
さて、毎年であれば春公開ですが、コロナの影響で、延期された作品をご紹介します。
ということで今日は「ドラえもん のび太の新恐竜」について語ります。
今作のポイント
- 過去の「のび太の恐竜」で争点にならなかった点を描く作品であるということ。
- ある時点で「のび太の恐竜」と分岐する話であるということ。
- 「ドラえもん」というのが「SF」だということを気づかされる作品である、という点。

という点で、非常に高く評価しています!
目次
「ドラえもん のび太の新恐竜」について
基本データ
- 公開 2020年
- 監督 今井一暁
- 脚本 川村元気
- 原作 藤子・F・不二雄
- 声の出演(レギュラー) 水田わさび/大原めぐみ/かかずゆみ/木村昴/関智一 ほか
- ゲスト 木村拓哉/渡辺直美 ほか
あらすじ
ある時、恐竜博の化石発掘体験で化石を見つけたのび太は、それを恐竜のたまごだと信じ、ドラえもんのひみつ道具「タイムふろしき」で化石を元の状態に戻す。
するとそこから、新種の双子の恐竜が生まれる。
2匹をキューとミューと名づけて育てるのび太だったが、やがて限界がきてしまい、2匹を元の時代に返すことに。
ドラえもんや仲間たちとともに6600万年前の世界へと旅立ったのび太は、キューとミューの仲間を探す中で謎の島にたどり着き……。
映画COMより抜粋
ちなみに、過去の「のび太の恐竜」「のび太の恐竜2006」に関しても語っているので、こちらも併せてご参照ください!
ここからネタバレも含みながらの評論になりますので、ご注意を!
我々が目を瞑ってきた問題点を描く作品

そもそも「のび太の恐竜」という物語の持っていた問題点とは?
今作品は過去の「のび太の恐竜」「のび太の恐竜2006」が実は内包していた問題点。
そこを追求する物語となっている。
今作品は過去の「のび太の恐竜」が描いてきた「敵」という存在を描かないのが特徴だと言える。
敵とは「恐竜」を狩り、未来のお金持ちに密販売する「恐竜ハンター」のことだ。
過去の「のび太の恐竜」ではこの「ハンター」から恐竜の”ピー助”を守るために、のび太たちが奮闘する物語になっている。
ちなみに彼らの「恐竜の密猟」は「歴史の流れを大きく損なう危険性がある」として「航時法」に反する行為である。
では、今作品において「悪」とは何か?
それはある意味で「のび太」たちなのだ。
これは「のび太の恐竜」で実は観客が目を瞑った問題と言える。
「恐竜ハンター」という存在がいるために、目立たなかった問題でもある。
だが、よく考えてみれば「のび太たちの行動も歴史の流れを損なう危険性があるのではないか?」という点だ。
のび太が孵化させた「ピー助」
その存在は卵のまま化石になり、本来、生きるはずのなかった命だ。
それを孵化させたことで、例えば現代(のび太たちの時代)で公園に隠した恐竜が見つかりそうになる。そういう危険性。
それを元の時代に返すことで、何かしらの時間の流れに悪影響を及ぼすのではないか?
という危険性も存在するのだ。
だからこそ、本質的には「のび太」も「航時法」に引っかかる行為をしている。
ただ、それよりも、もっと「悪い」存在がいるので、我々はそのことから「目を瞑った」とも言えるのだ。
ただし・・・
ただし「航時法」というのなら、そもそも「ドラえもん」が「のび太」と「ジャイ子」の結婚の運命を変える。
そのために介入をする。
それはいいのか!?
という問題になりかねないので、あまり深く言いたくはありませんが。
そのことを受けてか、今作品は「のび太」たちが「歴史の流れを変える危険性」を持つ存在として描かれたのだ。
つまり「のび太の新恐竜」はこうした過去の「のび太の恐竜」で、観客や作り手が目を瞑った問題点に、向き合おうとした。
そしてその上で「なるほど」という回答を見せてくれたのだ。
ポイント
✅「のび太の新恐竜」で描かれる「のび太」たちの行動の危険性。
✅「危険性」という意味で、彼らこそ「悪」になりかねないという点を描いた思い切りの良さ。
「のび太の恐竜」の「分岐世界」である今作

双子が生まれて分岐した世界線
今作品は脚本の川村氏がインタビューなどで答えてもいるが、「のび太の恐竜」を踏襲することに、衒いがないのが特徴だと言える。
事実、のび太が「卵」を手に入れてから、「タイム風呂敷」を使う点。
話は前後するが。「恐竜を見つけてやる!」という無茶な約束。
見つけられなかった際の「罰ゲーム」など。
思い切りがいいというか、ここまで「のび太の恐竜」をそのまま、なぞったことに驚かされた。
ちなみに、この物語の展開をなぞるのは、もちろん意図してのことなのだ。
卵から「恐竜」が生まれた瞬間が分岐ポイントで、双子が生まれた世界線が「のび太の新恐竜」だと作り手は発言をしている。
ポイント
✅「のび太の恐竜」を意識させる作りに衒いがない。
「後期白亜紀」での冒険も、ほとんど「のび太の恐竜」をなぞる
この展開の踏襲は「双子」のキュー、ミューが生まれてからも続く。
確かに飼育時に使用する「ひみつ道具」など細かくは異なるのだが、それでも双子を元の時代に返そうとしたり、そこに辿り着いてからの展開もそうだ。
今回の「のび太の新恐竜」は、ハッキリと「のび太の恐竜」の派生作品であると言える。
ちなみに「のび太の恐竜」「のび太の恐竜2006」での「タケコプター」を使っての飛行シーン。そのシーンでそれぞれの作品のテーマソングが流れるのだが、今作も「Mr.Children」の「Birthday」が流れる。
演出も意図的に同じことをしているのだ。
そして暗躍する影の存在の示唆。
先ほどから何度も繰り返すが、見ていて強烈に「のび太の恐竜」を意識させられる展開が続くのだ。
ただし、例えばティラノサウルスに襲われた際の対処法。
いったん「のび太の恐竜」と同じように「桃太郎印のキビダンゴ」を使って回避しようとするのだが、それが使えず、「ともチョコ」という道具で代用したり。
そして、翼竜に襲われるシーン。
ちなみに「のび太の恐竜」と「のび太の恐竜2006」では、ここでの展開が重要であるというのは、過去の記事でも述べているが、ここで翼竜はのび太たちを襲うかに思えたが、より巨大な恐竜に怯えて逃げていた。と微妙な変化をさせていたり。
展開や演出は同じ、でも「今までとは何か違う」というバランスにもなっていて、これはやはり「のび太の恐竜」から分岐した「似ている、だけど違う」という既視感と新しさ。
これらを、きちんと共生できているように僕には思えた。
ポイント
✅物語展開、演出などは「同じ」だけど「違う」世界にも見えるバランスで物語が展開される。
あのキャラの「再登場」に賛否両論
ここまで散々と、「のび太の恐竜」と「のび太の新恐竜」は似ている。でも「違う」点も多いと述べてきた。
この「似ている」というのは、この2つの物語が「途中で分岐した、元は同じ話」だから「似る」
このことも理解していただけだと思うのがが・・・。
それでも今作品において、誰もが語りたくなるであろう「ある展開」
ハッキリと「ピー助」の再登場が描かれるのだ。
今までの「ドラえもん映画」はそれぞれの作品が独立した世界線の物語で、それらが影響を与え合ったりはしない。
だからこそ、のび太たちは映画作品では毎年「同じような失敗」をする。
しかし過去の、しかもメインキャラを登場させるとなると、この独立性が担保できなくなる。
この点を指摘する感想が少なからず見受けられもした。
最初は僕も「大丈夫か?」と思った。
だが、僕はこれを「あり」だと考えている、なぜならこの演出が「ありえたかも知れない可能性」という範囲で収まっているからだ。
のび太が水中で溺れた際に見た幻覚、そこで「ピー助」との思い出が描かれる。
これは、この世界線の「のび太」の過去の思い出というよりは、「もしかしたらありえた可能性」という風に解釈すれば問題ない。
もしかしたら「のび太の新恐竜」で、双子が生まれなければ「ピー助」と出会っていた、そういう可能性もある。
その可能性をあくまでイメージとして示唆しただけなのだ。
だからこそ、助けてくれたのは「ピー助」であって、「ピー助」ではない。
そういうバランスには、少なくとも作中ではなっていた。
これは「ドラえもん」という作品が「SF」である、それは文字通りの「サイエンス・フィクション」でもあるし(ある時点での分岐が、選んだ時間軸以外に干渉する)、作り手のいう「少し、不思議」という範囲にも収まるのだ。
だから、エンドロールで「ピー助」って明記しているのは、これは個人的には「悪手」だったと思うんですが・・・。
せめてキャラ名をクレジットせず、「友情出演 神木隆之介」に留めておく程度でよかったと思います。
ポイント
✅個人的には「客演」は「ドラえもん」の「SF設定」を活かす上では「あり」だと評価する。
落とし所は「ミッシングリンク」

ミッシングリンクとは?
ミッシングリンク(Missing-link)
- 生物の進化過程を連なる鎖として見た時に、連続性が欠けた部分(間隙)を指し、祖先群と子孫群の間にいるであろう進化の中間期にあたる生物・化石が見つかっていない状況を指す語。失われた環とも。

ジレンマに陥るクライマックス
今作はここまで何度も繰り返しになるが、「のび太の恐竜」のある時点から分岐した物語であるために、物語の展開などは踏襲されていると語ってきた。
しかし最大の違いがある。
それは「悪人」不在という点だ。
今作で「のび太」たちを見張っているジル。
彼は途中までは「恐竜ハンター」なのか?
というミスリード演出をしているが、正体は違う。
彼は歴史の流れを守る「タイムパトロール」の一員なのだ。
彼らからすると、「のび太たちの行動こそ、時間の流れに悪影響を及ぼしかねない」としてずっと監視していた。
つまり今作では「時間の流れ」を守る。
そうした「正義」の視点から見れば、のび太たちこそが「悪影響」を及ぼしかねない存在である。
今作品は、「のび太の恐竜」という作品が元々孕んでいた、のび太たちの行動も「危険因子」であるという点に踏み込んだ。この点も僕は、高く評価をしている。
実際に恐竜を絶滅に追い込む隕石の衝突。
ここまで丁寧に「のび太」とキュー、ミュー。
特にキューとの交流を描いてきた今作品で。のび太は黙って恐竜の絶滅を指を加えて見ていることはできない。
キューたちを見殺しにすることなどできない。
だからこそ「ひみつ道具」で「隕石」を止めようと暴走したりする理由づけもできている。
だが、それでは「歴史の流れ」が変わってしまう。
そのために、「のび太」が「逮捕寸前」にまで追い詰められるのは、衝撃でしたね。
こうしたジレンマを抱える今作品のクライマックス。
そこで「のび太」たちの役目とは何か?
それを「SF」らしく、うまくまとめる設定に「ミッシングリンク」が使われる。
ポイント
✅のび太の主張も理解できるし、ジルたちの「正義」も理解できる。ジレンマを抱えるクライマックス。
ジレンマの中で「のび太」の役目とは?
こうしたジレンマの中でクライマックスで、「のび太」が逮捕寸前まで追い込まれ、仲間たちがそれを庇う。
だが、とはいえ「歴史の流れ」は守らなければならない。
でもキュー、ミューを見殺しにできない。
さあ、どうする?
ここでやはり「ドラえもん」というのは「SF」である、それを強く感じさせる設定をここに、落とし込む。
それが「ミッシングリンク」だ。

「のび太の恐竜」が公開された当時1980年。
「ジュラシック・パーク」公開時の1993年。
そこで描かれた恐竜は、大きな「爬虫類」のように描かれていた。
だが研究が進むにつれて、徐々に「恐竜には”羽毛”がある」ことが判明した。
だからこそ、今の恐竜の再現VTRなどで、その体色は「グレー」などではなく、カラフルに描かれている。
これは、恐竜を「鳥盤類」「竜盤類」に分けて考えた際に「鳥類」は「竜盤類」から進化した。つまり「鳥類」の祖先であると近年の研究で明らかになったからだ。
- 「鳥盤類」 トリケラトプス など → 絶滅
- 「竜盤類」 ティラノサウルス など → 「鳥類」つまり「鳥」に進化した。
その意味で、「恐竜」は今も生きていると言える。
そもそも学術的な研究の結果「ピー助」=「フタバスズキリュウ」は「爬虫類」の中での「首長竜」と定義されることになり、そもそも「恐竜」ではない。
この作品では「恐竜」つまり「竜盤類」から「鳥類」に繋がる間、その段階を「キュー」が担う。
つまり「ミッシングリンク」を繋ぐ存在として描かれるのだ。

のび太は、このままでは「時間の流れを改悪」し得る存在になるが、実はそうではない。
彼の「キュー」を助けたい。
その想いに応えて「キュー」が進化の一歩を踏み出す、それこそが「正しい時間の流れ」だったのだ。
つまり今作品は「のび太とキュー」の関係、その成就こそが「恐竜」と「鳥類」を繋ぐ「ミッシングリンク」を埋める存在になる。
今作に付き纏う「ジレンマ」という問題。
そして、その解決に「ミッシングリンク」という「SF」ならではの回答を今作は用意している。
こうした「解決」に対して「回答」という「ワンロジック」
それも非常に「SF的回答/手段」を見て、僕は「ドラえもんってやっぱりSFだよね」っていうのを強く実感させられた。
個人的には「うまく落とし所」を見つけたな! と関心させられましたね。
ポイント
✅非常にうまい「ジレンマ」の解決。そこにも「SF的要素」があり納得!
「子供向け」だからこそ大切な「メッセージ」

ミュー、キューとのび太
ここまで僕は「SF要素」に注目して語ってきましたが、のび太とキュー、ミューの関係も語っておきましょう。
今作で僕は恐竜をなぜ双子にするのか?
そこを注視しており、やはりというか、キューはのび太と同じ存在として描いていた。
体も小さく、飛ぶことができないキュー。(考えると「小さい=軽い」のが「進化の鍵」だったのかも)
逆に、ミューはキューに出来ないことがなんでもできる。
この作品、正直「双子」にする理由というのが、ミューをキューの比較対象にする意味しかない。
これなら、別に「双子」にする必要はないと思いました。
そして、ここが割と不満点として大きいところでもありますが・・・。
ただ、それでも進化の「ミッシングリンクなり得る」のはキューだ。
当初は「誰でもできる」「練習すれば飛べる」とのび太は言っていた。
これは彼が日頃から周囲から言われていることでもある。
だけどそうではない。
基本的には「滑空」をしているミューに対してキューは「羽ばたこうとする」
「それじゃダメだ」とのび太はいう。
だが実は「羽ばたく」それが進化の鍵になるのだ。
これはおそらく「のび太」という才能は「周囲と同様の方法では開かない」ということを暗に示しているのではないか?
「周囲からは”それではダメ”」と押しつけられる。
でもそれでは「うまく出来ない」
そして、自分と同じ立場の「キュー」に「周囲と同化する」ことをのび太自身が一度は押し付ける。
でもそうではない。
この作品は「自分には自分のやり方」
それをやることにも意味がある。というメッセージを描いているのだ。
ただしこうした「自己流」を認めるだけではない。
最後には「のび太」は「逆上がり」が出来るようになる。
これは「キュー」との出会いが、彼を成長させたからだ。
決して諦めない、繰り返し挑戦する。その「愚直な努力」も「大切だ」というメッセージ。
今作は「ドラえもん」という「子供むけ」
だからこそ大切な「メッセージ」が、一方的にだけでなく、いくつもの視点から描かれているのだ。
ポイント
✅子供向けだからこそ、今作のメッセージの「バランス」が素晴らしい。
「のび太の結婚前夜」に影響する物語
あと語っておくべき点に、「他のドラえもん作品」と重なる要素が描かれている。という特徴が今作にはある。
それは、しずかちゃんがのび太の良さを語るシーンだ。
この台詞は、ほぼ「のび太の結婚前夜」を踏襲するセリフになっている。
(ちなみに「結婚前夜」ではしずかちゃんの父が、彼女にのび太の良さを語るセリフだ)
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね」
のび太の結婚前夜より
「人の弱さ、痛みがわかる」「それに寄り添える」「そこが好きだ」と、しずかはのび太に告げる。(うろ覚えです笑)
それはのび太は「キュー」の痛み、弱さがわかる、だから寄り添える。そのことを指しているのだが。
ここまで「他の作品」とリンクするセリフも珍しいと思った。
まぁ、おそらくマーケティング的には「スタンド・バイ・ミー ドラえもん2」が「結婚前夜」をするということを見込んでのことと思いますが・・・。
ただ、今作品はこうした「他の作品」関わる要素を描いているのも特徴だと言える。
ポイント
✅「他のドラえもん作品」と重なるシーンがあるのも特徴。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
非常に見応えある良作でした!!
個人的には満足の出来栄えでした
まとめ
ということで、今作のよさだが、それは「ドラえもん」はやはり「SF」だということだ。
「ミッシングリンク」という一応現実にも存在する「学術」
そこにのっとり物語の「ジレンマ」を解決する。
これって「何よりもSF的」な手法ではないだろうか。
そして「のび太の恐竜」という物語自体が、そもそも孕んでいた「のび太こそ、時間の流れに悪影響を及ぼす」という点を追求しているのも見事だ。

そして「Mr.Children」の主題歌にのせて描かれるエンドロール。
かつては恐竜は全て絶滅したと考えられていた。
だが、最近の研究では「恐竜」は「鳥類」つまり「鳥」になり、その「命」は確かに「受け継がれている」
のび太たちの町の「鳥」には「ミュー」「キュー」からリレーされた「命」が存在するのかもしれない。
そんな「命の不思議さ」「命を繋ぐ大切さ」というメッセージが込められたエンドロールも素晴らしい。
ということで、個人的には「大満足」の一本でした。
待った甲斐がありました!!
まとめ
- 「のび太の恐竜」の孕んでいた問題に、「SF」として納得できる回答を示している。
- きちんと、現代の「恐竜研究」を踏まえた、結末になっている。

また次回の記事でお会いしましょう!!