
今回は劇場で鑑賞した新作作品を深掘り解説していきたいと思います。
ということで「アカデミー賞」の前哨戦ともいわれる「サンダンス映画祭」で、史上最多4冠に輝き、世界を沸かせた「必見の一本」
『CODA コーダ あいのうた』を紹介します。
今作のポイント
- 題材に対して、真摯に向き合う作品。
- あえて描かれる、「家族」との向き合い方。
目次
『CODA コーダ あいのうた』について
基本データ
基本データ
- 公開 2022年
- 監督・脚本 シアン・ヘダー
- 出演者 エミリア・ジョーンズ/エウヘニオ・デルベス ほか
あらすじ
豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聞こえる。
陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。
新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。
すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。
悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。
公式サイトより引用
真摯な姿勢での映画化

手話の説得力
まず、今作への結論として・・・。
「素晴らしい作品」であったということは最初に断言しておきたい。
多くの人間の胸を打つであろうストーリー性は今作の予告等で絶賛されていたが、その通りだと言わざるを得ない。
しかし、それよりも僕はまずは今作の「手話」への真摯な向き合い、「耳が聞こえない」という設定に対して、どこまでも真摯であるという点が素晴らしいと感じた。
この作品で描かれる重要なポイントは「耳が聞こえない」一家で主人公が、ただ一人の健常者であるという設定だ。
そのため今作は、主人公のルビー以外の家族の役者を全て、実際に耳の聞こえない役者をキャスティングをしている。
その甲斐もあって、フランク、ジャッキー、レオの3人の演技に途轍もない説得力が伝わってくるのだ。
監督のヘダーは作品制作の当初から「耳の聞こえない人の役があるのに、耳の聞こえない優秀な役者を起用しないというのは考えられなかった」と語っており、これは見事に映画の質をあげる上で間違いない選択だったと言える。
さらに今作の主役ルビーを演じる「エミリア・ジョーンズ」
彼女も今作の主役を演じる上で様々な難しい課題があったはずだ。
一つ目が、当たり前だが「演技力」
二つ目は、歌唱力
三つ目は、「手話」を使っての感情豊かな「演技力」だ。
この中で最も大切なのは「三つ目」の要素だ。
彼女の演じるルビーは、耳の聞こえない一家の中で、唯一の健常者だ。
家族とは手話、外の世界では言葉を用いてコミュニケーションをとる。
つまり、自分の心情にニュアンスを、微妙な感情の起伏を「手話」で届けなければならない。
しかも、この作中で使用されている手話も相当難しいらしく(ちなみに、世界には200以上の手話が存在する)、その中の一つであるASLは、アメリカ英語の単なる置き換えではなく、生き生きとして創造的で流麗に体現された言語だ。
つまり、すべての単語と手話に直訳があるわけではないため、ASLと英語の間で直接翻訳するのは難しい。
このASLという手話が一つの言語体系を成しているのだ。
そんな難しい手話演技を見事に成立させている点が今作最大の白眉だ。
特に今作はコメディタッチなシーンも多く、そこで繰り広げられる「手話での汚い言葉」の応酬。
実際に演者の表情が手話に乗って、イキイキと感情表現がされる。
例え「手話」の意味がわからなくとも理解できる。
そのレベルにまで昇華されていて、見事というほかない。

ココがポイント
汚い言葉があることは、逆にASLという手話の言語体系に「豊かさ」があると感じさせられた。
つまり感情を表現する幅が広いということは、コミュニケーションの手段として素晴らしいといえるのだ。
ヤングケアラー問題
今作を語る上で、どうしても避けられない問題がある。
それがルビーだけが「耳が聞こえる」ということ。
つまり「しゃべる」ことが出来るという点だ。
だからこそ、彼女は一家の家業である「漁業」
そこで取った魚を組合に下ろす際の「通訳」などをしているのだ。
つまり、彼女なしでは、家族は生きていくための「お金」を得ることが難しいのだ。
しかも作品中盤から、漁業組合を自分達で作り、自分達が搾取されないビジネスモデルを作ろうとするので、やはりルビーの存在が不可欠になるのだ。
つまり彼女は家族を世話する「ヤングケアラー」的な側面をもっているのだ。
それと並行して描かれるルビーの「歌の才能の開花」
先生は彼女に音大への進学を薦めるが、そこにはやはり「家族の問題」がつきまとうのだ。
「夢」か「家族」か。
そんな問題が彼女を大きく揺れ動かすのだ。
ちなみに今作の感想の中には、ルビー以外の家族が「彼女に頼りすぎている」
あまりにも負担をかけすぎているという批判めいたものもあった。
確かにその通りだ。
だが「家族」にとってもルビーの存在は、本当に「大切」で、彼女の存在の有無は「死活問題」と言えるのだ。
例えば、こうした「リアル」な部分は描かずに、「家族」がルビーを応援する物語にもできたはずだ。
でも今作はそうはしない、なぜなら、やはり「生きていく」という上で彼女の存在は大きいからなのだ。
つまり、ある意味で「現実」としてつきまとう問題を逃げずに描いていると言えるのだ。
これは現代社会でも問題になっている、特に超高齢化社会の日本でも起こりうる「介護問題」とも照らし合わせることも可能だ。
高齢化した親の介護と自分の夢。
それを天秤にかける人々が、現実に存在している。
正直なところ、そのどちらを選ぶのが正しいのか。
それは答えがないのだ。
自分を優先すればいい。
そういう声があるかもしれないが、「家族」とはそう簡単に切り捨てることはできない存在だ。
そうした、何を選ぼうと、若干の後味の悪さを残す問題にあえて切り込んでいることが、この作品のフェアな点だと感じる。
つまり、そうした部分を隠せば、いくらでも「感動的」にすることもできたかもしれない。
でも、あえてこうした「答え」のない問題に踏み込むことで、我々に様々なことを考えさせる余地を与えているのも、また、大変フェアな作りだと僕は感じた。
「手話」と「声」
今作はルビーの歌を二度、家族が聞くシーンがある。
この二つの出来事の間に描かれる、父親だけが、彼女の歌声を「首の振動」で感じ取るという、方法で「聴く」シーンも印象的。
一度目は学校での発表会だ。
ここではルビーは学校で習った発声法などで歌唱している。
しかし演出としては終始無音だ。
伴奏も完成も、拍手も聞こえない。
つまりこれは、家族の状態、つまり完全なる「無音」を描いているのだ。
しかし二度目のオーディション。
そこでは「歌」がきちんと聞こえるのだ。
それはなぜか?
彼女が「歌」と「手話」を同時に使うからだ。
ここで考えねばならないのは「手話」とはルビーにとっても大切な感情表現の一つになり得るという点だ。
ベルナド先生との授業で、「自分の感情を歌にぶつけろ」
そう言われ続けたルビーだが、実は感情を声に乗せるのでは、不十分だったのだ。
なぜなら、彼女はもう一つの感情表現方法をずっと使ってきていた、それが「手話」だ。
彼女は最後に「手話」を使うことで、自分の中にある感情を完璧に表現することができたといえる。
先ほど指摘したが「ALS」という手話は、それをそのまま「英語」に置き換えることはできない。
一つの言語体系として成立している。
つまり彼女の感情を表現するには、それも100%表現するには「手話」は切っても切り離せないものなのだ。
あの歌唱には「彼女」の感情が「全て」乗っている。
だからこそ「耳が聞こえずとも、家族に届いたのだ」
ルビーにとって、この二つの「言語」こそが、彼女の思いを届ける「言葉」になるのだ。
「海」と「湖」
最後に今作の印象的な要素「海」「湖」について触れておきたい。
作中で描かれる「海」はルビーたち家族にとっては「生きていくため」の場所。
つまり、「大人」な世界だとも言える。
一方、「湖」はルビーにとっては子供のように無邪気になれる場所として描かれている。
これは「子供」の世界と言える。
特に印象的なのはルビーとマイルズは「湖」
父と兄は「海」で、それぞれ行動するシーンだ。
黙々と「漁業」に励む父と兄、一方でルビーとマイルズは「湖」で遊び、そして淡い恋を実らせていく。
ある意味で「湖」はルビーの「青春=子供性」を表しているのだ。
ずっと家族のために「大人」の世界に身を置いていたルビーが、そんな彼女が年相応の世界に戻る場所、それが「湖」だったのだ。
今作品を振り返って
ざっくり一言解説!
テーマとの向き合い方、誠実さが素晴らしい!
非常に「質」のいい作品、文句なしのオススメ
まとめ
「耳が聞こえない」家族の中で、ただ一人「しゃべることができる」存在を主人公に添えた今作品。
そのテーマにきちんと向き合い、嘘偽りのないキャスティング、作品へのこだわり、まさに「真摯な姿勢」の勝利というほかない作品だ。
しかも敢えて、家族がルビーを必要としている描写を入れること、これにより家族の立場も表明することで、実はこうした問題が孕む根深い「闇」にまで踏み込んでいるのも見事だと感じた。
日本でも、高齢化が進むにつれて、どんどん表面化している「ヤングケアラー」の問題などとも重ねると、これは人ごとでは済まされない。
我々の身近にこうした問題は存在していることも見逃せない。
単純にルビーの夢を応援する家族という構図。
このように今作はいくらでも「いい話」にできたはずだが、こうした「負」の部分を描くことで、我々が今作で起きた問題について「考える」余地を与えてくれている。
そして、その先にあるルビーの感情の爆発としての「歌」
声だけでなく、「手話」を織り交ぜての歌唱に、やはり我々は感動をさせられてしまうのだ。
「声」に「形はない」
そんなことを教えてくれる作品だった。
まとめ
- あえて「負」の部分を描くことで、現実を浮き彫りにする。
- 何度も言うが「耳が聞こえない」というテーマに「真摯」に向き合った作品である。