
久々にブログ更新ということで、今回も鑑賞した映画について紹介したいと思います。
ということで、早速「ピクサー」26作品の『バズ・ライトイヤー』を深掘りしたいと思います。
この作品のポイント
- 実はブレてない、「バズ」の生き様
- 悪くはないが、突き抜けない作劇
目次
『バズ・ライトイヤー』について
基本データ
基本データ
- 公開 2022年
- 監督 アンガス・マクレーン
- 脚本 ピート・ドクター
- 声の出演 クリス・エヴァンス
あらすじ
有能なスペース・レンジャーのバズは、自分の力を過信したために、 1200人もの乗組員と共に危険な惑星に不時着してしまう。
彼に残された唯一の道は、全員を地球に帰還させること。
猫型の友だちロボットのソックスと共に、不可能なミッションに挑むバズ。その行く手には、孤独だった彼の人生を変える“かけがえのない絆”と、 思いもよらぬ“敵”が待ち受けていた…
公式サイトより引用
実はブレない「バズ」の生き方

ここ最近の「ピクサー」作品との違い
さて、まず作品の前に僕がここ最近の「ピクサー」作品に感じていたことを先に述べておきたい。
というのも2019年の『トイ・ストーリー4』以降「ピクサー」映画は大きく作風が変化しているのだ。
「ピクサー総チェック」でも指摘をしているが、元々は「ピクサー映画は、その現状でできる技術的限界に挑戦するための題材選び」をしていた。
「CGで表現できるのがプラスチックの質感が限界」だからこそ『トイ・ストーリー』だったし、「虫の骨格表現なら可能」だから『バグズ・ライフ』
「水表現にこだわりたい」から『ファインディング・ニモ』
このように「CG技術」と「題材」が密接にリンクしていた。
しかし昨今のCG技術は日進月歩で進化している。
「ピクサー」の技術もそうだ。
今や「CG」で描けない景色はない。
それを断言できるほどに「CG」の技術は高まってしまった。
例えば2019年の『トイ・ストーリー4』
元々は「CG技術がプラスチック表現しかできない」といういわば妥協の産物だったのだが、この作品では「古びたプラスチック表現」を見事に描いている。
つまり表現の幅に限界がないのだ。
だからこそ最近の「ピクサー作品」は「物語の特殊性」「ぱっと見、それどうなんだ?」という奇抜なアイデアを全面に押し出しているのだ。
つまり最近の「ピクサー」は「ディズニーの本流」が出来ない、いわば「物語面での冒険」をしているのだ。
最近の作品でいうと『二分の一の魔法』『ソウルフル・ワールド』『あの夏のルカ』『私ときどきレッサーパンダ』
どれも面白い作品だが、設定だけ見ると「それどうなん?」と首を一瞬かしげたくなるものばかりだ。
しかも「キャラクター」的に正直「ウッディ」「バズ」など所謂人気「ピクサーキャラ」からは程遠いキャラクターを主役に添えている。
要は最近の「ピクサー」は「それは面白のか?」というような題材をあえて選んで、それをはるかに高い水準で映像化しているのだ。
つまり「面白くなさそうなもの」を「面白くする」という挑戦をしているのだとも言える。
そんな「ピクサー」がここにきて、満を辞して人気キャラクター「バズ」を主役に据えるということで、さてこれがどうだったのか?
これから見ていきたいと思います。
アンディが夢見た「ライトイヤー」
今作は『トイ・ストーリー』で人気のキャラクター「バズ・ライトイヤー」を主人公に据えたスピンオフ作品だ。
構図としては物語の冒頭で字幕で説明があるが、アンディが「バズ」のおもちゃを買ってもらう前に見た作品。
つまり、作中で公開されていた『バズ・ライトイヤー』という映画という事だ。
なので今回のバズはオモチャではなく生身の人間。
つまり、バズ・ライトイヤーという実際のスペース・レンジャーが存在した世界観という体裁で作られている。
元々『トイ・ストーリー』作中でも「バズ」の映画が公開されて人気だったという設定だった。
なので、今作を見てアンディや、あの世界の子供たちは「バズ」に夢中になり、そのおもちゃが世界中人気になったということだ。
という事で、この作品を見ると、我々はアンディと同じ気持ちになれるのだ。
さてさて、では肝心の話について触れていく。
今作は主人公である「バズ」たちが宇宙で「居住可能」な星を探す旅にでていたが、トラブルでとある星に不時着してしまい、身動きが取れなくなるところから始まる。
そこから高速で移動可能な宇宙船のエネルギー源である「クリスタル」をテストするために飛行テストを行う事になる。
これだと、ただのSFだが、今作はここに所謂「浦島太郎効果」という事が描かれていく。

リップ・ヴァン・ウィンクル効果(Rip van Winkle effect)だったのかな?
「浦島太郎効果」とは?
光速度に近い速度で運動している宇宙船の時間の進み方は、静止している観測者に比べて遅くなる現象。
たとえば光速度の99パーセントで進む宇宙船内の時計は静止者の約1/7の速さで進むため、宇宙旅行から帰ってくると地球上では約7倍の時間が流れている。
なのでバズが実験をする度に、星に残るもの達はどんどん年老いていくのだ。
そのため今作はタイムスパンが非常に長く、100年程度の時間経過が描かれる。

さて、今作ではそんなリスクがありながらも主人公バズは果敢に実験を繰り返していく。
そのため当然、「スペースレンジャー」の仲間であるアリーシャはどんどん年老いていき、ついに亡くなってしまう。
ちなみに、このアリーシャがはっきり「レズビアン」として描写されているのだが、これが記憶に新しいフロリダ州の「ドント・セイ・ゲイ法案」を半ば認めたディズニーが『私ときどきレッサーパンダ』と今作の制作中、「ピクサー」に「性的マイノリティ描写」をやめろと指示した事がリークされるなど大問題に発展した。
その後ディズニーは法案に反対するという意思を示し、こうしたシーンが描かれるのだが、もしかすると、この部分が丸々削除もしくは、作り直しになった可能性があったのだ。
さて、話を戻すが、このように実験のたびに孤独と急激な変化を体感しながら、それでもバズは諦めないのだ。
さて、この「諦めない」という点をこれから深掘りしていきたい。
「バズ」というキャラの生き方
今作のバズは前述したが、「諦めない」男だ。
何度も実験を繰り返し「時間」を失い、そして友達・仲間を失っていく。
彼の「諦めない」という気持ちはどこから来るのか?
そもそも、今作の冒頭にバズたちが惑星から旅立てないのは、そもそも「バズ」の犯した失態のせいだ。
彼は皆んなのために、脱出しようというが、本当は自分のミスを自分でカバーしたくて仕方がない、いわば身勝手な男なのだ。
それがどんどん思考として凝り固まり、現実を見ようとしなくなる。
事実作中でも100年が経った頃には、すっかり皆んなの意思は様変わりしているのだ。
「バズ」という男は、ある意味で自分の信じた思考に囚われる男なのだ。
実はこれは『トイ・ストーリー』一作目の「おもちゃバズ」にも通ずる。
というのも、この作中でのバズは、自分が「おもちゃ」であるということを信じる事ができず、本物の「スペースレンジャー、バズ・ライトイヤー」であると信じ込んでいる。
いわば、この作品内バズであると思い込んでいるのだ。
実はこれが今作のバズと「おもちゃのバズ」に共通する点だ。
「バズ」というものの生き方として、自分の芯が強すぎて、彼は別の観点で物事を見ることができない。
だからこそ今作のバズもまた、自分の信じたこと、つまり「この星から出ていく」ことと「スペースレンジャー」の任務に固執するのだ。
その固執で100年近くの長い時間を使い、ついに仲間も失ったバズ。
今作はそんなある意味で悲しい男が、新たな価値観を手に入れる話なのだ。
これはまさに我々が慣れ親しんだ『トイ・ストーリー』作中のバズの姿と重なる。
そういう意味では決して「おもちゃ」になろうともブレない、ある意味で「周りが見えなくなる」というのが、彼の最大の特徴だとも言えるのだ。
そして両作品ともに共通しているのは、周囲の仲間との交流で「新しい価値観」に意味を見出していく点だ。
このように、実は「バズ」という存在は、「人間」だろうと「おもちゃ」だろうと、実は性格的な部分、芯の部分は全くブレる事がないというキャラ造形は全く持って見事だったと言わざるを得ない。
自分のエゴの果てであるヴィラン
さて、今作でもヴィランを務めるのは『トイ・ストーリー2』にも登場した「ザーグ」だ。
しかし今作のザーグはまた新しい解釈で描かれている。
ネタバレになるが、彼は「バズ」本人なのだ。
それもバズが新しい価値観を認めない、エゴが肥大化した姿だといえる。
このザーグ=バズは、時間を逆行して過去の失敗そのものを無くそうとしている、それは結果として、今ある時間軸の消滅。
つまりイジーたちやソックス、モー、ダービーといった仲間たちの消滅を意味している。
最初はその計画に乗り気だったバズだが、思い直し、彼は自分の過去の栄光や、縛り付けられていた任務への縛りから自らを解放することになる。
つまり「今ある新世界」にこそ居場所を見出したのだ。
先ほども言ったが、これこは「おもちゃバズ」の決断とも同じだ。
新しい自己の世界に価値を見出して、そこで生きる決断。
そして新しい世界を手に入れることで、それ出来ない「自分=ザーグ」に勝利するということになる。
いわばこの作品は「バズ」が変わるか変わらないか?
これらが光と闇として対立する物語だったと言える。
なので、ヴィランとして自分を設定するのは悪くないアレンジだったとは思った。

普通におもしろいが・・・、というのは織り込み済み!
このように映画としては及第点以上の出来な今作品。
しかし個人的に割と普通のSF映画というか、あまりにも革新的なアイデアがなかったようにも思える今作。
ここ最近のあまりにも深いテーマを扱い続けた「ピクサー」としては正直、がっかりするレベルだったとも言える。
これも実は僕は理由があると思っている。
というのも、まさに最近の「ピクサー作品」はあまりにも「深すぎる」のだ。
名作・傑作作品を連発している「ピクサー」だが、その内容があまりにも「時代性」や「人生観」などに近づきすぎていて、今のままでは気軽に子供が見られる作品にはならない。
つまりここで「バズ」という人気キャラで一旦、割と単純なエンタメを作り軌道修正をかけたのではないだろうか?
おそらく作り手はこの作品が「普通に面白いSF」と評されることを承知の上で制作しているとも言える。
そういう意味ではSNS等の感想も、全て「ピクサー」の掌の上な気がしてならない。
そして僕も例外なく彼らの掌の上で泳がされている気がした。
しかし毎度誉めているが、ピクサーの映像技術の高さは今回も存分に発揮されていたし、やはり飽きることなく突き抜けるストーリーテリングも素晴らしい。
久々にピクサー作品を映画館で見る喜びにも満ちた作品だと言えるので、ぜひみなさん映画館で鑑賞することをおすすめしたい!
マイケル・ジアッチーノの最近の活躍は目を見張る・・・
今作品を振り返って
ざっくり一言解説!!
エンタメとして、気軽にみれる良作!!
いったんの「ピクサー」の軌道修正の作品だと言える!
まとめ
今作を通じて感じたのは「バズ」というキャラクターの生き方はブレないという点だ。
あまりにも実直で、危険なほど命令・役目に忠実な姿は、まさに『トイ・ストーリー』でも描かれた「おもちゃバズ」と重なる部分がある。
しかし両者ともに心が折れながらも、新しい仲間と出会い、「あたらしい世界」を受け入れる。
そのことで一皮むけて成長するというのも実は共通している点だ。
このように「バズ」という存在の生き方は「おもちゃ」であろうと、この世界観における「リアルな存在」であろうと、実は全くブレていないのだ。
そして今作のヴィランはまさに、「変わらなかったバズ」という自分のある意味で「ダークサイド」の具現化である。
このアレンジもまた、なるほどと言わざるを得なかった。
そういう意味で面白い作品だったことは間違いない。
だが、今作はとは言え「普通のSF」「SFとして面白い」という評価にとどまるケースが多い。
これはおそらく「ピクサー」の狙いだろう。
最近の「ピクサー」作品は良くも悪くも「深み」が魅力だったが、その分「気軽にみれる」という魅力が減退していた。
それを今作は「バズ」という人気キャラのスピンオフとして制作。
あえて「単純化」して描くことで、一度「軌道修正」を行う意味をもつ作品だったのではないか?
そういう点では、今作に対するSNS等の感想もある程度「ピクサー」は計算していたのではないか?
なんにせよ、今後の「ピクサー」がどんな作品を作るのか?
それにも注目していきたいと思わされた作品だった。
まとめ
- SFとして普通に楽しめる作品!
- あえて単純なストーリーにしたのではないか?