
今回は第99回アカデミー賞、作品賞のど本命と評価の高い作品『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』通称『エブエブ』について語りたいと思います。
前評判の通り「カオス」な「マルチバース」作品となっているので、一見すると難解なこの作品について今日は語っていきたいと思います。
目次
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』について
基本データ
- 公開 2023年
- 監督 ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート
- 脚本 ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート
- 出演者 ミシェール・ヨー/キー・ホイ・クァン 他
あらすじ
経営するコインランドリーの税金問題、父親の介護に反抗期の娘、優しいだけで頼りにならない夫と、盛りだくさんのトラブルを抱えたエヴリン。
そんな中、夫に乗り移った“別の宇宙の夫”から、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と世界の命運を託される。
まさかと驚くエヴリンだが、悪の手先に襲われマルチバースにジャンプ!
カンフーの達人の“別の宇宙のエヴリン”の力を得て、闘いに挑むのだが、
なんと、巨悪の正体は娘のジョイだった…!
全力で作ったトンデモ映画!
映画の上映後のざわざわ感がここまである作品も珍しい。
それほど上映終了後の「何だこれ?」という観客の反応が多かった。
恐らく多くの観客は今作のアメリカでの評価の高さ、-とりわけアカデミー賞の作品賞の有力作品だという事を聞きつけたに違いないだろう-に映画館を訪れたに違いない。
だが今作の監督ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート、通称ダニエルズが過去に制作した映画の事を知っていたり、見たことがあるならばこの作品が「一般ウケ」するものだとは思わないだろう。
彼らのキャリア初期の作品『スイス・アーミー・マン』(2016年)はあまりにも衝撃だった。
過去の評論でも触れたが、この映画は無人島に流された主人公が、「屁」を推進力に進むボートになる「死体」と無人島を脱出しようとするものだ。
股間が方位磁石になったり、空想のデートをしたり。
おおよそまともな神経で作られた映画だとは思えない展開を見せていくのだ。
だが、最終的にはこの死体と行動することで、主人公のハンクは抱えていた葛藤を乗り越え、何なら感動的なオチまで昇華されていく。
このトンデモない、頭がどうかしているとしか思えない出来事を連続して描いていくスタイル。
後述するが、襲いくる敵がジャンプするためにトロフィをケツの穴に突っ込もうという、あまりにもバカなアイデア・・・。
くだらなさすぎる、でも笑ってしまう、この感覚こそダニエルズだ。
だが、それらが最終的に、「なぜかとても良いものを見た」と言う気持ちにさせてくれる、この不思議な感覚は、まさにダニエルズの真骨頂なわけだ。
だからこそこの作品、賛否はかなり割れるかも知れない。
ハマる人はとことんハマるし、拒否感の強い人はどこまでも拒否感を示すだろう。
様々なマルチバース作品
さて、この作品は主人公であるエヴリンは、コインランドリーを経営している。
しかし税金の問題、中国からやって来た父親のこと、娘が抱えるセクシャリティのことに忙殺され日々を送っていた。
そんな家庭環境に夫のウェイモンドは嫌気がさして、離婚を切り出そうとしている。
ある日、国税庁に収支の説明に訪れた際、突然世界が大きく変わる。
夫のウェイモンドが別人のように豹変し、エヴリンに「君が世界を救うんだ」と告げられる。
聞けば、このウェイモンドは別次元、つまり「マルチバース」から精神だけジャンプしてきたと宣う。
そして、主人公エヴリンも突然襲いかかってくる国税庁スタッフのディアドラ。
彼女はどうやら世界を破滅させようとするジョブ・トゥパキの手先になっているようだ。
そんな無茶苦茶な状況で、エヴリンもまた「バースジャンプ」を駆使して戦うことになる。
さて、今回の重要な要素を占める「マルチバース」
SFやマーベルではよく使用される用語だが、これは「多次元宇宙」とも言い換え可能だ。

これは時間概念のことで、例えば道が二手に分かれていた際、左右どちらにいくかで世界が当価値に分岐。
それらの場合のいずれかの場合の世界も当価値で存在していると言う思考だ。
ちなみにこれと反対の考え方がライプニッツ(17世紀のドイツの数学者・哲学者)が提唱した「充足理由律」だ。
これは、全ての事柄において我々が選択しているように考えている事象。
それらが全てあらかじめ決まっていおり、選択の余地がそもそもないと考えるものがある。
つまり「充足理由律」は全ての事柄があらかじめ決定されている、必然でしかないという考え方だ。
この「充足理由律」を扱った作品で最も有名なのは2016年に公開されたドゥニ・ヴィルヌーブ監督作品『メッセージ』だ。
これは原作は中国系アメリカ人のテッド・チャンが書いた「あなたの人生の物語」が原作である。
実はこの「エブエブ」を監督したダニエルズは『メッセージ』『あなたの人生の物語』に多大な影響を受けている。
一見すると相反する時間軸を描いた作品ではあるが、実は根っこのメッセージが同じものになっているのは非常に興味深いので、ぜひご覧いただきたい。
一番ダメなエヴリンだから・・・
この作中では頭にデバイスを装備し、とある条件を満たせば「マルチバース」にいる自分の能力を引き継ぐことができると言うものだ。
この条件というのが「馬鹿らしいほどいい」というのがこの映画の特徴でもありギャグポイントでもある。
中盤の警備員の尻にとある物を突き刺そうというのは、まさに馬鹿らしさの極みだ。
この辺りの下ネタはさすがダニエルズ、つくづく馬鹿らしいこと描く。
彼女もバースジャンプを繰り返し、自分の命を狙うジョブ・トゥパキと戦う。
ちなみにこのヴィラン、ジョブ・トゥパキは別次元でのエヴリンの娘ジョイだ。
そのジャンプの繰り返しで彼女は様々な可能性を見ることになる。
ウェイモンドと結婚しなかった世界、ピザ屋だった世界、自分が石ころだった世界。
自分の手がソーセージだった世界(いや馬鹿らしさの極みなんですけど・・・)。
スーパースターだった世界。
明かされる様々なあり得た可能性が見えてくることにより、実は今のエヴリンは最も「ダメな人生」を送っていることが明らかになる。
一方ヴィランのジョブ・トゥパキ。
彼女はマルチバースが存在することを知り、絶望をしてしまっている存在だ。
様々な可能性で分岐する世界。
そこで自分の人生は「唯一無二」ではなく、可能性の一部にしかすぎない。
すなわち「この人生」の価値がどんどん小さくなっていくのだ。
それが極限に達した際、彼女は全ての宇宙を破壊しようと目論むに至る。
いわゆる「ニヒリズム=虚無主義」を目指していくのだ。
実存的ニヒリズム
人間存在は無意味であり不条理である。
例え何かの意味を見付けたとしても、最終的には「死」が待っている、という考え方。
現代的ニヒリズムとして20世紀に入り提唱されたもの。
そしてエヴリンもどんどん「ニヒリズム」に傾倒していこうとする。
しかし、思いとどまったのは夫ウェイモンドの一声だ。
「どんな可能性があろうとも、君との結婚を選んだ」
仮に多次元宇宙に様々な可能性があろうと、今を生きている自分は一人しかいない。
この人生を「これでいい」と肯定して胸を張ることが、自己肯定が「ニヒリズム」を打ち破るのだ。
そしてそれを「一番ダメな可能性」とされていたエヴリンが成し遂げる。
そもそも彼女は「何もない」「一番ダメ」だからこそ、バースジャンプを繰り返し、世界を救うことができた。
結局のところ「多次元宇宙」なるものが存在したとて、我々は「多次元の自分」になれるわけではない。
今いる自分を生きるしかないのだ。
ちなみに先ほど類似作品で『四畳半神話大系』を挙げたが、この作品で樋口先輩が主人公である「私」に告げる言葉を今作のクライマックスを見ていて思い出した。
「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。
我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」
中略
「大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。
自分の他の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。
今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない」
この作品の主人公「私」も自分の大学人生を素晴らしいものにするために「サークル」に入るが失敗ばかり。
毎話ごとに彼は時間軸を大学一年時に戻りサークル選びを繰り返し、多次元宇宙を生成していく。
そこで彼に樋口先輩が「今の自分は他の何者にもなれない」ことを認めよというシーンがある。
この意味が主人公はわからなかったのだが、最終的には今の何者でもない自分を認めることで、このループから抜け出すことになるのだ。
繰り返しになるが、結局多次元宇宙なるものが存在しようとも、別次元の自分になり変わることはできない。
この人生を「これでいい」と頷けるように肯定して生きていく。
それが一番大切なのだ。
この作品にはそんな「今」の自分を肯定してくれるメッセージに溢れているのだ。