
今回は、ドラえもん映画「のび太の新恐竜」公開を前に、過去の「のび太の恐竜」2作品を鑑賞。
そして比較・批評をしていこうかと思います。
ということで今日は「のび太の恐竜」
そしてそのリメイクにあたる「のび太の恐竜2006」を取り上げます。
この記事を読むと
- 「のび太の恐竜」の持つ意味合いがわかる。
- 旧作とリメイクを比較して、作り手の「修正」したいと思っているポイントがわかる。
- 全ての「ドラえもん」映画の「礎」として「旧作」は半端ない!!
この記事を読んで今年は映画館で「ドラえもん」しませんか??
目次
「ドラえもん のび太の恐竜」について
基本データ
- 公開 1980年
- 監督 福冨博
- 脚本 藤子不二雄/松岡清治
- 声の出演 大山のぶ代/小原乃梨子/野村道子/たてかべ和也/肝付兼太 ほか
スティーブン・スピルバーグは同時上映された「ゴジラ対モスラ」目当てで映画館に訪れたんだけど、
本作を見て「E.T.」のアイデアを膨らませたのは有名ですね!!
あらすじ
「恐竜、丸ごとの化石を発見してみせる」
と宣言したのび太は、苦労のかいあってついに化石らしきものを掘り出す。ドラえもんから借りたタイムふろしきをかぶせてみると、なんとそれは恐竜の卵だった。
やがて卵から首長竜の赤ちゃんが誕生、のび太たちは“ピー助”と名付けて育て始める。
だがある日、謎の黒い男がピー助を付け狙い始め、のび太とドラえもんは成長したピー助を安心して暮らせる白亜紀に帰してあげることにしたのだが……。
WOWOWO公式サイトより抜粋
「ドラえもん のび太の恐竜2006」について
基本データ
- 公開 2006年
- 監督 渡辺歩
- 脚本 渡辺歩/楠葉宏三
- 原作 藤子・F・不二雄
- 声の出演 水田わさび/大原めぐみ/かかずゆみ/木村昴/関智一 ほか
あらすじ
恐竜の卵の化石を発見したのび太は、ドラえもんの“タイムふろしき”と、のび太らしからぬがんばりで卵を孵化させる。
生まれたのは、白亜紀に生息した首長竜の一種、フタバスズキリュウの赤ちゃんだった。
赤ちゃんを“ピー助”と名付けて飼い始めたのび太だが、やがてピー助は隠しきれないほど大きく育ち、やむなくのび太はピー助を本来の時代に送り届けようとする。
だが、密猟者の恐竜ハンターたちがピー助に目を付けて……。
WOWOWO公式サイトより抜粋
あらすじを見ての通り、物語のストーリーは基本的に全て旧作を踏襲しているよ!!
「のび太の恐竜」の意義とは

「旧作」は、ドラえもん映画の「礎」を築いた作品である
ということで、今回はまず「のび太の恐竜」(便宜上これからは「旧作」リメイク版を「2006」と呼びます)の作品としての意義。
後世に残した影響という点を切り口にしようかな。と思います。
そもそもこの「旧作」はドラえもん映画として「初めて劇場公開」された作品である。
まず、なんと言ってもこの点を抜かして語るわけにはいかないでしょう。
そして「ドラえもん映画」はその後、今年で「40本目」になりますが、長い歴史を積み上げてきた。
その結果、今では「日本を代表するアニメ」にまでなった。
全ては「旧作」から始まった。
そういう意味で今作は「意義」のある作品だと言える。
そしてもう一つ、重要な「礎」を今作は作ったんだ
そしてもう1つ重要なのは「ストーリー」の「礎」を作った、という点だ。
「のび太の恐竜」では”ピー助”という恐竜とのび太たちが出会い、そして冒険をし、そして最後には「サヨナラ」をする。
この「ゲストキャラ」とのび太たちが出会い、共に冒険、そして「サヨナラ」という流れ。
基本的に「ドラえもん映画」はこのパターンで構成されていると言っても過言ではない。
それが「白亜紀」なのか、はたまた「未来」
「海洋」「異世界」「宇宙」
様々な舞台で繰り広げられる冒険だが、そこで繰り広げられる物語の骨格は、基本的に共通している。
そりゃ冒険して、友情を深めて、最後に「サヨナラ」という流れ、これは感動せざるを得ない。
そしてこの「骨格」を作ったという意味で、本作には今後のシリーズを占う「礎」として、これはやはり「意義」ある作品である。
そのことは間違いないだろう。
ポイント
✅今後の「ドラえもん」映画制作、そして「物語」の「礎」を築いた作品である。
3度語り直される「のび太の恐竜」
今年公開のドラえもん映画は、「のび太の新恐竜」だ。
今記事で語る「旧作」と「2006」は基本的には、ほぼそのままリメイクの関係であり、「新恐竜」はそれらとはまた違うストーリーになる。
このことは、予告から想像できる。
だが、なぜ「のび太の恐竜」なのか?
なぜ3度も「のび太の恐竜」は語り直されるのか?
考えれば簡単だ、それは「令和初のドラえもん映画だから」だ。
ドラえもん初の映画が「のび太の恐竜」
そしてキャスト一新後。
現行の水田版ドラえもんになって初の「劇場版」だからこそ「のび太の恐竜2006」
さらに元号が変わり、令和初のドラえもん映画、「のび太の新恐竜」
しかもこれがシリーズ通算40作目の記念作品だ。
このように、何かしらの「キリ」で「のび太の恐竜」は語り直されている。
このように作り手も「キリ」のいいところで「のび太の恐竜」をするのは、おそらくこれこそが「ドラえもん映画」の「基本形」だからこそ。
そう考えているからこそ、3度目の語りなおしになったのではないだろうか?
2作品の比較

旧作の弱点を補完する「2006」
まずは「きちんと映画に相応しい」作りにする
「リメイク」だから、「当たり前」と言えばそれまでなのですが。
やはり「弱点の補完」として「2006」はよくできていると思います。
そもそも「旧作」の公開は1980年。
それから「2006」公開までの26年間で、アニメは劇的に進歩した。
「旧作」は仕方ないことですが、どうしても「テレビ版」の延長というか。
やっぱり「劇場版」としては「作画」「画面構成」がどうも「こじんまり」しているんですね。
だからこそ「2006」はちゃんと「のび太の恐竜」を劇場版に相応しい「スケール」「作画」「外面構成」で作り直している。
言うなれば「ちゃんと、”映画”にした」ということだ。
さらに、BGMなども旧作はシリアスなシーンなのに「ポヨーン、ポヨーン」的な、お間抜けな演出などもあった。
(この点は、当時でもどうにかできたはず)
が「2006」はそういうBGMもシーンに相応しいものをきちんと用意しているのだ。
そういう意味で、「リメイク」した意義は大いにあるとも言える。
BGMと言えば、タケコプターでの飛翔シーン。
「旧作」では「ドラえもんのうた」だが「2006」では「ボクノート」のインストになっていたり、そういう変化もありますよ!!
ポイント
✅「のび太の恐竜」を「2006」は「映画に相応しい」作品として生まれ変わらせた。
「2006」は「旧作」最大の弱点、「タイムパトロール問題」を解決している!!
この物語では、解決すべき2つの課題がある。
1つは”ピー助”を故郷に返すということ。
そして2つ目が「現代」に帰ることだ。
この2つを解決するため、のび太たちは冒険をするのだ。
ちなみにどちらもゴールは「日本」この2つの課題のゴールは同じ場所である。
ちなみにこの事態は、「恐竜ハンター」に「タイムマシン」を破壊されたことが原因だ。
基本的にはこの「旧作」「2006」は、白亜紀の日本を目指す旅、目的地を目指す道のりを描いている。
「ロードムービー」とでも言ってもいいのかもしれないが、とにかく非常にシンプルな物語だと言える。
当然、この物語の着地、つまりクライマックスはこの2つの課題解決になるのだが、「旧作」では、この課題を解決するのが「タイムパトロール」なのだ。
敵である「恐竜ハンター」の逮捕。
そして”ピー助”を白亜紀の日本に帰す。
さらに「タイムマシン」が故障して帰れないのび太たちを「現代」に送り届ける。
この、のび太たちの旅の目的を「第三者」しかも「パッと出」が解決する。
正直、あまりいいオチとは言えないでしょう・・・。
「旧作」の弱点は「タイムパトロール」に全ての問題を解決させたこと
では、リメイクである「2006」のオチはどうなっているのか?
恐らく作り手の中にも、「タイムパトロールが解決は違うだろう」という思いがあったのだろう。
問題解決のプロセスに「タイムパトロール」はほとんど関わらなくなっている。
「のび太」たちが自分の足で”ピー助”を白亜紀の日本に連れて行く。
そして、そのゴールに「未来の、のび家の座標」がある。
つまり「未来」への「帰り道」に自力で辿り着く。
ドラえもん映画とは、のび太たちが自力で冒険して、そして目的を達成してこそなのだ。
そういう意味で「第三者」に安易な事態解決をさせない、そういう風に物語の結末を変えることは、正しい判断だと言える。
ポイント
✅安易な第三者の介入を減らし、「のび太たち」の冒険をきちんと彼らが締めくくる。この方向の「調整」は正しい。
細やかなブラッシュアップ
タイムパトロール介入の理由づけ
「旧作」ではラスト”ピー助”はのび太のポケットに隠れているだけだったが、「2006」では重要な役目を持たされている。
それは「旧作」では唐突な「タイムパトロール」の介入だったが、「2006」では”ピー助”の、のび太たちを助けようという気持ちが、この「介入」の呼び水になるのだ。
つまり「タイムパトロール」の「介入」にきちんと理由づけをしているのだ。
ジャイアンの役目の変化
さらに「ジャイアン」の役目が大きく変わっているのも特徴だ。
「旧作」でのジャイアン「旧作」では、のび太のタケコプターが故障し、翼竜に襲われる。
そこに恐竜ハンターが襲来し、のび太たちを追い詰め、「”ピー助”を渡せば、ものとの時代に送ってやる」と告げる。
そしてのび太たちは「”ピー助”を渡すべきか?」議論する。
そこで一応の総意で「渡さない」と決断するのだが、ジャイアン、スネ夫は「渋々」の同意だった。
「2006」でのジャイアン
だが、「2006」ではそこが大きく違う。
「のび太」だけでなく、全員のタケコプターが不調になり、翼竜に襲われる。
「旧作」での、のび太のタケコプター不調は、「のび太だから、”タケコプター”も故障するんだ」という、「のび太だから」というバカにしているニュアンス込みだった。
その時、「のび太」が「ジャイアン」を命がけで助けるシーンが追加されている。
その後、ハンターが同じ提案をしてくる、そして議論する。
話の大筋は同じだ。
だが、ここで「ジャイアン」は「旧作」のように「渡せばいい」という旨の発言はせず、ただみんなの議論に耳を傾けるだけなのだ。
そして「仲間を渡すくらいなら、歩いて日本に行く、それで構わない」
この一言で、みんなの決意を固める役目をジャイアンが担う。
これは先ほどの、のび太の命がけの行動「仲間を見捨てない勇気」がジャイアンを変えたのだ。
そして終盤「タイムパトロール」が来た際。
スネ夫に「送ってもらえばよかったじゃないか」とジャイアンがいうが、スネ夫に「仲間だから、一緒に行くよ」と言わせている。
ここで、「仲間である」ということを最後にもう一度強調させている。
だからこそ、このやりとりが「のび太の恐竜」が真に「彼らの物語」であるということを証明することにもなるのだ。
その積み重ねがあるからこそ、最後「仲間」である”ピー助”との別れがより、泣けるのだ。
ポイント
✅「2006」は「のび太の恐竜」をきちんと「彼らの物語」として描いている。
✅理想的なリメイクだと言ってもいい出来栄え!!
「旧作」から削られた要素
ただ、僕は「旧作」にあった要素で、「これは残しておくべきでしょ」と思った要素もいくつかある。
それは「のび太の日記」だ。
「旧作」で、のび太は旅のことを「日記」に記しているが、「2006」ではなくなっている。
せっかく主題歌が「2006」では”スキマスイッチ”の”ボクノート”
だから、EDで日記使えたじゃん。って。
勿体ない・・・笑
あと「旧作」にあった、ドラえもんの「君の頭では半分も理解できない」という畜生発言がなくなったのもね。
原作のドラえもんって、割と発言が「ヤバイ」シーンも多いので、そこは藤子先生のイズムを残すという意味で、「2006」にも残して欲しかったところかな。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
どちらも、鑑賞の価値ある作品。
どこが変わったのかに注目すると面白い!!
リメイクと旧作を比較する楽しみが「ドラえもん映画」にはある!!
まとめ
ここまであえて言及していないが、旧作とリメイク最大の違いは「キャスト」の違いだ。
「大山のぶ代」「水田わさび」
個人的には、やはり「のぶ代ドラ」に思い入れはある。
だけど「水田ドラ」に違和感があるか?
と言われると、そうでもない。
キャストが変わって14年、もう僕の人生の半分は「水田ドラ」だ。
そしてこれから、僕の人生の比重で言えば「水田ドラ」が長くなるのはもう間違いない。
そう思うと、時代の流れを感じたりもする。
そしてやはり「旧作」と「2006」を比較すると。
きちんと、「修正」すべき点は「修正」し、ブラッシュアップをしている。
考えられて作られた映画であることは確かだ。
だからこそきちんと比較すること意味がある。
だからこそ、声を大にして言いたいのは、現行ドラえもんのリメイクを見ずに「原典の方がいい」とだけは言って欲しくない。
リメイクにはリメイクの良さがありますからね!!
ということでぜひ、ドラえもんを比較・鑑賞して、楽しんでもらえればな。と思います。
あと「ドラえもん のび太の新恐竜」もぜひ映画館で鑑賞しましょうね!!
まとめ
- 「リメイク」はきちんと「旧作」の弱点を補完している。
- 「のび太の恐竜」は「ドラえもん映画」の「基本」を確立した。
- だからこそ「令和初のドラえもん」は「のび太の恐竜」なのだ。
そうそう、これらの作品は「アマゾンプライム」で見れますので、下記リンクとかに詳しく書いてあるので、気になる方はぜひ・・・。
(外部リンクです)
ということで、今日も読了お疲れ様でした。
また次回の記事でお会いしましょう!!