PIXAR総チェック 映画評 評論

【PIXAR総チェック#5】『ファインディング・ニモ』の特殊性を解説!

さて、今回は「PIXAR作品」を公開順に鑑賞をして評論する【PIXAR総チェック】

本日紹介するのはPIXARとして5作品目となる『ファインディング・ニモ』を評論していきたいと思います。

 

編集長
今作は、第76回アカデミー賞では長編アニメ賞を受賞しており、
名実ともにPIXARが、アニメ業界のトップに立つことを象徴する作品にもなっているので、再注目作品とも言える!!

 

今作のポイント

  • そもそも「ピーク」の設定がイビツな映画。
  • 実は「作劇」の基本から外れた映画である。
  • しかし、基本を外しても「面白い」のが最大の魅力である。

『ファインディング・ニモ』について

基本データ

基本データ

  • 公開 2003年
  • 監督 アンドリュー・スタントン/リー・アンクリッチ
  • 脚本 アンドリュー・スタントン/ボブ・ピーターソン/デヴィッド・レイノルズ
  • 声の出演 アルバート・ブルックス/ エレン・デジェネレス ほか

 

あらすじ

元気で好奇心いっぱい、カクレクマノミの子供ニモは、初登校に大喜び。

ある日、ニモは同級生たちに度胸のあるところを見せようと、心配性の父マーリンの制止を振り切ってサンゴ礁の外に出た際に、人間にさらわれてしまう。

マーリンは、唯一の手掛かりを持つひどい物忘れのドリーと共に、大海原にニモを探す旅に出る。

巨大なサメに追いかけられたり、アオウミガメの群れに助けられたり、マーリンはニモに会いたい一心で旅を続けるが…。

ディズニー公式サイトより引用

実は「物語」の基本からは逸脱した作品!

カニと修造理論!

 

今作は登場人物(魚)に感情移入をさせるために工夫がなされている。

 

それが「カニと修造理論」だ。

 

これは「映画における共感」という点で大きな意味を果たす。
さて想像してもらいたい・・・。

 

 

大海原に漁師と松岡修造が漁に出る、その様子を見ている我々。

そこで漁師が地引網を引っ張り上げて「カニ」を捕る。
そのカニを漁師が「とれたてがウメェんだ」と言って、足を切る。
そしてブリブリの身を松岡修造が食べて「うまい」と叫ぶ。

 

すると我々は、松岡修造の方に感情移入をするのではないか?
「おいしそう」「自分も食べたい」と。

 

 

今度はそのシーンに入る前に、海底の様子を想像してもらいたい。
海底で3匹のカニが暮らしている。

そこで、お父さんカニとお母さんカニがスヤスヤ眠る子供の前で、「今日は早く帰ってきてね」
などひとしきり会話をして、お父さんカニが「いってきます」と告げて仕事にいくとしよう。

しかし、その直後お父さんカニが地引網に捕まり、先程の松岡修造の場面に辿り着く。

 

 

すると、どうだろうか?
我々は、カニを食べる修造に「なんてことを!!」と嫌悪感をいだき、カニをかわいそうと感じるのだ。

 

 

 

前者と後者の違いは「カニに感情移入」を「する」か「否」かの違いだ。

 

 

つまり前者では我々は「松岡修造」に感情移入をして、後者では「カニ」に感情移入をする。
もっというと、我々は「人間」のことはよく知っているが、「カニ」のことはよく知らなかった。

しかし後者では「カニ」のことを知ってしまった、だからこそ「感情移入」させられるのだ。

 

 

 

さて『ファインディング・ニモ』はどうだろうか?

物語の冒頭でかわされるマーリンとコーラルの会話に始まり、コーラルがカマスに襲われる。
ここで卵のほとんどが全滅し、一匹だけが生き残る。

そしてその卵から生まれたニモの初登校のシーンに時勢が飛ぶ。

そこから先程紹介した、まさに「カニと修造」展開が待っている。

 

さて、ここで重要なのは、我々がこの開始15分足らずで、しっかりマーリンに感情移入している点だ。

これはまさに、我々にとってマーリンが「知ってる人」になっているからだ。

 

 

ちなみに「メイキング・オブ・ピクサー」によると、今作は本来「マーリン」の過去話を旅の道中でフラッシュバックしていくスタイル。
つまりマーリンの過去を小出しにしていき、彼がなぜここまで「過保護」で「臆病」なのかを描こうとしていた。

 

しかし、これではマーリンに観客が感情移入するのは物語の終盤になってしまう。
しかも、なぜ「ここまで過保護なのか?」
わからないと、観客はマーリンをうっとおしい感じてしまうリスクが有るのだ。

 

それでは駄目だということで、今作の決定稿では、5回のフラッシュバックを放棄して冒頭で全ての情報を提供しているのだ。

 

このように、観客に登場人物の情報をどのように与えるのか?
それで登場人物への感情移入への度合いが増すということが、深く理解していただけたと思う。

 

そしてここから物語は人間に攫われた「ニモ」を探す展開になっていく。

 

 

ポイント

✅まさに「カニと修造理論」で作られた作品。

✅キチンとマーリンに感情移入させられる作り。

物語の構成の「イビツ」さ・・・。

 

この作品のタイトル『ファインディング・ニモ』とあるように、この作品は「人間」に攫われた息子「ニモ」を探すマーリンの旅路がメインで描かれる。

しかし、ここで少し考えなければならないのは、だとすれば「この作品最大の感動ポイント」「盛り上がりはどこなのか?」ということだ。

普通にこのストーリーラインで構成するならば、それは「マリーンとニモ」の再会であるはずだ。

 

 

この作品は先程から何度も繰り返すが「カニと修造理論」で、観客をマーリンに感情移入させることに「完璧に成功している」

そして「マーリン」という乗り物に乗せて観客を「ニモ」の元に誘おうとする。

 

しかしこの作品は実はここから「ニモ」の場面と「マーリン」の場面をカットバックして描くことになる。

 

 

ポイント

カットバックとは??

  • 映画技術、動画編集のテクニックの一つ。
    異なる場所で同時に起きている複数シーンのショットを交互につなぐ演出。
    クロスカッティングとも言われる技法。

 

 

確かにこれは「映画」として理解出来る演出だ。

 

というのも「必死にニモを探すマーリン」
そして、ニモはニモで「攫われた場所で成長をする」という展開。

 

これを交互に描きたい、それはわかる。

しかし、これは「ニモを探すマーリン」という乗り物に乗る我々の、マーリンへの感情移入を解いてしまう危険性があるのだ。

 

すなわちマーリンに与えられている情報と、我々が映画をみて得る情報。
この差がどんどん大きくなるのだ。

 

つまり「ニモが無事かわからない」マーリン。
しかし映画を見ている我々は「ニモが無事」しかも何なら「楽しげに暮らしている」ことも見せられるのだ。

 

 

時間が経過するとともに、どんどんこの差が大きくなる。

それが観客のマーリンへの感情移入を途切れさせるリスクになっているのだ。

 

 

つまり『ファインディング・ニモ』と銘打った今作として、本来考えられるべき「親子の再会」への感動を、大きく減退させるという、本末転倒な展開になっていくとも言えるのだ。

普通ならばこの描き方では、映画は「失敗」にしかならない。
映画の常識から考えれば、これは悪手も悪手なのだ。

しかし今作の面白さはその先にあるのだ。

 

 

ポイント

きちんとマーリンに感情移入させられるのだが、ストーリーが分岐する。

✅これは、通常のさくげきの基本としては悪手。

再会よりも「いってらっしゃい」で泣かせる

 

先程から言ったように、今作は作劇の基本としては折角マーリンに感情移入させたにも関わらず、物語を分岐させることで「マーリン」への感情移入を減退させるという悪手を行う。

 

そして話は前後するが、実は今作のマーリンとニモの再会シーンは、思った以上に盛り上がらないのだ。

 

 

しかし今作は実は再会、つまり「また会えた」ところを感動のポイント、盛り上げポイントとして用意していないのだ。

 

 

少し話を中盤の展開部分に戻そう。

中盤ドリーと出会ったマーリン。
3匹のサメとの出会いや、深海生物に食われかける、クラゲライドのシーンなど、道中の展開の面白さは「さすがPIXAR」といったところだ。

そして彼らはウミガメの群れに出会う。
それが、かの有名な「タートル・トーク」でおなじみ「クラッシュ」だ。

 

編集長
どうでもいいが、作中でクラッシュは「お前たち最高だぜ!」と言わないのに驚かされた。

 

このクラッシュとマーリンの出会いが、実はこの道中で最も意味のある出会いになる。

それがまさに「子離れ」という点だ。

 

クラッシュは海流にライドしている時息子のスクワートが海流の外に投げ出されたが、あえてそれを見守るという、マーリンとしては信じられない対応をするのだ。

「どうするのか見てみよう」
クラッシュのセリフは一見すると冷たく聞こえるかも知れないが、スクワールは見事に海流に復帰、たくましい成長を見せる。

さらに作中では「ウミガメは卵から孵ると、自力で海にくる」というセリフもあり、この2つがマーリンの思考を大きく変化させることになるのだ。

 

つまりマーリンはここまで「カマス」に襲われた記憶や、生まれつき片側のヒレが小さい「ニモ」に過保護なまでに愛情を注いでいたが、「それが本当に正しいのか?」を考えることになるのだ。

 

ここでクラッシュとスクワート親子の交流を見たマーリンは、自分の子育てを返り見ることになるのだ。

つまり、「ニモ」を信頼すべきということ、そして自身が子供から離れなければならないということを自覚するのだ。

 

 

つまりこの作品は「ニモと、また出会う」ではなく、「ニモを、見送る」をマーリンの成長として描こうとしている。
そのことをクラッシュとの出会いの展開で示唆させている。

 

だからこそ、作劇の基本としては悪手である「分岐」をこの作品は採用しているのだ。
それは、マーリンの成長と、ニモのタンク・ギャングの仲間たちとの交流での成長を並列して語りたいがためだったのだ。

 

事実、今作の割とあっさりなマーリンとニモの再会。
先程から繰り返しにはなるが、このシーンが実は拍子抜けするほど盛り上がらないのは、この作品の最大の感動は「ここではない」という意志のあらわれなのだ。

だから、今作はそこからもう一つ展開が加えられている。

 

それが漁港網に捕まった魚たちとドリーを救出シーンだ。

ここでとはいえまだ、過保護なマーリンだが彼は旅の道中で成長した。
だからこそニモを信頼したのだ。

そしてタンク・ギャングたち水槽の仲間との出来事を活かして、見事に全魚を救出することに成功したのだ。

 

ここでニモのシーンをカットバックしていたことが最大限活きるのだ。
成長したのはマーリンだけではないということを示すことで、実は悪手と思われてきた構成を覆すことに成功したと言える。

 

 

そして今作では先程「再会にピークを持ってこない」と言ったが、今作はある種感動のピークを本当の最後に持ってくる。

それが「マーリンの子離れ」を象徴するシーンだ。

 

 

最後に学校にニモを送り届けハグをする。
照れくさそうにニモが「エイ先生」と冒険の授業に出るのを「行ってらっしゃい」と見送る。

ここに最大のピークを持ってきているのだ。

 

だからこそ、今作は「作劇」の基本から逸脱する演出を連発したとて(普通ならば悪手極まりないこと)をしても、面白さや描きたいことが明確になっているのだ。

このトリッキーさこそが『ファインディング・ニモ』最大の面白さでもあるといえるのだ。

つまり「基本を逸脱しても、面白いものは作れる」ということをピクサーは証明してみせたのだ。

 

 

ポイント

✅最大のピークは「子離れ」の瞬間。

✅物語の構造としては悪手と見えたが、それを覆す手腕の素晴らしさ。

まだまだ語れる魅力!

ドリーの果たした役目とは?

 

今作で中盤以降マーリンと旅をするドリーは特徴的なキャラクターだ。

 

ナンヨウハギの雌重度の健忘症持ち。
しかし知能が高く人間の文字を読む事が可能で、さらにクジラ語という言語を用いてクジラとの意思疎通が出来るのだ。

一見すると単なるボケ役、トラブルメーカー的な役目で中盤以降の物語をかき乱す存在だが、ドリーという存在をそれだけで語るには惜しい登場人物だ。

 

ドリーという存在もまた、マーリンを成長させるキャラクターなのだ。
彼女の無邪気さにマーリンは振り回されるが、旅の道中で彼女のすること、なすことを耐え忍ぶことでマーリンは成長をするのだ。

つまりマーリンにとってドリーは相棒であり、子供代わりなのだ。
彼女との旅でマーリンは「より良い父親になる」という準備を知らず知らずに行っていたとも言える。

 

さらに監督のスタントンはこうも述べている。

 

監督コメント

主人公(マーリン)にとっての闘いは、信頼を見出すことを通じて恐れを乗り越えること。

ドリーは、悩みにとらわれず自分を解放することを伝える「天使」つまり助力者を象徴している。

 

 

これはスタントンがキリスト系の映画サイトに述べているので、かなりオーバーな物言いだが、しかし作り手はドリーという存在にかなりの意味を込めていることが伺える。

そのこともあってか、ドリーというキャラクターはやはり大きな魅力が備わり、作品を代表するキャラクターの一人になっているのだ。

 

編集長
後年『ファインディング・ドリー』という作品が製作されるのも、作り手の思いの結実だとも言える

 

ピクサーお約束の「怪物的子供描写」

 

ピクサー作品で出てくる幼児は総じて怪物的なのは、ピクサー好きには頷いて貰えるのではないだろうか?

例えば『トイ・ストーリー3』の保育園の園児たちはその最たるものだ。

 

しかしまぁ今作の「ダーラ」という女の子も、子供であるが故に残酷な面をもつ、無垢なヴィランだと言える。

 

特に袋に入れた魚を振り回すなど、たしかに悪意はないのかも知れない。
しかし、
その無垢であるがゆえに恐ろしい存在であるということを、今作はうまく描いているのだ。

 

 

しかしこれも自分たちを振り返れば、あながち誇張し過ぎでもない。
子供時代、誰しもが残酷性を持っていたこともある。
それを魚目線で見れば、あの怪物的描写は深く理解できる。

 

しかし、ピクサーは伝統的に「子供」
「幼児」を怪物的に描くことに定評があるともいえる。

それが時に面白く見えることもあれば、自分を顧みて、こんな時もあったなぁと昔を思い出せられたりもするので、毎回楽しみしているディテールだったり・・・。

 

ぜひピクサーの「子供描写」に注目して見てくださいね!!

 

 

ポイント

✅単なる推進剤ではない「ドリー」

✅毎回楽しみなピクサーの「子供描写」にぜひ注目!!

 

今作を振り返って

ざっくり一言解説!!

物語作りの基本をあえて破り、描く面白さ!!

「カニと修造」理論、覚えて帰ってくださいね!!

まとめ

 

ということで、『ファインディング・ニモ』の今回は「基本をあえて守らない」という部分にフォーカスして今作を振り返ってきた。

冒頭では「カニと修造理論」でしっかりとマーリンに感情移入させながら、あえて物語を2つに分岐させる。

 

そして合流のポイントにピークを持ってこないという戦略は一見すると悪手にめるが、「マーリン」と「ニモ」の成長どちらも見せるには、これしかない方法だとも言える。

さらに最大のポイントを「子離れ」の瞬間に持っていくあたりも見事な手腕だといえる。

 

このように、作り方次第では、作劇の基本を守らずとも面白いものが作ることが出来ることを証明してみせた作品だとも言えるのだ。

 

 

そして初期ピクサー作品はなんと言っても、「CG技術」への挑戦も見逃せない。

今回はCGで如何に「水中」を表現できるのか?
その技術的限界に挑戦している、そしてものの見事に「海中世界」を魅力的に描くことに成功したのだ。

 

しかしこれも面白いことに、最初はピクサースタッフが写真と見紛うほどの海中CGを作り上げてしまい、そこでキャラが不自然に浮いてしまうという事態に陥った。

そのため、あえて「ハイパー・リアリティ」と呼ばれる、写実的ではないが現実味のあるバランスに調整しなおしたのだ。

 

さらに海洋生物研究の専門家を呼び、自分たちの描いた魚キャラの動きに「イチャモン」でもいので指摘をくれとまでリアリティにこだわったのだ。

 

しかし当然全てを本物の魚のように描いたわけではない。
ナンヨウハギ(ドリー)は本来尾びれを動かさないで泳ぐのだが、今作では尾びれを動かすなど、リアルとは逸脱する部分もある。

つまりピクサーは、ただ単に正確なだけでなく「アニメ的」なリアリティラインを両立もさせようとしたのだ。

 

 

編集長
ちなみに異常なまでのリアリティへのこだわりとして、
美術スタッフが死んだクジラの体内に入るなど常軌を逸した行動にも走ったそうだ・・・。
正直にいおうコイツらはアホだ!!

 

 

さらにそもそも「カクレクマノミ」はメスが死ぬと、オスがメスに性転換するのだが、実は製作時その点をどうするのか? で揉めたそうだ。
それに対して釘を刺す一言を紹介して、今作の評論を締めくくりたいと思う。

 

「あのなぁ・・・、そもそも魚は喋らないんだぜ」

 

 

こうしてリアリティとアニメ的リアリティを両立させた『ファインディング・ニモ』
今作は試行錯誤の甲斐もあって、ついにアニメのTOP「アカデミー賞長編アニメーション部門」を獲得することになる。

そういう制作陣の試行錯誤のことも考えながら今作を見ると、より楽しむ事ができるのではないか?

 

 

この作品のポイント

  • 物語の「基本」から逸脱した構成。
  • 子離れにピークを持っていく。
  • 異常なまでのリアリティへのこだわり!

 

 

編集長
ということで、読了ありがとうございました!!

 

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