
さて、今日も「長編ディズニーアニメーション作品」を公開順に鑑賞し、評論する「ディズニー総チェック」
今回は46作品目の「チキン・リトル」を深堀りしていきましょう。
今作品のポイント
- 何度もいうが「悪くはない」だが・・・。
- 「狼少年」的な物語である。
- なかなか見ごたえのある作品。

目次
「チキン・リトル」について
基本データ
- 公開 2005年
- 監督 マーク・ディンダル
- 脚本 スティーヴ・ベンチック/ロン・J・フリードマン/ロン・アンダーソン
- 声の出演 ザック・ブラフ ほか
あらすじ
「空のカケラ」が頭の上に落ちてきた!
心底そう信じ込んだチキン・リトルは、きっと世界が崩壊してしまうと不安に襲われる。そして冴えない仲間と共に、宇宙人の侵略から地球を守ろうと奮闘する。
世界を救えるのはちっぽけなチキンだと、今こそ証明する時だ。
空が落ちてきて世界がパニックになったとき…
ディズニープラスより引用
チキン・リトルが立ち上がる!
ディズニーの抱える「2000年代病」

「足りない」なにか・・・
さて、今回の「チキン・リトル」に関して、作品の評価・結論を先に言っておくと・・・。
「良作」ではあるし、なんなら、キチンと楽しい作品になっている。
だけど、「なにか足りない」と言わざるを得ない。
これは「ダイナソー」「ラマになった王様」「アトランティス」「トレジャー・プラネット」
そして、「ブラザー・ベア」「ホーム・オン・ザ・レンジ」
これら「2000年代長編ディズニー・アニメ」全てに関して言えることでもある。
逆にいうと、ここで名前を上げていない「リロ・アンド・スティッチ」は、ちゃんとその要素がキチンと出来ていた。
だからこそ、あれだけヒットしたともいえる。
それがなにか?
答えは、前回の「ホーム・オン・ザ・レンジ」でも指摘した「キャラクター」という点だ。
確かに「この作品内世界」では、それなりに「可愛げ」「魅力」はある。
だが、作品を見た後に「特別な思い出」として残るインパクトが有るのか?
そう思わせる魅力があるか、否か?
その魅力に欠けるのが「2000年代長編ディズニー・アニメ」に共通する「病理」だと言ってもいいだろう。
そう考えると「黄金期」は、そのレベルが段違いだ。
「リトル・マーメイド」「美女と野獣」「アラジン」「ライオン・キング」は当然のこと。
末期の「ムーラン」「ターザン」など、かなり印象に残るキャラクターが登場している。
逆に言うと、少々ストーリーに難ありでも、キャラで逆転しているとさえ思えるのが「黄金期」なのだ。
だが、この「2000年代ディズニー作品」は、実は内容などは、非常に工夫をこらそうとしているのが見えるし、努力の跡も見える。
なんなら「良作」が多いとも言えるのだ。
だけど、やっぱり「なにか足りない」
それが「キャラクター」の魅力なのだ。
そしてこの「病理」は「チキン・リトル」にも当てはまるのだ。

二度目のアニメ化
では、そろそろ「チキン・リトル」の作品について触れていきたい。
今作を要約するならば「狼少年」的な話であるといえば、一番わかりやすいかも知れない。
深堀りポイント
ちなみにこの作品は原作があり、それはイギリスの寓話である。
物語としては、頭に木の実が落ちてきたのを空が落ちてくると勘違いしたヒヨコの話で、転じて悲観論者をさす慣用句としても用いられることがある。
そして、別名ヘニー・ペニー (Henny Penny) と呼ばれる作品が原作だ。
さらに、「ディズニー」は1943年に短編映画として「チキン・リトル」を制作・公開している。
こちらのストーリーは、簡単に要約すると、狐がチキン・リトルを「空が落ちてくる」と騙して、逃げてきた鶏たちを狐が食べるという、わりかしバットエンド風な作品になっている。
ということで、今作品は、ディズニーにとって二度目の「チキン・リトル」のアニメ化でもあるのだ。
さて、この原作、初期アニメ版で共通する「空が落ちてくる」というのが、今作では冒頭で描かれる。
「空が落ちてくる」というチキン・リトルが騒ぎを起こし、街は大混乱。
この「大混乱」というのは、この作品の原作・初期アニメ版でも共通する要素でもあり、今作のある意味で「カギ」ともいえる。
この件でチキン・リトルは街で変人扱いされ、好機の目にさらされるのだ。
そして学校では、このことでイジメられる様子が描かれる。

「イケてる組」「イケてない組」と分けられるなど、中々に陰険さが目立つように描かれている
これは、ある意味で「狼少年的」な話だと言える。
嘘をついた(正確には違うのだが)、そのことで、周囲の人間に信じてもらえず、実の父親にも呆れられる。
ここまで悲惨な境遇の主人公も珍しいという程に、彼は疎まれているのだ。
チキン・リトルにとって一番つらいのは「父」との関係だ。
父子家庭で育てられたチキン・リトル、彼は彼なりに、「新しい挑戦」で、人々の信頼を取り戻そうと必死になるのだが、父親はそれを良しとしない。
「おとなしくしろ」とだけ告げるのだ。
これは、父親の目線からすれば正しいのかも知れない。
大騒ぎを起こした息子、そのせいで世間から変人扱い。
それを、おとなしくやり過ごすそうというのも、納得は出来る。
だが、チキン・リトルはそれが、正しいと思わない。
何とか自分の力で、周囲に認められようと努力するのだ。
このように、今作はある種、自分の意思を誰にも認められないチキン・リトルが、何とか自分を再び認めてもらおうと「奮闘」する物語になっている。
そして、今作はその切実さが観客にストレートに伝わる構成になっているのだ。
父子の「コミュニケーション」の話
そんな中で、チキン・リトルは野球チームに所属し、優勝に貢献する活躍をして、一躍街のヒーローになる。
ここでの、彼が「名誉挽回のチャンス」をまさに「星に願う」
このシーンは非常にディズニー的なシーンだともいえるのだ。
そして、願いは叶い、彼は名誉挽回を果たすことになる。
これで一件落着かと思いきや、また「空が落ちてくるのだ」
しかも、これは奇しくもというべきか、「星が落ちてくる」とも言い換え可能な現象だ。
しかし、今度はチキン・リトルはそのことから目を背けようとする。
また「空が落ちてきた」と大人に話しても、相手にされない。
ここまでチキン・リトルは「父」や「大人」と話すことに臆病になっている、ある意味で前述した一件がトラウマになっているのだ。
そして周囲も、彼の言うことを信じようともしないし、相手にしようともしない。
たった一度の「過ち」で他者は、チキン・リトルを「まとも」じゃないと思っているのだ。
この辺り、なかなかハードな作劇になっているのが、今作の特徴だ。

またも彼は「嘘つき」呼ばわりされる、因果なものだ・・・
そんな彼に父との会話の大切さを説くのが「アビー」だ。
(見た目はホント、すごいです)
しかしチキン・リトルは父と向き合うことが出来ず、「空の欠片」を巡ってのひと悶着に巻き込まれ、そしてエイリアンと出会うことになるのだ。

なかなかナイスアイデアだ
この辺り「空が落ちてくる」という要素を「SF」に大胆アレンジしているとも言えるのだ。
だけど結局はこのことも「他者」に信じてもらえず、街にパニックを引き起こすだけとなる。
だが、今回はアビー、ラント、フィッシュがこの奇妙な出来事を一緒に体験しているからこそ、まだ救いがあるとも言える。
こうして、またもチキン・リトルは街中から「変わり者」「変人」扱いをされてしまい、せっかく名誉挽回したに関わらず、後ろ指を刺されるようになるのだ。
物凄く観ていていたたまれない気持ちになっていくのだ。
ちなみに今作は、何度も父子の会話の機会を描くものの、チキン・リトルのトラウマからか、うまく話せないことが、作中通して何度も語られる。
そもそも、父はチキン・リトルの言うことを「世迷い言」と決めつけて、自分の意思を押し付けようとしているのだ。
だけど、これは父親目線としては、前述したように理解できる。
この時点では、やはり父にとって息子は「狼少年」で、世間に迷惑をかけている。
だからこそ、この言い方では語弊があるかもだが、まともに生きてほしいと願うのだ。
それは、傷つく息子を見たくないし、傷つついてほしくない、親心でもある。
今作は、このように、うまくいかない「父子のコミュニケーション」の話だともいえるのだ。
ドタバタのラスト
そんな今作はラスト「宇宙戦争」のような、大スケールでドタバタ劇が描かれる。
息子がさらわれたと思い込んだ、エイリアンが街を襲う。
チキン・リトルの言っていたことは全て事実だったと街中の人々が知る。
だけど、時既に遅しだったのだ。
だが、チキン・リトルだけは、エイリアンが息子「カービー」を探していることに気づいて行動をするのだ。
だが、父はまだ息子の話を聞こうとしない。
「お前の言っていたことはホントだった、だから逃げよう」
そう言い切って、息子の話を遮るのだ。
ここで今作初めてチキン・リトルは大声で訴えかけるのだ。
そして、父は妻と死別して以来、きちんと息子と向き合わなかったことを後悔するのだ。
彼も彼で必死だったのだ。
そこから父子の協力で、エイリアンにカービーを届けようと奮闘する姿が描かれる。
この辺りは結構派手な見せ場になっているので、見応えもバッチリだ。
そして、なんとか目的を果たし、エイリアン側も勘違いをしていたことが明らかになり、めでたしめでたし。
と物語が締めくくられる。
今作は原作の「悲観論者」的側面。
一度目のアニメ化の「バットエンド」は綺麗サッパリなくなり、ディズニーらしいところに今回は着地しているのも、これは特徴だとも言える。
そして、今作は「空が落ちてくる」という事実を叫びながら信じてもらえないチキン・リトル。
彼は一番信じてほしい父にも信じてもらえず、傷つく姿が描かれる。
そしてそんな世迷い言に、父は息子の将来を思い、耳を傾けようとしない。
一度の失敗で、息子を信用せず、彼の本当の声を聞こうとしない。
そんな父子の「コミュニケーション」の物語として成立させているのだ。
それも特徴だと言える。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
全体的に悪くないが、やはりキャラクターが・・・。
本当に「ディズニーらしさ」を見失っているというか、模索している時期だと言える
まとめ
今作は作品としては「父子」のコミュニケーションの話だといえる。
それはうまく描けているし、作品として非常に面白い。
だが、それでも物足りないのは、やはり「際立ったいいキャラ」がいないことだ。
勿論作品内では十分な魅力あるキャラクターたちだが、それでも、やはりこれまでのディズニー作品と比べると、この部分が圧倒的に弱いのだ。
そういう意味では、この「2000年代」は「物語」は工夫しながら、この弱点を補おうとしている節がある。
今までの「ディズニーらしさ」ではなく、「新しい、らしさ」を探している時期なのかも知れない。
だからこそ、今までのファンは、ここで「長編アニメ離れ」してしまい、結果が出ない。
だけど、それでもここまで「挑戦」を繰り返している姿勢はやはり評価せなばなるまい。
そういう意味では「チキン・リトル」も挑戦と言う意味では非常に有意義な作品だと言える。
個人的に今作は「ディズニー産」ではなく「ドリームワークス産」だったらよかったのに・・・とさえ思ってしまった。
まとめ
- この原作が持つ「狼少年的」な要素を、父子のコミュニケーションと併せて語っているのがGOOD!
- 悪くはないが、2000年代の典型的な作品。
決定打不足ともいえる。