
今日も「ディズニー長編アニメーション」を公開順に鑑賞・評論をしていく「ディズニー総チェック」
ということで、今回は通算54作品目『ベイマックス』について深堀り解説していきたいと思います。
今作のポイント
- 原作が「マーベル・コミック」であるということ。
- 「ヒーロー映画」と見るか、「ハートフル映画」と見るのか?
- DIY精神こそ「マーベル」である。
目次
『ベイマックス』について
基本データ
基本データ
- 公開 2014年
- 監督 ドン・ホール/クリス・ウィリアムズ
- 脚本 ジョーダン・ロバーツ/ドン・ホール
- 原作 ダンカン・ルーロー/スティーブン・T・シーグル 『ビッグ・ヒーロー・シックス』
- 声の出演 スコット・アドシット/ライアン・ポッター
あらすじ
ロボット工学の天才ヒロ・ハマダと心優しいケア・ロボット、ベイマックスの深い絆を描いた物語。
サンフランソウキョウが巨大な陰謀に包まれ危機に直面!
街を救うため、ヒロはベイマックスや個性的な仲間たちと一緒にヒーローチームを結成する。
ディズニープラスより引用
特筆すべきは原作が「マーベル作品」であるということ

「ディズニー帝国」の歩み
これまで「ディズニー総チェック」で、大きな転換点として「PIXAR」の買収という出来事(2006年)は、折に触れ語ってきた。
しかし「ディズニー」による他社買収はこれに留まることはなかった。
その中で大きなトピックが、2009年の「ディズニー」による「マーベル・エンターテインメント」の買収だ。
そもそも「マーベル」は今では考えられないが、1996年に一度破産手続きをするなど、ボロボロの状態だった。
だが、考えれば分かるが、当時は今ほど「アメコミ・ヒーロー」の知名度もなかったのだ。
今でこそ、「大衆」の愛するジャンルとして「アメコミ」は認知されているが、それはごく最近になってからの話。
「アメコミ評論家」の光岡ミツ子さんの言葉を借りるならば、もともと「アメコミ」は「日本における特撮」に近いポジションだった。
つまり、ジャンルとしては、ニッチだったというわけだ。
それが一転するのが「サム・ライミ」の『スパイダーマン三部作』公開だと言える。(2002年〜2007年)

この辺りから「アメコミ・ヒーロー」の注目度が、飛躍的に上がっていくことになる。
例えば「マーベル」外部の動きとして、もう一つの「アメコミ・ヒーロー」の巨塔である「DC」にも注目しなければならない。
彼らの人気ヒーロー『バットマン』を原作にした『ダークナイト三部作』(2005年〜2012年)
この作品のヒットも「ヒーロー映画」への機運の高まりに寄与しているといえる。
ここで「アメコミ・ヒーロー」に対する注目度が上がることで『アイアンマン』(2008年)から始まる「マーベル・シネマティック・ユニバース」という試みが始まった。
そこに目をつけた「ディズニー」が、このプロジェクトをより大きな成功に導くために「マーベル・エンターテインメント」を買収したのだ。
豆知識
なぜ「ディズニープラス」に「スパイダーマン」がないのか?
ディズニーに買収される前に「マーベル」は「各ヒーロー」の映像化の権利を売り渡していた。
- 「スパイダーマン」は「ソニーピクチャーズ」
- 「X-MEN」「ファンタスティック・フォー」は「20世紀FOX」
そもそも、映像化の権利をディズニーは有していないので、「スパイダーマン」の配信ができないのだ。
なので、現行の「スパイダーマン」は、権利を「マーベル」が借りて「MCU」に出演しているという形になっている。
ちなみに、これは今回の評論と全く関係ないが、「ディズニー」の他社買収はこれ以降も続く。
- 2012年「ルーカス・フィルム」買収
→「スター・ウォーズ」新シリーズ開始 - 2017年「20世紀FOX」買収
→「X-MEN」「ファンタスティック・フォー」をMCUに合流予定
などなど・・・。
ボブ・アイガー政権になり、どんどん他社を買収し、巨大化しているのが「ディズニー」だ。

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ということで、2000年以降、ディズニーは「他のエンターテインメント企業」を積極的に買収している。
そして、「帝国化」への道を歩んでいるというわけだ。
ちなみに、この動きが「極」に達するのが「シュガー・ラッシュ オンライン」だったりするので、そこは後日深堀りしたいと思います。
原作は「マーベル・コミック」
ということで、ここまで「ディズニー」が他社を買収し、巨大化してきたことに触れてきたが、この『ベイマックス』も、その件で大きな影響を受けているのだ。
そもそも今作は「ディズニー長編アニメ」で初めて「アメコミ・ヒーロー」を原作としている作品だ。
膨大な数これまで積み上げられてきた「ヒーロー」作品の中で映像化できそうな題材を探していたところ、この作品に目を付けたのが、今作の監督を勤めたドン・ホールだ。
彼は設定や物語を大幅に書き直し、「ディズニーらしい」仕上がりにアレンジしてみせたわけだが、やはり原作は「アメコミ・ヒーロー」であるという点は特筆すべきだろう。
だからこそ「マーベル作品」が映像化される際に、必ずお約束として登場していた「スタン・リー」のカメオ出演も今作では行われているなど、「マーベル原作」の実写化のお約束にはキチンと乗っ取っているというわけだ。
といことで、今回は「ディズニー作品」という枠組みで今作を語るのはもちろんだが、「アメコミ作品」の映像化として「どうなのか?」という視点で語るほうが、実は本質を見やすいのだ。
なので、今回は「MCU」「アメコミ」との関連から今作を深堀りしたいと思う。
創意工夫こそ「マーベル」
今作の最大の面白さは、個人的には冒頭にあると思っている。
最初は違法なロボットファイトに夢中になっている主人公ヒロ。
しかし、そこでトラブルに巻き込まれ兄「タダシ」に助けられる。
そこから、兄の通う大学へ向かうシーンだ。
ここで描かれるのは、たしかに現実的な「科学」ではない。
でも「魔法」のような不思議な研究の数々に、ヒロは心を奪われることになる。
ここで描かれるのは、確かに「リアル」な「科学」ではない。
だが、それでも「科学」が「楽しい」と、特に子どもたちに示すには十分なシーンになっている。
そして、ヒロは今作中何度も自分の頭で考えて、創意工夫をすることで様々な発明・改良を行う。
ここを少しイケズな見方をするなら、「魔法ではなく、自力で成し遂げよ」というメッセージとも汲み取れなくはない
この「創意工夫」いわゆる「DIY精神」こそが「マーベルヒーロー的」だと言えるのだ。
今や世界最大のシリーズである「MCU」その原点『アイアンマン』
主人公「トニー・スターク」もそうだ、彼は最初にテロリストに捕まった時、そして『エンド・ゲーム』でも、彼は必ず「頭脳」を駆使した発明で「危機」を乗り越えたのだ。
そして彼の意思を継いだ「ピーター・パーカー(スパイダーマン)」も『ファー・フロム・ホーム』では、やはり自身で「スパイダースーツ」を開発。
その姿こそ、「トニーそのものだ」とハッピーに言わしめたのだ。
この事に注目すれば、ヒロの行動は、やはり「マーベルヒーロー」として王道のものとなっているのだ。
ココがポイント
ちなみに「トニー・スターク」と似ている境遇の「ヒーロー」として「バットマン」の「ブルース・ウェイン」がいる。
2人は「プレイボーイ」「金持ち」という共通点があるわけだが、彼らは「発明」という観点で大きく異る点がある。
- 「トニー」は自分で「スーツを作る」
- 「ブルース」は金に物を言わせて、「スーツを作らせる」
似ている両者だが、「スーツ」に関しては真逆なスタンスなのだ。
このように、「自力で作る」ということ、それ自体が「マーベルヒーロー的」であると言えるのだ。
何があっても変わらない「ヒーロー」の芯
今作はヒロが「ベイマックス」や兄の友人達とともに「ビッグ・ヒーロー・6」というチームを組み、初めての活躍をする物語だと言える。
しかし、最初は「ヒーロー」を目指すわけではなく、そもそもの動機は「兄の死」その謎を追いかけるというものだった。
その中で「ケアロボット」だったはずの「ベイマックス」に戦闘システムを搭載、アーマーを開発、挙げ句「兄の仇」を痛めつけようとするに至るなど、ヒロは一線を超えかける。
この辺りを、しっかりシリアスなトーンでも描かれているのが、今作の特徴だと言える。
そこから見ていくと、今作のヴィランは彼のダークサイドの具現化とも言える。
キャラハンは「娘を失った」その恨みを「クレイ」の全て破壊して晴らそうとする。
この行動はまさに、ヒロが陥りかけた行動そのものだ。
そういう意味ではやはり今作は、「自分の影」と戦うという、「ヒーロー映画らしい」展開をしていくのだ。
ただ、今作が秀逸なのは、「自分の影」に打ち勝つだけではなく、「ヒーロー」としていつになっても変わらない「芯」の部分を描いている点だ。
そう言えば、昨今、日本の特撮もそうだが「ヒーロー論」を論ずることが非常に多い。
つまり「正義とはなにか?」と悩む展開が、必ずどこかでやってくる。
今作でもヒロが「復讐」するのか?/それとも?
というシリアスな悩みを背負わせることも今作では十分出来たはずだ。
しかし今作は、そこが深く追求されることはない。
この「ヒーロー論」的展開が多くなった背景には『ダークナイト三部作』の影響が大きいのではないか?
これも「マーベル」作品の特徴なのだが、基本的に「マーベル」はこの辺りをうじうじ悩むことはせず、カラッとしているのも特徴で、今作もそこは引き継いでいるといえる。
そんな「悩む」ことよりも今作は、もっと重要なことを描いているのだ。
それが「ヒーロー」が、例え時代が変わったとしても「これだけは正しい」といえる点が描かれている。
それが「人助け」という点だ。
今作はキャラハンのクレイへの恨みを晴らす。
その行為とヒロたちが止めようとするクライマックスが待っている。
これは前述の通り、ヒロが、自分がなり得たかも知れないダークサイドとの対立でもあるわけだが、そこに今作はもう一つ「人助け」という展開を加えている。
ヒロとベイマックスは、かつて事故を起こした「ワープホール」の中にキャラハンの娘「アビゲイル」が生きていることを知り、彼女を助けにいくのだ。
本来「ケアロボット」であるベイマックスに「戦闘装備」を施した。
だけど結果それが、ベイマックス本来の使命「人助け」につながるという展開は、見事だというほかない。
元々、ヒロは「仮面の男」を探すためにベイマックスに「高性能スキャン」を搭載した、だからこそ、「ワープホール」の中を見通せた。
そして、当然「飛行機能」を付けたことで、そこに入ることが出来た。
さらに「ロケットパンチ」という「攻撃機能」それを付け加えたからこそ、最終的にアビゲイルを救うことが出来たのだ。
「ケアロボットにこれは必要か?」
何度もヒロにベイマックスは問いかけた。
これは、普通に考えれば、復讐心に囚われたヒロの暴走とも取れるし、そこに対しての警告的側面もあった。
だけど、最終的には「これがあったからこそ」ベイマックスは本来の役目、つまり「ケアロボット」であること、そしてその目的である「人助け」をすることが出来た。
要は「力」は使い方次第であるということなのだ。
そして、この「人助け」というのは、時代に関係なく、決してブレることのない「ヒーロー」の必要意義であり「芯」だと言えるのだ。
そして、今作はベイマックスのオリジナルと別れた後、湿っぽくならず、割とスピーディーに「二代目」と再会。
ヒロたちは街を守る「ヒーロー」として活動していることが伺えるラストになっている。
そう考えると「チームヒーロー物」として、やはり考えうる最良の締めくくりが今作では用意される。
だからこそ、やはり『ベイマックス』という作品は、これ以上ない「ヒーロー映画」だと言えるのだ。
今作を振り返って
ざっくり一言解説!!
ハートフル映画として見るより、「ヒーロー映画」としてみるべし!!
特に、公開当時の日本での宣伝は「ヒーロー映画」っぽくなかったからね
まとめ
ということで、今回は『ベイマックス』という作品が、いかに「マーベル」らしい作品であるか、そして「ヒーロー映画」として素晴らしいのか、という点を中心に見てきた。
ただ、不満がないというわけではない。
それは、ゴー・ゴー、ワサビ、ハニー・レモン、フレッドのスーツ開発に、彼ら自身の工夫などが描かれてなかったからだ。
基本的には天才ヒロが全て作り上げているのだが、そこに彼らの「開発」に対する「工夫」
つまり、科学オタクなりの「DIY精神」をもっと見たかった気持ちにさせられた。
ただ、やはり「ヒーロー映画」として大切な要素はキチンと描かれていたし、非常に完成度の高い作品だったと言える。
そして「ディズニー」は「マーベル」を原作にするなど、さらに作品の幅を広げる事に成功した。
つまり「ヒーロー漫画」を「ディズニファイ」することに成功したといえるのだ。
そういう意味では、やはり意義のある挑戦であったのではないだろうか?
そしてこの挑戦は「大成功」したといえるのだ。
まとめ
- 「ヒーロー映画」として、見るべき作品。
- やはり「マーベル」らしさがつまっている。