
今回は、毎年作品公開されるたびに日本記録に迫る勢いを見せる、春の風物詩映画。
「名探偵コナンシリーズ」の劇場版26作品目となる最新作『名探偵コナン 黒鉄の魚影』
こちらを鑑賞してまいりましたので、感想・評論を述べていきたいと思います。

目次
『名探偵コナン 黒鉄の魚影』について
基本データ
チェックリスト
- 公開 2023年
- 監督 立川譲
- 脚本 櫻井武晴
- 原作 青山剛昌
- 出演者 高山みなみ/林原めぐみ/池田秀一/古谷徹 他
あらすじ
東京・八丈島近海に建設された世界中の防犯カメラをつなぐ海洋施設「パシフィック・ブイ」。
ホエールウォッチングに来ていたコナンは、沖矢昴(赤井秀一)から連絡を受け、黒の組織との関連を感じて施設に潜入する。
そこで女性エンジニアの誘拐事件が起こり、灰原の元に黒の組織の影が忍び寄る…。
コナンに対しての考え方
劇場版の「名探偵コナンシリーズ」は第1作目『時計じかけの摩天楼』が1997年に公開。
以降コロナ禍の2020年を除いて、毎年春に映画が公開されているという、春の風物詩映画だ。
近年では映画が公開されるたびに、シリーズ最高記録を更新、またはそれに迫る勢いを見せている。
そして、ここで叩き出した数字は大抵の場合、その年の日本の映画興行収入ランキングでも上位に食い込むなど、映画としての影響力が多大なシリーズになっている。
もはや日本を代表するドル箱映画だと言える。
しかしシリーズとしては2010年代中期ごろまでは、興行収入などでも前年割れがあり、マンネリ化を迎えた時期もあるなど、順風満帆なものではないという歴史もある。
こうした場合、例えばいくつかの対策がある。
毎年公開の作品でいうと「ドラえもんシリーズ」だ。
このシリーズは、特に第二シーズン(水田わさび版)の劇場版から、過去作品のリメイクをオリジナル作品の間に定期的に挟み込むことで、過去作のファンも取り入れながら、安定的な成績を残している。
変化したと言えば「ワンピース」の劇場版は顕著な例だ。
2000年から2009年までは、いわゆる「東映アニメ祭り」的なイズムを残し、毎年公開されていた「ワンピース」映画。
しかし2009年以降は作者である尾田栄一郎が原案に関わり、公開間隔も3年、4年に一回という形に変化した。
その結果、作品の作画や物語のクオリティは上がり、公開される度に素晴らしい興行成績を残せるようになったのだ。
では「コナン」はどうしたのか?
それは、原作で人気の出てきたキャラクター(どこまでを新キャラクターとするのかは議論が分かれるが)を中心に作品を作る方向にシフトしたのだ。
もちろん初期映画版でも服部平次、怪盗キッドなどの人気キャラを中心に据える作品はあったが、それは初期コナンから登場するキャラクターであり、馴染み深い存在でもあった。
しかし潮目は18作品目の『異次元の狙撃手』(2014年)辺りから大きく変化する。
赤井秀一、安室透などの原作でも割と物語の真相に関わるキャラクターがメインの作品が作られるようになったのだ。
そして、それを演じる声優人気、そもそものキャラの人気なども相まって、この辺りから興行収入は右肩上がりを見せていくようになる。
つまり2014年以降、割と原作の人気キャラクターの、キャラ萌え、キャラ関係のいわゆる関係性にフォーカスした作品へと大きく舵を切るのだ。
しかし、それと同時に映画として、特に「名探偵」というある意味でサスペンスものとしてのジャンルとしては、どんどん魅力のないものになっていったのも事実だ。
というのも初期の作品も派手な場面、特に爆弾などを使っての大規模パニックシーンは描かれるのだが、基本的には「大きな事件の舞台装置」の一つであり、それらはコナンの知恵で阻止可能なものだったのだ。
つまり爆弾が「爆発しないように」コナンがトリックを見破り、最悪の被害を免れる。
これが劇場版という、従来よりも大規模な事件を解決する面白みでもあったわけだ。
しかし最近のコナン映画は、基本的に爆弾やそれに類するもの、それらが使用された際に建物が吹き飛ぶことは日常茶飯事。
むしろ吹き飛ぶ建物からどう脱出するか?
それをどう最小限に食い止めるか?
そこに面白さを見出そうとしているのだ。
しかも今作の話にも少し触れるが、基本的にコナンというサスペンス要素の最も芯となる、殺人事件の扱い、これらがあまりにも適当になっているのも、個人的にはいただけないところだと言える。
要は、自分が思う「コナン映画の面白さ」という部分は、正直最近の作品には全くない。
そう断言せざるを得ない。
しかし、それでも毎年見てしまう。
ある意味でこの「無茶苦茶やってんな」というインフレ感を楽しむ。
その場のドライブ感を楽しむという、ある意味で「一年に一度のお祭り」に参加している感覚で楽しんでいる面もあるのかもしれない。
しかし、今回は無茶苦茶がすごい
ちなみに今作品は2016年の『純黒の悪夢』以来久しぶりに、コナン最大の的組織「黒の組織」と対峙することになっている。
個人的にこの「黒の組織」を劇場版で扱う難しさを痛感させられてしまったのが今作にノれない要因だった。
ここまで劇場版で「黒の組織」は5作目『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』(2001)、13作目『名探偵コナン 漆黒の追跡者(チェイサー)』(2009)、20作目『名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)』(2016)、そして今作品と4作品ある。
とはいえ『天国へのカウントダウン』ではそこまでメインのヴィランではなかったので、この作品は例外になるが、その他の3作品にはとある縛りが課せられている。
それは、どんなにコナンたちがピンチになろうとも、絶対に「正体がバレる」ことはない。
さらに、既存の組織の人間を敗北させるというのを描くわけにもいかない。
つまり映画用に「負けキャラ」つまり「噛ませ犬」を組織の人間として一人用意しないといけないのだ。
要は、映画としての面白みを出すという意味において、かなりの制約を課せられてしまう。
なので前提としてそもそも「黒の組織」を映画のヴィランとして出すのは、悪手極まりないということだ。
ということで今作も基本的には「漆黒」「純黒」と同じく、映画限定の組織の人間を登場。
そしてそれなりの格を与えるために、組織のトップ2「ラム」の側近という立ち位置を与えている。
それが「ピンガ」だ。
ただ今作のピンガ、過去作の劇場版オリジナルの組織の人間と比較しても、はっきりと小物感が溢れていて格下感が否めないものになっていた。
彼の起こした、「殺人事件」が一応今作での解くべき謎の一つになってはいるのだが、そのあまりにも突発的な犯行は、開いた口が塞がらないというか・・・。
映画として事件を一つ起こさねばならない、そういった作り手、ひいては脚本のためだけの「殺人事件」になっているのだ。
つまり、この時点で映画としては完全に失敗したといっても過言ではないのだ。
さらに今作、実は組織側の狙いというのが複雑になっている。
元々なぜ「パシフィック・ブイ」と呼ばれるインターポール管轄の施設に侵入するのか? という争点。
狙いとしては「過去に組織の人間が映っているであろう監視カメラの映像を削除したい」というのがあった。
まず、それをするなら世界的な犯罪組織の人間が、なぜ年がら年中同じ「黒ずくめファッション」で事件が起きた場所にいるのか問題。
そこに突っ込まざるを得ない。
というのも、一種のファンタジー的に彼らのファッションが「世間から浮いていない」ということを前提にするとしよう。
ならば、その矛盾には突っ込まないし、そこは目を瞑る。
しかし今作ははっきりと彼らの狙いの一つに「情報改竄」というものが挙げられているからこそ、「そもそも・・・」という疑問がつのるわけだ。
しかもそこに、今度は直美が製作した新技術「老若認証」をめぐるいざこざが起こる。
これは、世界中の同期された防犯カメラ映像を利用して、行方不明者などを識別するのに利用されようと開発されたこのシステムだ。
しかも、たまたま直美が「宮野志保」つまり「灰原哀」を同一人物と認定していた。
それを知った組織が灰原を拉致するというのがもう一つの山場になっている。
しかし前提として劇場版で彼女の正体がバレるはずもなく、これをどうするのか?
割と期待してみたのだが、展開としては、ウォッカが上司(!?)のジンにその件を報告、「画像を見てくれ」とお願いするが、それに目を通さず直接確認して判断すると言い出す。
そもそもこの連中は「殺人を厭わぬ連中」なわけで、正直疑わしいなら殺せばいいのだ。
この意味不明の問答をやっている間に、当然灰原は組織の魔の手から逃げ出すことになる。
さらに、ここからこの疑惑はとんでもない方法で解決される。
実は組織の中で変装の天才がおり、その人物がいろんな年代の灰原(宮野志保)に変装。(便利すぎる天才、ベルモットなんですが)
顔認証システムを誤作動させ、同一人物であるとシステムを誤認させることで、システムがアテにならないと信用を落とすことになる。
それにキレた組織の連中は、「パシフィック・ブイ」ごと全てを破壊しようとするのだ・・・。

そして、そもそもシステムとは、何か一箇所を破壊すればいいものなのか??
さて、なんでこんなチグハグなことになっているかといえば、この作品実はずっと組織がヴィランとして描かれてはいるものの、実はこの組織のトップとナンバー2が真反対の指示を出していたのだ。
ナンバー2のラムの考えは、「パシフィック・ブイ」に侵入して、その過去の記録を改竄しようとする、さらに「老若認証システム」を利用しようと考えていた。
しかし、組織のボス、まぁ隠しても仕方ないのでネタバレしますけど、烏丸蓮耶。
彼はとある事情で、「老若認証システム」で自分の姿がバレることを恐れて、ベルモットにシステムの信用を失わせて、ジンたちがそれを破壊するように根回ししていたのだ。
そこで「信用ならないシステムを破壊せよ」と烏丸蓮耶から指示を受けたジンは、その指示通りシステムを破棄しようとする。
個人的には、このあまりにも短絡的な計画変更に見えてしまうのも見ていてノイズになったところではある。
(そもそも、監視カメラの映像を偽造する計画はどこに行ったのだろうか・・・)

メモ
黒の組織の今作の内部分裂ぶり
- 異なる指示を出す、トップとナンバー2
- 内部に侵入しているスパイ(バーボン、キール)
- ジンのことが嫌いで、彼を出し抜きたいピンガ
非常に風通しの悪い職場となっている
つまり今作のジンは上司に振り回されるだけのアホにしか描かれないのだ。
作中では、しかし空気感だけは有能風にしようと演出しているので、この辺りもチグハグな印象を持ってしまう。
ただ、こんな有能風な描写をされるジンをはじめ、そもそも組織の人間、特にジン、ウォッカは原作の1話から登場はしているが相当な小物的な描き方をされていた。

これは、恐らく原作者の青山剛昌もここまで作品が人気になるとは考えてはなかったのではないか?
もしくはある程度早めに物語を畳めるように考えていたのではないだろうか。
しかし作品の人気に火がついたことで、ジン、ウォッカは原作ではどんどんカリスマのある人物のように描かれていった。
なので本質的には短絡的なバカというように見える今作のバランスは、そもそもの原作イズムを引き継いでると言えばそうなのかも知れない。
ここから作中で起きる一応の殺人事件を解決したコナンは、逆に組織の連中に反撃を見せていく。
今回の相手は潜水艦だ・・・。
これをどうするのか?
基本的には今回も人間離れしたコナンのガッツと、赤井さんの連携で潜水艦沈めるというお約束のド派手展開。
ただし「花火」で相手の魚影を浮かび上がらせる戦術、これは前回の組織登場映画「純黒の悪夢」のVSオスプレイ戦で見せたのと全く同じことをするのだが、他に方法はないのか?
とツッコミを入れたくなる始末。
ゲストキャラのピンガも雑に死亡という、正直「映画として」投げやりな部分が多すぎるだろうと言わざるを得ない展開。
そういう意味では映画としては、見れたもんじゃないレベルに酷いものになっているのだ・・・。
関係性萌えが好きならそれでもいいかも知れぬが
個人的には見れたもんじゃない展開の続いた今作品。
だが、ここまで大ヒットしているのは、何かしらの理由があるはずだ。
おそらくそれは「関係性萌え」の部分だ。
特に今作は灰原哀とコナンの関係性にフォーカスされている。
映画ではこれまで、子供にされてしまった工藤新一(=コナン)と幼馴染の毛利蘭との関係がこれまで描かれていた。
これはただ単に幼馴染で恋人になるという、ありふれた関係なのだが、灰原哀は一味違う。
彼女はコナンと同じく、薬で子供に戻った存在で、組織の人間に命を狙われているのだ。
つまり、コナンと最も境遇の近いのが灰原哀だ。
ここまでは灰原はコナンの相棒、ホームズに対するワトソンのような関係をキープしていて、そこに恋愛感情はなかった。
しかし、冷静に考えれば、彼女こそ最もコナンの心理を慮れるし、その逆も然りだ。
つまり彼女はこの作品で、本質的にはヒロインになるべき存在だとも言える。
今作は、ここまで踏み越えなかった一線を少し超えていくシーンが描かれる。
そこに関係性萌えを見出して絶賛する声がある。
これは確かに理解できなくはないし、そういうファンから見れば、確かに評価が高いのも頷くことはできる。
しかもその後の灰原と蘭の衝撃のシーン。
この場面、劇場で「えぇ」と声が上がりましたからね。
だから、これはこれでウケたということでしょうけども。
個人的にもっと見どころは原作で関係性が軟化した赤井と安室の関係性だ。
前回の共演作『純黒の悪夢』から7年が経ち、彼らの関係性は出会えば、殺し合うほどに険悪なものだったが、今作では完全に軟化している。
ちなみにこの二人は完全に『機動戦士ガンダム』のアムロとシャアそのものだ(声優も同じ)。
もっというならば、『純黒の悪夢』までは『機動戦士ガンダム』におけるアムロとシャアの関係性を保持していたが、今作ではどちらかといえば『機動戦士Zガンダム』におけるアムロとシャア(クワトロ)の関係性になっている、つまり共闘状態にある。
(となると、ブライト的な立ち位置は恐らく工藤優作なのか? と思いましたがね)
今作でもクライマックスに彼らが敢えて組織に潜入していた頃のコードネームで名前を呼び合うシーン。
これは新訳版『Zガンダム』の第1作目「星の鼓動は愛」のラストシーンを彷彿とさせる出来になっている。
この辺りは個人的には「おぉ」となったりもした。
基本的には最近のコナン映画は「関係性萌え」の部分だけをフィーカスしている節もあり、これが僕のような初期コナン映画ファンとしては残念なところであるのも事実だ。
しかしこの路線に移行後興行収入も右肩上がりなので(今作は過去最高を狙えそう)、ビジネスとして間違ってはいない。
だからこそ、もう自分の好きだった頃のコナンは戻ってこないのか?
そんな悲しみを抱きつつ、これが時代かと受け入れようとしているのだ。
ということで、個人的には毎年のように「話は無茶苦茶」なコナン映画。
映画として決して出来がいいとは思いませんけど、それでも大迫力のアクション映画として頭を空っぽにして楽しめる作品になっているので、ぜひ劇場で見ることをおすすめしたいと思います。