
今回は、マーベル・スタジオの最新作にして、話題作!
『エターナルズ』を徹底解剖していきたいと思います。

この作品のポイント
- 壮大なスケール感を感じるが・・・。
- 意外と小さな「内輪もめ」
- 何を食べたかわからない、そんな大味映画!
/#エターナルズ 一人一人の魅力は❓
— マーベル・スタジオ[公式] (@MarvelStudios_J) November 6, 2021
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『エターナルズ』のキャスト陣が
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目次
『エターナルズ』について
基本データ
基本データ
- 公開 2021年
- 監督 クロエ・ジャオ
- 脚本 クロエ・ジャオ/パトリック・バーリー
ライアン・フィルポ/マシュー・フィルポ - 出演者 ジェンマ・チェン/リチャード・マッデン ほか
あらすじ
地球に新たな脅威が迫るとき、7000年にわたり人智を超えた力で人類を密かに見守ってきた、10人の守護者がついに姿を現す。
彼らの名は、エターナルズ。
だが、地球滅亡まで残された時間はたった7日。
タイムリミットが迫る中、彼らは離れ離れになった仲間たちと再び結集し、人類を守ることができるのか?そして、彼らを待ち受ける〈衝撃の事実〉とは…アベンジャーズに次ぐ、新たなヒーローチームの戦いが始まる!
公式サイトより引用
MCU史上最大規模の物語

スケール感はシリーズ随一
今作はとにかくスケール感のでかい作品だ。
まず、映画全体で描かれることのスケール感がでかい。
そして、時間的スケールもデカければ、起きることのでスケール感もデカイ。
しかも今作はランニングタイム、上映時間も156分と、MCUの中でも随一の時間だ。
とにかく「何もかもがデカイ」というのが今作の特徴だ。
さて、これが「どうなのか?」という点を考えたいと思う。
まずやはり、「エターナルズ」と呼ばれる集団が7000年前、つまり人類史の黎明期の頃から、陰ながら人類を守護していたという設定。
しかも、彼らはもはや「人類」そっくりの姿をしているが、その実態は神の如し存在だ。
簡単に説明すると、宇宙の生命の祖である「セレスティアズ」によって知的生命体を守護する役目を授けられた「エターナルズ」
彼らは知的生命体を捕食する「デヴィアンツ」から人類を守護していた。
なので今作では「メソポタミア」などの古代文明に寄与していた描写も非常に多く、時間軸がこれまでのどのMCU作品と比較にならないスケール感になっている。
この歴史的スケール感を表現するために、物理的に映画の上映時間が長い。
それは今作の良さだ。
スケールの大きさを表現するために「映画が長い」こと、それは表現方法としては正しい。

そのため、まず時間的なスケール感は概ね表現はできている、そして映像クオリティも見事に仕上げているので、このあたりは流石MCUと言わざるを得ない。
話と大枠はデカイが・・・。
このように「スケール感」という点で『エターナルズ』はうまく表現をできている。
しかし、今作で語られる物語の本質は、非常に小さいのもまた特徴の一つだ。
ぶっちゃけ、今作は壮大な内輪もめと要約することもできる。
というのも、これも良くも悪くもだが、今作の監督クロエ・ジャオは、「人間ドラマ」に定評のある監督だ。
そのため、今作は公開前から「ドラマ部分」の分厚さに期待がかかっていた。
ハッキリ結論だけ言うと、この部分が想像以上に弱いという印象だった。
多くの方々が「MCU的アクションよりもドラマ部分が分厚い」と批評していたが、正直「クロエ・ジャオ」作品としてはかなり弱いと感じた。
逆にアクションシーンが多いとさえ見えた。
ここに今作の弱さが詰まっている。
つまり、登場人物への感情移入ができない作りになっているのだ。
今作は主要登場人物が10人と多い。
そのためただでさえ、感情移入をさせるのは難しい作りになっている。
『アベンジャーズ』のように、主要人物それぞれの「映画」を作って「集結」ではなく、一気に登場させるのが難しのは、火を見るよりも明らかなのだ。
これで失敗しているのが「DC」の制作する「DCエクステンデッドユニバース」という試みだ。
特に『ジャスティス・リーグ』はその典型だ。
要は主要登場人物が誰かもわからない状況で、それぞれに見せ場を用意して、それぞれに感情移入をさせる。
この作業はただ単に「上映時間」を長くすれば解決するものでもない、そもそも映画としては「困難」は部類に入る作業なのだ。
今作は正直、この「困難」にぶち当たり、そして結果は木っ端微塵に砕けたとさせ言える。
むしろ、こうした要素を完璧にするための「MCU」の作劇だったとさえ言える。
今作はたしかに人間ドラマとして、例えば主人公セシルとイカリスの、MCUの中では踏み込んだ描写などはあった。
だけど、それが2人のキャラの掘り下げになっているかといえば「NO」だ。
そもそも、2人が元恋人であるという設定は、最終的にイカリスのヴィラン化させた際に観客をショックを与える要素でしかない。
物語の流れとして、セシル、イカリスが恋人であることに「展開」としての必要性はあるが、本質的な必要性がないのだ。
だからこそ、この「踏み込んだ描写」も結局イカリス裏切りのショックを観客に与える要素としかなっていないのだ。
その点を描くのであればセシルとデインであるべきなのだ。
さらに今作は結局のところ「エターナルズ」の任務、それ自体は「宇宙全体」の正義の行いではあるが、「地球」に住む生命体にとっては「虐殺」という使命だったことが明らかになる。
つまり「正義と信じていた存在に裏切られる」という展開なのだ。
ハッキリ言うと、これは「虚淵玄」作品に近い味わいだ。
テイストでいうと『魔法少女まどか☆マギカ』だったり『PSYCHO-PASS』だと言える。

そして、この事実を知り「エターナルズ」の面々が「任務より地球」ひいては「人間」を愛したがゆえに、セレスティアルズと対立する展開が今作のクライマックスに待っているが、この決断の展開も「弱い」
逆に、なぜ我々が「MCU」特に『アベンジャーズ エンドゲーム』で感動できたのか?
それは、各ヒーローが「命をかけて地球を守る」
ひいては「人類」を守ることに、きちんと理由があったからだ。
例えば「トニー・スターク」だが、彼は『アイアンマン』一作目では「自己中心的」な生き方をしていた。
しかし、そんな男が「なけなしの正義感」を振り絞る姿、そして最終的には「自分より、他者」という、「利己」から「利他」へと行動が変化していくからだ。
その様子を10年描き続けた、だから『エンドゲーム』でのラスト、「私はアイアンマンだ」と「人のために命を使う」
そこに感動が生まれたのだ。
しかし、今作はまるでそれがない。
というのも、結局「エターナルズ」の面々が、人間に肩入れする為に必要な描写が軽薄すぎるのだ。
確かにセシルは現代で人間の恋人デインがいる。
しかし、それも記号的にしか描かれない。
要は7000年という時間的スケールが、彼らが「正義」と信じていた存在「セレスティアルズ」と戦うに至るというキッカケに全くなっていないのだ。
本質的に今作は、この7000年の歴史的スケールで、彼らが「愚かだが、愛すべき人間」を守るために行動すべき動機づけを描かないといけなかった。
しかし、この部分が壊滅的に弱い。
唯一描けているのは「キンゴ」と「ファストス」だ。
キンゴはボリウッドで、それこそ人間独自の文化である「映画」つまり「物語」に出演し、人間を深く知っている。
要は人間の精神性に寄り添っていると言えるのだ。
そういう意味でキンゴは、彼は人間を愛しているが、自分の本質的任務を放棄できない。
そこで、どちらの側につこうともしない。
そんな二重苦を味わうキャラとして魅力的だ。
ファストスもそう。
人間の文明に見合う技術を与えたが、「原子爆弾」の使用で絶望するが、恋人となるベンや息子ジャックを通じて「人間」を愛する。
だから、愛する人々を守るためセレスティアルズに反目するのは、筋が通っている。
それ以外の人物は、正直なぜ「人間」に肩入れするのか?
それが全く描けていない。
ここは恐らく、とはいえ今作が「MCU」つまりエンタメ映画であるという枠組み。
つまり、人間ドラマよりもアクションに比重を置くべきだという作品だから仕方がないのかも知れないが、折角のクロエ・ジャオ監督の良さが100%引き出せてないと感じた。
このテーマで行くならば、むしろ「アクション」は最後まで無し。
人間ドラマを描ききるなど、もっと尖った方向に行くべきだったのではないか?
志はGOOD! だけど・・・。
ということで、今作は「志」が高く「意欲的」な狙いの作品であることは確かだ。
だが、そもそも今作は「神の如し存在」つまり「エターナルズ」という設定そのものが持つ「いい意味でのバカバカしさ」
それを「シリアス」な方向で描こうとしたがゆえの失敗だったと言わざるを得ない。

そもそもMCU成功のカギは何だったのか?
それはクリストファー・ノーランが打ち出した「ダークナイト三部作」に対するカウンター的要素といえばいいかも知れない。
簡単にいうとMCU以前までは、「大人向け」な「ヒーロー作品」がウケる土壌があった。
そこに「マーベル」は「明るくPOP」な『アイアンマン』をぶつけて大ヒットをかっさらった。
以降「マーベル」は「明るくPOP」な作風で一斉を風靡した。
これこそがまさに「マーベル」作品の特徴なのだ。
思えば『エンドゲーム』も確かに主要登場人物の退場などは描かれるが、実はそのシーン、もっと泣きにふれるところをあえて見せすぎないように処理をするなどしている。
いくらでも「シリアス」に振れるのを、あえて留めていると言えるのだ。
今作の『エターナルズ』はそういう「マーベル」的な作風に対して、挑戦的な作品ではあった。
そういう意味では、その姿勢は評価したいが、明らかにシリーズの中でも「浮いた」作品になってしまった感は否めないのだ。
先程も指摘したが、もしくはもっと尖らせて「ヒーロー映画的」盛り上がりを最後まで温存するなど、極端な振り幅が必須だったように思える。
結局「大味」なことだけが残る作品
今作はたしかにスケール感・迫力はあるし、「楽しめる」水準にはある。
また、これはさすが「クロエ・ジャオ」作品といったところか?
実写風景を使った、大きな情景描写。
これは『ノマドランド』から引き続き魅力の一つだ。
間違いなく言えることは、この作品は「映画館」の環境こそベストであるということだ。
さらに聴覚障害者ヒーロー「マッカリ」
彼女の「手話」で会話するというのが、大きな魅力になっている。
これは「ディズニー」としてもこれからの時代感を先取りする素晴らしいキャラ造形になったとも言える。
など「いい点」はもちろん多くある!!
しかし、結局のところ「どこに面白さがあるのか?」
それが非常に見えにくい作品になっている。
つまり「ヒーロー映画」としては、「ヒーローの戦う理由が弱すぎる」
「ヒューマンドラマ」としても、「描き込みが余りにも足りない」
結局印象に残るのは「迫力」だけ・・・。
つまり中身がないが、大味さだけが口に残るのだ。
なので確かに「満足感」は一定数あるかも知れないが、映画としてみると、一体何を食べたのかよくわからない?
という結果だけが残る。
これが、今作の評価が分かれてしまう点ではないか?
つまり映画全体として「二兎を追う者は一兎をも得ず」という結果になってしまっている。
繰り返すが、それは「ヒーロー映画」として描くのか?
それとも「ヒューマンドラマ」として語りたいのか?
それが、どっちつかずになっているからだ。
ということで今作の結論めいた点を言うならば、やはり「僕には合わない」作品だったと結論付けざるを得ないのだ。
今作品を振り返って
ざっくり一言解説!!
二兎を追う者は一兎をも得ず!!
全体的に中途半端な印象だったなぁ・・・
まとめ
ということで、『エターナルズ』でしたが、全体的に確かに最低水準を楽しめる作品ではあった。
なんなら156分という長尺にも関わらず、あまり中垂れはしなかった。
しかし、その割には全体的に「大味さ」だけが残る印象になった。
余談
今作の中で「DCコミック」のキャラクター「バットマン」「スーパーマン」の存在が示唆されていた。
これは、恐らくこの「MCU世界」ではフィクションとして「DCコミック」が存在しているという、割と驚きの要素をさらりと入っていた。
それにしたってイカリスは「スーパーマン」すぎるでしょ!
監督のクロエ・ジャオも「全てを描くには時間が足らない」と述べていたが、それは紛れもない本音だろう。
もしかすると監督の本音としては、もっと「ヒューマンドラマ」に振りたかったという思いもあるかも知れない。
ある種、やはり「ヒーロー映画」という型が監督の良さを消してしまった感も否めないのだ。
そういう意味で何とか「ヒーロー」と「重厚なヒューマンドラマ」を両立させようとはしていたが、「二兎を追うもの一兎をも得ず」という結果になったと言わざるを得ない。
今後『エターナルズ』の要素が他の「マーベル作品」で拾われて結果的にシリーズ全体を活性化させる可能性は大いにあるが、まず『エターナルズ』単体の作品としては、前途多難な出航になったと感じた。
ということで、とりあえず『スパイダーマン3』に期待をしております!!笑
今作のポイント
- 「二兎を追う者は一兎をも得ず」の典型。
- 見どころはあるので、劇場で見るべき作品ではある!