
今回は久々に「ピクサー作品」を公開順に鑑賞し、評論する「ピクサー総チェック」
今回は人気の「カーズシリーズ」の第2作目『カーズ2』について語りたいと思います。
この作品のポイント
- 前作から大きく変わった作劇
- 実は皮肉に満ちた「エネルギー論」
目次
『カーズ2』について
基本データ
基本データ
- 公開 2011年
- 監督 ジョン・ラセター/ブラッド・ルイス(共同監督)
- 脚本 ベン・クイーン
- 出演 オーウェン・ウィルソン/ラリー・ザ・ケーブル・ガイ 他
あらすじ
ジョン・ラセター監督によるピクサーアニメ「カーズ」(2006)の続編。
ディズニー&ピクサー史上最大の冒険、その始まりは、日本!?
ピストン・カップで4度の優勝を誇る天才レーサー、マックィーンの次なる挑戦は、世界の強豪が集うワールド・グランプリ。
親友のレッカー車メーターと一緒に、第1戦の開催地、日本を訪れる。一方、レースの裏側では、世界を支配しようとする巨大な陰謀が始動していた。
YouTubeより引用
日本、フランス、イタリア、そしてイギリス。
世界各国を舞台に繰り広げられる華麗なるレースと白熱の“スパイ戦”。
そんな中、最強のチームワークを誇ってきたマックィーンとメーターの絆に絶体絶命のピンチが…。
一作目からガラリと変わる作風

1作目の面白さとは?
2006年に公開された『カーズ』
総チェックの際にも振り返ったが、作品の制作時には「ピクサー」と「ディズニー」の蜜月関係は、ここを持って終わると噂されていた。
しかしその後「ディズニー」が「ピクサー」を完全買収。
それ以降も今日まで「ディズニー」と「ピクサー」の関係は良好なものとなっている。
そんな転換点で生まれた『カーズ』1作目。
この作品は非常に特徴のある作品だった。
まずは世界観が「全て”車化”された世界」であることだ。
この世界ではマックイーンたちは「擬人化」された車ではない。
この世界に生きている生命全てが、”車化”しているのだ。
当然人間が出てくるはずもない。
小型の虫までもが”車化”しているのだ。
この余りにもぶっ飛んだ世界観、冷静に考えると思い切りが過ぎると言える。
そして、この世界観で誰が真面目な「物語」が語れると考えただろうか?
例えば『機関車トーマス』みたいな子供向けまっしぐらな作品にだってなり得たはずだ。
しかし『カーズ』はその期待を見事に裏切った。
むしろ語られる物語そのものは、あまりにも「大人向け」であり「渋い」若者の成長譚だったのだ。
ルーキーとしてレサーデビューしたマックイーン。
彼は非常に才能・資質豊かだが、勝利至上主義で、他者を見下すという欠点を持っていた。
そんな彼が、ルート66の沿いの古い田舎町「ラジエーター・スプリングス」で本当に尊敬される人間とは何か?
一人の人間(車)としてどうあるべきかを知り、勝利よりも尊いものを知ることになる。
このメッセージ性が見事な作品だとも言える。
さらに速さだけを求めたマックイーンが、人間としての成長をする場所こそ、「高速道路開通」でさびれた町であるという、設定も見事だと言わざるを得ない作品だった。
さて、そんな『カーズ』の1作目だが、これまで語ってきたように「子供向けキャラ」が、非常に「渋い」物語を演じているという、非常に大きなギャップがあった作品だったと言える。
そして、それが「面白さ」だったのだ。

このギャップこそが『カーズ』の最大の特徴だった。
だが、続編ではこの特徴が180度真逆になるのだ。
作風が大きく変化している
前作が「子供向けキャラ」が非常に「渋い物語」を演じる面白さが特徴というならば、今作は「子供向けキャラ」が文字通り「子供向け」の物語世界で活躍するのが特徴だと言える。
というのも、今作は良くも悪くも非常コミカルな場面の多い作品だ。
前作はマックイーンの人間的成長がテーマだったが、今作は実質の主人公が、コメディリリーフのメーターになっている。
しかも物語を推進するのは、「007シリーズ」を模したイギリス諜報員の車「フィン・マックミサイル」になっている。
明らかに車体はアストン・マーティンで、完全にジェームズ・ボンドを意識しているのは否定もしようがない。
まさに冒頭マックミサイルの侵入、バレる、大アクションシーンはその典型的なシーンだろう。
ちなみに子供向けと言ったが、ここでアメリカのスパイがスクラップになっている。
これを人間でやれば一気にハードなグロテスク映画になっただろうと想像をしてしまったのは内緒だ。
このマックミサイルが世界レースの裏側で、暗躍する闇をメーターと共に解き明かしていくのが、今作のメインストーリーだ。
つまり簡単に言えば、完全にやっていることは「007」ということだ。
しかも、それをかなりコメディテイストで描く。
繰り返しになるが、前作が「子供向けキャラ」で「大人向けな物語」だったのに対して、今作は「子供向けキャラ」で「子供向けな物語」となっている。
ここまでシリーズもので「ガラリ」と空気感を変えたことには、やはり非常に大きな驚きを感じた。
この点が『カーズ2』が公開されて10年以上が経過している今日において、この作品の評価が割れている原因だと言える。
つまり「大人向けな物語」を期待した層は、割と強烈な拒否感を示すのは至極当然なのだ。
逆に言えば前作がどれほど、奇妙なバランスで成り立っていた作品だったのか?
それを思い知らされたとも言える。
しかし、逆に素直にエンタメとして整理し直されている今作。
「子供は大好きだよ」という評価、これも至極当然とも言える。
新エネルギーをめぐる陰謀
そんな今作だが、メッセージ性がある。
それは「エネルギー問題」だ。
この世界観では、多くの車が「化石燃料」を使用しているが、それでは地球環境に良くないということで「アリノール」という代替燃料が開発される。
今作のメインストーリーである「ワールドグランプリレース」は、代替エネルギーの力を世に知らしめようとして開催。
だが既得権益はこれに反発、つまり「化石燃料」の関係者はこのレースを妨害しようとするのだ。
それを阻止するため、そしてその裏にある陰謀を明るみにするためにマックミサイルが活躍するのだ。
ただ、基本的には今作はレースよりも、この陰謀を明るみにするための行動をメインに描いている。
正直この作品を通じて描かれるエネルギー論争。
ストーリーとしては、黒幕が実はマイルズ・アクセルロッド卿だという点の理由づけは面白いし、彼が率いる犯罪組織「レモンズ」の扱いなどもうまいと感じた。
ただこれ、若干説明が必要で、英語で「レモン」とは粗悪な中古車を揶揄する造語で、日本語版では名称が「故障(ペッパー)」に変わっている。
この辺り、吹き替えと字幕で見る際には注意しなければならない。
話を戻すが、この「レモンズ」というのは、よく故障するトラブルの多い車だ。
そんな彼らが、ある意味で自分たちの対極の存在である「レースカー」
つまり、最新技術を搭載した車に復讐をしようとする構図も対立軸とした見事だ。
ただ、今作品を現実的な視点で見ると、どうにも製作陣の思想が見え隠れする部分もある。
普通ならば、地球環境を悪化させる「化石燃料」に対して、「新エネルギー(クリーンエネルギー)」を良きものとして描きがちな作品も多い。
昨今の「エネルギー論争」も基本的には「化石燃料」を悪いものとしてとらえがちだ。
持続可能な社会のために「再生可能エネルギー」にこそ未来を見出している。
例えば2022年公開のディズニー最新作『ストレンジ・ワールド』も基本的には「エネルギー論」の話で、多少の不便さを受け入れていこうという結論を描いていた。
だが、この作品はそこに忖度をしていない。
最終的にはこの作品は、やはり「化石燃料」つまり「ガソリン」がいいよね!
という答えに着地するのだ。
というのもこの作品「化石燃料系既得権益」が、エコエネルギー「アリノール」の台頭に危機感を覚え、この「アリノール」の安全性の信頼を奪い、地位を守ろうとしている集団が敵対組織だとして描かれている。
だが真相は「アリノール」という「新エネルギー」の評価を地に落とすことで、「化石燃料」の価値を落とさないようにするのが目的で、壮大な自作自演だったことが明らかになる。
ここに個人的には大きな作り手からの皮肉を感じた。
これはたぶんにレトロカー好きの「ジョン・ラセター」たちの総意なのかも知れない。
自分はそこまで車好きではないが、車好きの中には「ガソリン車」こそが至高!
という方も多い。
しかし「エコ」の波で、それらが失われようとしている。
社会的には「ガソリン」は「悪」
「電気エネルギー」が「正義」という構図になるつつある。
だが、よくよく考えれば「電気」を作るには「化石燃料」を使っている。
つまり直接「車」に「ガソリン」を入れるのか、間接的に入れるのか、その違いしかないのだ。
またエコエネルギーでいうと、例えば「ソーラパネル」を山に設置するために、森林伐採をする場合がある。
そもそも、やっていることに大きな矛盾を抱えていたり、その結果土砂災害のリスク増など、問題も多い。
それこそ原発などもそうだ。
元々エコの象徴として語られてきた原発も、東日本の震災で神話は崩壊。
むしろ危険性が露呈してた。
つまりこの作品で語られるのは「エコエネルギー」なるものが出てきたからといって、それらが本当に安全なのか?
「綺麗事」に騙されてしまってはならない。
その裏にある「策略」などをきちんと考えろというメッセージなのだ。
友情について
最後に軽く、今作で描かれるもう一つの重要なメッセージ。
友情について触れておきたい。
というのも今作では初めてマックイーンとメーターが「ラジエーター・スプリングス」の外に揃って出ていく。
そのことで、メーターの余りにも無頓着性や、自由奔放な態度にマックイーンは怒りを覚えてしまう。
そしてメーター自身も自分の行いを顧みて、反省をしたりと、この二人の友情もしっかりと描かれる。
これは良くある話で、学校に置き換えると、自分はA君と仲が良い。
でも別のクラスのB君とも仲が良い。
しかもB君の前では、ちょっと大人びていたい。
そんな状況を想像してもらいたい。
そこでA君とB君と遊ぶことになった時、A君がいつものノリで絡んできた際、「Bの前でそのノリはやめろよ」と思う感覚に近い。
つまり「時と場合」で「ノリ」を変えてほしいということだ。
これは子供時代に誰もが経験することではないだろうか?
今作ではまさに、上述した内容でマックイーンとメーターは仲違いしてしまう。
しかし、マックイーンは結局「時と場合」に関わらず、いつもの「間抜けなメーター」と友達でいたいと考えるのだ。
というか、そういう存在だからこそ彼らは友情を築けたとも言える。
このなぜ友達になれたのか?
何を大切にすべきなのか?
これらをメインターゲットの子供に伝えることができる作品だったのではないだろうか。
まとめ
前作から大きく方向転換した今作。
前作は「子供向けキャラ」だけど「大人向けの作品」だった。
しかし今作はある程度「物語を子供向け」にしているの。
そのため主人公もマックイーンからメーターに変わるなど、実はシリーズものとしては異例の方向転換をしているのだ。
これは恐らく「ピクサー映画」がここ数作品『ウォーリー』『カールじいさんの空飛ぶ家』『トイ・ストーリー3』
など、比較的重たいテーマを扱っていることもあり、一旦「子供向け」な作品を作って方向転換をしようという狙いもあったに違いない。
それはある程度成功していると言える。
だが「エネルギー問題」など、実はかなり皮肉めいたメッセージも込められているのは、さすが「ピクサー」といったところ。
そして、評論では触れなかった点をいくつか触れておきたい。
一つは「ラジエーター・スプリングス」でハドソンの存在がいないことにきちんと言及していることだ。
きちんとここに言及しているため、登場しない彼の存在がきちんと描かれており、その存在感の大きさが際立っている。
二つ目はレースそのものの勝敗は、ストーリーの本質と関係しない。
これが前作から引き継がれている点だろう。
あくまでレースは盛り上げ要素でしかなく、そこでの勝敗よりも大事なものを見つけるというのもシリーズの特徴だと言える。
個人的には、子供向けすぎて、確かに前作よりも見劣りする点も多い作品だった。
それでも見どころ・盛り上げどころをキチンと用意している辺り、さすが「ピクサー」だったと結論つけざるを得ない。