
「ディズニー長編アニメーション」を公開順に批評していく「ディズニー総チェック」
今回は「アトランティス 失われた帝国」を深堀りしていきたいと思います。
今作のポイント
- いろんな類似作品がある・・・。
- ウォルト・ディズニーは今作の実現を喜んでいるハズ。
- 物語は面白いのだが・・・。
目次
「アトランティス 失われた帝国」について
基本データ
基本データ
- 公開 2001年
- 監督 ゲイリー・トルースデール/カーク・ワイズ
- 脚本 タブ・マーフィ
- 声の出演 マイケル・J・フォックス ほか
あらすじ
言語学者のマイロ・サッチが、世界で指折りの地質学者や探検家を率いて、全長300メートルの巨大な潜水艦に乗り込み、遥かなる海底の旅に出る。
彼らの使命は、失われた帝国アトランティスを発見すること。
しかしその使命が、アトランティスを探すことから守ることに変わり、事態は思わぬ展開に…。
海流のごとく目まぐるしく敵味方が変わる中、マイロが信頼できる人物は一体誰なのか…?
ディズニプラスより引用
これまでの「ディズニー作品」とは違う作劇

前作に引き続き「異色作」
今作最大の特徴は「SF」「海洋ロマン」であり、「ミステリー」「謎解き」要素。
これまでの「ディズニー作品」では描かれなかった要素で構成された作劇になっている。
ちなみに前作「ラマになった王様」も「全編コメディー」で異色作といえる。
よく考えれば前々作「ダイナソー」も「3DCG作品」という点では異色作だった。
つまり2000年から公開されたディズニー作品は、どれも「異色作」続きだったといえるのだ。
ちなみに、この3作品(「ファンタジア2000」を入れると4作品)は、どれも興行成績としては振るわず、結果「ディズニー没落」の流れを決定付けたともいえる。
これは、「異色作」を観客は求めてなかった、ということだ。
そして、これは以前の「美女と野獣 評論」で指摘したことだが、この2001年は「ディズニー以外」の勢力が伸びきていた時代だ。
「ピクサー」は「モンスターズ・インク」
カッツェンバーグ率いる「ドリームワークス」は「シュレック」を公開。
これらと「アトランティス」を比較すると、申し訳ないが「アトランティス」が勝てる要素はないことは、断言しておく。
それは結果にも現れる。
2001年新設された「アカデミー賞 長編アニメーション部門」
ディズニーは喉から手が出るほど欲しかった同賞を取ることが出来ず、かつてディズニーが追い出したカッツェンバーグに敗北するという屈辱を味わうことになったのだ。
結局ディズニーは2000年代、一度も同賞を取ることが出来ず、ディズニーは完全に「暗黒」の深みにハマることになる。
深堀りポイント
これまでの「暗黒・低迷期」と「2000年代暗黒期」の違い。
「ラテン・アメリカの旅」から「イカボードとトード氏」までの「低迷期」
「王様の剣」から「オリバー ニューヨーク子猫ものがたり」までの「暗黒期」(とはいえ「くまのプーさん」など人気作もある)
これらの2度の「低迷・暗黒期」は、とはいえ「ディズニー以外」の「アニメ勢力」は貧弱だった。
だが、「2000年代暗黒期」は「ディズニー」を脅かす勢力が増えており、ライバルが多い。(「ピクサー」「ドリームワークス」「ジブリ」ほか)
つまり、容赦なく蹴落とされるということだ。
だからこそ、「2000年代暗黒期」はこれまで「アニメ界」をリードしてきた「ディズニー」がその座を奪われるという意味で、一番悲惨な時期だと言える。
「似ている」かも知れないが、”それが”問題ではない。
今作は、ウォルト・ディズニーが生誕100周年を迎えた、2001年に公開された「記念作品」だが、さまざまなケチがついている。
主な問題点に「ふしぎの海のナディア」(庵野秀明作品)
「天空の城ラピュタ」(「ジブリ」)
などなど、いわゆる「日本アニメ」の影響を受けていると思しきシーンが多い点が挙げられる。
特に「ナディア」からの「パクリ疑惑」は多く、キャラ造形は確かに似通っている。
気になる方はぜひ、調べてほしいのですが、確かにこれは「パクリ」と言われても仕方ないレベルで似ている。
ただし、「ナディア」も今作も「ジュール・ヴェルヌ」の「海底二万里」をモチーフにしていて、設定などが似通うのは至極当然だ。(キャラ造形は言い逃れできないが)
なので「パクリ」だといって「問題化」しすぎるのも良くない気がする。
それよりも問題がある!
それは、「パクっても」大して面白くなってない。
ここが最大の問題点ではないだろうか?

面白いとは思ったよ(笑)
とはいっても、元々の設定や物語で、ある程度は「見れる」レベルではある今作品。
だが、どうして「パクリ元」と言われる作品のように「面白い」作品にならなかったのか?
それは、圧倒的「尺不足」「詰め込みすぎ」「説明しなさすぎ」
90分では到底捌ききれない「要素」がてんこ盛りだったからだ。
「海洋冒険」部分も、10分足らずで「ユリシーズ号」が沈むという、圧倒的短さ。
そこから「エアポケット」に入り、「アトランティス」にたどり着くまでの「道のりの容易さ」
「アトランティス」での謎解きの「簡単さ」
正直「アトランティス人」の技術力や、寿命を考えると「文字」が読めなくなる設定は、到底納得出来ない。
マイロとキーダの恋愛感情が、あまりにも突飛。
そもそも「クリスタル化」のナゾは説明されない。
などなど、明らかに「90分」で語りきれているとは言い難い今作品。
パクリ元と言われる「ナディア」は30分アニメで、全39話をかけていることを考えると、今作の「ダイジェスト感」はわかっていただけるのではないか?
ただ逆説的に考えると、ここまで「ダイジェスト感」「尺不足」であろうと、ある程度理解出来るのは、そもそもこうした「文脈」の作品に我々が慣れ親しんでいるからだ。
ポイント
「ナディア」や「ラピュタ」などが、世に広く出回っているからこそ、描写不足でも「なんとなくの理解」できるのだ。
そう考えると、ある程度こうした「文脈」の作品を読み解く土壌がなければ「成立」しないともいえるので、「アトランティス 失われた帝国」は非常に「他力本願」な作品だとも言えるのだ。
今作がウォルト生誕「100周年記念作」である理由
この作品は前述したとおり「ウォルト・ディズニー」生誕100周年作品だ。
それには大きな理由がある。
それは、ウォルトが「ジュール・ヴェルヌ」を愛し、インスピレーションの源としていたからだ。
ジュール・ヴェルヌは「人間に想像できるものは、人間がかならず実現できる」という名言を残しているが、明らかにこの言葉はウォルトの人生に影響を与えたはずだ!
そんなウォルトは生前ヴェルヌの物語で描かれる「未来に対する予見」に感銘を受け、「海底二万里」の実写化を決意し、制作に取り掛かった。
ウォルトは「鉄道好き」ということもあり、「潜水艦」を映画に登場させたいと思ったに違いない。
そして、怪物イカのリアルな模型を制作したり、かなりの熱を込めて作品制作に取り掛かっていたことも語り継がれている。
そして、1954年に実写映画として「海底二万里」を世に送り出したのだ。
ポイント
ちなみに今作は「海底二万里」のアニメ化であると言えるが、それにもう一つの要素が加えられている。
それが、紀元前427年 から、紀元前347年に生きていた「プラトン」の遺した「ティマイオス」「クリティウス」に綴られた「アトランティス」の要素だ。
(「遊戯王世代」の方なら「ドーマ編」でも聞いたことがある単語かも知れませんが)
つまるところ、この時点で「尺不足になる」のは確実だと言える。
ちなみに結果は「海底二万里」は興行成績は上々で、同年公開された「わんわん物語」との相乗効果で「ディズニー社」に大きな利益をもたらすことになった。
このような、経緯もあり、ウォルトのインスピレーションに少なからず影響を与えた「ヴェルヌ」の作品が、「ウォルト生誕100周年」という区切りに選ばれたのだ。
そういう意味では、これ以上無いうってつけの企画だったとも言えるのだ。

「ミステリアスアイランド」は絶対に気に入ったハズだ
中身について触れていく

全体的に「尺不足」は否めないが
さて、軽く本編の方にも触れておきたいが、今作はまず、遥か古代の出来事。「アトランティス」滅亡の描写から始まる。
そして今作のヒロイン「キーダ」の母が「天の光」に吸い込まれる意味深なシーンが描かれる、いわゆる「謎」が我々に提示される。
「アトランティス」とは何??
そもそも論、「アトランティス」とはなにか? ということをもう一度整理しておく。
紀元前427年 から、紀元前347年に生きていた「プラトン」の遺した「ティマイオス」「クリティウス」に記述された「島」とされている。
そして、そこには「帝国」が繁栄してたことが記されている。
ちなみに、プラトンの時代から遡る事「9000年前」に沈んだとされているので、想像を絶するほど古代に失われた文明だ。
この「アトランティス」と「リトル・マーメイド」に登場する「アトランティカ」について、
「スタンドFM」で「都市伝説」を研究・発信されている
「PlusUltra都市伝説ラジオ(とっしー)」
で、メチャクチャ詳しく紹介されてるので、そちらも、ぜひお聴きくださいませ!
そして時代は1914年の「ワシントンD.C」へ移り、そこで今作の主人公「マイロ」が登場する。
彼は「言語学・地図制作者」で、博物館で勤務しており「アトランティス伝説」は実現すると主張をし続けていた。
だが、誰にも相手されず、不遇の日々を過ごしていた。
そんな彼の元に突然「ヘルガ」というナゾの女性が訪れ、マイロの祖父の親友だった、大富豪「ウィットモア」の元に招かれる。
そこで「アトランティス」を探す冒険に出ることになる。
ここまでがだいたい冒頭の10分以内で語られることになる。
ということで、今作品は、良くも悪くも非常に「テンポ」は良い作劇になっている。
このウィットモアとマイロの会話で『羊飼いの日誌』という、いかにも「SF」らしい用語が出てくる。
この日誌には「アトランティス」への行き方が記されている、この作品で最も需要な書物なのだ。
そして、マイロの祖父が「いつかマイロに渡してくれ」と託されたものでもある。

これは現実にある『死海文書』とか、「エヴァ」風に言うなれば『裏死海文書』らしいものだと、推測出来る代物だといえる。
だが、少なくとも、数千年前に書かれたであろう「文献」とは思えぬほど「きれい」な形で残っているなど、「古代感」が全く無いのはいかがなものか?
という疑問が湧いてくる。
ちなみに、これが実際に残る、『死海文書』の『イザヤ書』だ。
本来ならば、これくらいボロボロでなければおかしい代物のハズなのだが・・・。
ただ、まぁそれは100歩譲るとして、この『羊飼いの日誌』は現状、世界でマイロにしか読むことが出来ない。
つまり、この日誌が読めるからこそ、マイロは「アトランティス」を探す旅に同行することが出来るのだ。
今作の疑問点
ただ、ここで一つ引っかかるのは、この文献は、明らかに「アトランティス」が海底に沈んだ後に書かれたものだということだ。
つまり数千年前に「アトランティス」にたどり着いた”地上”の人間が書き記したものだと言える。
今作の描写を見る限り、行き着くには、凄まじい技術力が必要だと見受けられる。
そんなことが出来る「文明」が古代にあったことにこそ「驚く」べきだと思うのだが・・・。
ちなみに、「アトランティス」側が、地上世界に向けて、これを記した線も考えられるが、それは無い。
なぜなら「古代アトランティス語」は、かの天変地異で「失われた言語」だからだ。
(この設定も、よく考えたらおかしいのだが・・・。)
そして、いよいよ海底に向けて「ノーチラス号」もとい「ユリシーズ号」が海底に発進。

って思うんだけどね、これ「ナディア」への配慮なのかな?(笑)
200人もの大量の人員で出発するも、5分足らずで沈没・・・。
一気に人員を30人程度にまで減らすという荒業に出る。
これは、恐らく人員が多すぎると描き分けができないから、という作り手側の圧倒的な「事務作業」が為せる技なのだ。
という風に、割とあっさり海底での旅は終わり、「アトランティス」にトントン拍子で近づいていく。
良くも悪くも「テンポ」が良いというのを、体現する流れだと言えるのだ。
アトランティス到着後も「テンポ」が早い
そして「アトランティス」までも、割と困難なくたどり着く一団。
ここで徐々に「司令官ローグ」やクルーたちには「別の目的」があることが示唆される。
流石に「アトランティス」の情景や、人物描写は圧巻だ。
さすが「ディズニー」というのはキチンと見せつけてくれる。
だが、ここで物語は、マイロと王女キーダ中心にシフトする。
キーダは地上の知識人であるマイロに、「アトランティス」の謎、母の行方を探してほしいというのだ。
ここで、彼女たち「アトランティス」の生き残りが「古代アトランティス語」を読めないことが明らかになる。
ただ、これもよく考えれば無理な設定だ、「アトランティス人」は数万年の寿命を持っており、キーダは「アトランティス」が海底に沈む際には既に生きていた。
(キーダは8000歳なのだが)
つまり、その天変地異を生き残った人間は何人もいるので、その人達は「古代アトランティス語」が読めたハズだ。
それが「読めなくなる」というのは、設定として、よく考えれば「???」と思うのだが・・・。
なぜ、こんな飲み込みにくい事になったのだろうか?
考えると、これは無理やり「マイロ」を物語の中心に据えるためでは無いだろうか?
マイロにしか「古代アトランティス語」が読めない事にすることで、彼を「海底の旅」への先導の役目をあたえ、「アトランティス」でのキーダと交流する役目をあたえる。
これは、作り手の「ご都合主義」が最も表に出た結果だと言えるのだ。
そして、結果「謎の答え」にたどり着き「クリスタルは命の源」という事が判明する。
これなら、キーダたちでも辿り着けそうな「答え」でもあるのだが、それはもう一々突っ込むのも野暮だろう。
そしてマイロもまた『羊飼いの日誌』で「クリスタル」のページが無くなっていることに気づくき、それを「ローグ司令官」が千切っていたことも判明する。
ここも「あっれれ!?(コナンボイス)」ポイントだ。
要はローグ司令官たちは、「アトランティス」から「無限のエネルギー源」である「クリスタル」を持ち帰り、それを売りさばくことで「巨万の富」を得ようとしていたのだ。
そのために「クリスタルに関する記述」の部分を千切っていたのだ。
記述内容としては、恐らく「クリスタルを”アトランティス”から奪ってしまうと、”アトランティス”が完全に滅ぶ」旨の記述がされていたと推測される。
それをマイロに読まれると、計画に反対されると考えて、このような隠蔽をローグは行ったのだ。
でもよく考えてほしい「この本はマイロ以外読めない」のだ。
にもかかわらず、その部分を「ピンポイント」で千切って隠す。
ここでもまた、とんでもない「ご都合主義」を発動するのだ。
あえて言わせてくれ! 「クリスタル」をお土産にしてはいけないぞ!
さて、そしていよいよ最終局面。
ローグの指示で「クリスタル化したキーダ」を連れ去ろうとする仲間たち。
そんな事をすれば「アトランティス」が滅ぶとマイロは説得をする。
そのことでマイロに深く関わった仲間は、ローグに反旗を翻すのだが、「クリスタル」は強奪されてしまい、滅び時が「アトランティス」に迫る。
ここで、仲間がマイロの味方になるのも、「ご都合主義だ」と指摘する人がいるが、ここはそうではないと反論したい。
少なからず、彼らは「アトランティス人」とささやかな交流をしている描写があった、なので彼らが「アトランティス側」に肩入れする理由付けはなされているのだ。
そして何とかローグから「クリスタル」を奪い返し、キーダも無事「クリスタル化」から解放されることになる。
この「クリスタル化」に関しては一切の説明もないので、ここは完全に「描写不足・尺不足」だ。
最終的にマイロは、唯一の「古代アトランティス語」が読める存在として、「アトランティス」に残る決断をする。
そして、仲間たちは地上に帰ることになる。
そこでマイロ、キーダは仲間に「クリスタル」の一部を渡すのだが、確かにそれは「仲間の証」としては「素晴らしい」とは思う。
だが、現実的に考えたら、それを地上世界に持ち出すのは正直やめたほうが良い。
悪人にそれを奪われたら、今度こそ、とんでもない事態になるような「種」をまくのは、どうしたって「いい考え」とはいえないだろう。
ただ、祖父の友人であった「ウィトモア」に「アトンランティス存在の証」を渡すのは、物語として見れば、素晴らしい着地とも言えるので、彼にだけ渡すであれば一番良かったのではないか?
てか、旅の仲間たちは明らかに「金銀財宝」というお土産ももらってるのだから、なおさらだ。
という風に、最後もツッコミどころで終わるのが「アトランティス 失われた帝国」の残念なところなのだ。
では、今作は「駄作」なのか?
ここまで、色々と文句ばかり言ってきたが、では「この作品が面白いのか?」「駄作なのか?」と聞かれると、僕はそうではないと言いたい。
むしろ、ある程度「忖度」をすれば(つまり、ジャンルにある程度成通していれば)、「海洋・冒険・SF・ミステリ」と今作は楽しめる要素てんこ盛りなのだ。
ある感想では、かの有名な「コルドロン」に匹敵すると言われていたが、それは余りにも「アトランティス 失われた帝国」に対して失礼だ。
あちらは、文字通り「ワープ」をするし、「ヴィラン」とは対決しない。
今作は、尺不足ではあるが「キチンと冒険」しているし、ローグとマイロはキチンと対峙し、そしてマイロは勝利している。
そして「面白い要素」が「面白くない」方向にどんどん転がる「コルドロン」
対して、今作は「忖度」をしないといけないが、それでも「面白い要素」が「ある程度、面白い」ものになっているのだ。
だからこそ、「コルドロン」よりも「アトランティス 失われた帝国」は比較にならないほど良く出来ているというのが、僕の見方だ。
それよりも気になったのは「絵柄」だ。
「ダイナソー」以降、「ラマになった王様」「アトランティス」と2作続いて、「カートゥン・アニメ調」の絵柄になっていて、これがあまり僕は好きではない。
やはり「ディズニー」には「写実的」な絵柄を僕は求めたい。
そして、そういう方は多いはずだ。
恐らくこの時期の作品が「評価されない点」に、「絵柄」の変化は大きな影響を与えているのではないだろうか?
個人的には「物語」「設定」として「異色作」を続けたことも「低迷」の原因だろうと思うが、それ以上に「絵柄」というのが、大きな影響を及ぼしたのでは? と思っている。
つまり「物語」「設定」もディズニー的でなければ、それを構成する「絵」もディズニー的ではない。
そんな二重苦を背負ったからこその「ファン離れ」が起きたのではないだろうか?
せめて、どちらかは従来の形で「ディズニーらしさ」を抑えておけば、ここまで失敗はしなかったのではないだろうか?
そうすれば「ラマになった王様」「アトランティス 失われた帝国」のここまでの失敗は無かったのかも知れない。
サントラの壮大さとか、結構好きなんだよなぁ!
今作品を振り返って
ざっくり一言解説!!
色々と盛り込んだ分、「尺不足」が露呈しているね!!
せめて、もう30分ほど尺があれば・・・
まとめ
ということで、長々と語ってきた「アトランティス 失われた帝国」
どう考えても「盛り込み過ぎな要素」「尺不足」
そこから来る、「ご都合主義的展開」と、色々辛い部分も目立つこの作品。
ただし、ある程度「SF」文脈や、それこそ類似点が指摘される「ナディア」「ラピュタ」などを知っていれば、「あぁ、あれで言う、あれね」というノリで乗り越えられる点も多くある。
ただ、それは非常に「他力本願」な作品作りだと言わざるを得ないし、やはり褒められた作りではないことは、繰り返し指摘しておかなければならない。
そういう意味では「低迷期」らしい作品だともいえるのだ。
ただ、個人的に、恥ずかしながら「アトランティス」は嫌いになれないという気持ちもある。
それこそ「ラマになった王様」は世間では評価されているが、僕は圧倒的に「アトランティス」支持派だ!!
それは多分に「SF作品」や、それこそ今作の類似作品が好きだと言うのも理由に挙げられるだろう。
ただ、この「好き」というのも「〇〇に似てるから」という、どこまでも「褒められた好意」では無いことも指摘せねばなるまい。
ということで、世間的には「評価は低い」が、「僕は好きよ」という感情を抱かせる作品でした!
皆さんは「アトランティス 失われた帝国」は、お好きですか??
まとめ
- 世間が「駄作」という理由は、痛いほど「理解できる」
- ただ、そうだとしても「僕は好き」です!(恥ずかしながら)
ということで、次回は「リロ・アンド・スティッチ」
いよいよ、2000年代最大のヒット作ですね!
評論するのが楽しみです!