
今回は「ディズニー長編アニメーション」を公開順に鑑賞し、評論する「ディズニー総チェック」
ということで今日取り上げるのは、通算48作品目の『ボルト』
いよいよ「暗黒期」から脱却し「再興」への道を歩みだした「ディズニー」
その道の第一歩。
と言うにふさわしい作品を、今日は深堀りしていきます。
今作のポイント
- 無駄のないストーリテリング。
- ジョン・ラセターが制作に全て関わった最初の作品。
- 『トイ・ストーリー』の実質語り直しという側面を持つ。
目次
『ボルト』について
基本データ
基本データ
- 公開 2008年
- 監督 クリス・ウィリアムズ/バイロン・ハワード
- 脚本 クリス・サンダース(ストーリー)/クリス・ウィリアムズ(シナリオ)/ダン・フォーゲルマン(シナリオ)
- 声の出演 ジョン・トラボルタ/マイリー・サイラス
あらすじ
犬たちが活躍する最高のアドベンチャーへようこそ!
ハリウッドの人気ドラマのヒーロー、ボルトの問題はドラマの世界を現実だと信じ込んでいること。
ある日、手違いでニューヨークに運ばれてしまったボルトは、ペニーや共演者たちと離れ離れになってしまう。
しかしボルトはすぐに行動を開始。
悪を倒してペニーの元に戻るために“スーパーパワー”を解き放つことを決意するが…。ボルトと仲間たちのアクション満載の大冒険は見逃せない!
ヒーローには“スーパーパワー”なんて必要ないのだ。
ディズニープラスより引用
久々の「高評価」作品

低迷期から脱する第一歩
今作は低迷に喘いできたディズニーにとって「転換点」となる作品だと言える。
まずは、2006年に行われた「ディズニー」による「PIXAR」の買収。
これによって、「ディズニーアニメ部門」のチーフ・クリエイティブ・オフィサーにジョン・ラセターが就任。
その彼が制作に全て関わった最初の作品だ。
深堀りポイント
対外的には「ディズニー」が「PIXAR」を買収した。ということになっている。
だが、「ディズニー」の核である「アニメ部門」のトップに「ジョン・ラセター」が就任している点をみると、
実際は、「PIXAR」が「ディズニー」を吸収したとも言える。
事実、ディズニーCEOの「ボブ・アイガー」は「ディズニーをピクサー化」したいとまで言っている、その点からも明らかだ。
つまり2006年を境に「ディズニーが生まれ変わった」のだ。
つまり、「新生ディズニー」として再スタートの一本という側面を持っている。
そして、こうして作られた『ボルト』は久々に評論家から高評価を獲得。
アカデミー賞長編アニメーション部門に、ディズニー作品が久々にノミネートされるなど、復活の狼煙を上げたのだ。
ちなみに、2000年代は低迷期と言われるが、作品それぞれに「興味深い狙い」「意図」は見えるし、
「駄作」ばかりと言うつもりはない。
ただ、時代のニーズに合わず、
結果として、低迷を招いたということは留意しなければならない。
物語はシンプル
さて、そんな「新生ディズニー」の旗揚げとして制作・公開された『ボルト』
この作品の特徴は、物語が「非常にシンプル」である。
これが大きな特徴だと言える。
というのも今作は基本的に「行って帰ってくる」という、非常にシンプルな物語構造となっているのだ。
ひょんなことから、飼い主である「ペニー」と離れ離れになったボルトとが、「ミトンズ」「ライノ」という仲間と出会う。
旅の道中でボルトは自分の真実を知り、そして成長して帰ってくる。
この様子を魅力的に描いているのが今作だ。
ちなみに今作の物語は、「PIXAR」が世にその名を轟かすキッカケになった『トイ・ストーリー』と非常に、そのストーリーラインが似ている。
個人的には「バズ・ライトイヤー」を主人公に添えると、今作『ボルト』になると思っている。
というのも、今作の主人公「ボルト」は、作中世界では『ボルト』というTVドラマの主役犬である。
そして彼は、自分が「スーパーヒーロー犬」だと信じている、つまり「ドラマの世界」を「現実」だと思いこんでいるのだ。
これはまさに「バズ・ライトイヤー」と同じだ。
最初は「自分がおもちゃ」だと知らないバズ、彼が「おもちゃ」であることを自覚して成長するのが『トイ・ストーリー』のメインストーリーだとも言える。
つまり、ジョン・ラセターは「ディズニー」に『トイ・ストーリー』をもう一度「別の視点」で語り直しをさせたのだ。
繰り返しになるが、ボルトは、物語の冒頭ペニーに飼われ、そして「スーパーヒーロー犬」として改造され、悪の秘密結社と戦う。
そんな風に自分は「スーパーヒーロー犬」で「超能力」が使えると信じ込んでいる。
今作はそんなボルトが「真実」を知る物語だ。
ボルトは「ニューヨーク」に手違いで贈られてしまい、そこからペニーと再会するために「ハリウッド」を目指す。
その道中で彼は自分に「超能力」がないことに気づくのだ。
ここでボルトが「発泡スチロール」に「超能力」を奪われたという勘違いや、「目からビーム」が出ない事に対するリアクションなどはまさしく「バズ」の反応そのものだ。
ちなみに「バズ」と同じく「運」で「超能力」らしい力を発揮してしまう点も描かれている。
そして、今作ではそんなボルトに事実を教える役目を「ミトンズ」に担わせている。
最初は「ニューヨーク」の路地裏で「悪の総統」のように振る舞っていたが、ボルトの無茶苦茶な要求に耐えかねて、彼と旅をすることになる。
その旅で彼女はボルトに「事実」を伝え、そして「自分」の身の上を明かすことになる。
『トイ・ストーリー』の実質リメイクの側面
今作でボルトに事実を伝える役目を担うのは「ミトンズ」だ。
彼女は自分を本気で「スーパーヒーロー犬」だと信じるボルトを小馬鹿にするなど、実は『トイ・ストーリー』における「ウッディ」の役目を担っている。
だが、彼と旅をして心を開いていくうちに、実は『トイ・ストーリー』の「ジェシー」の役目も担うことになる。
彼女はもともとペットして人間に飼われていたが、捨てられてしまい、路上生活を余儀なくされていた。
そんな彼女から見れば「ペニー」が待っている。
そう信じるボルトは見てられないのだ。
「人間はすぐに変わりを見つける」
ミトンズはボルトにそう告げて「ペット」でいるよりも「自由な野良生活を楽しもう」と持ちかける。
そして、一度は勘違いながら、ペニーが「新しい犬」と遊んでいるシーンをボルトが見てしまうシーンも描かれるのだ。
このように今作は「物語設定」「キャラ造形」もさることながら、ある種「人間の身勝手さ」も描かれる。
つまり「人間は”ペット”を都合が悪くなったら変える」という点だ。
これも実は『トイ・ストーリー』の特に2作目で描かれた問題点と重なるのだ。
「おもちゃ」も「ペット」も都合が悪くなれば「捨てられ」「新しいものに目移りする」
中でもミトンズはジェシーと同じく、過去に捨てられたことが「トラウマ」になっているのだ。
このあたり、実はかなり深刻な問題点も『トイ・ストーリー』と『ボルト』は似通っている。
つまりこの作品は『トイ・ストーリー』における「バズ」が事実を知り、そこからどうするのか?
という点をボルトに託している。
さらに「ウッディ」「ジェシー」の役目を「ミトンズ」に背負わせる。
そのことで、観客は、かなり深い感情移入をキャラクターにしてしまうのだ。
ちなみに道中で「ライノ」というハムスターの仲間も加わるが、彼も「ボルト」をヒーローだと信じている。
彼が随所発する、何気ない一言、これが重要になっていく。
興味深いのは彼のキャラクターは「TV」で「ボルト」の活躍を観ており、そしてそれを「現実」だと信じていることだ。
これは年端もいかない子供が「特撮」を見て、それを信じているという構図と変わらない。
つまり「ヒーロー」を現実であると信じている、そのレベルが「ボルト」と「ライノ」では微妙に異なっているのも面白い点だ。
本物のヒーローに
今作はボルトが「現実」を知り、そして自分が「犬」であること知る。
そして、時として「人間に裏切られる」こともある。
物語の開始時には「フィクション」しか知らなかった彼が「現実」を知る。
それでも彼は「勇気」でペニーを助けようとする姿が描かれる。
撮影の事故で起きた火災。
そのため置き去りにされたペニー。
彼女を救いたい一心で、現場に飛び込むボルト。
彼には「スーパーヒーロー犬」としての「超能力」はない。
だけど「その身一つ」でペニーを助け出すのだ。
これはある意味でボルトの「自己実現」だ。
これまでは、全て「虚構」での「ヒーロー」活動だった。
だが、すべての「事実=現実」を知って、なおボルトはペニーの為に「勇気」を振り絞り、そして彼女を助けた。
ボルトは「作られた」大衆のヒーローだった。
だけど、彼は勇気で「ペニーのヒーロー」になったのだ。
「誰かのために」その思い、願い。
それさえあれば「超能力」なんて必要なかったのだ。
このように、今作は最後に「ヒーローとは?」というメッセージにも踏み込んでいる。
「ヒーローとしてのアンデンティ」を失ったボルトが、現実を知る。
しかしながら、それでも「ヒーローとして」の「自己実現」という結末に至る。
この流れは本当に見事だと言う他ない。
ここでもう一つ補足しておきたいのは、「ボルト」がこのシーンで「犬として」出来る範囲の活躍以上はしていないのだ。
つまり「現実」に起こりそうなこと以上の力は発揮していない、つまり少々控えめな演出になっているのも特徴だ。
『トイ・ストーリー』ではラストに「バズ」が飛ぶシーンがある。
「カッコつけて、落ちてるだけだ」というセリフも有名だが、どちらかと言えば、やはり「派手」な演出だ。
そして、明らかに「おもちゃ」に出来る範疇以上の活躍をさせている。
このあたり、ラストの演出は「同じこと」つまり「自己実現」が描かれているが、そのトーンが実は違う。
これも今作の特徴といえる。
ちなみに今作はある意味で大人の「汚い」やり口、それをペニーの「マネージャー」を通して描いている。
子役として人気のペニー。
彼女を「自分の出世の道具」として利用していたが、最後にそれをくじかれるのは痛快だ。
だが、ここで見逃してはならないのは「TV局」のトップの女性キャラ。
「TVドラマ」のディレクター。
彼女たちも「大人のエゴ」に「子供を利用している」という点は変わらないのだ。
「多くの雇用を守るため」そのために「ドラマ」を継続しなければならない。
そうやって、ペニーを説得する。(ボルトが居なくなり、代わりの犬を「ボルト」のように扱えという無理難題)
それは他人のためと言いながらも、結局「自分たちのため」に「犠牲」を強いているのと同義だ。
今作はそんな、ある意味で「芸能界」の「闇」のような部分も描き、それを「悪」と描いている。
そういう「ハッと」はせられるシーンも描かれるからこそ、今作には独特の深みがあるのだ。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
シンプルに面白いで、復活アピール!!
まずは、本当に「シンプル」に勝負して、復活の狼煙を上げたね!
まとめ
まずは「シンプル」に「面白い」映画を作る。
そのことで復活をアピールしたディズニー。
そのためにやったことが、ほとんど『トイ・ストーリー』の語り直しというのも非常に興味深い。
そこに「ジェシー」の要素を足すことによって、ある意味で『トイ・ストーリー』と『トイ・ストーリー2』の要素を組み合わせているのも非常に面白い点だ。
考えれば「ペット」も「おもちゃ」も、もちろん現実的にこれらを「同義」で語ることは出来ないが、どちらも「買われ(飼われ)」
そして不要となれば「捨てられる」こともある。
実は『トイ・ストーリー』の「トイ」は「ペット」と近いものだったとも言えるのだ。
そう考えると、ある意味で「ペット」「動物」をテーマに、『トイ・ストーリー』を語り直すことには深い意味があるのだ。
そして、今作である意味で「現実を知る」
つまり、これまで持ち続けた「アイデンティティ」を喪失するという構図。
これもまた、ある意味で現状の「ディズニー」を描いているともいえる。
過去の「栄光」がもうないこと。
それを知りながら、もう一度、再起をかける。
必要なのは「今、勇気を出すこと」だというメッセージは、これまた痛烈な「ディズニー」の自己言及だとも言えるのだ。
前作『ルイスと未来泥棒』が「新時代宣言」であるなら、『ボルト』はそれを受けての「アンサー」だとも言える。
そして、その答えは見事に受け入れられ、「ディズニー健在」をアピールすることに成功したのだ。
まさに今作は「新ディズニー」の初めの第一歩だった。
まとめ
- 「新ディズニー」の船出。
- シンプル/面白いがテーマ。
- ディズニー健在をアピールすることに成功!