
今回は「春休み映画」の風物詩、ドラえもん映画の最新作『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』
こちらを鑑賞してまいりましたので、評論をしていきたいと思います。
ちなみにシリーズ全体としては通算第42作目。
そして、アニメ二期シリーズ(水田わさび版)としては、第17作目。
かなり歴史の深いシリーズになっている「ドラえもん映画」ですが、今回の作品はどうだったのか?
ちびっ子たちを尻目に大きなお友達も劇場でしっかり鑑賞してまいりました!
目次
『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』について
基本データ・あらすじ
基本データ
- 監督 堂山卓見
- 脚本 古沢良太
- 原作 藤子・F・不二雄
- 出演者 水田わさび/大原めぐみ/永瀬廉 ほか
空に浮かぶ謎の三日月型の島を見つけたのび太は、ドラえもんたちと一緒にひみつ道具の飛行船「タイムツェッペリン」で、その島を目指して旅立つ。
やがてたどり着いたその場所は、誰もがパーフェクトになれる夢のような楽園「パラダピア」だった。
ドラえもんとのび太たちは、そこで何もかも完璧なパーフェクトネコ型ロボットのソーニャと出会い、仲良くなる。
しかし、その夢のような楽園には、大きな秘密が隠されていた。
公式サイトより引用
最近のシリーズについて
と言うことで、いきなり今作の話を始めてもいいのだが、最近の「映画ドラえもんシリーズ」がどういう作品だったのか?
シリーズを最近見ていないという方にも向けて紹介していきたい。
まずは2020年コロナ禍で公開された『のび太の新恐竜』
これは「ドラえもん映画」の一作目であり大山のぶ代版として初めて劇場公開された『のび太の恐竜(1980年)』
そしてこの作品のリメイク版でもあり、水田わさび版の初めての劇場版である『のび太の恐竜2006』
これら2作品を別角度から捉えた作品であると言える。
それが「新時代恐竜論」として「恐竜」を語り直すと言うことだ。
この「新恐竜」は劇場版シリーズとして40作品目、そして令和初の劇場版としての区切りの作品だった。
そこで「恐竜」と言うモチーフを再度描くことに挑戦した意欲作でもある。

この作品で描かれたのは1980年、2006年に常識と言われていた「恐竜の滅亡論」の否定だ。
当時の常識では「恐竜は隕石の落下で絶滅した」と言われていたが、実は最近はそうではないと言う「新しい恐竜論」が語られている。
それが「恐竜は鳥に進化した」と言う学説だ。
まだ、進化の過程がわかってない部分が多いのだが、その空白を埋める「ミッシングリンク」にキューとミューと言う恐竜が「鳥」に進化するキッカケになった。
その部分をドラマを広げるという、現代「恐竜論」をうまく描けていた。
当時の考えから変化した学術的な論述を現代に置き換えて描く。
リメイクとは違う「語り直し」を新作映画としてやり直す、これは傑作であった。
次に2022年に公開された『のび太の宇宙小戦争 2021』
2021年がコロナ禍ということで公開が一年後ろ倒しになったこの作品は、1985年『のび太の宇宙小戦争』のリメイクとなっている。
この作品は奇しくも、ロシアのウクライナ侵攻という現実に起きた出来事と密接に関わる内容の作品となっており、メインターゲットの子供に「戦争とは何か?」を伝えるメッセージ性がより強く反映されているのも特徴だ。
特にリメイク版ではスネ夫の戦争への恐怖描写などはかなり強く描かれていた。
この戦争の恐怖描写を強くすることで、もともとこの作品が「戦争映画をつくる」という「戦争のエンタメ化」から、実際の「恐怖」へと変化することで、「戦争の恐怖」を知る物語であるという面をより強く描いており、これが現実に起きている戦争とリンクする内容になっており、かなり時代性を反映した作劇になっていた。
ちなみにオチも「ドラえもんたちが未来の力で勝つ」というものから、国民が声をあげて「独裁者」を跳ね除けるというものに変化もしていて、この辺りのアレンジも非常に気の利いたものになっていた。
「理想郷」は恐ろしい場所である
ということで、今年のドラえもん映画『空の理想郷』
ここ最近はリメイクや、過去作との関連も深い作品が続き、いろいろ予習をせざるを得ない状態でしたが、今回はそういう意味では楽な姿勢で映画を見に行けました。
ただタイトルからも「理想郷」が今回のキーワードになっており、常々僕は「理想郷」は「ディストピアである」という持論を説いておりますが、まさにこうした内容になっておりましたね。
- ユートピア・・・『理想郷』幸福の理想が詰まった場所
- ディストピア・・・『絶望郷』管理社会、独裁社会
例えば「ディズニーランド」を作ったウォルト・ディズニー。
彼が未来都市として創造した「エプコット計画」は、一見すると素晴らしい未来の理想都市とも言える。
しかし、その均一化されたデザイン都市、厳しいルールは「独裁」的な力が必要不可欠であり、ある意味で管理社会になりかねないのだ。
例えば仮にこうした都市を日本で作ろうものなら、法的拘束力のある区画整理、古い建物の取り壊し、統一のデザインされた居住物・建築物の築造。
どう考えても独裁的な力に頼らざるをえない。
つまり「理想郷」なるものが本当にこの世界にできるのであれば、それは「ディストピア」以外の何物でもないのだ。
ということで、物語の冒頭から見ていくと、序盤はやはりのび太のわがままから展開していくというお決まりの構図。
そこでドラえもんが今作のメイン道具「タイムツェペリン」で時代を超えて空を旅する展開が描かれていく。
この味付けが「ディズニーシー」のアトラクション「ソワリン」のストーリーラインと非常に似ているのも面白いところ。
ちなみにアバンタイトルも「航空史」を振り返りつつ、「タケコプター」を描くなど「空を飛ぶ歴史」を描いていくのも「ソワリン」的だとも言える。

そんな空の旅から今作の冒険の舞台である移動都市「パラタビア」に話は移っていく。
この場所を訪れたのび太は「いじめ」「優劣」のない社会構造に、それは「欠点なき世界」と呼ばれているのだが、その理念に感動をするが、徐々に変化していく仲間を見て絶望をしていく。
のび太とは現実では「負け犬」的な存在だ。
勉強、運動が苦手、それを揶揄われコンプレックスを抱いている。
だからこそ、彼は「理想郷」の掲げる理念に最も深く興味を抱くのだ。
しかし、物語が進むにつれジャイアン、スネ夫、しずかから個性(欠点)が消えていくのに疑問を抱く。
確かに「いじめ」はなくなった、だけどジャイアンもスネ夫もしずかもただ「規則に従い起きて寝る」「個性を失う言葉使い」「貼り付けたような笑顔」
つまり「心もなく」「ルールに従い生きる」だけになってしまった。
そのことに彼は徐々に違和感を持つようになる。
これでは機械と変わらないと・・・。
この構図が実はドラえもんとソーニャという猫型ロボット2台にも当てはまるのが作劇の上手いところだ。
というのもソーニャは改造されて、優秀なロボットであり、ある意味でドラえもんの理想の姿だ。

ドラえもんとは機械でありながら、しかし間抜けでミスも多いある意味でロボットとしては落第生である。
作品の中でも彼らの優劣の差は描かれていく。
しかしドラえもんサイドでソーニャが笑うシーンがある。
のび太サイドでは「心を失う友達」を描き、ドラえもんサイドでは逆に「心を取り戻し始めるソーニャ」が描かれる。
この対比は見事としかいう他がなく、伏線としても優秀だった。
これぞ多様性を描くということ
この作品のメインテーマは「違い」は美しいという人間讃歌だ。
ちなみに今作品もともとの構想としては、のび太たちが普段いる街を舞台に映画を作ろうとしていたそうだが、スケールアップのために「パラダビア」を舞台にした。
だが最終的にこの作品は「のび太の街こそ素晴らしい」ということに行き着くという点が作劇として素晴らしい。
さて、今作品「パラダビア」の計画が人間を均一の思想に洗脳して、世界平和を実現するという実験施設だったことが判明し、のび太たちはその計画を破壊することを決める。
メインヴィランのレイ博士ものび太と同じで、もともと勉強もできない落第生で、彼が見た現実が非常に「不平等」であることへの怒りが発端となっており、実はのび太のダークサイドがヴィランという構図も非常に上手い。
しかしのび太は「個性(欠点)こそが素晴らしい」と仲間を説得し洗脳を解く。
個人的にはこのシーンは落涙必須シーンですが、のび太は「人を変えて世界を変える」ことを否定して、「個性(欠点)ある世界を望む」ことを選択する。
まさに落第者という、社会において軽んじられるのび太がその答えを出すところに、最大の感動があるわけだ。
そして欠点とは決して悪いものではない、人間はそれを互いにカバーし合える存在であるという、願いもこのシーンには込められているのだ。
多様性とはまさにこのことだと言える。
勉強の不出来、運動の不出来、確かに辛いかもしれない、だけどそれでも「違い」が素晴らしいという決断をする。
そして、それを育む町が素晴らしいのだということにも直結していくのだが、これぞまさに「人間讃歌」ということだ。
最終的な展開が、のび太たちが生まれ育った町を守る展開も、「違いを育む土壌」を守るというのも見事だ。
そんな中ソーニャも最後まで「コンプレックス」から博士のいうことを聞こうとするが、のび太の姿を見て彼もまた「心」を完全に取り戻す。

ここから作品がソーニャ上げに徹するのも、素晴らしい。
ドラえもん映画の系譜として「バギーちゃん」「リルル」という機械のキャラクターが心を取り戻し奮闘する流れ、これは長年のファンは泣かざるを得ない。
そして、その末路。
ドラえもん映画としては、100点の展開というね。
そして、ラストのオチが素晴らしい。
ともすれば「個性は素晴らしい」という説教くささに通ずる展開も、最終的にのび太のテストが母親に見つかるという展開で、「こいつはやはりのび太だった」ということを再認識させる。
これによって、呆れを観客に与えることで、実は成長しきらない美学をきちんと描く周到さも見事なもの。
ということで『空の理想郷』は「ドラえもん映画」として非常に優秀な一作だと思いますので、ぜひ劇場で鑑賞してみてください。