界に広がりつつあるのだ。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
まぁ、総チェックの流れで見たら、感動5割増しだよね!
ほんと、『白雪姫』から追いかけた身としては、感無量よ!
まとめ
まだまだ、語りきれない魅力に満ちた今作。
例えばオラフという雪だるまの、クレイジーな可愛さもこの作品の面白さの一つだ。
そして、日進月歩で進む「CG技術」の進化。
雪の質感表現などは技術レベルの高さには目を見張るものがある。
そこも、今作の魅力だ。
そして、やはり「曲」のもつ魅力、これに尽きる。
そもそも「ミュージカル作品」で曲がいい。
これだけで、もう満点だとも言えるのだ。
今作の後半のご都合主義的展開は、映画としては致命的ですらある。
だが、これをカバー仕切るのが、この「神曲」たちだ。
キャラから発せられるエモーショナルな感情の爆発につながる「曲の力」は今作最大の魅力だ。
そして、作り手は「多少の破綻」を恐れず「曲の力」を信じる決断もまた、英断だったとしか言えない。
そもそも「アニメ」というのは、「アニマ」つまり「生命」を意味するラテン語に語源を持つ。
その流れから言えば、「キャラ」から溢れ出す感情を全面に押し出すのは、「アニメ」としても正しいのだ。
そのことを考えると『白雪姫』の公開時も、世界の観客は「絵」に「命」が宿ったことに感動したはずだ。
「アニメ」の歴史は「ディズニー」の歴史でもある。
そこを振り返ると、やはり「キャラ」の感情の爆発を優先した作劇は、正解以外なにものでもないハズだ。
そして大切なのは、「愛」というテーマの刷新にディズニーは本気という気概が満ちているということだ。
「愛」は、「男女間」で育まれる、そう長年の歴史で紡いできた「ディズニー」
だが、「ディズニー」自身が、「そうではない」と過去を否定。
そして「様々な愛」があるんだ、と刷新していく姿勢はみごとなものだ。
過去に作り上げた価値観。
それが時代にそぐわない、ならば自らそれを新しく進化させようとする。
その気概があるからこそ、やはりディズニー作品は目が離せないし、今も「エンタメ界」の中心に立ち続けている理由なのではないか?
とにかく、この作品は「ディズニー史」に残る名作の一本として語り継がれていくだろう。
まさに『アナと雪の女王』はこれまでの歴史の上にしか成り立たない「金字塔」なのだ。
まとめ
- 「曲」のちからが素晴らしい。
- それが故に、物語のバランスを崩さざるを得なかった。
- 「愛」の在り方を刷新した作品である。